10話
「……遂にやってしまったわ」
自己嫌悪に耐えられず死にそうだ。転移した先の庭園に面した回廊をトボトボと歩きながら、自分の行いを振り返っては項垂れる。『好きでもないのに抱けるわけがないだろ』というコルの言葉通り、結局手を出そうとはしなかったセオドアに対して露骨に落ち込んでしまった。それでネガティブ思考に陥ってしまい、あんなにグダグダと皇女の良いところを並べ立て自分を卑下し、それでも私を選んでくれることを期待したくせに、やっぱり怖くなってアンジェリカの名を出した。更に馬鹿な私はそれが名案に思えた。だってそうすれば婚約解消することになっても、無関係の他人にはならずに済むから。
そうして短絡的に考え思いつくままに口にすると、セオドアから初めてと言ってもいいくらい強い口調で名を呼ばれて。
──エステルは……本当に僕のことが好きなんですか?
──……セオドアがそれを言うんですか?
それまでの私の発言を思えば当然のセオドアの疑問に対して、あろうことか逆ギレしてしまった。これが最大の自己嫌悪ポイントである。
……それに、疎んでいるだろうとか離れたがっているだとか言ってしまったが、それは今まで聞いたセオドアのコルの声の言葉で。つまりは実質私心読めますよ宣言のようなものだった。にも関わらずセオドアは聞いた。誰かに何か吹き込まれたのかと。心を読める可能性なんて、そんな発想は全く浮かんでないかのように。
もし普段からそう疎ましがっている心の声が正しければ、多少なりとも心を読まれていると疑うだろう。聖女の魔法は本当に色々あるから、全く有り得ない話だとは思わない筈だ。けれど彼のコルさえ、心を読まれているかも等とは一切考えていなかった。
つまり全く心当たりがないということで──彼のコルは本当に間違っていて、セオドアは心から、私のことを……好きでいてくれたんだ。
こんな時に確信してしまった。セオドアを傷つけて、泣かせて、あんなに優しい彼を怒らせて、やっと理解した。
「どんな顔して……会えばいいの……」
自分を好いてくれている人の気持ちを、魔法を過信して疑って、遠ざけて傷つけて、他の人を充てがおうとして。好きな気持ちを疑われるのは辛いことだ。現に私はすぐカッとなって逆ギレしたのだから。控えめに言ってもクズで最低で、どれほど詫びても足りないように思う。少し冷たい夜風が私を責めているようだとさえ感じた。適当に引っ掴んで来ただけの外套では思ったより寒くて小さくくしゃみをする。
……けれど、それでも。謝らなければ始まらないのも事実で。
流石にすぐに戻る勇気はないが、落ち着いたら戻ろう。誠心誠意謝って、私でよければ……ずっと一緒にいて欲しいって伝えよう。
そう考えて長い溜息をついた時。
「あら、エステリーゼさんじゃない」
「第三皇女殿下……と、皇弟殿下……」
向かいからやってきたのは今あまり顔を見たくない皇女と、狸爺こと皇弟だった。皇弟には色々と思うところはあれど一応礼儀として丁寧に挨拶をしておけば、彼はニヤリと笑って皇女の背を押した。
「お前はこの後用事があるのだろう。もう行きなさい」
「まぁ、お気遣いありがとうございます、叔父様。それでは御機嫌よう」
『ベール女がここに居るってことは、セオドア様は今お一人なのね。チャンスだわ!』
「待っ──」
セオドアを一人にしない為に同室にしたというのに、私は馬鹿だ。慌てて走り出した皇女を引き留めようとするが、そんな私の前を皇弟が立ち塞ぐ。
「久しいな、アカルディの王女よ。暇なのだろう? 折角だからこの爺の話し相手をしてくれ」
「……有難いお誘いですが、」
「では参ろうか」
断る隙も与えてくれない、この有無を言わせぬ横暴さ……人の出来た皇帝陛下と兄弟とは、血の繋がりで似るのは所詮見かけだけか、などと思った──その時。
『ドロテーアが上手くやってくれれば殺害の動機に説得力が増すが、どうだろうかな』
「───!」
