街頭配布された温泉の素
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
中学からの帰り道に本屋で立ち読みしていたら、すっかり遅くなっちゃった。
仕方ないので商店街経由で帰る事に決めたんだけど、その足取りは中華料理屋の前で止まっちゃったんだ。
「おっ、あれは…」
何しろ温泉の素が無料配布されていたんだもの。
風呂好きとしては見逃せないね。
「天にも上る極楽体験の出来る入浴剤です。お一つどうぞ。」
「ふ〜ん、入浴剤かぁ…」
見知らぬメーカーの聞いた事もない銘柄だけど、生薬由来の天然素材というのは悪くない。
パッケージを一瞥した私は、そんな判断から何気なく入浴剤を貰っちゃったの。
だけど当時の私は、これが後の異常な出来事の原因になるとは夢にも思わなかったんだ。
父は野球中継に夢中で、母は夕飯の支度の真っ最中。
そうして一番風呂にありつけた私は、貰った入浴剤を浴槽へぶち撒けたの。
「これは何処の温泉を元にしたんだろう?色合いは有馬温泉に近いけど…」
多少の疑問は感じたけれども、湯気と共に立ち上る何とも言えない芳香には抗えず、私は浴槽に身を沈めたんだ。
「はぁ、これは良い…」
配合された天然素材の薬効たるや効果覿面で、身体が芯から温まって得も言われぬ心地良さなんだ。
お湯から揮発する生薬の芳香も相まって、皮膚と嗅覚の両方で楽しめるのも良いね。
天にも上る極楽体験という売り文句に、嘘はなさそうだ。
何だか不思議な程に身体も軽いし…
「んっ…えっ!?」
妙な違和感に気付いた時には、もう遅かった。
私の意識は身体から抜け出し、浴室の中空に浮かんでいたんだ。
要するに幽体離脱って奴だね。
『魂を捧げよ…我等に帰依せよ…』
「うっ!何なの、この声…」
オマケに怪しい声には誘われちゃうし、何がどうなっているのやら…
「秋葉!しっかりしなさい、秋葉!」
そんな私は様子を見に来た母に呼び掛けられる事で辛くも正気に戻り、そのまま検査の為に病院に直行したんだ。
分析の結果、あの入浴剤には幻覚作用のある危険な生薬が用いられていた事が明らかになったの。
それは江戸幕府に禁じられた大昔の邪教が信者を服従させるために使っていたのと同じ生薬で、「邪教の後継組織が仲間を増やす為に用いた」と公安組織は睨んでいるみたい。
幸い私は何事もなかったけど、危険な邪教の教義に心酔しちゃった人もいるのかも知れないね。
或いは幽体離脱したまま魂が戻らなくなった人もいるのかも。
幾ら無料だからって、得体の知れない物を気安く貰うのは良くないのかも知れないなぁ…