1.天使に呼ばれて
その日、僕は天使に出会った。
その日は朝から酷く寒い薄曇りの日で、僕は憂鬱な気分で窓の外を眺めていた。
僕にはしたい事も、しなければならない事もなく、きっと居なくなっても悲しむ人は居ないと思う。
嫌われてはいないけど、好かれてもいない。
だけれど、そこに生きている限り、彼らは僕の世話をしてくれる。
僕はこの国の第三王子だ。国を次ぐのは長男。勉強好きな次男は宰相になるだろう。
剣が好きで、才能がある弟は騎士団長になるかもしれない。
無気力で、特に才能のある訳でもない僕は何も期待されないし、何もしなくても意見される事もない。
最近では自分が生きているのか生きていないのかも、わからなくなってきている。
そう、天使に会うまでは。
天気が悪いのに、どうしてその日に限って僕は庭の奥の池まで行ってしまったのだろうか。
枯葉をサクサクと踏みしめながら、僕は奥庭の池に向かった。王子とはいえ、日頃部屋から出ない僕には、護衛がついていない。
一人で向かった池には、時々訪れているが、今まで誰にも会ったことが無かった。
それなのに、その日、池のそばには幼い少年を連れた少女が立っていた。
僕を見る彼女の目からは大粒な涙が零れ、その桜色の唇を震わせながら彼女は言った。
「お願い。助けてください。」
僕は天使のように美しい彼女から目を離せなかった。
「お願い、お願いします。どうか・・・・・・。」
彼女は涙でそれ以上言う事ができないようだった。僕は彼女を助けたくて、守りたくて、彼女をゆっくりと抱きしめた。
天使のように穢れない彼女を苦しみから救いたかった。
「僕にできることなら何でもしてあげる。」
「本当に?」
「ああ。」
「約束してくれる?」
「約束しよう。」
「嬉しい。」
彼女はそっと僕の背にその華奢な手を回し、僕の胸に頬を寄せた。
「じゃあ、行きましょう。」
「どこへ?」
「ふふっ。一緒よ。」
その時になって、僕は彼女の連れた少年が、僕を冷たい目で見ていることに気がついた。
それと、どう見ても貴族に見えない彼女が王宮の奥庭に入れるわけが無いことも。
そして、その日、僕は王宮から姿を消した。
僕は何だか見たこともないような部屋にいた。でもこれは部屋なのだろうか?随分と狭くて汚い。見たことは無いが、噂に聞く物置と言うものかもしれない。
使い古されたボロボロの寝台らしいもの。ちょっと僕は横になる気になれないものだが・・・。
少し破れたソファー、薄汚れたテーブル。
よく見れば足元の床もあちこちめくれている。
ここはどこだ?どうして僕はこんなところにいる?
僕の天使はどこへ?
共に来たはずの僕の天使はどこにもいなくて、僕は一人、ここに立っていた。
いきなり、ドアがバーンと音高く開き、大きな桶を担いだ人物が入ってきた。桶が大きすぎて、顔が見えない。
「さあ、これにザックザックとお願い!」
「え?」
「ほら早く!」
僕に何をしろと?満面の笑みを浮かべるのは僕の天使だった。
そう、だった。目の前の彼女は目鼻立ちは変わらないが、あの儚さは無く、おおらかな逞しさしかない。
まるで別人のようだ。
それにザックザックとは、一体なんの事だ?
「君が何を言っているのか、僕には分からないのだが。」
「え?そんなはず無いでしょう?助けてくれるって約束したじゃない!」
そう、約束した。ならばこの意味不明な女性は、やはり僕の天使なのだろう。
「そうだな。」
「じゃあ、よろしく。」
「待ってくれ。何をどうよろしくなのだろうか?きちんと説明して貰えないだろうか。」
「姉ちゃん、その兄ちゃんわかってないみたいだよ。俺たち間違えちゃったんじゃないか?」
そこには天使が連れていた少年が立っていた。
その後、汚くて座りたくない椅子に座るように言われ、渋々腰を下ろした。
彼ら兄弟は先月両親を揃って亡くした孤児だと言う。姉はキリエ、弟はマース。
両親は多額の借金を残していて、支払期日は半年後。
彼らは藁にも縋る気持ちで評判の占い師に占ってもらったらしい。
その結果が、王宮の奥庭にいたと言うことだ。
占い師曰く、出会った人に助けを求め、行きましょうと言えばここに戻ってこれ、その出会った人が金を産み出してくれるとの事。
金を産み出すって?どうやって?
「君たちの話はわかった。」
「じゃあ。」
「無理だ。」
「へ?」
「僕は第三王子、自分で富を稼いだことが無い。」
「魔法かなんかでバササーッと出すことは?」
「僕にはそんな魔法は使えない。」
まぁ、魔法が使えないわけでは無いんだが、桶にザラザラと金を出すような魔法は使えない。錬金術でも無理ではないだろうか?彼らが何を考えているのか理解できない。
「じゃあ、私たちの借金は?」
「助けにならないと思う。」
「そんなぁ〜。」
僕の天使と思っていたキリエはドスンと床に座り込んでしまった。