第1話「春風と共に舞い降りた恋の予感」
春風が社員たちの背中を優しく押す4月のある日、花園椿花は今日も元気に出社した。
「おはようございます!」
椿花の明るい声が、オフィスに響き渡る。
「ああ、おはよう、花園さん」
蒼井律が、いつもの冷静な表情で返事をする。
椿花は律の横を通り過ぎながら、ふと立ち止まった。
「蒼井さん、今日はネクタイの色がとってもお似合いですね! 素敵です」
律の瞳が一瞬大きく開かれ、すぐに平静を取り戻した。
「……ああ、ありがとう」
椿花は満面の笑みを浮かべたまま自分の席に向かう。その後ろ姿を、律は思わず見つめてしまった。
椿花の隣の席に座る後輩の鷹宮千紘が、小声で尋ねる。
「花園先輩、相変わらず蒼井さんと仲がいいですね」
「えっ? そうかな? 私、蒼井さんにはいつも怒られてばっかりだよ?」
椿花は首を傾げながら答える。その仕草に、周囲の男性社員たちの視線が集まる。
「そんなことないですよ。蒼井さん、花園先輩のことをすごく……」
千紘の言葉は、突然彼の背後に現れた律によって遮られた。
「鷹宮くん、今日の会議資料はできているかな?」
「は、はい! 今、仕上げているところです」
千紘は慌てて椿花から目を離し、パソコンに向き直る。
午後のティータイム、椿花は給湯室でお茶を入れていた。そこへ律が入ってくる。
「あ、蒼井さん。お茶、入れましょうか?」
「ああ、助かる」
椿花が丁寧にお茶を淹れる姿を、律は静かに見つめていた。
「はい、どうぞ」
椿花が差し出したカップを受け取ると、律の指が椿花の指に触れた。
「あ……」
律が思わず声を漏らす。椿花は何も気づかず、微笑んでいる。
「蒼井さんって、お茶の味にうるさいって聞きました。私のお茶、美味しいですか?」
律は一口啜り、目を閉じる。
「ああ、とても」
「よかった! 実は昨日、美味しいお茶の入れ方を勉強したんです。蒼井さんに喜んでもらえて嬉しい」
椿花の無邪気な笑顔に、律の心臓が高鳴る。
「花園さん、君は……」
「はい?」
「いや、なんでもない」
律は言葉を飲み込み、そそくさと給湯室を出て行った。
椿花は首を傾げ、独り言を呟く。
「私って、やっぱり男性とうまく話せないのかなあ……」
そう言いながら、彼女は自分の周りで起こっている変化にまったく気づいていなかった。