突きつけられた現実
「……一体、何を言ってるの?」
しばらく考えても、その一言しか出てこなかった。
本気にしてしまったも何も、ここは乙女ゲームの世界。だから当然、ゲームのストーリーは私の選択通りに進むことになっているはずで、本気にするだの何だの言われるのはおかしい。
レックスの言い方はまるで、これまでの私の行動が全部「遊び」という意味のゲームだったように聞こえる。ろくでもない貴族たちが、社交界で繰り広げているのと同じ━━
「え…………」
思い至ったことに愕然とする。
まさか……まさか、そんなわけはない。攻略対象たちにとって、ヒロインである私との交流がただの恋愛ごっこでしかなかったなんて、そんなこと━━
━━「あなたはもう少し、ご自分の立場と常識というものを理解すべきですわよ」━━
ふと思い出した悪役令嬢たちの言葉━━忠告が、ガンガンと頭の中に鳴り響いて消えない。
それを言われたのはどんな時だったろう。確か、何かと振る舞いを咎めてくる令嬢たちに対して、「攻略対象たちが好む素直で可愛らしいヒロイン」として彼らとの楽しい時間を過ごしているだけだと、内心優越感たっぷりに主張していた時がほとんどだったはずで……
「実はね、レイチェル。君と同学年の某伯爵令嬢が、君を心配して我が家に手紙をくださったことがあるんだよ。『貴家のご令嬢レイチェル様は、恥ずかしながら我が婚約者の耳触りのいい戯れ言を真に受けておいでのご様子で、余計な口出しとは存じますが少々心配になってしまいまして……』とね」
悪役令嬢の中で同学年の伯爵令嬢となると、宰相兼侯爵の嫡男の婚約者だ。それはそれはお淑やかな深窓のお姫様という風情の彼女は、忠告とともに明らかな━━今思えば気遣いのまなざしでこちらを見ていた。あの時はただの上から目線な哀れみとしか思えなかったけれど……
「ちなみにこうお返事申し上げたよ。『義妹はご婚約者やそのご友人との交流については、単なる『ゲーム』に過ぎないとしっかり自覚しておりますのでご心配なきように』と。実際、以前に確かめた時に君はそれを否定していなかったからね」
「ま……待って。つまりあのご令嬢たちは……婚約者が全員揃って私と……自分ではない女と楽しく『ゲーム』をしていたことを、ちゃんと了解していたってことなの!?」
「それはそうだろう。君と親しくしていた方々の婚約や婚姻には何の差し障りも出ていない上に、君に停学や退学処分が下されることもなく、また我が家に慰謝料の類いが請求されているわけでもない。もしもご令嬢方があれを『ゲーム』だとご承知でなかったなら、今言った三つのうち少なくとも一つには、とうの昔に大きな影響が出ていただろうね」
停学だの退学だの慰謝料だのと、どうにも人聞きの悪い単語だらけである。でもレックスがわざわざそう口にした以上、本来はその人聞きの悪い事態に私やヒューイッド家が陥っていただろう想定を、彼は間違いなくしていたということ。
つまりは━━この一年間、私がヒロインとしてやってきたあれこれは、それほどに危険な行動だったということを意味する。この世界の常識と照らし合わせた上で下された、ごく当たり前の評価がそれなのだ。
━━そう自覚した途端、後悔などという言葉では生ぬるいほどの強烈な衝撃と恐怖が私を襲った。
転生したと分かってからの約十年間、ずっと抱いていた認識━━ここは乙女ゲームと寸分違わぬ世界で、ヒロインたる私が幸せを掴むために存在する、私のためだけに作られた舞台なのだと、何の疑いもなく信じ込んでいた自分だけの常識。そこに大きすぎるひびがいくつも入り、欠片も残らないほど細かく破壊され粉砕されてしまったのだから。
全身に広がる震えに自らを抱き締めながら、顔が蒼白になっているに違いないと確信できてしまい、ふらつく足取りのまま再びベッドへ腰を下ろす。
当然ながらその程度で気持ちが落ち着くはずもなく、ようやく声に出した言葉も嫌になるくらい弱々しく頼りなかった。
「じゃ……じゃあ、私は……私はこの先、一体どうしたらいいの……!?」
「ああ、ようやく現実が見えてきたのかな。
どうしたら、ということなら選択肢は特に限られてはいないと思うよ。今までのことはあくまでも『ゲーム』だったのだから、少なくとも表向きは貴族社会の不興を買っているわけではないし。身につけた目的はどうあれ、君の学園での学業やマナーの成績は上位なのだし、二年後にどの進路を選ぶにしても、能力面の不足はないね。今のところは。
勿論当初の目的通り、自力で嫁ぎ先を探すというなら、我が家としてはそれで一向に構わないよ。……ただ一つだけ言っておくと、父は君の卒業を待って引退すると言っていたが、それが早まる可能性が出てきたことは承知しておいてもらいたいな」
「え…………」
頭が真っ白になり、理解するのを拒否した。
レックスの言葉は一見、私の未来には何も問題がないと保証してくれているような言い回しだけれど━━実際のところは、既にかなり細くなっている命綱が今にも外されかけているという事実を容赦なく突きつけてきている。
━━自力で嫁ぎ先を探せということはつまり、義父母や義兄のツテで私に縁談を持ってくる気はないと断言したようなものなのだから。
