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ある日、夫が『未来から戻って来たんだ』と言い出しまして。

作者: あわき尊継


 結婚初夜を終えて、ようやく私に平穏が訪れました。

 居場所の無かった実家から、最低限の格と称された家へ嫁がされたものの、相手の方からは面と向かって『君との関係は書類上のものだ』などと言われる始末。

 私とて幼い頃から醜女醜女と蔑まれきた身、今更人から好かれるなどとは思っていませんでしたが、実家との縁すら切れた先でもこうなってしまうなんて。

 ほんの少し、期待もあったのです。

 もしかしたら、何かが変わるのではないか。

 愛されずとも友人として、あるいはちゃんと人として接して貰えるのではないか。

 けれど結局は同じこと。

 貴族の義務として子は成さねばならない。

 故に仕方なしと身体を重ねた。

 愛など無く、作業的に終わらせたことに感慨が沸こう筈もありません。

 妊娠したならば、一月か二月ほどあれば判断出来る。故にその時まではただ生きる人形として部屋に転がっていれば良い。駄目ならば、もう一度。


 実に、実に良い平穏です。

 少なくともここならば汚水を掛けられることも、服を裂かれて笑われることもないでしょう。

 ならばこのまま。


 そう静かに安堵し、閉じる扉の向こうに立つ夫を見送りました。

 ほう、と息を付く。

 その直後、扉が再び物凄い勢いで開け放たれたのです。

 驚いて服を着る手も止まってしまいました。

 入って来たのは、えぇ、何やら壮絶と呼べるような顔つきの夫です。先ほどまでは退屈さを絵に描いたような顔をしていた方が、どうしてそこまでと思う形相で。


「セイラ」

「…………はい」


 迫る彼に手を取られ、じっと見詰められる。

 最後の瞬間にさえ冷めた様子だった、夫である筈の方が、何故か今、燃える様な目で私を捉え、そうして。


「あぁ、良かった……!!」


 醜い私の身を、力一杯抱き締めたのです。

 そうして彼は言いました。


「私は今、未来から戻って来たんだ」


    ※   ※   ※


 名をコーデル様と。


 感情の乏しい方。

 表情が変わることは稀で、常に褪めた目で周囲を睥睨為さっている。


 私の第一印象はそれでした。


「――――そうして私は死んだ、のだと思う。けれど最後の最後に気付いたのだ。君は一度として私を裏切らなかった。愛してくれていたかは……分からなかったが、妻としてしっかりと私を助けてくれていた。だというのに私は!」


 興奮した様子で頬を染め、涙に潤んだ瞳でこちらを見詰めてくる、初夜を迎えたばかりの夫。

 冷たく身体を重ね、別れの言葉も無く部屋を出ていったと思ったらこの変わり様。


「セイラ。あぁ、セイラ。愛している。そうだ、私は死の淵にあってようやく愛することを知った。こんな奇跡があるだろうか。主はきっと、過ちを正せと仰っている。つまり私はこれから誰よりも君を幸せにし、愛し続けることを誓うよ」


 仰っている事、説明された事は理解出来ました。

 ですが、迫ってくるというより覆い被さる勢いの愛情に、私の方も目を回しています。


 待って。

 少し待って。


 生まれて以来、誰かから『愛している』だなんて言われた事が無いのです。


 人から触れられるのすら稀で、不意に接触してしまった妹などは、服が汚れて二度と着れないと怒り出したほど。

 だというのに貴方は私の手を取り、口付けなど為さる。


「お、お戯れはその位に為さって下さい。この醜女をして愛などと……ご冗談がお下手なのですね」

「醜女? 誰が言った。私、か?」


 一気に雰囲気が代わり、つい背筋が寒くなってしまいました。


「いえ。その……」

「言いたくないか。私が相手を貶めると思ったのだな。あぁ勿論そのつもりだったとも。我が事であったなら、この舌斬り落とす覚悟であったさ。だが、君が争いを厭うのならば仕方ない。しかし…………君は別段醜くなどないぞ」

「それこそお戯れを」


 貴方自身、嫌そうにされていたではありませんか。

 そう思って言うと、コーデル様は顔を背けて頬を染めました。


「…………これは真実、君と初めて会った時の感想だが、その、とても美しい人だと、私は思っていたぞ」


「…………え?」


「君の家が私を取り込もうと、色香で惑わそうとしてきたのだと思ったのだ! だからそうは成らぬと警戒していた! これは真実だ! そして事実、今の君を見て私は胸が高鳴るのを抑えられない!」


