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6話

 

 

 

 

 


 エステルが12歳の時、女王陛下の公務の補佐をする為とひと月程会えなかった時がある。それまでは休日の度に会っていたものだから、会える日をまだかまだかと待ちわびた。そしてやっと彼女が会いに来てくれた時。

 エステルは、明らかに様子がおかしかった。疲れて体調が悪いだけだと言う彼女に僕は慌てて声をかけた。


 ──エステル、またすぐ会えますか?

 ──……そうね、また来るわ。

 

 けれどそう言った彼女は、それ以来僕を避けるようになった。それまでずっと互いに隠し事など何も無いくらい沢山話をして、弱音を吐いたりもしていたのに。

 今でもその時のことは良く覚えている。きっと自分が何か嫌われるようなことをしてしまったのだと、エステルにかけた言葉やとった行動を何度も思い返していたから。けれど本当に心当たりがなくて、直接尋ねたこともある……が。

 

 ──エステル、僕が何かしてしまいましたか……? 二度と貴方を不快にさせるようなことはしないと誓います。だから……。

 ──そのようなことはありません。ですから気になさらないでください。

 

 そう言ってサッと僕に背を向け行ってしまうエステルの言葉遣いが……一度は砕けていたはずなのに、また丁寧なものに戻ってしまっていて。その他人行儀さに距離を置きたいのだと言われているようで、胸がズキリと傷んだ。

 

 会いに来てくれることはまず無くなり、会いに行っても突き放された。パートナーが必要な催し物や、婚約者を伴わなければならない公式行事の時だけ、義務だから仕方ないとでも言うように傍にいられた。

 

 ああ、嫌われてしまったのだ──。そう理解はしても、その事実を受け入れるのに時間がかかった。

 辛くなかったと言えば嘘になる。けれど、また好きになって貰えるように頑張ればいい……そう思って努力を続けた。例えエステルに嫌われたとしても、彼女を手放すことなど到底出来そうになかったから。

 

 僕は───エステルを愛していたから。

 

 だからまさか、独占欲の滲む言葉をエステルの口からきけるようになるなんて。思い出しただけで緩みそうになる口元を手の甲で隠すと、そんな僕をロランドがジトッとした目で見てきた。残念なものでも見るかのようなその視線に、咳払いで誤魔化す。

 

「で? 結局、なんで王配がどうとかいう話をしていたの?」

 

 最終的にいつも通り僕がパートナーとして参加することが決まって、女王陛下に報告してくると去っていったエステル。本当は途中まででも送って行きたかったが、訓練に戻りなさいと断られてしまった。

 そんな彼女と何やら楽しげに話をしていたロランドに、改めて問いかける。

 

「……あの意地悪ロランドが副隊長だなんて成長したなと褒められたんだ」

「あぁ……その事」

「殿下は無差別に手を出していたと思ってるみたいだが、俺はお前にしか……いやそれも駄目なんだけどさ」

 

 バツが悪そうに頭をかくロランド。過ぎた話だし、どちらかというとさっきエステルと楽しそうに話してたことの方が余程気に入らないので構わない。

 

「あの時庇った相手がセオドアだったことも分かっていないみたいだしな」

「エステルは当時5歳だったし、僕も名乗ってなかったからね……」

 

 そう。エステルは婚約を結んだ時が初対面だと思っているみたいだけれど、僕達が本当に初めて出会ったのは彼女が5歳、僕が7歳の時だった。

 

 

 


 

 国内でもトップクラスで魔力の高い母と騎士団副団長の父の間に産まれた僕は、そのどちらの能力も濃く受け継いだ。貴族の男の軍属が義務付けられているアカルディにおいて、殆どの貴族令息が通う騎士学校でも常に成績は一番で、神童などと呼ばれることもあった。それに伴い、第一王女であるエステリーゼ殿下の婚約者の最有力候補とも言われていて。

 

「親から継いだだけの力で偉そうに……お前さえいなければ俺が次の王配になれるんだ!」

 

