<武士の挑戦>
早朝、空は煮え切らない曇天だった。非戦闘員を主張する田中を除く四人の姿は、霧けぶる沼にあった。
「送ってくれてありがとう」
「いえ、ご武運を祈っております!」
シオリの一礼にアイギール家の兵士が敬礼をして、馬車をシティエリアまで走らせていく。
「さすがにここで待ってちゃくれないか」
「彼らにとって、モンスターは普通に脅威みたいだからね」
頭を掻くヴィクトールに応えて、エゴが伸びをする。レンダリルは小柄なマイコニドを頭に乗せて、あたりを見回している。他にモンスターや野生動物の姿はなく、沼の周囲は不気味なほど静まり返っていた。
「……行こう」
シオリの湿った土を踏む音さえ、他の仲間に届くほどだった。
「――あった。これだ」
ほどなくして、四人は沼の中にある、一つの塚に辿り着いた。塚にはHPが設定されていて、これに攻撃を仕掛けると、沼地の王が発生するという仕組みだ。そうして、沼地の王を倒して、初めて塚を攻撃し、破壊することができる。
シオリはその手順を思い返して、改めて他の面子を見回した。すると、レンダリルが妙に真剣な顔で、まじまじと塚を眺めていることに気が付いた。
「……」
「ん、どうかした?」
「ああ、いや。少し、HPバーがブレて見えただけさ。眼鏡がずれていたのかもしれん」
レンダリルははっと顔を上げて、指で眼鏡の位置を直した。シオリは念のため、塚を眺めていたが、そのような現象が起こらないことを確認し、改めて武器を構える。
「じゃ、始めよう」
「おう!」
「うん」
「うむ!」
三者三様の返事を聞いて、シオリは大太刀を振り上げた。
刹那、空が一層暗くなる。沼地に一つ、また一つと鬼火が灯り、不穏な空気を滲み出し始める。
「――来る!」
塚から紫煙が立ち上るのと、シオリの声はほぼ同時だった。
煙が炎に変わり、骨で構成された手が露わになる。炎を門に見立て、割り開くが如く、杖を持った骸骨が這い出てくる。
『我が臥所を荒らすは、何者ぞ!』
「うわ……!」
かつてシステムメッセージでしかなかったそれは、圧を持った老翁の声になって、冒険者たちの鼓膜を打った。その威圧に、ヴィクトールがわずかにたじろぐ。
『ここを沼地の王の領土と知っての行いか!』
沼地の王は杖を高々と掲げる。鬼火が次々と門の形に広がって、取り巻きのスケルトンを発生させる。
『王に逆らう者に死を!』『死を!』『死を!』
彼らは弓や剣を掲げ、叫ぶ。シオリは、自らの髪が武者震いで逆立つのを感じていた。
沼地の王は、シオリたちの知っているレベルより遥かに上であった。
「ノウアスフィアの開墾でデータが改訂されてる……ヴィクトール、プレリュードお願い」
「オッケー……今日のセトリは〈猛攻のプレリュード〉からだ!」
エゴの指示で、ヴィクトールが楽器を爪弾き始める。勇壮な旋律が耳に届けば、内側から勇気が溢れ出る。
「では――〈ハートビートヒーリング〉!」
後方でレンダリルが脈動回復の魔法を唱える。HPは緩やかに、しかし堅実に回復していく。準備は十分だ。
「……〈常在戦場〉ッ、先に征く!!」
沼地の王が動くより早く、シオリは刃を構えて踏み込んだ。
「おおお……っ! 〈飯綱斬り〉ッ!!」
沼地の王を守る配下に飛びついて、その脆い骨の身体に大太刀を振り下ろす。肩から腰の骨までを、太刀の重みが一撃で粉砕する。彼女は即座に骨片を振り払い、スケルトンの視線を引き付ける。
先ほどまでスケルトンがいた場所には、より深い沼地が広がり始める。
(そうだ、こいつの配下は死んだあとのプロップが最悪なんだっけ……足には気を付けないと……)
沼地の王の配下は、死ぬ度に冒険者の移動力を落とす沼を生成する。
位置取りを間違えれば、たちまち囲まれて殺されてしまう。配下の数は冒険者より多い。シオリが一匹仕留める間に、じりじりと距離を詰める。
「〈パルスブリット〉!」
エゴが細い指を一匹のスケルトンへと向ける。雷球が爆ぜ、骸にたたらを踏ませる。
「近付かせんよ! 〈マイコニド〉、頼む!」
エゴに斬りかかろうとしたスケルトンに向け、レンダリルがマイコニドを呼ぶ。小さなかたちのそれが骨の身体に衝突し、後方へと押し退ける。同時に、再生力の上がるドルイドの領域が形成される。
