24話
恥ずかしながらも些細なミスで魔力切れを起こした私だったが、翌朝にはすっかり回復した。
その間にも意気消沈したセオドアと話し合ったけれど、彼はなんと次期王配に相応しくないとか何とか言い出したので混乱した。元はと言えば私が首を突っ込み自爆しただけの話なのに、彼はそれにすら責任を感じていて。いくらディアークが撃たれるのを見たくなかったとはいえ、セオドアの思いつめたような顔だって見たくなくて。自分の勝手な行動を悔やみながら、少し狡い……いやかなり狡い手段で彼を頷かせた。誰かその場に第三者がいたならば、それは脅迫ですよと言っただろう。
それでも。
── ……愛しています。心から、エステルだけを。
──だから……どうか僕と結婚して下さい。
彼のコルは婚約解消のチャンスを逃したくないと地団駄を踏んでいたけれど……そう言ったセオドアの表情は、心にもない事を言っているようには見えなかった。
これからは自分を大事にしよう。条件反射と言ってもいいほど身に染みてしまったその習性を正すのは、すぐには無理かもしれないけれど。自分の為に自分を大事にするのは難しいし、アカルディの為には時に自分を犠牲にする必要もある……が。守れなかったと泣いたセオドアの為になら、きっと出来ると思った。
「エステル、皇太子殿下達がお見舞いに来たいとのことですが……その、第三皇女……殿下もいらっしゃるそうです。大丈夫ですか?」
「ええ、もうすっかり。だから構わないと伝えてくれる?」
申し訳ないことにセオドアは今の今まで私に付き添って一睡もしていないらしい。泣いていたこともあってか目元が赤くなっているけれど、その程度で崩れる美形ではなかった。寝てていいよと声をかけてみるも、断固拒否されたので食い下がることはしなかった。
リビングルームに移り軽食を摂りながら待っていると、暫くしてディアークとドロテーア皇女、そして──。
「エステリーゼ様! ご無事で良かったです……!」
「ゾフィー様!」
ドアが開くなり今にも泣きそうな顔で声をかけて来たのは、ディアークの婚約者であるゾフィー様だった。彼女がこうして白昼堂々とディアークと一緒にいるのは珍しい。
「……もしかして」
「ああ。叔父上を始め、俺を狙う奴は大体捕まったから、もう隠しておく必要もないんでな」
その会話を聞いて不思議そうに首を傾げたセオドアに、ゾフィー様が綺麗な笑顔を見せた。
「ご挨拶が遅れました。私、ディアークの婚約者のゾフィー・ヴァンデルフェラーと申しますわ。以後お見知り置き下さいませ」
「ご丁寧にありがとうございます、セオドア・キエザと申します……。──皇太子殿下、ご婚約しておられたのですか?」
ゾフィー様とディアークの婚約が決まったのは子供の頃の話だが、政略結婚というよりはディアークがゾフィー様に惚れ込んでの婚約だった為、人質にとられる可能性が高かった。だから、知っているのは本当に一部の人間だけだ。
では何故他国の私が知っているかと言うと、当時他に相談相手がいなかったのか「プロポーズってどうしたらいいと思う。失敗したくない。お前のなんか凄い聖女の魔法でゾフィーの理想のプロポーズを当ててくれ。」とかいう無茶振りをしてきたからだ。
「そうだ。心底惚れ込んでるから、安心してくれ」
「……それとこれとは、話が別です」
ゾフィー様の腰を抱いて朗らかに笑ったディアークに対し、セオドアは皇太子相手に露骨にムッとすることはなかったが、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。自意識過剰でなければ、私とディアークが仲がいいことに対する嫉妬……の話だろうか。
ゾフィー様は嬉しそうに瞳をキラキラさせているけれど……それはディアークに言われた言葉によるものではないようで。
『これが今巷で話題の、"尊きことこの上ない"なるものですのね……!』