前後が不明な為ハッキリとは分からないが、聞こえてきたコルの声の不穏なワードから察するに、どうもこの狸爺またよからぬ事を企んでいそうだ。
誠に遺憾ながら、セオドアの事を考えている場合ではないらしい。ウジウジしていた気持ちを切り替えて、情報収集に専念する為彼に続いて歩き出す。
「……気の利いた話も出来ませんが、私でよければ」
「良い。兄上もディアークも、随分とそなたを気に入ってるようだからな。興味があったのだ」
『アカルディなどという小国はすぐにでも植民地支配してしまえばいいものを……兄上は腑抜けている。そもそもこの聖女の末裔だとかいう変な力を持った連中は根絶やしにせねばならぬのだ。現にアカルディに近いエントリヒ領ではこやつらを崇拝してるというではないか』
「……身に余る光栄に存じます」
セオドアで振れ幅の大きすぎる本人とコルのギャップに慣れているからいいが、この狸爺も大概である。しかし根絶やしという言葉から推測するに、私を殺すつもり……だろうか? イマイチ確信的な事を話してはくれない。皇女の頑張り次第と言っていたから、恐らく彼女は絡んでいる筈なのだけれど。
「第三皇女殿下とは、何のお話をされていたのですか?」
「ああ、もう3日後には誕生日だからな。たまたま会ったから祝っていたのだ」
「まぁ、優しい叔父様なのですね」
意識を向けるため、敢えて皇女の話を振ってみる──と。
『……誕生祭で死んでもらう予定だがな。それもお前の指示で』
下品な笑みを浮かべた皇弟のコルが私を見て笑った。この狸爺は……建国パーティーの時のディアーク暗殺計画のような事を、またしようとしているのか。懲りない爺だ。いい加減にして欲しい。
「あの子はそなたの婚約者に横恋慕しているだろう。すまないな」
『王女に殺人未遂を起こさせ失脚させればあの若造を奪えるだろうとドロテーアにアドバイスしてやったが……未遂では開戦の理由としては弱い。婚約者を奪われそうになったこの王女が、嫉妬に狂いグローセ・ベーアに依頼して皇女を殺害。大事な娘を殺された皇帝はアカルディに宣戦布告──この方が良いだろう。本当はドロテーアを先に殺しておいた方が楽だが……やはり言い逃れの出来ぬよう誕生祭の場まで待つ方が良かろうな』
「いえ、構いませんよ」
下手なことをいえばその動機とやらの揚げ足取りにされそうなので、無難に返す。皇女と皇弟がグル……と見せかけて、皇女は良いように使われているだけのようだ。
グローセ・ベーアとは7人からなる暗殺者のグループである。どれだけの騎士や魔法士で囲み守ろうとも確実に依頼を完遂することからヴェルデの貴族間では「人から怨みを買うべきではない。何故ならグローセ・ベーアは貴方を必ず殺すから。 」とさえ言われてるらしい。その分法外な価格に加え、依頼の際は代理人を許さず、殺しを求める本人が直接依頼をしに行かなければ依頼を受けないのだそうだ。
これは城下町を案内するという話にも、何かありそうだとふむ。
「寧ろ皇女殿下には城下町をご案内して頂けるそうで……有難い限りです」
「そうか。そなたは懐が広いのだな」
『ふむ……あまり嫉妬に狂うような娘では無いのか? これはドロテーアの頑張り次第だな。既成事実くらい作れれば良いが』
既成事実くらいってなんだ、それ以上何があるというのか。そもそもこうしている間にもセオドアと皇女が何やらどうにかなっているかもしれないと考えると……懐が広くなんかない私は嫉妬に狂ってしまいそうだ。本当は今すぐ戻って阻止したい。でもそうしたいのはエステルとしての私の願いで、次期女王エステリーゼ・アレッサ・アカルディとしてはここに留まらなければならない。魔物の侵攻を食い止めることに忙しいアカルディには、他国と争う余裕などないのだから。戦争の火種を消し去るのは私の役目だ。
「そうだ、おい、ベラ」
急に侍女達の方を振り返り、そのうちの1人を呼び出す。私と同じクラーレットの髪をひっつめたベラという名のその女性は、人当たりの良い笑みを浮かべて深くお辞儀をした。
