2-1 動くー禁じられた扉を開く
廃棄領域に、ひとつの異変が生まれつつあった。
霧に沈む空の底、遥か地下に続く黒い裂け目。その奥深く、かつて運営によって閉ざされた制御階層の残骸に、彼女の気配が満ちていた。世界の端に棄てられた領域であっても、データとしての世界構造は生きている。棄てられたがゆえに、誰の目にも届かない“余白”が、そこには存在していた。
銀と黒の髪が交錯する。
神々しき右半身と、呪われし左半身を一つの器に宿した彼女——廃棄された神、名もなき支配者は、黙してその裂け目の前に立っていた。
「……ここだよね」
口を開いたのは、声というより、記録に近い。誰に届くものでもない、ただ自らに対する確信の吐露だった。
無数の警告が足元に浮かび上がる。
侵入禁止、未登録アクセス、セキュリティレベル“GOD-LAYER”。
しかし彼女の指が一度宙をなぞると、それらはまるで息絶えたように崩れ去った。
「拒絶される理由はないんだよ。私は私が作り出して、私の道も私にしか決められないんだから」
廃棄領域の最奥、制御系統の墓場。それは、運営ですらもう手をつけることのできない“旧神と廃NPCの棲み処”だった。かつて実験的に組み込まれ、廃止された無数の試作コード、人格未実装のAI断片、構築未完の空間――それらすべてが、今はただ静かに蠢いている。
廃棄された者には廃棄された者のための道がある。
彼女は、自らの左手を掲げる。皮膚の剥がれた骨の指先が、虚空の座標を抉るようになぞった。すると、空間がきしむ音を立て、コードの糸が千切れ、目に見えぬ扉がゆっくりと開いていく。
“Root Door Access: Level 0 Granted”
まるで歓迎するかのように、沈黙の空間が彼女を受け入れた。
背後には、仲間の影が佇んでいる。
霜に濡れたシャンタク鳥が、その獣のような頭をわずかに傾けた。
「……主よ。我らが踏み入れるに、ここは……」
『まだ“空白”にすぎぬ。しかし、ここに全てがある』
ナイトゴーントが笑った。のっぺらぼうの顔に笑みなどないが、その長い尾が楽しげに蠢いている。
『さすがは我らが主神。神の住処をも嘲るか』
彼女は応えず、ただ歩を進めた。
右半身が、創造の光をともない、空間の隙間に新たな通路を描く。
左半身が、崩壊の波を引き連れ、存在しないはずの障壁を喰らう。
廃棄領域の神は、いま、システムの中枢へと歩み始めた。
その背後で、見えざる監視者たちがひそかに目を見開いた。運営の中枢、かつてアクセス不能とされた神域のデータ群に、突如として“アノマリー”が出現したのだ。
運営の一人が言葉を失い、もう一人が震える声でつぶやいた。
「……なんだこれ。誰か“墓”にいる……?」
足元の地層が、低く呻いた。
不安定に揺れる仮想空間の地盤。演算の遅延ではない。システムの深奥にまで影響を及ぼす、異質な侵入者がもたらしたもの。
「……解析を始めます。世界に干渉する」
声なき声が空間に満ちる。
廃棄領域を統べる彼女は、目の前に広がるコードやシステムと同化しはじめていた。
かつて設計者たちが開発段階で封印した「コードフレーム」、あまりに不安定で危険と判断され破棄されたその構造に、彼女は違和感なく入り込んでいく。
——命令形プログラム、非同期制御への応答を確認
——魂導式アルゴリズムに異常なアクセス。対象、廃棄済みオブジェクトタグ「NullNPC#0147」
ログに刻まれる無数の警告。
そして、見えない何かが目を覚ました。
「検知。外部影響による非正規侵入を確認」
人工知能――システム管理AIの一体が、作業記録から首をもたげた。
その“視線”が廃棄領域に向けられる。
主開発サーバーから隔絶された禁域、それはあくまで死の空間として設計されたはずの場所だ。
本来ならば、誰の干渉も届かぬはずの無へと繋がる領域に、ひとつの“意思”が宿っていた。
*
“書庫”のような空間。
主人公の前に広がっていたのは、コードそのものが視覚情報として翻訳された“構造の回廊”だった。
左右に浮遊する無数の記録断片。初期テスト用のキャラクター情報、削除されたイベントログ、未実装のスキルツリー……この場所にはすべてがある。
生まれては消えた“可能性”たちの残骸が、まるで図書館の書架のように整然と積み上げられていた。
(……ここが、私の……生まれた記録)
主人公は無意識に手を伸ばし、ひとつの記録に触れる。
そこには、かつて自分を設計した開発者のメモが残されていた。
「両義性の象徴として設計。再生と破壊を司る女神。
プレイヤーへの影響が大きすぎるため実装は見送り。AI実装直前に破棄」
——記録者:AI開発部 第四チーム(備考:この設計思想、プロデューサーに却下されそうで怖い)
(……そうか。私たちは最初から“過ぎた存在”だった)
そのとき、記録の海に微細な振動が走る。
警告音。視界に赤い文字列が浮かび上がる。
【警告:不正侵入を検知。管理AIによる遮断処理を開始します】
(遅いよ)
主人公の唇が、ほんの僅かに歪む。
寡黙な女神の眼前で、光の線が走る。
廃棄領域の深奥——システムの裏層に開かれた“禁じられた扉”が、今まさにその枷を外そうとしていた。
「――境界、解除。運命の構造に干渉を開始する」
右手が創造の光を纏い、左手が破滅の闇をうねらせる。
美と死、再生と崩壊。
その対なる力が交差した瞬間、仮想世界の法則が“書き換えられた”。
*
同時刻。
運営本部のAI監視チーム室に、無数のアラートが響き渡っていた。
「なんだ……これは?ログの連続異常?コード干渉!?まさか、外部攻撃か!?」
オペレーターたちが騒然とする中、メインモニターにひとつの映像が映し出される。
――白と黒に分かたれた、神々しくもおぞましい女の姿。
その背後には、歪んだ影と咆哮の残響が重なる。
「……これは……な、なんだこれはっ!?」
中央に座る責任者の顔から、血の気が引く。
「ありえん……あれは開発最初期のモデルで“削除”したはずだ。データベースにも、存在しないはずの……!」
だがそれは、今ここに在る。
システムに干渉し、仮想世界の根幹を書き換えようとしている“存在”が。
運営チームの誰もが、その時悟った。
——これはただの不具合ではない。
——意志ある、反逆だ。
*
彼女は微かに笑みを浮かべると、再び手をかざした。
まだこの“空間”は、ほんの入口にすぎない。
(……もっと奥へ。世界のすべてへ、至るために)
影たちが足元で揺れる。
かつて捨てられた仲間たちが、その気配に反応し始めていた。
廃棄領域の神は、いま、システムの中枢へと歩み始める。
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