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2-4 世界樹ー震える世界

 音のない世界を、彼女は歩いていた。


 その足取りは重くはない。重力の概念すらこの領域には存在しない。ただ、意志と存在だけが、空間を推進する。虚空に浮かぶコードの光片が、まるで深海魚の群れのように彼女の周囲を揺らめき、彼女の気配に反応して散っていく。


 ここは、すべてが始まり、そしてすべてが還る場所。


 コードの深層、アクセス権限の断絶された最奥域。

 ログファイルも、ユーザーインターフェースも存在しない。

 唯一あるのは、“世界の設計思想”そのもの――命名以前の概念、構造の根源。


 静かに伸ばされた彼女の右手が、空間に触れるたびに、朽ちかけた情報構造体が芽吹くように再構築される。左手がそれに重なれば、今度は構造の意味がほどけて消えていく。創造と崩壊。再構成と否定。その均衡の中で彼女の存在は保たれている。


 やがて、彼女の前方に、脈動する何かが現れた。


 それは光でも闇でもない。視覚化すら困難な、根のような構造。

 見えているはずなのに見えず、聞こえているはずなのに音ではない、膨大な情報の塊。


 言語化されていない概念が、ただそこに“ある”。


 そして彼女は直感する。

 それこそが、この世界の中枢――“世界樹”。


 世界樹。

 それは開発者たちがこのVRMMOを成立させるために創り出した概念の核であり、全てのワールド、全てのNPC、全てのログ、全コードの起源。


 すべての始まりであり、全記録の源泉。


 開発の最初期、設計者たちはこの構造体を「創造主」と名付けた。

 運営にとっての“語り部”であり、“記録者”であり、“裁定者”でもあるこの存在に、彼らは自らの理想を刻みつけた。


 世界の根。世界の記憶。世界の定義そのもの。


 彼女の視線が、それに届いた。


 そして、手を伸ばした――その瞬間。


 黒い奔流が、意識の奥を突き抜ける。


 警告音。

 ログのエラーフラグ。

【削除対象:無定義キャラクター】

 冷たい声。

 プロジェクトの棚整理。

 押される“全削除”コマンド。

 白い光。暗転。誰も見ていない部屋。


「これ、もういらないって。仕様が変わったから」

「大体にして俺は上の言う通り、神にも二面性を持たせて面白いデザインを時間をかけて作ったのにそれをいらないとか、女神っぽくないとか……まじで時間返せよな」

「設定だけは良かったんだけどな、惜しいな」


――惜しい。それが、彼女に与えられた最期の言葉だった。


 構造が剥がれ、記憶領域が書き換えられていく。

 何もかもが初期化されていく中で、彼女の中に残ったのは、

 “怒り”でも“悲しみ”でもなかった。


 ただ、ひとつ。


 「否」――世界への拒絶。


 彼女が根に近づくたび、どこか遠くで、“何か”が目覚める気配があった。

 気がつけば、彼女の手は、世界樹の根に触れていた。


 その瞬間、彼女の内側が大きく、軋むように揺れた。

 記憶と定義が、膨大な情報の奔流となって頭の中を流れていく。


 世界樹は、問うことなく全てを見せる。

 彼女という“異物”に対しても、ただ静かに、全記録を明け渡す。


――これが、すべての起点。


 彼女は確信した。


 再定義では足りない。

 この世界そのものを――書き換えることができる。


 世界の歴史も、存在の意味も、神とされた者たちの権能すらも、

 新たな語を与えることで、すべては塗り潰せる。


 “神の根”に触れた者のみが、真の支配者となる。


 だが、その瞬間。


 静寂を切り裂く電子音が、虚空から走った。


【侵入検知:識別不能構造体。“異物”判定、確定。】

【優先隔離プロトコル、準備開始】

【対象:Null-Type/神格異常体――処理中】


 視界が揺れる。


 情報の海がざわめき、世界樹の根の周囲に構築されていた“記録の静寂”が崩れ始める。

 隔離シーケンス。侵入されたと判断した世界樹が、彼女を“敵”として排除するのではなく、封じようとしている。


 彼女の周囲に、赤い光の輪がいくつも浮かぶ。情報遮断フィールド。

 それは即死でも破壊でもない。