 ロランドはその事でよく僕に八つ当たりをしてきた。実際僕がいなければ彼が一番その座に近く、また彼自身その為に幼いながらもずっと努力をしていたのは知っていた。だからこそ苦労なく彼より強い僕が許せなかったのだろう。勿論僕だって幼い頃から父上より厳しく指導されていたから、努力をしていない訳では無いけれど、それを認めてくれる人はいなかった。

 

「……けど僕だって、別に王配になりたいわけじゃ……」

「黙れ! 俺はオベルティ公爵家の長男だぞ! 伯爵家のお前なんかより俺の方が偉いんだ!」

「痛っ……やめ、」

 

 その日もいつもと同じように生意気だと突き飛ばされ、殴られる。ロランド・オベルティの身分が高いのは事実で、誰もそんな彼に逆らってまで僕を助けようとはしてくれなかった。そもそも、もしかすると皆、ロランドと同じように僕を疎んでいたのかもしれない。

 両親に相談もしたが、母上は「あんな小僧躱せぬ様では次期王配など務まらぬ」と、父上は「その程度何とも思わぬほど強くならねば王女殿下をお守りできないだろう」と言って取り合ってくれないし、護衛にも命に関わらない限り静観するよう言いつけている。一体何のための護衛なのか。僕の痛みなど、まるで取るに足らない些細な事のようだった。

 

 会ったことのない王女の婚約者にも、王配にも、なりたくなんかないのに。強くなんて、なりたくてなった訳じゃ──。

 

「えらかったら、人をなぐってもいーの?」

「ああ?」

 

 こんな場面には相応しくない、幼くも鈴を転がすような声。流石にロランドも僕を踏みつけていた足を外してその声の方へ視線を向けた。

 

「じゃああなたも、おーじょの私には何されたって文句いえないわよね?」

 

 そこには、僕らよりもずっと小さい女の子が立っていて。

 

「そのベール……まさかエステリ、うわっ! な、何を、」

「なにをって、あなたがやっていたこと、よ!」

「いっ、いた! 痛い!」

 

 いつか遠くから見た女王陛下のような黒いベールを顔に付けた少女は、その小さな身体の何処にそんな力が隠れていたのか不思議な強さで、なんとロランドを殴り倒した。

 

「え……?」

 

 目の前で繰り広げられる光景に呆然としてしまう。さっきまで僕に対して一方的に暴力を振るっていたロランドが、少女に為す術も無くやられている。

 そんな中でも分かるのは、ロランドが反撃出来ない彼女こそ第一王女のエステリーゼ殿下で、流石にロランドの護衛も彼女には手を出せず、殿下自身の護衛や侍女も困惑しているという事くらいだった。

 後から聞いた話では、たまたまその日騎士学校を見学に来ていたのだそう。

 

「……りふじんだと思う? それとも相手がえらかったらしかたない?」

「うぅ……」

「あなた達の力は、こんなことをするための物じゃないのよ」

 

 今まで彼に暴力を振るわれていた僕ですらちょっと同情してしまうくらいボコボコにされたロランドは、涙目で少女に頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした……」

「あやまる相手は私じゃないでしょ」

「……本当にごめん」

「あ、いや……えっと……いいよ、もうしないなら」

 

 そう簡単に許せる事では無いが、これ以上は可哀想だったのでこの場では一旦そう答える。すると満足そうに笑ったエステリーゼ殿下がぺこりと身体を折った。

 

「じゃあ私もごめんなさい」

「で、殿下!? 頭を上げて下さい……!」

「そう? だったら傷、治しておくね。かげんのしかたが分からなくて……やりすぎたわ」

 

 慌てて頭を上げさせたロランドに、殿下が治癒魔法をかける。初めて見た治癒魔法は、キラキラと暖かい春のような光が辺りに降り注ぐように舞って、とても綺麗だった。

 