そう。彼女は性格も良く外見も麗しく魔力も高い……が、なんだかちょっと……なんていうかその、心の中が愉快なご令嬢なのだ。
『お二人が寄り添いあっているのをこんなにお傍で拝見出来るなんて……。皇太子妃など荷が重いと思っておりましたが、やはり万々歳ですわ……!』
ゾフィー様と何度か話したことはあるが、セオドアと一緒にというのは未だ無かったように思う。だからクルクルと踊り回る彼女のコルのあまりのはしゃぎように、なんとなくディアークの肩を叩き頑張れと声をかけたい気持ちになっていると。
「ちょっと! 私の事忘れているんじゃないでしょうね!?」
怒りに頬を赤く染め、皇女がプルプルと震えながらそう言った。
「そんなことはありませんよ」
「……まぁいいわ。ほら、約束でしょう。早く髪を戻しなさいよ」
皇女は今も編み込むようにして髪を誤魔化しているようだ。仕方ない、約束だし……と立ち上がれば、ディアークが皇女の頭をパコッと叩いた。
「な、何するのよお兄様……!」
「おい、迷惑かけておいてなんだその態度は。エステリーゼがいなければ殺されるところだったんだぞ」
皇女は大袈裟に痛いわ! と、声をあげていたけれど。やがて諦めたように長い長いため息をついて、ポツリと呟いた。
「……悪かったわね、巻き込んで」
いかにも言わされていますといった不服そうな声にも関わらず、彼女のコルはしゅんとしておりそれなりに反省しているようで。
「……っでも、そもそもあなたが悪いのよ! セオドアを邪険にして冷遇するから! そういうのを近頃ヴェルデでは何と言うかご存知?! モラハラって言うのよ!」
かと思えばやはり自分は悪くないとばかりに再び怒り出した。お前な! とディアークが皇女の頭をまたパシリとはたくが気にしていない様子。そして私はというと皇女のその言葉が心に刺さって胸が痛い。
「……そ、それについては本当にごめんなさい……」
隣に立つセオドアに視線を泳がせながらも謝ると、彼はくすりと笑って俯く私の頭を撫でた。
「本当は、僕のことをずっと好きだったんですよね?」
「え、ええ」
「何か事情があったのでしょう。いつかそれを教えていただけるなら……今は、好きでいてくれたという事実だけで充分です」
優し過ぎて、眩しい。顔を上げて彼の顔を見たら眩しさに目がやられてしまうんじゃないかとさえ思える。すぐ近くでゾフィー様のコルが謎の悲鳴をあげるのが聴こえた。
次いで、また私のことを忘れてるわ! と言う皇女のコルの声が聞こえてきたので、彼女の傍まで歩み寄った。編み込んだ状態で元に戻すと絡まってしまうかもしれないので、髪を解く。艶やかな黒髪が熱で傷んでいるのを見ると可哀想なような気もするが、兄を失ったクライスラーさんの事を考えるとこの程度ですんでよかっただろうとも思う。寧ろ折角の復讐の成果をこうして無かったことにしていいのか? と一瞬の迷いが生じたが、クライスラーさんにはやはりお兄さんの為にも店を立て直して欲しい。それが私のエゴだとしても。
「……エステル、大丈夫ですか? まだ魔力が……」
「これくらい平気よ。じゃあ……いきますね」
少しだけ葛藤していた私を見て心配そうにセオドアが声をかけてきたので、慌てて皇女に治癒魔法をかける。ふわりと現れた光の粒が、髪を形作るようにまとまったかと思うと、その輝きが消えるにつれ元通りの長い黒髪になった。
治癒魔法に失敗したことは無いが、皇女相手というのもあり無自覚のうちに少し緊張していたらしい。ほっと一息つくと、それを終了の合図と受け取った彼女は震えるようにして髪に手を伸ばした。
「…………ありがとう」
皇女は私の事なんて嫌いな筈だが、涙声でそうお礼を言ってくれたあたり、相当堪えていたようだ。
それからは今の状況を聞いたり、これからの事を聞いた。
