5話
お互いに好きだと改めて口にしたあの日。更に甘さに磨きがかかったセオドアの気持ちを、それでも尚完全には信じきれずにいる私は、よく良く考えれば同じくコルが見える母上に相談すればいいことに気がついた。
とはいえお忙しい母上にそれだけの用で時間を取ってもらうのも気が引けて、何か機会が無いかと探っていた時。不意にチャンスは訪れた。
「失礼致します。エステリーゼが参りました」
「よく来たわね、エステリーゼ。まぁ座って頂戴」
ある日の昼下がり、母上から呼び出しを受けた。人払いをしてある辺り、何か聞かれてはならないような話なのだろう。
どういう訳かは分からないが、同じ能力を持つ相手のコルは見えない。母上や祖母は勿論のこと、今は亡き曽祖母に対してもそうであった。だから母上の考えている事はさっぱり分からない。コルが見えることが当たり前になっている私にとって、それはもどかしくもあり、落ち着くようでもある。
「呼び出したのは今度のヴェルデのドロテーア皇女の誕生祭、貴女に行って貰うことになって」
「それは構いませんが……ライモンドが行く予定だったのでは?」
第一王子のライモンドは、私の2つ下の弟だ。我が弟ながら大変賢い上社交性も高く将来有望。皇帝の誕生祭ともなると流石に母上か私が参加する方が良いだろうが、今回は第三皇女なので経験を積む意味でも女王代理としてライモンドに行かせると聞いていたのだが。
「そうなのだけれどね、主役からのご指名よ。しかも滞在中皇女直々に城下町を案内してくださるんですって。……正確にはセオドア目当てね」
「ああ……そういう……」
ドロテーア皇女はセオドアが好きで、少し前までの私以上に私とセオドアの婚約破棄を望んでいる人物だ。
アカルディの令嬢達は、度々私に対するセオドアの溺愛っぷり──演技か本気か分からないが──を見て大抵諦めている。けれど、ドロテーア皇女を始めとする他国の女性陣はそう接する機会がなく、未だなんとかセオドアを手に入れようとしている人は少なくない。
「だから気をつけなさい。次期女王の婚約者を奪い取るなんてそうそう出来ないけれど、貸しを作ったら駄目よ」
「肝に銘じます」
ヴェルデとは友好関係を築いているものの、当然国力の差はあるしヴェルデの皇帝とアカルディの女王とでは勿論皇帝の方が身分が上である。王太子の私とドロテーア第三皇女では……同じか私が少しだけ上、くらいだろうか。
失礼な事をしないよう気をつけなければならない……が。
「まぁあの皇女は絵に描いたようなワガママお姫様だし、アカルディをどうにかしたくてたまんない皇弟は揚げ足取りがお得意の狸爺で癇に障るとことは多いでしょうけれど」
威厳はあるが気さくでもある母上は私相手だと結構歯に衣着せぬ物言いをする。ワガママお姫様と狸爺とは散々な言いようであるが、事実なので私としても同意せざるを得ない。
「本当に気をつけなさいよ。ああいう女がねぇ、とんでもない呪いをかけてくるのだから」
「呪いですか?」
「そう。普通そうはならないんだけれど、ああいうねちっこい女の叶わなかった恋心は恨み辛みになって呪いになるの。それは私達聖女の力を継ぐ者でも解くのはなかなか難しいわ」
呪いがこの世界に存在しているだなんてことは初耳だが、母上の話しぶりでは実際に確認しているかのようだ。そんなややこしい相手がいる所にセオドアを伴って行かなければならないなんて、今から憂鬱である。出来ることならば連れて行きたくない。
「……表向きに招待されたのが私なら、別のパートナーを連れていくことは出来ませんか? それこそライモンドとか」
「それも考えたわよ。でもヴェルデの城には魔法の使えない場所がいくつかあるでしょう。ライモンドも魔法に関しては優秀だけれど、貴女の護衛役も兼ねる意味では剣の腕が足りないわね」
この世にはどういう原理か魔法の使えない場所がいくつかある。その一つである洞窟の岩を床や壁に使うことで、ヴェルデの城は謁見の間やホールなど、魔法を使えない部屋を作り上げている。暗殺等を防ぐ目的なのは想像に難くない。ただ、そんな場所でも私達が持つ聖女の能力は問題なく使えるのだから謎だ。
