涙は流れる
渇いた大地を見下ろすようにして立つ荘厳な聖堂。吹き荒ぶ風に乗った赤い砂は千年にも及んで純白の聖堂を穢し、錆のようにこびりついてしまっている。それでも聖堂の持つ神聖さに翳りはなく、見る者を圧倒する。
まだ顔に幼さが残る少年シャイナも、このポーポネート大聖堂の迫力にたじろいでしまった。馬車の車窓から聖堂に釘付けになり、馬が立てる砂埃すらも気にせずに凝視し続けた。緊張は増していき、心臓が胸の裏から飛び出していきそうな勢いで早鐘を打つ。
いよいよ涙の騎士になれる。興奮と不安、期待と覚悟が綯い交ぜになり、シャイナは呻くようにして声を漏らした。不自然に盛り上がった丘に近付くと、その丘の縁に沿って作られた螺旋状の道から聖堂へと登っていく。道中、常に情緒があちこちに引っ張られたが、聖堂の巨大な扉を前にして、心は落ち着きを取り戻した。
門番はなく、迎えてくれる者もいない。ここまで連れてきてくれた御者は、馬車と共に扉から遠ざかっていた。ポーポネート大聖堂は不可侵の領域。熱心な信者は疎か、諸国の統治者や司教すら入ることは許されていない。此処に踏み込めるのは涙の騎士となる者のみ。そして此処に御座すのは、涙教の大いなる先導者、ハーヴェル教皇ただ一人。
巨大な扉は独りでに開いた。シャイナは僅かに出来た隙間に体を滑り込ませて、聖堂の中へ入っていく。両端に並び立つ純白の柱がアーチを作り、金糸によって精緻な模様が施された赤い絨毯が汚れも皺もなく伸びて祭壇まで続いている。真正面にだけある大きなステンドグラスからは夥しいほどの光が射しこんできて、祭壇の前に立つ人を影として映し出していた。その人物こそ、ハーヴェル教皇であった。
冠に散りばめられた色鮮やかな宝石が光を反射して美しく輝いている。白い祭服の胸のあたりには薄青の宝石が一つだけ埋め込まれて、弱々しい光を放っていた。その数多の光に引かれるようにして、シャイナは教皇に近付いていった。冠から零れる漆黒の髪、つんと尖った鼻、鼻の下から顎に掛けては髪と同じ黒い髭が蓄えられていて引き結んだ唇は僅かにしか視認できない。青を含んだ瞳は茫洋とした視線でシャイナを見ていた。
シャイナはハーヴェルの前に跪いた。目を閉じて、ハーヴェルの言葉を待つ。
「汝、その身と心を我ら人の子が背負いし贖罪のために捧げることを誓うか」
掠れた声が頭上から降ってきた。シャイナは顔を上げずに答える。
「誓います」
「では、誓いの証として汝に涙を与える。それをもって、汝は涙の騎士として世を清め、改めたまえ」
ハーヴェルが背後の祭壇へと歩き出した。それと同時にシャイナはゆっくりと立ち上がる。ハーヴェルは片手に杯を持って再びシャイナに近付く。その杯こそ誓いの証。涙の杯と呼ばれる神器だ。白銀の杯の中には濁りのない透き通った液体が満ちていた。ハーヴェルから杯を渡され、シャイナは零れないように慎重に口元へと運ぶ。
杯を持ち上げて、一息で液体を飲み込んだ。血のような味を僅かに感じた後、全身に優しい熱が行き渡っていった。その熱はやがて体に馴染み、今までにない力の源が胸の奥に生まれたことを本能的に理解した。
シャイナは高揚を抑えながら、杯をハーヴェルに返そうとした。しかし、ハーヴェルは杯に触れる直前になってぴたりと手が止まり、わなわなと震え出した。
「涙が、天使の涙が枯れた」
時を同じくして、とある辺邑の村に一人の赤子がこの世に生まれ落ちた。命の始まりを告げる産声と共に、その赤子は涙を流した。
人々が失ったはずの涙を、彼女はとめどなく流した。




