2話
「お初にお目にかかります、エステリーゼ第一王女殿下」
セオドアに初めて会ったのは私が8歳、彼が10歳の時。
その魔法を知る人間が極小数であるが故に知られていないことだが、長女だけが得る心を読む魔法が実質次期女王の資格であるアカルディでは継承権の順位などあってないようなもので、第一王女の私が次期女王となることは産まれたその瞬間からほぼ確定である。そんな私の婚約者はつまり次期王配となるのだから、婚約者選びもかなり慎重だった。貴重な力を持つ女王の守護者たる王配は、家柄より容姿より性格より何よりも女王を守る強さを必要とするため、本来なら16歳の成人の儀が済む頃に決まる筈だったのだけれど。
「貴方がキエザ家のセオドア卿なのですね」
「はい。この度は私のような者が王女殿下の婚約者にお選び頂けたこと、至極光栄でございます」
しかしまぁこのセオドア・キエザという少年……いや、神童は。僅か10歳にして、同年代はおろか一回りは違う大人まで含めてこれ以上優れた相手は見つからないだろうと言わしめた。その結果、他の令嬢と婚約される前にと異例の速さで婚約が決まったのである。
「そんな堅苦しい喋り方をしないで下さい。私の方が年下ですし……それに、婚約者なのですから。エステルでいいですよ」
「……ありがとうございます、エステルですね。僕のこともどうぞセオドアとお呼びください」
なんて歩み寄るような言葉をかけたものの、内心は複雑だった。
雲間から差す光を連想する綺麗な白金の髪と、パライバトルマリンを埋め込んだような少し緑がかった水色の瞳。神が長きに渡り調整に調整を重ねたに違いない完璧な目鼻口の形と配置。そんな天使を描いた壁画から飛び出してきたのかと思うほどの美少年を前に、思わず抱いてしまったのはときめきよりも劣等感だったのだから。
自慢だった母上ゆずりのクラーレットの髪など、彼のプラチナブロンドを見たあとではくすんだ薄ピンクでしかなく、瞳も雑草みたいな色だなという感想になる。美しい両親の良いとこ取りをした筈の顔立ちさえ彼の前では見劣りしてしまい、女王及び次期女王はフェイスベールをつけ顔を隠す風習があって良かったなと思った。フェイスベールは女王直々に魔力を込めて作られており、自分では何もつけてないかのようにクリアな視界だが、はたから見るとうっすらとさえ中を見ることが出来ないし、風に吹かれることもなければ他人に捲られることもないという優れものだ。
因みに顔を隠す訳は、表向きは女王は聖女の末裔であり神聖な存在であるからとされているが、実際はコルの動きを目で追ってもバレない為という意味合いが強い。口元は護衛等周りに読唇をさせられる方がいい場合もある為、ベールは鼻の下くらいまでである。
「私達は婚約に関する契約の詳しい話をするから、二人で庭園にでも行ってなさい」
「はい。セオドア、案内しますわ」
さて、そんなこの世のものとは思えない程の美少年が、更には婚約を大幅に早める程の天才さだというから、こんな相手と並んで生きていくという事実に8歳の私はプレッシャーが増えたなと感じていた。
私は女王陛下の長女に産まれたというだけで、次期女王になる事が決まっている。どれだけ頭が悪かろうと性格が悪かろうと、カリスマ性がなかろうと──女王の適性がなかろうとも。だからこそ良き女王になりたいと思うのだが、残念ながら私はあまり優秀な方ではない。基礎は良くても応用が全然駄目なタイプで、アクシデントに弱いのだ。問題に対する解決方法に点数をつけるとしたら、私はいつも60点くらいの方法しか思いつかない。
そんな不出来な私だからこそ、出来のいい婚約者を得られたことを有難く思うべきなのに。どう考えたって釣り合いが取れないことが恥ずかしく、素直に喜ぶことは出来なかった。
……けれど。
「あれ? えーと……ちょっと待ってくださいね」
二人で庭園を暫く歩いたあと、ベンチで休憩中セオドアが思い立ったように花冠を作り始めた。私を喜ばせようと最近キエザ夫人から習ったというが、その手つきは遠い昔の霞んだ記憶を掘り起こすようにたどたどしく、耳がほんのり赤くなっているのが、2歳年上にも関わらず可愛らしかった。
「すみません……不格好で……」
恥ずかしそうにそう言いながらも完成したらしいそれは、まぁお世辞にも上手とは言えないものであったが……なんだかとてもかけがえのないものに思えて。
「嬉しいです。つけてくれますか?」
「こんなものでよければ、ですが」
優秀な彼はきっとなんでも出来るものだと勝手に思っていたが、存外手先が不器用で茎や葉の処理も大雑把と、10歳の男の子らしい一面が見られて、私は酷く安心したのだ。
頭にそっと載せられた花冠に、思わず笑みが溢れる。
「ふふ、ありがとうございます。……あら?」
ふと彼の手に視線をやると、花を摘む際葉で切ったのだろうか、指先に血が滲んでいて。この頃心を読む魔法にはまだ目覚めていなかったものの、治癒魔法は既に取得していたので彼の手をとった。
「……はい、これでよしと。痛くはありませんか?」
「エステルは凄いですね……ありがとうございます」