滑り込んだエゴが、たたらを踏んだスケルトンへと手を向ける。囁くようなスキル宣言が、シオリの剣戟の間を縫って響く。
「ヴィクトール、これ以上スケルトンが近寄ってこないようなら、沼地の王を狙って。〈ソーンバインドホステージ〉……!」
スケルトンの身体を、幾重にも光の茨が包み込む。
エンチャンターは一人では決して強くはない。だが、こと仲間と連携する絡め手において右に出る職はない。現に、ヴィクトールが茨を撃つタイミングを狙って構えている。
冒険者たちはほぼ初戦にあるにも関わらず、最善手を打てていた。
『死を! 避けられぬ死を! すべからく死を! 死を!』
「ッ……!」
だが、吼えるスケルトンの刃を受けたシオリは、真っ先に気付く。
(攻撃力が前と桁違いだ……!)
痛みこそ大したことはなかったが、HPの減りを見てシオリは愕然とした。今の一撃で、90あるはずの自分のHPが、半分近く持って行かれたのだ。そして、HPバーというのは、パーティー全体で視認できるものである。
「シオリッ!」
シオリの側に到着したエゴが声を荒げる。
「大丈夫、まだ、耐えられる……から!」
動揺を広げないよう、シオリは歯を食いしばって大太刀を構え直した。彼女は確信する。
こんな攻撃を後衛に回したら死人が出る、と。
「くっ……!」
その間にも、スケルトンアーチャーからの射撃がシオリへと飛ぶ。すんでのところで大太刀で切り払い、彼女は笑ってみせた。
「な、言ったろ……まだ耐えられる!」
狼牙族の脚力そのままに、踏み込み、シオリは杖を翳す沼地の王へと肉薄する。曇る空と杖の間に、不穏な光が形成される。
『愚か者どもめ! 我が腐敗の術を受けるがいい!!』
老いた声が朗々と響く。シオリの足元から霧が噴き出す。それは一瞬で膨らみ、爆発し、シオリの周囲にいる全員に衝撃とダメージを与える。彼らだけではない。霧に飲まれたスケルトンさえも、沼地の王は等しく裁く。
「ん……!」
シオリの側にいたエゴが、小さくうめく。シオリはエゴをかばいながら、とっさに狼牙族として身を守る術を唱える。
「ッ……〈ムーンライトヴェール〉!!」
それは僅かながら、障壁を貼ってダメージを軽減してくれる技だ。月光が彼女を守る。それでも、HPは危険域に突入する。そればかりではない。
「げっ……!」
腐敗の魔法によってどろどろに溶かされたスケルトンは、シオリの至近距離で沼地を形成する。彼女は容赦なく足止めされる。足を止めた彼女を、スケルトンアーチャーが狙っている。
「っ、シオリ! 生命賦活――〈ヒール〉ッ!」
癒やし手の基本であるヒールは、シオリのHPを素早く回復させていく。シオリは心臓の鼓動に合わせて、ほのかな温もりが自分の中から沸き上がる感覚を覚え、息をつく。
「なるほど、前は感じ取り損なったけど、こういう感覚か。助かる、レンダリル」
「何、任せたまえ! このまま戦線維持を頼む! ヴィクトール、いけるかね!」
「行けるかねってなァ! 行くしかないだろッ――〈囚われた獅子のダージュ〉!!」
泥ごとスケルトンを蹴飛ばして、楽器片手に銀髪の青年が叫ぶ。岩に足を乗せて、楽器の弦に手を掛け、息を吸う。音の波が彼を中心に発せられ、白骨が粉々に吹き飛ばされる。
だが、彼が倒したところで、スケルトンは沼地の王の招来に答え、何度も沸き上がってくる。青年――ヴィクトールは文様のある舌で舌打ちをした。
「くそ、キリがねえ!」
「ん、出し惜しみできないね」
「エゴ、何とかできるか!」
ぽつりと言葉を漏らしたエゴに、ヴィクトールは視線を向ける。
「〈ヘイスト〉して、多段で魔法撃ってみる。できると思う。リキャストあと少し……」
エゴと呼ばれたヒューマンの少女は、すでに手元にばちばちと光を灯らせて構えていた。エゴはシオリの側から離れていない。
スケルトンの群れは四人を追い詰めている。だが、誰も怯んではいない。
「来た。〈ソーンバインドホステージ〉からの――〈パルスブリット〉!」
輝く茨が沼地の王を絡め取り、いくつもの光の弾丸が撃ち込まれる。沼地の王が叫び、光に包まれる。その輝きに、スケルトンのからっぽの眼窩が一斉にエゴへと向く。青白い炎ががらんどうの目の奥に灯っている。
(まずい、ヘイトが……!)