 一般的に魔法とは、火水風雷の4つのいずれかもしくは複数を出現させるものである。その形や威力を調整すれば戦いにも使えるし、日常生活にも使える……というもの。魔力量や強さに差はあれど、これは赤ん坊から老人まで、人間誰もが少なくとも4つのうちひとつを使うことが出来る。だがここアカルディの女系の王族のみ、それ以外の聖女固有の魔法を使うことが出来る。治癒魔法もその1つだ。

 だからこそ彼女らは誰よりも守られるべきで、夫であり守護者としてその隣に立つ者も、抜きん出て強くなければならないのである。

 

「あなたも、ほら見せて」

 

 治癒の終わったロランドを帰らせて、次は地面に座り込んだままの僕の前にしゃがみ、殿下はそう言った。

 

「いえ、僕はいつもの事ですから……お手を煩わせる訳には……」

「でも痛いことにかわりないでしょ?」

 

 そう聞かれて、平気ですとは言えなかった。確かにこの状況に慣れてきて諦めてはいたけれど、だからって痛覚が無くなった訳じゃない。……ずっと、痛かった。

 何故だか泣きそうになってきて、彼女にそんな顔を見られないよう俯く。

 

「ありがとうございます……」

「いーのよ。強い者が弱い者を守るのはとーぜんのことだから」

 

 得意げに胸を反る殿下。自分より小さな女の子に守るべき弱い者だと思われているのか…と落ち込むが、実際事実なので本当に情けない。そんな心の内が伝わってしまったのか殿下が慌てたように付け足す。

 

「はっ、あなたが弱いってことじゃなくてね? ほら、私はおーじょだから。けんりょくがさいきょうなの」

 

 そう弁解してくれたその言い方がおかしくて、その最強の権力者を前に緊張感は薄れた。

 顔を隠すように下げた前髪の隙間から見えた殿下は、手を組んで祈るように僕に治癒魔法をかけてくれて。ズキズキと傷んでいた部分が嘘みたいに消えていき、傷も最初から無かったかのように塞がってなくなる。

 

「これでよし、と。痛いところ、もうない?」

「はい。──あれ、殿下も手を怪我なさってるじゃないですか。それは…」

「これはいーのよ。じごーじとくだから」

 

 ロランドを力いっぱい殴ったことにより柔らかな指の背が赤く擦り切れ、5歳の女の子なら泣いてしまいそうな痛々しい見た目をしていたが、そうケラケラと笑ってその手を振った。

 せめて僕に手当が出来る知識と技術があれば……いや。もし手当が出来たとしても伯爵家の次男でしかない僕は、尊い身分の彼女に触れることは許されない。その事がなんだかとても寂しく思えた。

 

「本当に、ありがとうございました」

「いーえ。あなたがこの国のよきしゅごしゃになりますよーに」

 

 思えば初対面にして無様な姿しか見せておらず、尋ねられなかったのをいい事に僕は最後まで名乗らなかった。──こんな情けない男が自分の婚約者候補筆頭なのだとガッカリされたくなかったから。それの意味するところを自覚するのは、もう少し後になる。

 

 そしてその日、帰宅するとキエザ家当主である母上から呼び出しを受けた。第一王女殿下のお手を煩わせてしまったのだから、怒られるに違いない。けれどそれも甘んじて受け入れようと母上の執務室に向かったが。

 

「今日、エステリーゼ殿下にお会いしたようですね」

「は、はい。助けて下さっただけでなく、有難いことに治癒魔法までかけて頂きました。ですが自分の手は自業自得だからとそのままになさっていて……」

「何があったかは、護衛から報告を受けています。……殿下のお心遣いは大変素晴らしいですが、家臣としては知っておかなければなりません」

 

 そう言って長い溜息をついた母上。どうやら思っていた話とは違うようだ。促されるままにソファに腰かければ、続きを話し出す。

 

「殿下の治癒魔法、あれは正確には怪我を治しているのではなく、怪我する前の状態に戻しているのです」

「では時間を操っているという事ですか?」

 