「これは城下の出身でな、連れていくと良い。役に立つだろう」
「……ええ、皇弟殿下とベラさんさえ宜しければ、是非」
「勿論です」
『この方がエステリーゼ王女……私が誕生祭で成りすます人』
……そろそろ情報過多で頭がこんがらがりそうだ。
『やはり見立て通り背丈も体付きも似ているな。髪の色も同じに見えるし口元も大差ないからベールで隠せば分からんだろう。……王女をグローセ・ベーアと接触させるのも、ドロテーアでなくベラに任せるか』
あぁでも、これで大体把握出来た気がする。
まとめると、相変わらずアカルディと開戦したくてたまらない皇弟は、セオドアを手に入れる為だと皇女を唆して私の怨みを買わせ動機を作り、グローセ・ベーアと接触させて目撃証言等証拠を捏造し、誕生祭でこのベラという女性に私のフリをさせて罪を認める姿を見せる……という算段なのだろう。
単純だが上手く回避するのは面倒だ。それにただやり過ごすだけでなく、出来ることならそろそろこの狸爺にご退場願いたい。そう考えると流石に私1人の手に負える範疇ではないので、少なくともディアークに協力してもらわねばならないか。
「……では、明後日よろしくお願いいたしますね。それでは私はそろそろ下がらせて頂き……」
「まぁ待て。近頃のアカルディの話でも聞かせてはくれぬか」
『あの若造と同室だとドロテーアが言っていたな。あまり早く戻られてもまずい』
必要な話は済んだので一刻も早く退散しようとするが、また引き止められる。興味なんか無いくせに、何を話せというのか。
いかにして穏便にこの場を去るかを考えていた時、足音が近づいてきた。
「エステリーゼ王女殿下!」
「……ロランド!」
「ご無事で何よりです。突然居なくなられては困りま──」
それは今晩のドア前見張り担当の一人であるロランドだった。ずっと探してくれていたのだろう、彼は息を切らせて私の側までやってくると、そこで漸く皇弟の存在に気づいたようで慌てて敬礼をとった。
「護衛の者も迎えに来たことですし、やはり今晩は失礼致しますね」
「ふん、残念だ」
流石にそれ以上粘るのを諦めたらしい皇弟は、そう言うとすぐに歩き去っていった。その背を眺めながら、やっと肩の力が抜けると長い溜息をつく。
「ごめんなさいね、それからありがとう。もう戻ります」
「是非そうして下さい。……急ぎましょう、第三皇女殿下が来ていますので」
一難去ってまた一難とはこのことだろうか。いや、一難去る前からその難は来ていたが。
皇弟が開戦のために皇女を殺すつもりならば、何としてでも彼女を守らなければ。その為には……心がささくれ立つ程嫌だが、セオドアは皇女と一緒に居てもらった方がいいかもしれない。彼ならきっとグローセ・ベーア相手でも守りきれるだろう。
ただその場合予め本当の事を話すかが問題だ。皇弟の侍女が私に成りすますということは、私を攫って監禁するつもりだろう事は想像に難くない。転移能力のある私を閉じ込めておくだなんてことを簡単に出来るはずがないので、どうする気なのかはやや気になるところではあるが。危ない目に遭うかもしれない私を置いて、皇女の傍にいて彼女を守るようにと命じて、首を縦に振ってくれる未来が見えない。
……そうして結局答えの決まらないままに部屋に辿り着いてしまった。小さくため息をこぼすと、一歩後ろを歩いていたロランドがそっと声をかけてくる。
「次何かあれば転移なさらず、この扉から出てきてくださいね。夜の散歩くらいいくらでも御付き合い致しますよ」
「……ふふ、ありがとうございます。そうしますね」
彼の優しさに感謝しつつ、そっと部屋の中に入った。嬌声が聞こえてきたらどうしようかなどと一瞬考えたが、そんなことはなく静かだった。もしかするともう帰ったのかとホッとしたのも束の間。
……応接用のソファでセオドアが皇女に唇が触れそうなほど顔を寄せる瞬間に出くわしてしまった。