「では……近衛騎士の中で家柄も問題ない誰かではどうでしょうか」
「セオドア以外を連れていけば不仲だなどと噂されるかもしれないわよ?」
「セオドアは……何か長期の任務に参加させるなどして……」
なんとか出来ないかと考えていると、不意に母上がくすりと笑った。
「そんなにセオドアをとられるのが嫌なのね」
「それは……それは……、あの、母上」
長年セオドアに対して素っ気ない態度をとり続けていたにも関わらず、私が彼を好きだと確信しているような口ぶりだ。母上にも私のコルは見えない筈なのだが……。聞くなら今かもしれない。
「私……セオドアに嫌われていますよね?」
口にするのもなんだか切なくて、少し言葉尻が小さくなってしまった。手をキュッと握り、母上の言葉を待つ。
肯定されるか、否定されるか。自分の心臓の音さえ聴こえてきそうな緊張感に、時間がとても長く感じた。
そして。
「今私から言えることは……己が見てきたものを信じなさい、ということくらいかしらね」
返ってきたのは、そんな曖昧な返答で。私が見てきたもの? それはコルなのか、彼自身なのか。
「それはどっちか……って聞いても、答えては頂けませんよね」
「よく分かってるじゃない」
なんでちょっと楽しそうなんだ。と不満な気持ちが現れてしまったのか、母上は笑って手をひらひらと振った。
「兎に角、セオドアを連れていくかどうかは本人と話し合いなさい。明日ヴェルデに返事を出すから、それまでに決めて頂戴。連れていかない場合は代理の者も考えておいてね。……まぁでも私としては、セオドアを連れていくことをオススメするわ」
「……畏まりました」
母上の執務室を出たあと、そのままの足でセオドアがいるであろう訓練所に向かう。王配の一番重要な役割は希少な力を持った女王を、護衛をすぐ近くに配置出来ない時──例えばダンスの時や就寝時──にも傍で守ること。次期王配としての仕事や教育に忙しく、騎士団で役職を持っている訳では無いセオドアも、私を守る力をつけるため予定が何も無い時間は騎士団で訓練をしている。
そういう意味ではもし結局婚約破棄になったとして、次期王配候補は見繕っておいた方がいいかもしれない。……保険よ保険。
先に行った侍女が話を通してくれていた為、特に事情の説明もなく中に入る事が出来た。剣で打ち合うような音と気合いの入った声のする方へ向かえば、そこに目的の人物がいた。
セオドアは現在団員達相手に指導をしながら15対1で戦っている様子。……まぁ、この間の邪龍討伐任務を想定より一ヶ月以上も早く終わらせた彼なら、このくらいはウォーミングアップの範囲だろう。
ただ邪魔をするのも悪いな、と思い壁際でキリがいいタイミングを待っていると。
「……殿下? セオドアに御用なら呼びましょうか?」
「ロランド」
休憩から戻ってきたらしいロランド・オベルティから声を掛けられた。燃えるような赤い髪が印象的な彼はオベルティ公爵家の長男で、セオドアと同い年。幼少期は性格に難ありだったが、今では真面目で実力も高く、強者揃いの第一小隊の副隊長にもなっている。
「終わるまで待つから構いませんよ。それより……随分頑張ってるみたいですね」
「き、恐縮です。まだまだ未熟ですが精進して参ります」
ロランドならば剣術の力量もパートナーとしての家格も問題なく、セオドアの代役にうってつけかもしれない。……本当に幼少期は性格に難ありだったが。
「ふふっ、まさかあの意地悪ロランドが最年少で副隊長になるなんて」
「殿下……その話は人生の汚点なので、勘弁してください……」
「私だって凄く怒られたんですから、いいじゃないですか。あのガキ大将が、弱きを守る騎士になるなんて……本当に人って変われるんですね」
ロランドは昔公爵家の権力を笠に着て、自分より家格が下の子に対して理不尽な暴力を振るっていたのだ。ある日たまたまその現場に出くわした私が、「じゃあ貴方も王女の私には何されたって文句言えないわよね?」とタコ殴りにした結果、以来心を入れ替えたのだという。
「言っておきますけど、誰彼構わず手を出していた訳じゃないですよ。あの頃は自分が王配になるのだと思っていたので……」