「いかん、ヘイトが動いた!」
シオリが気付き、次にレンダリルが気付く。そして青い顔をしたヴィクトールは、出し惜しみできないというエゴの言葉の真意を察してしまったのだろう。
まさにその時、スケルトンアーチャーから矢が放たれた。シオリはその矢の向かう先を見ていた。
矢は狙い過たず飛んでいく。胸に十字の傷をつけたワンピースの少女、その喉に。
「エゴ……!!」
「ぁ……」
小さなうめきだけがシオリに聞こえていた。しかし、シオリの守りを抜けてエゴに矢が突き刺さった瞬間を、全員が見てしまった。エゴの小さな身体が、矢の射出された勢いで吹き飛ばされる。
ヴィクトールは目を見開いて硬直してしまったし、癒やし手のレンダリルは真っ青になっている。シオリは自らの手が震えているのを感じていた。
吹き飛ばされた彼女は、動かない。HPゲージは0を指し、彼女が戦闘不能であることを否が応でも知らせてくる。
沼地の王は防げても、状況がぐるりとひっくり返ったように、シオリには感じられた。
「……エゴ?」
死んだらどうなる?
全員にその衝撃が伝わってしまっていた。ほんの数秒が、永遠に感じられるほどに。
「っ……シオリ、前線維持! ヴィクトール、シオリの引き付けている敵をダージュで攻撃! エゴに〈蘇生魔法〉を投げる時間を稼いで……ッ、ぐあ……!」
レンダリルが声を張り上げたその時、ヘイトが動いてエゴに向かっていたスケルトンが、刃を振り上げ、彼を袈裟懸けに引き裂いた。今まで攻撃に晒されていなかった彼は、死亡には至らない。しかし、元よりHPの少ない彼はその一撃で瀕死だ。
「うぅ……っ」
エゴの側に転がって、彼は泥まみれで拳を握っている。
「レンダリル!」
「って、言ったって……これ、どうすんだよ……うわっ、と……!」
ヴィクトールにも刃が向く。すんでの所で身をよじって回避した彼も、何をしていいか分からない様子で、散ったスケルトンを見回している。とても楽器を弾く余裕はない。
「うあぁっ!!」
ついに背後から切りつけられて、HPを削られる。泥の中、足をもつれさせて、瀕死になって転びそうになる。
(やばい。全滅する……!)
全滅の足音が聞こえた時、シオリは全身の毛がしぼんでいくのを感じていた。ただの少女であることが急に蘇って、彼女の骨の髄まで凍り付かせようとした。
「エゴ……」
エゴから、枯れ木のうろを通る細い風のような呼吸が聞こえる。痛覚は鈍化しているとはいえ、息苦しさが伝わってくる。
(死ぬ……ここで……?)
だけれども、彼女の心は抗った。
「っ……ぐ……!!」
奥歯をぐっと噛みしめる。歯茎が痛むほどに。そうして、正気を引き戻す。
(何やってるんだ、私……! タンクのやること、それは、ヘイトを集めること……諦めるな、攻め手も、癒やし手も、まだ落ちてない……なら、最後までやるしかない!)