皇弟には余罪が多すぎて刑が確定するのには時間がかかるそうだが、少なくとも他国の王女の殺害未遂に関しては現行犯逮捕だ。グローセ・ベーアという暗殺集団を創設していた事もあるし、十年やそこらで外に出られるような軽い刑罰で済むことはないだろう。
ドロテーア皇女に対する処罰も皇弟関連で忙しい為、昨日の今日ではまだ決まっていないらしい。現在は自室で謹慎しているそうだが今回謝罪の為にと特別に来たようだ。
他国の次期王配を脅し、次期女王に濡れ衣を着せようとした罪は軽いものでは無いが、諸悪の根源は皇弟であるし、今回のことがなければセオドアの気持ちを信じられる日が来るのはまだまだ先だったように思うので、私個人としてはそこまで恨みはなかった。ただあくまで個人の話なので、皇帝陛下や母上が話し合って決めるであろう処罰がどんなものでも異を唱えるつもりはない。
ひとまず、やっと終わったのだな、と思う。勿論アカルディに降りかかるかもしれない脅威は皇弟だけではないが、それでもかなり厄介な存在であったことは間違いない。肩の荷が少しおりた気分だ。
「あの……エステリーゼ様」
話がひと段落したタイミングで、おずおずとゾフィー様が声をかけてきた。
「なんでしょうか?」
「エステリーゼ様とセオドア卿のご結婚式はいつ頃なのでしょうか?」
『正式に婚約発表するのであればディアークの婚約者として参列出来るかもしれません……。ああ……最強推しカプの結婚式……何がなんでもこの目で見たいですわ!』
サイキョウオシカプなるものが何なのかは分からないけれど、モラハラと同じくヴェルデの若者言葉なのかもしれない。とりあえず物凄く興奮していることは伝わった。
結婚式か……。勿論、結婚したいと思うし、結婚して下さいと言われて嬉しかった。けれど初めてセオドアのコルの声を聞いたあの日から、彼と結婚する未来を長いこと想像していなかったから。なんとなくどこか夢物語のような気がしていて。
こうして具体的な話をされてようやく実感というものがわいた。
そうか、私、セオドアと結婚するんだ。
思わずセオドアを見上げると、楽しみですねと微笑み返される。なんだか胸が暖かいような気がして右手を添えた。きっとその頃にはこの手にも指輪がはまっていることだろう。
「恐らく慣例通りであれば────」
────それから一年。
ここは新婦の控え室。今日は……セオドアと私の結婚式だ。
ノックの音に返事をすると、母上が入ってきた。
「まぁ……とても綺麗だわ、エステリーゼ」
「ありがとうございます。嬉しいです」
ウエディングドレス姿の私を見て嬉しそうに笑った母上は、部屋の中にいた侍女達を退出させる。その手には白いベールがあった。
「これは……」
「ウエディングベールと馴染むように、レースで縁取りしてみたの」
純白のウエディングドレスの中ポツンと浮いていた黒いフェイスベールが母上の手によって外され、新たに作ってくれたという白いフェイスベールがつけられる。
「ふふ、色々あったけれど……無事にセオドアと結ばれてくれて嬉しいわ」
「その節は大変お騒がせしました……」
「いいのよ。やっぱりあの時ヴェルデにセオドアと行かせたのは正解だったわね」
母上は選択の魔法が使える。それは選択肢がいくつかある時、最良の選択が分かるというもの。私の暗殺者セットのような魔法と違い、まさに女王にうってつけの魔法だ。
そんな母上があの時セオドアを勧めたからにはきっとそうするのがいいと分かってはいたのだけれど、まさかああも波乱万丈な数日間になるとは。結果的にはセオドアの思いを信じられるようになったし、皇弟を退場させられたし、これ以上ない成果ではあったが。
ヴェルデから帰って報告した時、皇弟どうのこうのよりも母上はセオドアと正しく結ばれたことを喜んでくれていたように思う。
「……セオドアはずっと私に好意を伝えてくれていました。嫌われてるなんて、コル以外に証拠は何一つなかった。それなのに私は……魔法を過信して彼の心を疑って傷つけてしまった……。けれどもう、彼の想いを疑う気持ちはありません」