手をかざして治るように念じれば、小さな傷はあっという間に塞がっていく。そうして何の気なしに彼の手をじっと見つめていると、もう私の治癒魔法では時間が経ちすぎていて治せないような古い傷が沢山あって。豆ができていたり、皮膚が硬くなっていたり……美しくもまだ幼い顔立ちからは到底想像出来ないような、そんなボロボロの手をしていた。
「あっ……すみません。汚い手を触らせてしまって……」
申し訳なさそうに引っ込めようとした手を、咄嗟にギュッと握って留める。彼の手を見ている為視界の外にある筈のセオドアの表情が、オロオロしているのが伝わってきた。
「汚くなんか……ないです」
「え……?」
確かに彼の綺麗な顔立ちは生まれ持ったものだろう。けれど、神童だとか天才だとか、まるで剣や魔法の才まで全てが生まれ持ったものだと思い込んで。
「ごめんなさい、私……セオドアの話を聞いた時、きっと貴方は天才で、努力とは無縁の人なんだって決めつけてました」
恥ずかしい。この手を見れば、劣等感を感じることすら烏滸がましいと分かるのに。私はこんなにボロボロになるまで、何かを努力したことがあっただろうか。
「セオドアは凄く……凄く努力してきたんですね。汚くなんかない、カッコイイ手です」
「エステル……」
才能溢れる婚約者と比べられるのが苦痛だ……なんて考えていた自分を殴りたい。
「この手で守られるに値するよう……貴方の隣にいて恥ずかしくないよう、私もセオドアに負けないくらい頑張ります。……応援してくれますか?」
そう尋ねると、セオドアはそれまでされるがままだった手でそっと私の手を握った。
「勿論です。……エステルの婚約者になれて、本当に良かった」
飛び切りの笑顔で答えてくれた彼に、私はころりと恋に落ちたのだった。
それからというもの、セオドアとはお互いの休日が重なれば必ず共に過ごすようになった。一緒に本を読んだり、他愛ない話をしたり、時には愚痴や弱音をこぼしたりして。
そんな日々を重ねるにつれ、セオドアへの思いも強くなっていった。これは所謂政略結婚ではあったが、恋愛結婚なのだと言い張ってしまいたいくらい彼のことを好きになったし、セオドアも私のことを好いてくれているような気がしていた。
少なくとも、自意識過剰ではないとハッキリ分かるほど、宝物のように大事に大切にしてくれていたから。
ちっとも、ほんの指先程も、嫌われているという可能性を考えていなかったの。
心を読む魔法に目覚めた12歳のある日、それを悟られないような振る舞いの訓練の為、セオドアに会えない日々が一ヶ月ほど続いた。最初は他人の心の声に困惑したし、意志とは関係なく常時発動する魔法であるが故に、時には知りたくもないようなこともあって辛くもなったが、次期女王たる証なのだからとなんとか自分を律することが出来て。
やっと合格が貰えて彼に会えるようになった日、キエザ伯爵家の邸宅へ向かう私はセオドアの心の内を知ることに何の不安も抱いていなかった。彼はきっと裏表なんかなくて、心そのままを表現していると思っていたから。
だから。
「セオドア! 久しぶり……という程ではないかしら?」
「久しぶりですよ。婚約してからこんなに離れていたのは初めてだったので……エステルに会いたいと、そればかり考えていました」
そんな甘い言葉をかけてくれる彼に駆け寄ろうとして、ピタリと足を止めた。
『このまま暫く会わずにすめば楽だったんだけど……。はぁ……面倒だな』
聞き間違いだろうか。どうか、聞き間違いであって欲しい。
「エステル? どうかしましたか?」
「……あっ、いえ……。」
『今日はいつまで居座るつもりなんだろうか。早く帰ってくれないかな』
そんな願いも虚しく、聞こえてくるのは私を疎ましく思っている言葉ばかり。恐る恐る彼のコルを見れば、嫌悪感をあらわにした冷たい目で私を見ていた。
「……えっと……その……忙しくしていたから、ちょっと体調が……」
「大丈夫ですか? 医師を呼びますよ、よかったらここにかけて──」
「う、ううん、いいの。ごめんなさい、今日はもう帰るわ」
そうですかと残念そうな顔を浮かべるセオドアに対して、良かったとホッとしている様子のコル。
どんな声を聞いてもどんな姿を見ても、動揺しないこと。表に出さないこと。ここひと月そうやって訓練していた筈なのに、全てが無駄だったかのように私は露骨に狼狽えてしまった。
「エステル、またすぐ会えますか?」
「……そうね、また来るわ」
フェイスベールがあって良かった。今にも涙が零れそうな目元を見られずに済んだから。どれだけ弱音を吐いたり愚痴をこぼしたりしても、次期女王として涙だけは人に見せないと決めていたから。
ああ、恥ずかしい。好かれてるだなんて、勘違いだったんだ。セオドアにとっては大人たちが勝手に決めた婚約で、逆らえなくて、仕方なく付き合っていただけで……。
恥ずかしい……でも。
もっと恥ずかしいのは、それでもまだ彼を好きだという気持ちが消えない愚かな自分の心だった。
パライバトルマリンはブラジルのパライバ州で採れることからそう呼ばれているそうですが、この世界ではパライバ領という場所があり、そこから同じような宝石が採れることになっています。