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9話

 

 

 

 

 

 

 夜。結局皇太子殿下が新たに用意した、曰く夫婦向けの客室にて。入浴を終えて寝室に向かえば、エステルは月明かりに照らされながらベッドに腰掛けて何かしらの書類を眺めていた。

 完全に乾ききっていないクラーレットの髪は普段と違い背中におろされ、彼女の本来の柔らかそうな身体のラインがハッキリとする、遠目に見ても生地の薄そうなネグリジェ姿に思わず目を逸らしてしまった。

 

「……セオドア?」

 

 僕に気づいて声をかけてきた彼女は、夜用で装飾こそ無いものの相変わらずフェイスベールはつけており、その表情を完全に窺うことは出来ない……が、慌てたように手に持っていた書類を素早くベッドサイドのテーブルに置いた。

 

 ── ……っだから、何もしない自信が……。

 ──それならそれで構わないので。

 

 あの会話のせいで、そればかりを考えてしまう。意外にも構わないと言った彼女とそういうことになれば、その時はフェイスベールは外すのだと聞いている。正直に言えば……見たい。彼女の瞳が自分を映すのを。それに身体が結ばれれば──まぁこうして部屋を共にした時点で、実際はどうであれそうなったという暗黙の了解になるが──婚姻も確実なものになるだろう。そうすればもう、婚約解消した後の事を考え僕の為に良縁を用意……なんて要らぬ気遣いをエステルがせずにすむ。

 あの時皇女によって遮られたのは、エステルと結婚出来ないならば一生独り身でいたいという言葉だったが……本心では彼女が言った通り、死んだ方がマシだとさえ思っている。僕以外の男と添い遂げるエステルの治める国で生きていくなど、想像しただけで心臓が握り潰されているかのように痛むのだから。

 

 けれど常に顔を隠し家族以外の誰にも見せないのは、彼女が神聖な存在だからで。未婚の状態でその身体を暴くことに抵抗があるのもまた事実だった。それに、もしそれで子供を授かったら様々な予定が狂う上、ただでさえ忙しい結婚式の準備を身重の体でやらなければならなくなる。

 

「そばにいっても?」

「え、ええ……どうぞ」

 

 そんな心の内の葛藤や緊張を隠して、エステルの隣に座る。

 触れたい。抱きしめたい。けれどそうした瞬間に、抑えなど効かなくなることを自覚していたから。

 

「……疲れましたよね、今日はもう寝ましょうか」

 

 なけなしの理性をかき集めるようにして、頭を撫でるだけに留めた。その後あまり彼女の姿を視界に入れないようにし横になる場所を考えようとベッドに乗りあげれば、息を飲む音が僅かに聞こえて。

 

「私はもう少ししてから寝ますね。おやすみなさい」

 

 飲み込んだ言葉はそれじゃなかっただろうことくらい、声色で分かった。

 

「……エステル、やはり僕がいると邪魔なのではありませんか……?」

「いえ、決してそういう訳では……私から言い出したことですし」

 

 何かを伝えようとしては口を閉じるエステル。話しにくい事ならば無理に言わなくていい、そう言ってあげるべきなのかもしれない。けれど出来る限り彼女のことを知りたくて、続きを促すように黙って待った。


 初めて会った時から、自分1人で物事を解決しようとする節があるエステル。仲の良かった幼い頃でさえ弱音や愚痴をこぼしてはくれても、悩みを相談されたことは殆どと言っていい程無い。だから何を考えているのか、どうしたいのか、力になれることは無いか──。どんな些細な事でも、下らない話でも、聞けることなら聞きたかった。

 再び彼女の隣に座り直し、強く握りしめられているその手に触れる。一瞬驚いたようにピクリと肩を跳ねさせたかと思えば、やがて決心がついたのかエステルは小さく息を吐いて。

 

「第三皇女の事を、どう思っていますか?」

「どう……と言われると……正直な所、面倒な方だなとは」

 

 他国の皇女に対するものとしてはかなり不敬な発言だが、誤魔化すような空気ではないと本音で答えた。エステルがそれを聞いて咎めることはなく、ただ困ったように笑う。

 

「私は、セオドアが自分以外の誰かと結ばれるとしても、彼女でないことを願っていました。きっともっといい人がいるだろうと、そうでなければとても……」

 

 そこで途切れたその言葉の続きを声にするつもりはないらしいが、それを追求することはしない。そんな事よりも、いつか離れる未来が当然のようにエステルの中にあった事が悲しかった。

 

「けれど冷静に考えれば、第三皇女は身分は高く容姿も優れ、人柄だけは正直難アリですが、魔法の才もあり……ああ見えて頭も良いそうです。きっと貴方と結ばれる為なら、二つ返事でアカルディに嫁いで来てくれるでしょうし、貴方だけを愛し、大事にし、尽くしてくれるでしょう」

 

 エステルは寂しそうな、どこか諦めたような声色で語る。彼女の話を聞きたいとは思ったが、雲行きがいいとは言えない話の流れに思わず唇をギュッと結んだ。

 

