12話
用意していたという衣装を着せられた僕の周りを囲む針子達に、意気揚々と振る舞う皇女が色々指示を出している。僕はそれを他人事のように眺めながら、昨日の事を思い出していた。
最悪なタイミングだった。キスを強請られ流石にそれはと断ろうとすれば、王女が牢屋に入るところが見たいのかと問う。そう言われてはどうすることも出来ず、これはただの接触事故だと思い込むようにして顔を寄せた時、エステルが戻ってきた。まだ触れる前だったが、今この瞬間に来た彼女にはキスをした後だと思われてもおかしくない体勢だった。……なのに、エステルはホッとしたように緊張を解いていて。
その前に皇女を推すような口ぶりをしていたし、もしかして僕を皇女に押し付けようとしているのだろうか。僕のことなんか、必要なくなってしまったのだろうか。そんなネガティブな感情が頭を占め、自分の行いを棚に上げ勝手に傷ついてしまった。
「ふふ、急いで……でも完璧にして頂戴ね。私の完璧なセオドアに相応しいように」
「……僕はただの伯爵家の次男に過ぎません」
「あら、ただの伯爵家の次男がアカルディの次期王配にはなれないでしょう? ましてやこの世のものとは思えぬほど美しいんだもの」
どうやら考え事をしているうちに終わったらしい。皇女の言葉に激しく頷く針子達の神像でも見るかのような目つきや、皇女の我が物顔に居た堪れない気持ちになり、長く息を吐く。
女性が苦手という訳では無い。必要ならばコミュニケーションはとるし、性別関係なく人には出来る限り親切にしたいと思う。けれどエステルという婚約者がいる僕に対して、そういう視線を向けてこられれば倫理観を疑ってしまうし、崇拝するような視線を向けられると当然萎縮する。
しかし、なんでも自分の顔は女性受けのする形らしく、そういった目で見られることは少なくなかった。それは、苦手だった。
……エステルは、いつも僕をどんな目で見ていたのだろうか。アンジェリカ殿下が「お姉様は私より少し黄色みの強い緑色」だと語っていたその瞳を、いつか見てみたいと思っていた。こんな調子で、叶う日が来るのだろうか。
──……必要ありません。
弁明を拒絶した、エステルの冷たい声。折角ここ最近は歩み寄ってくれていたのに、また心が遠く離れてしまったのをひしひしと感じた。こんな事になるのならさっさと手を出して、名実ともに自分のものにしてしまえば良かった……なんて最低なことを考えたりもして。
「……あそこにいるのは、お兄様とエステリーゼさんではなくて?」
頭の中に思い描いていた人物の名が皇女から出てきてハッとする。彼女の視線を追って窓の外に目をやれば、エステルと皇太子殿下の二人が庭園を並んで歩く姿があった。
「ふふ、まるで恋人同士ね」
クスクスと愉快そうに口を歪める彼女に嫌悪感が募る。しかし僕の目から見ても、全くそうは見えないと否定することは難しかったから尚更苛立ってしまう。
ディアーク皇太子殿下はエステルと同い年で、とても仲がいいのは有名な話である。この先もアカルディとヴェルデの友好関係は続き、より強固なものになるだろうと言われている程に。ただそれはあくまでも友情で、男女の仲にはなり得ないことは分かっている……が。
「ねぇセオドア。知っているかしら? お兄様が婚約者を未だにお決めにならないのは、エステリーゼさんを諦められないからという噂があるのよ」
「……仮にそうだとしても、二人が結ばれることは有り得ないでしょう」
もしも二人が王位を継ぐ者同士でなければ……もしも結ばれる可能性が少しでもあったならば、僕は彼女をどこかへ攫って閉じ込めてしまっていたかもしれない。
そんな考えの僕を嘲笑うように皇女は語る。
「有り得ないなんてことはないわ。建国以来第一王女が絶対に女王となっているアカルディではそうでしょうけれど、お兄様は分からないわよ? 皇子は三人いるのだもの」
「……そんな話を聞かせて、僕に何を求めているのですか」
「事実を述べただけよ。あの王女に捨てられても、私が貰い受けるから安心してね。それとも貴方から王女を捨てる? セオドアに非の無い形で婚約破棄出来るよう協力するわよ」