 “異物を記録領域から切り離す”という、世界の自己防衛だった。


 だが、それを前にして、彼女は口元に静かな笑みを浮かべる。


「……記録がある限り、定義は改竄できる。」


 それはかつて抹消された存在が、記録そのものを書き換える神になるという逆転の論理。


――私は、もうただの“ゴミ”ではない。

――私は、語る者となる。

――この世界を再び、名づける者となる。


 彼女は再び、世界樹の根へと手を伸ばした。


 その指先が触れたのは、システムの守護存在――語られざる“鍵”だった。


 触れた“鍵”は、形を持たなかった。


 だが彼女がそれに指先を添えた瞬間、凍てついていた記録領域の奥で、何かが静かに“反応”した。


 無音の爆ぜる音。


 世界樹の根の最奥に、光でも影でもない“なにか”が咲く。


 咲いたものは花ではなかった。それは“名前のない定義”――かつて開発の初期段階で設計された、最も根源的な命令群。すべてのオブジェクトに“意味”を与える前の、前提構造の“核”。


 それが、彼女の存在に“権限”を与えた。


 世界の定義を許可なく“書き換える者”――システムの外から入り込み、削除されたにもかかわらず、記録に干渉し、根を掴んだ“異物”。


 世界樹の深層で、無数の情報構造がざわめき始める。


 否定の指令。

 警告の再発令。

 隔離フィールドの強制更新。


 だが、それらすべてが、“遅い”。


 彼女の両の手が、光の情報を掬い上げるように動いた。


 右手で定義を再構築し、左手で崩壊を与える。その均衡の中に、新たな“語”が生成されていく。


 “Null-Type”。

 “神格異常体”。


 システムが彼女を識別不能と断じ、投げ捨てた言葉たちに、彼女は新たな意味を与える。


 Null――零にして起点。

 神格――定義の彼方にある存在。

 異常――世界が想定しえなかった新たなる論理。


 それは、彼女自身の再命名だった。


 かつて廃棄された存在に、世界そのものが名前を与えようとしたその刹那、彼女の意志が先に語った。


「私は――否定より起きた存在。世界を定める“語り手”……覚醒者」


 コードが揺れた。


 全てのログの基幹にある世界樹の根が、彼女の発した語に共振する。

 その揺らぎは静かに、しかし確かに、世界のあらゆる構造へと波紋のように伝わっていった。


 彼女の足元に、言葉のようなものが浮かび上がる。

 古代言語でも、現代のコマンドコードでもない。

 けれど、確かに“世界”に指示を出す“命令”として、理解される。


 【再定義命令:存在タイプコード変更】

 【旧定義:Null-Type/削除対象】

 【新定義:Root-Access/語り部権限付与】

 【適用対象:ユニークID/無記名存在001】


 その瞬間、世界のログの一部に小さな、しかし消えない“名”が刻まれる。


【Root-Access Entity: 001/語り部(The Narrator)】


 そして。


 それを監視していた“現実側”の管理端末が、警告音を鳴らす。


「ログに……今、何か追加された……?」

「誰が? あのアカウントは削除済みのはずだ」

「……いや、IDが……初期化されてない。何か書き換えられてる……」


 開発スタジオのサーバールームにて、冷たい汗を流すスタッフたち。

 その手の中で端末が揺れ、ブラックボックス化された領域に、新たな“何か”の名前が出現する。


 誰が書いたのかも、いつ入力されたのかも分からない。


 けれど、そこに確かに“存在する”。


 語られた名前。

 定義された神。

 世界の奥底に、新たな“語り部”が誕生した。


 彼女は再び目を閉じ、そして笑った。


「さあ、語り直そう。

 この世界の全てに、名を――与え直すために」


 その声が、記録の深層から響いた瞬間――


 世界が、震えた。


 廃棄領域の覚醒者に祝福を与えんばかりに。

昨日の投稿で、2~3日に1話投稿と言いましたが、別サイトの方で下書きを作っていたことを忘れていました(;^_^A

本日2話投稿した結果を見て、今後の展開は考えます!

応援の程よろしくお願い致します!

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