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4話

 

 

 

 

 目を開けると見慣れた天蓋が見えた。まだ酔いの抜けない頭で今の状況を把握しようとするが、ぼおっとしてしまって上手く働かない。

 

「……エステル、起きましたか?」

 

 ささやくような声に視線を向けようとすると、思った以上に近い距離にセオドアがいてビックリする。私はどうやら寝ていたらしい。

 

「……あさ?」

「まだ夜ですよ。パーティーがそろそろ終わる頃でしょうか。エステルが寝てる間に侍女の皆さんが着替えと入浴を済ませてくれていましたから、そのまま寝てしまっても大丈夫ですよ」

 

 そっか、そんなに時間は経ってないのか。それも納得の酔いの抜けなさだ。少し胸が気持ち悪くて、深く呼吸する。

 

「水、飲みますか?」

「……のみます」

 

 そう答えると、セオドアはベッドサイドのテーブルからグラスを取り、自分で飲んだ。なんで。当て付け?

 

「ひどい」

 

 思わずそう零した口を、セオドアのそれが塞いだ。理解するより先に流れ込んできた水を、とりあえず飲み下す。何が起きたかよく分からないけれど、水は美味しかった。

 

「……エステル、可愛い」

 

 至近距離でキラキラの顔が微笑んでいる。天使の石像もビックリの美形だ。でもその薄い唇に、私の口紅が少し移っているような気がする。また深く呼吸した。

 

「……ゆめ?」

「夢じゃありませんよ」

「だって……ゆめじゃないなら、なんでここにいるんですか?」

「いてはいけませんか?」

 

 頭を撫でられる。その手つきが優しくて気持ちいい。ここは私の部屋で、侍女も居ないみたいだし、二人きりなら、こんなことする必要ないのに。それにアカルディでは婚前交渉は絶対駄目って訳ではないけれど、少なくとも婚約解消は出来なくなる。だから婚約者同士とはいえ夜に私室で二人きりなんて、変に噂が流れたら。

 

「だめです……けっこんするしかなくなっちゃうから……」

 

 そう言うと、セオドアが息を呑む音がした。眠たい。でも顔だけは侍女も見てはいけないから、自分で化粧を落として洗わなきゃいけない。眠る前にやっておかなきゃ。

 身体を起こして洗面所へ向かう。視界も足もユラユラして上手く歩けない。支えようと伸びてきたセオドアの手をぱしんと払い除けた。それでもついてこようとしていたが、私がフェイスベールの紐に手をかければ諦めたようにそのまま座り込む音がした。

 

 お湯……面倒くさいから水でいいか。化粧を落とす。といっても人から見えない部分は大して化粧を施してないので、口元あたりだけ念入りに。さっきの柔らかな感覚さえ洗い流されてしまう気がしたが、あれは多分酔っ払いの見た都合のいい幻覚だ。

 頭が重たい。壁に凭れながらタオルで顔を拭く。このまま床で寝てしまいたい。いや、床で寝るのは流石に王女としてのプライドが許さない。そのまま目を閉じる。立ったまま寝られる気がした。

 

 もしかしたら、本当に暫く寝ていたかもしれない。

 

「エステル……大丈夫ですか?」

 

 後ろから様子を見に来たらしいセオドアの声がかかる。まだいたんだ。早く帰っていいのに。どうして私の事嫌いなくせに、冷たくしても突き放しても離れていかないのだろう。寝るとき用の装飾のないフェイスベールをつけ、壁を頼りにベッドに戻ろうとセオドアの横を通り抜けようとして──抱きしめられる。

 

「……?」

「……やっぱり婚約解消するつもりなんですね」

 

 バレてしまったという思いからうまく言葉が見つからず、無言はきっと肯定にとられただろう。背中に回された腕に更に力が籠って。

 

「お願いですからどうかそれだけは……」

「なぜですか?」

「何故って……そんなの……っ、」

 

 そうまでして王配になりたいのだろうか。大嫌いな相手と結婚することになってでも。そんなことを考えていると。

 

「好き、だからです」

「……え?」

「エステル、僕は貴女が好きです。……本当に、好きなんです」

 

 泣きそうな声に黙り込んでしまう。そんなの有り得ない。だって貴方のコルはいつも反対のことを言っているもの。

 けれど抱きしめられたことで耳に押し当てられた彼の胸からは、とても早い鼓動が聞こえた。もしかして本当に私のこと好きなの? そう思ってセオドアを見上げると、ゾッとするほど美しいパライバトルマリンの瞳が、熱を孕んで私を見つめていて。

 

「貴女がヴェルデの皇太子と仲良さそうに話している姿を見るだけで、嫉妬でどうにかなりそうだったのに……」

「セオドア……」

「誰にも渡したくないんです。エステルが僕以外の男と結婚するだなんて、考えただけで気が狂ってしまいそうだ……っ」

 

 少し掠れたどこまでも甘い声。コルが私だけに辛辣なのを除けば、誰に対しても優しく温厚なセオドアの発言とは思えないほど、独占欲に満ちた言葉。顔が熱い。羞恥心から酔いが覚めてきたが、寧ろ今こそ酔って頭が働かなければいいのに。

 

「どうしたら……この思いを貴女に信じて頂けますか?」

 