「……………………………………………………え?」


「なぜ心底理解できないという顔をする!?」


 なぜと言われましても、私に美醜の判断など出来ません。

 物心付いた頃より、この顔が醜いものと言われて来たのです。


「ええいこの際他の者がどう思おうと知った事か! 私は君が美しいと思う。この想いは嘘偽りなく真実だ」


 仰られている事に偽りはないと感じております。

 ですが、納得など出来る筈もありません。

 今更、木から落ちた林檎が天へ昇っていくなどと言われても。


 とはいえコーデル様が、本日より私の夫となられた方がそう仰るのであれば、そのように振舞うべきなのでしょう。

 思い、納得した顔を作ると、急激に彼の眼が細められ、私を射貫く者へと変化してしまいました。


「分かっていないだろう」

「い、いいえ。私は、コーデル様の仰られる通りであろうと」

「いやすまない。君の事情も考えずに私の意見を押し付け過ぎた。その事は謝ろう。そうだな、だが」


 取られた手の甲に、彼の手が重ねられる。

 その柔らかな熱と、触れられる不安、そして、彼の瞳にある圧倒的な感情が私を包む。


「……今自覚した。そうか、今は君と結婚をしたばかり。そうか、つまり……いや言うまい。だがまさか私が、自分自身に嫉妬する日が来るとはな」


「あ、あの」


「良い。君に落ち度はない。私の収まり切らない感情のせいだ。だがこうも思うのだ。私は夫として、君を心の底から愛している。その事を理解して貰う方法があるなと。そしてこれは偶然だが、僅かながら私の嫉妬心を和らげることにも繋がる。無論、君が私を拒絶するのなら手は引こう」


 生まれて初めて、心から他者に求められた。

 そんな想い、拒絶出来ようはずもありませんでした。


 そして……………………すごかった。


    ※   ※   ※


 以来、私の日常は崩壊していきました。

 誰にも気付かれない様、そっと身を縮めて一日一日をやり過ごす、そんな静かで平穏な日々は、もう来ない。


「いってきますのキスをしてもいいかな?」


 出掛ける夫を送っていけば、使用人達が居る前で口付けをされ、強く強く抱きしめられ、


「ただいま、セイラ! 街中で花屋を見付けたんだ! 君に似合うと思うんだがどうかな!」


 戻ってくるや花束を捧げられ、


「セイラ、愛しているよ」


 事ある毎に愛を囁かれて。


「セイラ」「セイラ」「セイラァッ」「セイラ!」「あぁ、セイラ」「セイラ」「セイラ!!」


 あらゆる好意が私を埋め尽くし、そうして、そうして……私はつい目を回して逃げ回るようになってしまった。


 だ、だって日に何度も口付けをせがまれ、愛だ好きだと囁かれ続ければ、私だって意識くらいするようになりますよ!


「ふふっ、見ぃつけた。セイラ、君の残り香にこの私が気付かないとでも?」

「……それは少々変態的過ぎませんか」

「そうかい? 昨夜もたっぷり堪能したからね、脳裏から離れないのさ」


 絶句して縮こまる私に、コーデル様は膝を付いて手を伸ばし、けれどそれを留めて表情を改めました。


「君が本気では拒絶していないと思って続けているのだが、もし本当に私の言葉や顔が気に食わないのなら教えてくれ。出来得る限り改善しよう」


 気に食わない訳ではないのです。

 嫌という訳ではないのです。


 ただ、ただ押し寄せる大波に揉まれるばかりで抗う術を私は知りません。


「私も人を愛したのは初めてだ。私からすれば相応の時を過ごしてきたが、君にとっては結婚して間もない夫だということも理解している……その上で求めてしまうのは私の自制が足りない証拠ではあるのだが、だが分かってくれっ、こんなにも愛おしい人が目の前に居て、おそらく、おそらく、きっと、拒絶はされていないのだと思うと、それだけで嬉しくて、私は」