どうにか脳の動きが再開したところで、畳み掛けるようにレックスの言葉が続く。
「今更だけどね、レイチェル。義兄として、大事なことを一つ忠告しよう。
ゲームに限らずあらゆる社会や物事には、ルールというものが必ず存在するんだ。そのルール、大原則を守ることができない存在は、いずれ必ずそこから排除されてしまうものなんだよ」
「……ルー、ル」
「そう。今回君たちがしていた『ゲーム』のルールは色々あっただろうが、最重要のものをいくつか挙げると━━殿下やそのご友人の方々に対しては、絶対に本気になったりしないこと。お互いの貞操はきちんと守り、評判への影響も最小限にすること。簡単にまとめると『皆様の婚約関係にひびを入れるような真似は厳に慎め』ってことだね。少なくとも貞操に関してはしっかり守っていたみたいだけれど」
「そんな……そんなの知らない! 知らないものをどう守ればよかったのよ!? それにそんなことを言うなら、王族や高位貴族の男性に見初められたいと思うこと自体が罪になるじゃないの!」
「思うだけなら罪じゃないさ。その上で行動に移すにしても、節度を守れば何ら問題はないんだよ。要は婚約者のいない相手を狙えばいいんだから。例えば……」
と、レックスは攻略対象の弟や従兄弟の名前を軽く列挙していく。
「……ふざけてるの? それ、全員が跡継ぎでも何でもない人たちじゃない!」
「リサーチ不足だね。中には実家の爵位の一つを受け継ぐ方もいれば、子供のいない親戚の養子になって後を継ぐ予定だったり、諸々の功績から近く新しい爵位を頂くことになっていたりと、いずれも大いに将来性のある方々なのに」
「う……!」
ぐうの音も出ない。
そもそも私は攻略対象たちしか眼中になかったのだし、リサーチ不足よりも遥か以前の問題である。彼ら以外の男なんて、今の今までレックス未満、モブにも劣る存在でしかなかったから。
「け、けど! そんなにいい相手なら、どうして噂になってないわけ!? その人たちが婚約者を探しているなんて話は、少なくとも学園で聞いたことなんかなかったわ!!」
「だから言っているじゃないか、『リサーチ不足』だと。それに君が彼らの家族や近い親戚の男性たちと楽しく『ゲーム』をしていたのは周知の事実だから、学友たちもあえて君の耳には入れないでいたんじゃないかな?
ああ、でも━━」
ふと気づいたようにこう付け加えられた。
「君がふて腐れることなくきちんと卒業式に出席していたら、『ゲーム』に参加して殿下がたを楽しませていたお礼として、ご家族やご親戚の方々を正式に紹介してもらえていたかもしれないね。今となってはただの仮定かつ後の祭りでしかない推測だが」
「っ…………!!」
「もう一つ、先ほど言っていた『知らないものをどう守ればよかったの』という疑問だが。そもそも学園入学前にきちんとマナーを学んだはずの君が『ゲーム』のルールを知らないことの方がおかしいんだよ。王立学園は成人前の子息子女が友情と人脈を育むための場であり、婚姻前の仮初めの恋愛遊戯を楽しむ格好の場でもあるのは周知の事実だから、入学予定の子たちには当然そのことは徹底的に叩き込まれるはずだ。君を教えていた家庭教師に確認してみても、間違いなく過不足ない授業をしたと断言していたし」
もしかして理解したふりをしていただけだったのかな━━
その台詞はぐうの音も出ないほどの図星で。
この世界の常識なんて知り尽くしていたつもりだったから。
━━でも違った。
ここはゲームの世界なんかじゃない、現実の世界だ。
そんな場所で、何のつてもなくなった私は今後どうすれば、今まで通り何不自由ない幸せな人生を送れるのだろう━━
「あ……ああっ……!!」
無理だ。どう足掻いたって無理だ。
乙女ゲームのヒロインのようなハッピーエンドどころか、これまで通り━━貴族としては低い身分でも、豊かな財力に支えられた、高位貴族にも劣らないほどの水準を誇る生活を送ることさえ不可能に近い。
末端とは言え貴族令嬢なのだから、金持ちの平民に嫁ぐという選択肢も本来ならなくはなかった。でも金持ちと言われるのは、貴族との強固な繋がりがある上に噂話にも敏感な人たちばかりだ。そんなところに私みたいな、準男爵家から追い出されるような人間が嫁ごうとすれば、門前払いされるならまだいい方で、話を持ちかけた時点で問題外と断言されて拒絶されてしまう━━
━━嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
そんなことがあっていいわけない。
私はレイチェル。この世界のヒロインなのに━━そのはずだったのに。どうしてこんなことに━━
現実逃避のように頭からシーツをかぶりベッドに突っ伏す。いつの間にかそのまま寝落ちして、枕を涙で濡らしながら。
ヒロインざまぁ終了。
ざまぁと言うよりは因果応報ですが。
容赦のない義兄は書いてて楽しいです。
三話目は、ざまぁや因果応報のみをお求めの方には蛇足となりますので、ここで読了とすることをおすすめします。それはそれとして続きを読んでくださるのも大歓迎です(直球)