「対して私はといえば、次期女王として貴方を1番としないことが何度もあるでしょう。個人としても……第三皇女は嫌だと思っておきながら、彼女より優れているところなど自分には見つかりませんでした。強いていえば、治癒魔法が使えるから救急箱の代わりになるくらいでしょうか」

 

 そんな事は無い、と口を挟む隙も無く彼女は言葉をこぼし続ける。違う、という意思表明の為に首を横に振るしか出来ない。

 

「彼女と結ばれて欲しくないというのは私のエゴで、無理にこんな事をしてまで阻止しようとしなくても良かったのかもしれないなと……」

 

 そしてようやく黙り込んだエステル。最後はもう絞り出すようなか細い声だった。

 

「そんな事ありません。本当に、第三皇女とも……他の令嬢との婚約も望んでいません」

「本当ですか?」

「はい」

 

 他人と比べてどうだとか、そんな事を気にしないで欲しい。だって例えエステルより優れていると評価される人物がいたとしても、僕が愛せるのは彼女だけなのだから。そう伝えたくて、これが本心なのだと伝わって欲しくて真っ直ぐに見つめる。

 

「ですよね……そうですよね」

 

 安心したように頷くエステルに、少しでも分かって貰えただろうか……とホッとしたのも束の間。

 

「良く考えれば、皇女やヴェルデの令嬢達より……アンジェリカの方がずっといいですよね!」

 

 少しどころかほんの爪の先程も伝わっていなかった事実に、一瞬ポカンとしてしまう。どうしてそこでアンジェリカ殿下の名が出てくるのか。

 僕が言葉を失っている間に、何故か気を取り直したらしいエステルが、先程までよりワントーン高い声で話し出す。

 

「歳の差がネックかなと思っていたのですが……8歳程度成人してしまえば誤差でしょう。今でさえ完成された美少女のアンジェリカなら貴方の隣に並んでも遜色ない美人になるでしょうし、可愛いですし賢いですし、動物と意思疎通をとれる魔法も、」

「エステル!」

 

 僕がエステル以外と結ばれる事を嬉しそうに話すその声をそれ以上聞きたくなくて、遂に口を挟んでしまう。自分でも感情を制御出来ずに大声になったせいで、驚いたエステルが肩を跳ねさせた。

 

「エステルは……本当に僕のことが好きなんですか?」

 

 心のままに、問いかけてしまう。

 

 ──私は初めて会ったあの日から、ずっとセオドアが好きですよ。

 ──セオドアの事が好きなので……皇女に触れられたりするところを見たくありません。

 

 そう言ってくれたではないか。あの言葉を聞いた時、僕がどれだけ嬉しかったか。なのにどうして、僕を望んでくれないのだ。

 エステルの気持ちが、分からない。

 

「…………セオドアがそれを言うんですか?」

 

 答えは小さな声だった。感情が昂って荒くなってしまった僕の呼吸に掻き消されそうな程の。問いかけに肯定してくれることを期待して、一言だって聞き漏らさないようにと意識を集中させていたからこそ、なんとか聞き取れた程度の。

 そしてその声は、少し泣きそうで。

 

「私の事、疎ましく思っているではありませんか。今回のことだって、余計な事をと思っているんでしょう? いつも私から離れたいって、本当は嫌いだって思っていたじゃないですか……だから婚約解消を……」

 

 堰を切ったように話し出すエステル。それでも──今まで一度も泣いている姿を見たことがない──彼女の頬を涙が伝うことは無かった。

 しかし確信めいた追求のそのどれもに身に覚えがない。

 

「確かにエステルに出会うまでは、王配になりたくないと思ったことはあります。けれど、貴女に会って貴女を好きになって、それからは貴女の隣に立つ為ずっと努力をしてきました。ですから、疎ましいとか離れたいとか……僕は誓ってそんな事、一度も思ったことなどありません。ましてや口にしたことも、そう受け取られるような態度をとったことも無いはずです。……なのにどうしてそう思い込んでいるのですか? 誰かに何か吹き込まれたのですか?」

「っちが、」

「ではどうして、僕の言葉を信じてくださらないのですか」

「……そ、れは……」

 

 突き放されて、嫌われているのかもしれないと思っても、それでも好きだとずっと伝えてきた。エステルを疎むような発言などした事はないと自信を持って言える。なぜならそんなこと全く思っていないからだ。

 だとすれば、誰かが悪意を持ってエステルにそんな嘘をついたとしか思えない。けれどそれは違うという。

 

「貴女が好きだと、何度も伝えてきました。全部本気にして貰えていなかったのですか……?」

 

 どうしても誤解を解きたくて、今を逃すと一生解けない気がして、気づけば責めるように問いかけてしまった。

 

 やがて、いつからか滲んでいた視界が瞬きと共に少しクリアになった時、エステルがハッとしたように息を飲んだ。

 

「……っ、すみません。ちょっと頭を冷やしてきます」

「あ、待っ──」

 

 急に立ち上がった彼女の腕へと伸ばした手は空を切る。完全にエステルの気配が部屋から消えてしまい、心を抑えるようにグッと拳を握った。

 