「お、お願いをよろしいですか」


「聞こう」


 思いの丈を聞いて、私も覚悟を決めました。

 夫に不安を抱かせる妻……つつ、妻ではいけません。

 なので、と。


「せめて……口付けは他の誰も居ない時にお願いしま、すぅ…………」

「ふむ。つまり今の様な状況であれば構わないというのかな?」

「え!?」


 顎に手をやられ、顔が急激に熱くなっていくのを感じました。


「それで?」


 そのまま問われるから、目を離すことが出来ず、どうにか言葉を捻り出していきます。


「あ、後は、愛していると言われるのは、とても、嬉しいのですが……日に、五回くらいで勘弁していただけますと」

「むぅ、そうか。善処する。だが君も悪いのだ。私を愛おしい気持ちにさせる君も、悪いのだ」


 そ、そうなのでしょうか。

 コーデル様が仰るのならそうなのでしょう。


「なら、日に十回で」

「ふむ。まだ少ないな」

「えぇ……では、あぁでも、そのくらいでどうかお許し下さぃ」


 今の日に何十回も言われていたのでは身が持ちません。

 心底へこたれて言うと、流石に理解して下さったのか、彼は渋々頷いて下さいました。


「他にはあるか。なんでも言ってくれ」

「では……平日はお仕事に行かれますから良いのですが、休日にもひ、一人の時間を頂けますと」

「なんだと!?」

「すっ、すみません! 大それたことを言いましたっ」

「そうではない! あぁいやすまない。だが私は可能な限り君の傍に居て、君を見ていたい。触れていたい。愛していると言いたいのだ」

「い、一回です」


 言うと、コーデル様がむくれました。


「今ので一回目か。後九回……これは配分を考えねばなるまいな。ふむ、君は一人の自由な時間を欲しているというのは分かった。とても悲しい事だが、仕方ない。どうにか考えよう」


 いえ、自由時間が欲しいのではありません。

 ただ熱を冷ます時間が欲しいのです。


 なにせ休日前夜は…………ですから、目覚めた時からずっと一緒なのです。身が持ちません。


「言いたいことはこれで全部か?」

「今の所、思い浮かぶことは言わせて頂きました」

「そうか。では、セイラ」


 はい、と応じようとした口は、コーデル様の口で塞がれてしまいました。


    ※   ※   ※


 時は流れて。


「母さま! お庭に珍しい花が咲いていたのです! 私と見に行きませんか!」

「かぁさま! こっち! こっちにねっ、猫ちゃんが居たの!」


 長男と、二つ下の長女とが私の服の裾を引いて別方向へ連れて行こうとする。

 けれど両手が末娘で塞がっていて落ち着きなさいと撫でてやることもできない。


「待って待って。ほら、イスラが起きてしまうわ」


「うーん、たまには私にも付き合って欲しいのです」

「えーっ、はやくしないと居なくなっちゃうーっ」


 だから私は二人の頬に口付けし、『愛しているわ』と言葉を掛ける。

 不満そうな二人はそれで納得したり、まだまだ不満そうだったりするけれど、とりあえずは引っ張るのを止めてくれる。


「ノアとクェラがこのくらいの時にも、私がずっと抱いて育ててたのよ。手伝って貰うことはあっても、一度だってお乳を譲ったことはないわ」


 貴族の女は子を育てない。

 乳母に任せて、大人になって初めて家族に迎え入れられる。


 そういう考えがあるのは分かっていたけれど、私はどんなに大変な時でもこの子達と一緒に在った。

 だって。


「あっ、父様!」

「とぉさま!」


 夫が仕事から戻って来たらしい。

 いつもよりずっと早い。どうやら、また何かを思いついて、必死に終わらせてきたのでしょう。


「おかえりなさい、あなた」

「あぁただいま、セイラ。そしてノア、クェラ。あぁイスカ、ただいま。父様だぞぉ、よしよし」


「父様までっ」

「わたしたちもーっ」


 子どもらの不満声に目を丸くする夫。

 こういう所は昔と変わらない。

 お仕事ではとても厳しい印象を持たれているそうだけど、私達の前ではすぐおどけて笑い出す、とても優しい父親。


「ごめんなさい、私がイスカに構っているから、拗ねてしまったの」


「なるほど。任せてくれ。さあ来い我が子達よ! 仕事なんて放り投げてきたからなっ、今から父様と遊び放題だァ!!」


 歓声があがり、庭の方へと駆けていく三人。

 これでは子どもが一人増えただけではないですか。


 思いつつも、笑みがこぼれる。


「ぁーぁ」

「あぁ、イスカも皆と一緒がいいのね。えぇ、行きましょう」


 その昔、私も夫も、愛情というものを知らなかった。

 誰からも愛されず、孤独で、それを受け入れてしまっていた。

 けれど誰かから愛され、愛する事を知って、今ではそれを幸福と呼んでいる。


 ちょっと過剰なほどに、なんて冗談めかして言うことも、言われることもあるけれど、これが私達なんですと、同じく結婚して苦労を知った妹には言い放った。

 彼女がどういう経験を経て、変わるのか、変わらないのかは分からない。

 あの人の死の原因となったことも、どうにか二人で乗り越えていけたけれど、ここから先は何も知らない、暗中を行くことになるのでしょう。


 それでも大丈夫。


「あぁセイラ!」


 夫が笑顔で迎えてくれる。


「母様! こっち!」

「かぁさまーっ」


 子どもらが笑顔で迎えてくれる。

 私はこの子達を愛している。

 誰かに預けて育てるなんてことはしない。

 人と違っていたとしても、それが正しいと信じられる。


「愛してるよ、セイラ」

「……十一回目です」

「ふふっ、家族と居るんだ、今言わないでどうするんだい?」


 仕方ない人ですね、と私も笑って。


「愛していますよ、コーデル」


 言うと、彼もまた幸せそうに笑ってくれた。






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