 思わず怪我をしていた部分を凝視する。確かに、傷が治ったというより最初から無かったかのようだと感じたのを思い出した。けれど時を戻すなんて、きっと一般的な四属性魔法とは比べ物にならない程魔力を使うはずで……。

 

「ええ。従ってそれにはかなり多くの魔力を必要とします。殿下はまだ5歳、傷だらけの子ども二人を治すので精一杯だったのでしょう。今は魔力切れを起こして寝込んでおられるそうです。」

 

 やり過ぎた子どもには丁度いい罰ですね、と母上は苦笑いを浮かべた。

 魔力切れ。過去に一度だけ、魔力の残量を把握するという訓練でわざと起こしたことがある。全身の血を抜かれたのかと錯覚するほど重度の貧血と餓死しそうな程の空腹感が同時に襲って来た感覚…と言ってもまだ苦しみが伝わりきらないそれは、頭が割れるように痛くて吐き気も酷く、数日はベッドから起き上がれなかった程だった。

 

「魔力切れだなんて……そんな素振りは……」

「ふふ、解決方法は年相応の稚拙なものなのに、子どもとは思えぬ程忍耐強い方のようですね」

 

 平気なフリをしていた理由なんて想像に難くない。僕に心配かけたり、罪悪感を抱かせない為だろう。5歳の女の子が、それも見知らぬ僕なんかの為に。──会ったことがない王女の為になんか強くはなれない……なんて思っていた僕の。

 母上が僕の心情を察してか、諭すような瞳で見つめられた。

 

「貴方が仕え、守るべき相手が分かりましたか」

「……はい」

 

 あの子の為ならもっと強くなりたいと、この時初めて思った。次は守られる側ではなく、守る側になれるようにと。

 

 

 

 

 

「俺はあの日次期王配の座を諦めたんだよな〜」

「それでいいよ、僕がいるから」

「よく言うぜ、王配になんかなりたくないって言ってたくせに」

「それは……知らなかったからだ。エステルの事を何も」

 

 ロランドの言うように、王配になりたくないと思っていた自分が、あれ以来誰にもその座を渡したくなくて血の滲むような日々を重ねることになるとは……それまでの僕では考えられなかった。

 

 あの日の出来事で抱いたものが忠誠心か恋心か、はたまたその両方だったのか、当時自分ではよく分かっていなかったけれど。

 彼女を好きだとハッキリ自覚したのはそれから3年後、婚約を結ぶことが決まってから初めて会った日。不格好な花冠を心から喜んでくれて、努力を認めてくれて、傷だらけの手をかっこいいと言ってくれた。全てが報われたような気がしたと同時に、どうしようもないくらい好きになってしまったのは、当然の事だったように思う。

 

「ま、第三皇女の事は心配だが……さっきみたいなラブラブっぷりを見せつけとけば大丈夫だろ」

「言われなくてもそうするよ」

 

 じゃあもう休憩終わるから、とロランドは手を振りながら訓練に戻っていった。元々エステルを見つけ途中で抜けてきた僕もそれを追いかける。

 

 万が一にでも自分より強い者が現れてその座を奪い取られてしまわないように、婚約してからも鍛錬を怠ったり気を抜いたことは無かった。これからも、誰にも渡すつもりは無い。元よりそのつもりだったが、エステルが好きだと言ってくれたから、尚更。

 良かった。エステルが産まれたのがアカルディで。もしもここが他国ならば、王族のエステルと伯爵家次男の僕では到底結ばれなかっただろうが、アカルディでは強ささえあれば彼女の隣に立つ権利を得られるのだから。

 

 エステルは今17歳。この国では通常女性が18歳の時に婚姻を結ぶが、ここ最近魔物が増えており、原因究明や討伐、被害に遭った地域の復興などが忙しく、予定は先延ばしにされている。どんなに遅くとも20歳までにはと言われているが……。

 

「……早く結ばれたいな」

 

 結婚して、ベールの下の素顔を見れば、どうしようもないほど胸を占めるこの独占欲も少しは満たされるだろうか。

 

 

 

 


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