酷いことをした。冷たい態度をとって、それでも歩み寄ろうとしてくれる彼を何度も拒絶した。愛想を尽かされてもおかしくないことを何度もした。これからはちゃんと愛を伝えて、大事にしたい。
私の話を黙って聞いていた母上は、満足そうに頷いて頭を撫でてくれた。
「ちゃんと正しい答えにたどり着いてくれて良かったわ。……実はそれ、四代目女王のレアンドラが王女時代、第二王女のイザベルにかけられた呪いなのよ」
「えっ?」
思ってもいなかった話に、思わず間抜けな声が出る。なんでセオドアのコルだけおかしいのだろうと不思議だったが、まさか呪いのせいだとは。
ベールの中で目をぱちくりさせる私に、母上は続けた。
「イザベルはレアンドラの婚約者……つまりは次期王配が好きだったの。けれど第一王女というだけで想い人の婚約者になったレアンドラを妬み、せめて"心は結ばれませんように"と願ってしまった。……それが普通の人間ならただの願いで終わったでしょうね。けれどイザベルもまた聖女の末裔だから願いに力があった。その願いは呪いとなって……コルを狂わせるという形で現れたわ。勿論イザベルはコルなんて知らないから、呪った自覚もなかったでしょうけれど」
意外な話に口を挟むことも出来ず黙って続きを聞く。
「厄介なことにレアンドラだけでなくその呪いは産まれた子にまで受け継がれたわ。以来どうも次期王配が決まると、その人物のコルは次期女王に対して嫌悪感を示すような言動をとるみたい。私の場合は魔法を取得したのが先だったから、心まで優しかった彼が次期王配に決定した途端急に私のことを疎ましがるようになったものだから、驚くと同時に疑ったわ。……けれどあなたの場合、魔法を得るより先に婚約が決まったから、最初から嫌われていたのだと考えてもおかしくなかったわね」
優秀なセオドアを早めに捕まえておこうとしただけで、ここまで拗れるとは思ってなかったの。ごめんなさいね、と謝る母。私としては、モタモタしていたらセオドアが他の誰かと結ばれていたかもしれない事を思えば寧ろお礼を言いたいくらいだ。
「けれどあなたも言った通り、コル以外に貴女を嫌っているという証拠はなかったでしょう。勿論コルはこんなことでもなければ正しいわ。けれどコルだけを理由に裁いてはならない。過信してはいけない。……呪いだけど、意外といい教訓になるでしょう? だから自分で答えを出すまでは教えないことになっているの」
「……とてもいい勉強になりました」
私はコルに頼りすぎていた。彼の目を、声色を、手つきを、ちゃんと意識していればコルがおかしいと分かったはずなのに。私がしっかり彼の本当の気持ちを推し量っていれば、セオドアを長く苦しめることは無かったのだなと思うと不甲斐ない気持ちになる。
そこでふと疑問が浮かんだ。
「呪いは解けるのですか?」
「ええ。結ばれてしまえばこっちのものよ。具体的には、神像の前で指輪をお互い二つずつ付けて婚姻の誓いを立てれば、神が呪いを解いて下さるわ。」
成程。あなたに心を捧げるという意味を持つ指輪を互いにつけていれば、それはもう心が結ばれているも同然だろう。
セオドアの本当のコルは、どのような感じなのだろう。なんとなく一生このままだと思っていたので、急に聞かされた事実になんだかソワソワしてきてしまう。
「……でもいいの?」
「何がでしょうか?」
「本来のコル……も、それはそれで大変かもしれないわ」
「え?」
どういう意味か尋ねようとした時、時間を知らせるノックが部屋に響く。意味深でとても気になるが、それ以上追求することは叶わなかった。
「幸せになりなさい」
そう言った母上の声色はどこまでも優しくて、私は泣きそうになりながらも頭を下げた。
2月19日 皇女の処罰についての文を追加しました