「誰が王配になるって?」
「うわっ! せ、セオドア……!」
ロランドを揶揄うのに意識を向けていたので、セオドアが近づいて来ていたのに気がつかなかった。少し汗をかいているが殆ど服が汚れてないあたり、あの15人が彼に膝をつかせることは難しかったようだ。
「ごめんなさい、邪魔しましたね」
「いえ、それは別に構わないのですが……何の話をしていたんですか?」
「ち、違うんだ。今のは昔の話で、」
「そうです、本題は別で……来月ヴェルデに行く時、ロランドにパートナーを務めて貰おうかと思いまして」
「殿下!?」
ロランドは何故かセオドアに対して必要以上に警戒し、敵意はないとでも言いたげに両手を上げて後ずさっていく。
『殿下は何を言ってるんだ!? そんな事になればセオドアに殺されてしまう!』
流石にそんなことしないでしょうよ、と震えるロランドのコルに思わず突っ込みたくなる。当のセオドアはニッコリと効果音がつきそうな笑みを浮かべているが、よく見たら目は全く笑っていないような気がした。
「エステル……? どういうことですか?」
「どういうことも何も、そのままの意味ですが……」
「殿下、どうか最初から詳しく説明して下さい……!」
「ううん……」
母上はセオドアを連れて行くかどうか話し合うように、そして出来ればセオドアを連れて行くよう言っていたが、個人的には連れて行きたくない。母上の言うことだから素直に言われた通りにすべきなのは分かっているが……もし仮に婚約破棄して彼が他の人と結ばれることになっても、ドロテーア皇女は嫌だから。
……と考えていたところで、その皇女がセオドアを呼んでいるというくだりを話していないことを思い出した。
「そうでした、ロランドにパートナーとして参加して欲しいのが第三皇女の誕生祭なんですよ」
「第三皇女……ですか」
何か思い出したのか、セオドアが苦虫を噛み潰したような顔になる。
皇女は会う度に私とセオドアの間に割って入り、恋人かのようセオドアの腕を組んで離さないというなかなかクレイジーな女性だ。ただ彼のコルは、私なんかよりは皇女の方がずっといい、と言っていたからそんなには嫌っていないのだと思っていたが……もしコルが異常なら、あの行動に引いていたのかもしれない。
「元々ライモンドが行く予定だったのですが、私を態々指名してきたんです。勿論言うまでもなくセオドア目当てですよね」
「……それで殿下は私に?」
「ええ。その間セオドアには長期の任務にでも行ってもらおうかと」
そう言うとセオドアは悩ましげに手のひらで頭を抑えた。そばにいさせて下さい、がスタンスの彼にしては珍しく、迷っているらしい。
「……ですがヴェルデに行く際毎回そうする訳にもいかないでしょうから、やはり僕が、」
「それもそうなんですが、今回は何か企んでいるのか、滞在中皇女直々に城下町を案内して下さるそうです。それに誕生祭は主役だからと、ダンスの相手等を要求されても断りづらいですよね」
「……」
ついに頭を抱えてしまったセオドア。ロランドは青い顔で私とセオドアを交互に見ている。
「でっ、殿下はセオドアを想っているからこそですもんね!?」
「え? それは……勿論」
ロランドの突然の発言に驚きながらも、あまり間を空けず肯定した。セオドアの事を不用意に突き放すのはもう止めたのだ。でもこればかりはやむを得ないから、せめてそれは伝えなければ。
「セオドアの事が好きなので……皇女に触れられたりするところを見たくありません。ですから、今回は遠慮してください」
「エステル……!」
素直な気持ちを吐き出せば、ずっと俯いていたセオドアがようやく顔を上げる。その頬は薄く赤らんでいた。
「凄く、嬉しいです……」
ロランドのコルが『俺もう行っていいかな……』とこの場を去りたがって後ずさっているが、セオドアの代理はロランドにするからもう少し待っていて欲しい。
「では承諾して頂けますか?」
「……いえ、やはり僕が行きます」
「えっ?」
話、聞いていたのかしら。思わずキョトンとしてしまった私にセオドアはふっと笑って答えた。
「僕達の間に入る隙など無いことを、理解してもらいましょう」