しぼんでしまう勇気を奮い立たせて、彼女は吼える。
「おおおおぉぉッ! 〈武士の挑戦〉!!」
それは狼の雄叫びのように、霧を引き裂いて響き渡った。スケルトンが一匹、また一匹と、一斉にシオリの方を睨んだ。
「ヴィクトール、こっちに! まとめてダージュで叩いて!」
「分かった! くそっ、死んでたまるか……!」
背後ではレンダリルがネイチャーリバイブの詠唱に掛かっている。あと少しすれば、彼の掛けてくれたヒールの分の体力が尽きる。それまでにエゴが縛ってくれた沼地の王を叩かなければ、全滅だ。
「骨どもっ! 私を見ろォッ!!」
シオリの絶叫に、スケルトンたちは再び釘付けになる。矢が、剣が、彼女に降り注ぐ。その危機に飛び込んだ者がいる。
「させるかよおぉぉっ!」
ヴィクトールが楽器を構え、沼地に思い切り足を付ける。腕から上半身にかけて力を込めて、彼もまた叫ぶ。
「〈囚われた獅子のダージュ〉――ッ!!」
竪琴が彼に呼応し、強烈な音を鳴らす。彼を中心に発された衝撃波が、近付きすぎたスケルトンたちを木っ端微塵に砕く。その間も、シオリは走る。沼に転びそうになりながら、輝く茨に囚われた沼地の王に向けて、一歩、一歩、また一歩。
脈動回復で再生する身体もそのままに、乱暴に、大太刀を振り上げる。
「その茨、砕く……ッ!!」
シオリは渾身の力で〈飯綱斬り〉を振り下ろした。がきんと、骨と大太刀が衝突し、硬質な音を立てる。しかし、その衝撃は確実に僅かに残ったソーンバインドホステージの茨へと響く。
ぱち、ぱち。最初は静電気のような小さな音が。
ばち、ばちん。その音は徐々に大きく変化する。
やがて骨を砕く雷鳴が轟き、沼地の王にありったけのダメージを注ぐ。
「行けええええ……っ!」
エゴの執念の茨に重ねて、シオリが刃を振り下ろしきる。それはすなわち、沼地の王の骨そのものを断ち切ったということを意味する。
『オオオォォッ……!!』
怨念の籠もった声を上げて、砕かれた沼地の王がよろける。骨の端から、徐々に瘴気に変わり、最後には塚に吸い込まれていった。
あたりのスケルトンが悲鳴を上げて、沼地の王と同じように瘴気に分解され、塚へと戻って行く。
雨が、止む。しじまが戻る。
「はあっ、はあっ……はぁっ……!」
シオリはしばらく呼吸を続けていた。それしかできなかった。死ぬという恐怖、死なせてしまうという絶望、それらを打ち払うだけの狂気が、彼女の中に在った。
「……ッ、エゴ!!」
もう大丈夫だと警戒を解き、無我夢中でシオリは振り向いた。
「……。ごめん……ダンスは、苦手なんだ……」
そこに、エゴが泥まみれで座って、苦笑いを見せていた。横ではもっと泥だらけになったレンダリルが、親指を立てて弱く笑っている。
「っはー!! 勝っ……た……!!」
スケルトンの包囲から解放されたヴィクトールが、へたりこんでいる。疲労困憊の冒険者たちは、顔を見合わせ、やっと肩から力を抜いた。
レンダリルもしばらくは苦悩している様子だったが、顔を上げる。
「辛勝だが、勝ちは勝ちだ……が、まだ仕事が残っているな。シオリ、頼めるかね?」
「うん」
シオリはエゴを守り切れなかったことを内心悔やみながら、改めて塚に向き直った。
そうして、二度と沼地の王とそのしもべたちがが蘇らぬよう、大太刀を振り下ろし、塚を砕いた。
塚は、あっけないと思うほど、簡単に破壊された。
「勝ちだよ。私たちの――」
泥だらけの冒険者の頭上で、雲が晴れて天使の梯子が降りていた。
だが、誰一人として、そのきざはしを駆け上がる者はいなかったのである。