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石と誰かの物語

愛しのパール

作者: 河 美子

石と誰かの物語です。


 たくさんの洗濯物を干す。

「忘れずたたんでよ」

 いつものことだけど、学校から帰って洗濯物をたたんでタンスにしまう。これだけのことができない息子。

 ご飯を炊くことはさすがに自分も食べるから忘れずにする。

 でも、もう6年生なんだから、もっといろいろしてほしい。

「俊太、今日はママは帰りが遅くなるから、必ず洗濯物入れといてよ」

「うん」

「おかずは冷蔵庫にあるからチンして食べて」

「うん」

「うんじゃなくてはいでしょ」

「うん」

 全くこんな調子で朝が始まる。さらに追い打ちをかけるように俊太が学校だよりを見せる。

 それには給食を配達する業者に感染症が見つかり、急遽今日の給食は休むということだった。その便りを今朝見せるのか。

「ちょっと、これ困る」

「うん、困る。ママ、だからお弁当いる」

「えーっ、じゃこれ詰めて」

「僕が?」

「あなたしかいないでしょ」

 夕飯用の南蛮漬けを弁当箱に入れて、ご飯を入れる。

「ひどいなあ、みんなきれいな弁当なのに。僕だけおじさん風」

「文句言わないの。持っていけるだけましでしょ」

「だって、これならパンを買うよ、お金」

「何言ってるの、お弁当あるんだから持っていきなさい」

「ちっ、ひでえなあ」

「どの口が言ってるの!」

 息子も私も怒りを通り越して心臓がバクバクする。

 玄関を出ていくときに、捨て台詞。

「パパがよかったなあ」

「なんですって!」

 ドアをけたたましく締めて出かける息子。

 確かに夫は優しくこまめだった。

 だが、どの女性にも優しく、私以外のか弱そうな女性のもとへと行った。

「君は一人でも大丈夫だよ。でも彼女は僕がいないと」

「俊太は?」

「あの子はいい子だ。君の助けになるよ」

「養育費は?」

「彼女に子どもができるんだ。ミルク代は俊太にはいらない。義務教育は金がかからない」

 この勝手な男が俊太の父。私にも最初は優しかった。だが、髪を振り乱して働くようになると、夫の相手をして微笑む生活などできはしない。それでも、世の中の男性はそれを当たり前だと信じて妻となんとか添い遂げようとするのに、夫は若くて控えめ風な女性に傾いていく。やがては私と同じおばさんになるのに。

 怒っていても仕方ない。慌てて自転車に乗って会社へと向かう。

 整備工場の事務員として15年。

「おはようございます」

「よ、ひいちゃん。今日も美人だねえ」

 こんな声をかけてくれるのは社長、御年75歳の尾崎さん。高校卒業して短大に。やがて立派な大手自動車メーカーに勤めるはずが、なぜか近所の整備工場へ勤めることに。

 あの最終面接で出かけるときにこともあろうに駅の階段からすってんころりん。額にまで傷を作り、足を引きずり、穴の開いたストッキングで登場したらそれは完全にアウトよね。わかってはいたけど思いっきり自分に腹が立った。

 その帰り道に慰めてくれたのが一緒に受けた別れた夫だった。そう、あの人は優しくこまめに動き、私の額の傷に絆創膏を当て、膝の擦過傷も手当てしてくれた。あの時の私は20歳。そう、若くてか弱そうだったのよ。そんな時に見つけた整備工場の秘書というチラシ。

 はいはい、秘書がこれよね。お茶くみも電話番も、今ではみんなの給与の査定もさせてもらうほどに信用されたのだけど。それでも、ヒールをはいて仕事するような職場ではないから、おしゃれ度は低下の一歩。

 今では離婚して4年も経っているから、もう恋をしてもいいのだと思うけど、周りは既婚者のおじさんばかり。私にも恋する権利はあるのよ。ヒールをはいてなくても。

 そう思っていても37歳の誕生日に誰も祝ってもらえない。

 今日の弁当の代わりにケーキを買って帰ろう。俊太の好きなから揚げも作るか。すると、後ろから先輩の冴子さんが肩をたたいた。

「今日お誕生日でしょう。おめでとう。これささやかだけどお祝い」

「あ、ありがとうございます」

「社長がね、何か見てあげてよって頼まれてて。このごろひいちゃん元気ないからって」

「そんなこと」

「結構あれで人のこと見てるのよ。おじさんたちは飲みにも誘えるけど、ひいちゃんは俊太君がいるから。開けてみて」

 渡された袋の中には暖かそうなスヌード。

「わあ、欲しかったんです。自転車で来るのに、マフラーで首を縛ってくるしかないし」

「よかった。気に入ってくれて。それからこれは俊太君に」

 可愛い手袋。

「ありがとうございます」

 思いもかけない誕生日プレゼント。なんだか先輩の顔がぼやけてきた。泣いてる私。

「ちょっと、そんなに感激されることしてないわよ」

 よしよしと頭を撫でられる37歳。疲れていたのね。

 社長にも礼を言った後。社長は照れてどこかに消えた。いいとこに勤めてる私。給料はもう少し欲しいけど、今回は許す。

 自転車を立ちこぎして家に帰る。から揚げを作っていると、俊太が帰ってきた。

「早いんだね」

「ただいまでしょう、まずは」

「ただいま」

「今日はから揚げ。後でケーキも買ってきたわ」

「すごいね。ハイ弁当箱」

「どうだった。おじさん弁当は」

「うん、まあまあ」

「そうか、まあまあならよかった」

「お母さん、これ」

「なあに」

「お誕生日おめでとう」

「え?」

 思わず菜箸落とすところだった。

 小さな袋にはパールの指輪。

「あら、可愛い指輪」

「あそこの土産物店で売ってた」

「わあ、うれしい」

 もちろんリングサイズなど気にしないフリーサイズのおもちゃ。お子様向けに外のかごに入れて500円で売ってる。でも、俊太の気持ちがうれしい。

「ありがとう、愛してるわあ、俊太」

 抱きしめると思わず体をねじっていやがる息子。

 でも思い切り抱いたら泣けてきた。


 パールは母性の意味を持つけど、この偽物パールでも十分効果ありそうよ。

 私はすっかり魅せられたわ。

 俊太、私の分のケーキも上げる。

 から揚げだって今日は一つ多めに上げる。


 ママの息子になってくれてありがとう。

 


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