 私がセオドアを信じられないのは私を嫌うコルの姿が見えているから。そしてそれが絶対だと信じているから。現に今日もあの外交官が酒を混ぜてることをコルの声で知り、実際に飲んでみればそうだった。セオドアが本当に私を好きなら、彼のコルだけが何かしらおかしいことになる。そんなことってあるのだろうか。

 

「……セオドア、では私に確信を下さい」

 

 でもここまで言ってくれてるのだから……と、ひとつ思いついたことがあり、セオドアの身体を押して離れベッドに戻って腰掛ける。そんな私の正面にセオドアが跪いた。

 

 サイドテーブルの引き出しからエメラルドのイヤリングを取り出して、彼に見せる。

 

「このイヤリングをどちらかの手に入れてください。私が当てます。5回勝負で一度でも私を欺けたら信じますよ」

「そんな事でいいんですか?」

「……たぶん」

 

 曖昧な返事にセオドアは緊張が解けたようにくすりと笑い、私の隣に座る。それから真剣な表情になってイヤリングを握ったあと、握った両手をずいと差し出してきた。勿論見ただけでは動きが早すぎて、どちらの手に入れたのか全く分からない。けれど。

 

『とりあえず最初は……右にしようかな』

「……こっち」

 

 祈るような気持ちでコルが呟いたとおりに指を差せば────イヤリングはそこにあった。


 ……もしかしたらなんらかの理由でコルのやることなすことが全部逆なんじゃないかとか考えたんだけど、違ったみたい。それはそうか。全部逆なら、私以外には分け隔てなく優しく穏やかな彼のコルも逆ということになって、私以外皆疎んでることになるのだから。

 

「こっち」

『なんで分かるんだろう。どっちにも入れないとどうだろうか』

「……どちらにも入れてませんね」

 

 そして結局5回とも私が外すことは無かった。

 

 なんてことはない、コルは正常だったのだ。つまり、セオドアはやっぱり私が嫌いなのだ。彼の言葉を真に受けて、少しでも期待してしまった自分が恥ずかしい。

 

「……私のかち、ですね」

 

 そのまま倒れ込むように寝転ぶ。なんだか泣きそうで、悟られたくなくて。

 

「エステ、ル……っ」

 

 もう帰って下さい、その方が貴方にとっても良いでしょう。そう言おうとして……やめる。私の名を呼ぶその声が、泣きそうと言うよりも──。

 

「せ、セオドア? 泣いて……、」

 

 宝石のような瞳から、これまた水晶のような涙が瞬きの度にポロポロと零れ落ちている。伏せられた白金の睫毛が濡れていて、美形は泣いている姿さえ美しいのだと思った。

 

「……っ、折角エステルに……信じてもらえる、チャンスだったのに……」

 

 本当に悔しそうだ。彼のコルは相変わらずすぐにでも帰りたがっている……が。

 やっぱり変なのかもしれない。だって演技で泣くにしたって、悲しいことを思い浮かべたりする必要があるだろう。でもこんな、早く帰りたいなぁなんて思いながら、ボロボロと泣けるものだろうか。泣くほど帰りたいというのなら、コルだって泣いてなければおかしい。

 

 未だ信じることは難しい。コルは正しいものとしてこの5年間を生きてきたし、事実そうだったのだから。けれど、信じずとも彼自身の声を本当だと思って行動した方がいいのかもしれない。もしそれが嘘だったとしても、傷つくのは私だけなのだから。本当に嫌われていて面倒に思われたとしても、こんな風に泣かせることはしたくない。

 

「セオドア……」

 

 とはいえ勝負は私の勝ちなので。泣いてるからやっぱり信じてあげますよって伝えるのは違う気がした。

 体を起こして、涙に濡れたその頬を撫でる。

 

「残念賞でひとつ、教えてあげます」

 

 私こそセオドアを嫌っているような態度をとり続けていた。嫌われているのだから、けれど身分の差で彼はそれを態度に出せないのだから、私から離れるのが最善だと思っていた。

 でももし仮に私を好きでいてくれたのだったら……私も、伝えなければ。

 

「私は初めて会ったあの日から、ずっとセオドアが好きですよ」

 

 そう言って微笑めば、セオドアは驚いたように目を見開いたあと、私の手に彼のそれを重ねて微笑んだ。

 

「……それじゃ残念賞じゃなくてご褒美です。だって僕は、エステルが好きなんですから」

「うーんと……それはまだ、完全には」

「エステルは僕のこと、好きでもない相手にキスをする軽薄な男だと思っているんですか?」


 そう問われて思わず吹き出しそうになったのを何とか喉で堪える。どうやらさっきのキス──というより口移しだが──は夢では無かったらしい。


「……許可を取らずにするのは、軽薄では?」


 あまりの恥ずかしさから俯いて、そんな皮肉を捻り出した。するとくすりとセオドアの笑う声がしたかと思えば、指で顎を掬われて。


「では、どうか口付けの許可を頂けますか?」

「〜〜〜っ、」


 大分酔いが覚めて来ているとはいえ、まだ酔いが残っていて良かった。とてもじゃないが、素面の状態でこれに頷けたとは思えない。至近距離に好きな人の顔があって、しかもそれが今からゼロ距離になるだなんて────。

 

 その後聞こえたセオドアのコルの声は、緊張しすぎて気にもならなかった。

 

 

 

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