 

 


 

 

 すぐにでもエステルを探しに行きたかったが、アカルディとは違いここは他国の城。こんな夜遅くに行先が全く見当のつかない中、護衛の姿でもない僕が勝手に探し回る訳にも行かず、逸る気持ちを抑えながら略式の軍服に着替えていると。コンコンというノックの音と共に、客室のドア前で警備をしていた筈のロランドが声をかけてきた。

 

「……セオドア、第三皇女がお前に会いに来ているが……」

「は? こんな時間に?」

「ああ、しかも侍女や騎士も連れずにだ」

 

 とりあえず一旦リビングルームへ出る。エステルのパートナー代理の話はなくなったものの、一護衛として今回同行したロランドは困ったように首を振って僕の肩に手を置いた。

 

「俺達では追い返せないぞ。ここはエステリーゼ殿下にお願いして……」

「……いや、今どこかへ転移されていていらっしゃらないんだ」

「は? ……お前さては、」

「別に何もしていない。下衆な事を考えないでくれる?」

 

 彼の言わんとすることを察し、食い気味に否定する。

 

「……危険なことはないと思うが、殿下の身の安全が最優先だ。皇女はお前一人で何とかしてくれ。俺達は殿下を探す。もし殿下がお戻りになられたら、目印の為にそこのカーテンを少し開けておいてくれ」

「すまない。」

 

 こうなっては仕方ない。そして急いで部屋を出ていったロランドと入れ違いで、第三皇女が入ってきた。

 

「ふふ、夜分遅くに失礼するわね」

 

 余裕たっぷりに笑う皇女はショールこそ羽織っているが随分な薄着だ。変な疑いを掛けられぬよう上手く躱さなければならないと気を引きしめる。

 

「歳頃の女性がこのような格好で彷徨くものではありません。コートをお貸ししますから、」

「お気遣いなく。どうせすぐにこれも脱ぐんだもの」

 

 その言葉の意味する事を理解して、思わず眉を寄せた。エステルは皇女に夜這いされる事を決定事項のように話していたが、まさか本当にこうなるとは……。

 

「ご冗談を……」

「冗談などではないわ、本気よ」

「でしたら尚更お引き取り願います。私はエステリーゼ王女殿下の婚約者ですから」

「ふふ、でもそのエステリーゼさんは今いないじゃないの。先程外にいるのを見かけたわ」

 

 驚きに目を見開くと、くすくすと笑いながら間を詰めてくる。流石に皇女相手に手を出せないのは分かっていても、反射的に剣に手を伸ばしてしまう。しかしそれにも全く動じた様子はなく、皇女は僕を真っ直ぐに見つめて目を細める。

 

「あの人が大事なら、私の言う事を聞いた方が宜しくてよ?」

 

 あの人、とは当然エステルだろう。

 

「もしも断るというのなら、貴女の大事な人は私の殺人未遂を起こすことになるわ。アカルディ王国次期女王によるヴェルデ帝国皇女の殺人未遂だなんて、とんだ国際問題ねぇ」

「……エステリーゼ王女殿下がそんなこと、するはずがありません」

「するかどうかはさしたる問題ではないの。私には白も黒にする用意があるのよ」

 

 まるで他愛ない話をするかのように脅して来る皇女に歯噛みした。当然、到底受け入れられる話ではない。エステルに濡れ衣を着せるという話も、そうなりたくなければ言うことを聞けという脅しも。

 しかし受け入れられないからといってこの状況、僕に拒否権がある訳では無い。出来れば今の間にもエステルが戻ってきてくれればと思うが、望み薄だろう。まずは目的を問いただすことにした。

 

「……何が望みですか」

「簡単なことよ。この滞在中だけで構わないわ。私を恋人のように扱って頂戴。そして誕生祭のパートナーになって欲しいの」

 

 それは思ったよりかはハードルの低い望みだった。……いや、勿論僕個人としては到底御免蒙りたい話だが。それこそ婚約くらい求められるかと……それは流石に受け入れ難いと思っていたから意外に思って。

 そんな僕の内心を察したのだろう、どこか芝居がかった口調で皇女が続ける。

 

「私ももう16。そろそろ無理矢理婚約者を決められてしまうのよねぇ。だから最後に思い出が欲しくて……ふふ、可愛いものでしょう?」

「──……分かり、ました」

 

 エステルにとって何よりも大事なのはアカルディの平和だ。ならば、僕もそれを守らなくては。……例えエステルに誤解されても。だから少なくとも今は頷く以外の選択肢はとれない。エステルの冤罪を防ぐ為には情報や証拠がいる。

 渋々そう言えば、皇女がまた1歩距離を詰めてきた。

 

「嬉しい!……宜しくね? セオドア」

 

 もしかするとそれは愛らしいほほえみだったのかもしれないが、エステル以外の女性は皆同じに見える僕はぎこちない笑顔しか返せなかった。そしてすぐにそれは凍りつくことになる。

 

「じゃあ早速だけれど──私にキスをして」

 

 

 

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