……どこの国の言葉だったか、口は災いの元とは上手く言ったものだ。余計な事ばかりを言う上、エステルに変な濡れ衣を着せるつもりだというこの人間を、いっそのこと僕が殺してしまおうか。誰にもわからないように。事故や自殺に見えるように。完璧にやり遂げる自信がある。女王を守る為には手段を選んでいられない時があるからと、次期王配教育には拷問や洗脳、暗殺の方法などおおよそ表には出せないものがあるのだ。
「まぁ、怖い顔しないで。冗談よ」
考えが顔に出ていたのか、それでも怖がる素振りもなく皇女は笑った。僕は取り繕う事を放棄し、投げやりに問いかける。
「……もう戻っても?」
「仕方ないわね。また後でお茶に招待するわ」
アカルディ語を喋れるヴェルデ人は殆どいない。大陸共通語となっているヴェルデ語はアカルディでも第二言語としての習得率は高く、態々小国の言葉を覚える必要がないからだ。
だからアカルディ語を喋るのはアカルディ人か、よく外交をする者か──皇女や、彼か。
「そういえば、お前あいつらの邪魔しに行かなくていいのか?」
窓から2人の姿が見えた所に駆けつけると、小さめの話し声が聞こえてきた。あいつらとは僕と皇女のことで、アカルディ語で喋るのは一応の盗聴対策だろう。エステルの答えが気になり、気配を消して離れた茂みに隠れる。
「……分からない」
相手が皇太子殿下だからだろうか。昔は僕にだけ聞かせてくれていたような弱気な声で、エステルはそうぽつりと零した。本当に二人は……先程の皇女の言葉がリフレインして、唇をぎゅっと結ぶ。
──しかし。
「昨日ね、やっと分かったの。セオドアが……本当に私の事好きなんだって」
思わず、え、と声を出しそうになった。
「は? 今頃かよ。おっそいな」
「ふふ、そうよね」
何とか堪えられたが、驚きのあまりバクバクと鳴る心臓の音が彼女らに聞こえないか不安になる。
建国パーティーの夜に和解した後でさえ、まだ完全には信じきれておらず、心に保険を掛けているようだったエステルが。
──私の事、疎ましく思っているではありませんか。いつも私から離れたいって、本当は嫌いだって思っているじゃないですか。……だから婚約解消を……。
昨日の夜だってそう言っていたエステルが、まさか。
きっかけがなんであれ、やっと……想いが届いたんだ。目頭が熱くなる感覚がして抑えるように指をあてる。しかしそれなら何故、弁明は必要ないと言ったのか。と浮かんだその疑問はすぐに解消された。
「私にとって最優先なのはアカルディ。だからせめて2番目はセオドアにしたいって思ってるのだけれど……。2番目どころか、何よりも1番大事に出来ていないのが彼かもしれない。今だって脅されてるだろう事を知っていながら、あえて助けないし話を聞いてやることさえしないのよ。でも、それが最善だと思っている」
エステルも何か事情があって動いているらしい。僕が態々弁明するまでも無く、彼女は知っていたのだ。だと言うのに僕は、エステルに冷たい態度をとらせて……それを真に受けて落ち込んで。
大事にされなくてもいい。エステルが大事なものを、一緒に守らせて欲しいだけで。だから彼女がそんなこと気に病む必要などどこにも無いのに。
「好かれてるって、やっと信じられたけど……こんな私じゃ愛想をつかされるかもしれない。ううん、もう既に嫌われたかも……」
今すぐに出ていってそんなことないと抱きしめて、許しを乞いたい。……けれど、僕が何も知らないことが最善だとエステルが言っていたからには、我慢しなければ彼女の思いを無駄にすることになる。
衣装部屋からここまでくる間に脳内でかなり綿密に練っていた、皇女の殺害計画が霧散していった。僕は脅されて、エステルにも話を聞いて貰えず、気まずいまま皇女の言いなりになっている。それが彼女の望みなら、その通りに動くだけ。
──もっとも、エステル自身に危険が迫るようなら、いくら彼女の願いであろうとすぐにでも皇女は捨ておくが。
「そんなことねーよ。ちゃんとセオドア卿に伝わってるって、お前の気持ち。……な?」
……口ぶりから察するに、どうやら皇太子殿下は僕に気づいているらしい。二人の声がギリギリ聞こえる離れた死角に気配を消して隠れているのによく分かるものだ。僕がいるのが分かっているなら、そんなに仲良くする様を見せつけないで欲しいと思うのは理不尽だろうか。
「……そうね。あと少し、頑張らなきゃ……」
決意を固めるようなエステルの言葉を耳にするのを最後に、その場からそっと立ち去った。