<スタンバイコーション>
「すまないな。冒険者に街の者たちは怯えているのだ。どうか、気を悪くしないでやってほしい」
アイギール邸は石造りの家であった。少し古びた風合いを出しながらも、どこも掃除が行き届いた清潔な家だった。
シオリ達は応接間に通され、それぞれに椅子に腰掛ける。シオリは緊張で唇の周りが乾いてくるのを感じていたが、出された茶に手を付ける精神的余裕は、あまりなかった。
「領主殿。何か、冒険者との間に問題があるのですか?」
「突如現れた余所者……と、言っては気分を害すだろうが、君たちは今、そのような存在だ。未知は恐怖を誘う。そうだろう?」
フィセットとレンダリルが向き合っている。その横で、ちゃっかりフレンド登録をしたエゴが、ヴィクトールや田中と何やら世間話をしている。シオリが何となく三人の視線などを追っていると、エゴが不意に念話を送ってきた。
《シオリは覚えてる? この人のクエスト、何度か受けてるよ》
《そうだっけ、かなり前のことだよね……それこそ、最初の頃の》
《そう。シオリが、初心者の頃。反復クエスト受けてた》
《あー……なんか、そんなことしてた気がするなあ……》
今となってはレベル90のシオリも、いつかはレベル1の時代があった。その頃から、エゴはよく遊んでくれたのだ。そうしたことを忘れてしまうほど、夢中で遊んだエルダー・テイルに、よもやこのような形で飲み込まれることになろうとは。
シオリは数奇な運命を、今更になってしみじみと感じていた。どうにか茶を口にしても、まるで味がしない。
「と、いうわけで、わたしから出せるカードは『当面の安全な拠点』と『アキバの状態を含む、わたしが知りうる情報』の提供、そして君たちへの協力だ。君たちには、わたしに協力をしてほしい」
フィセットの会話に意識を戻せば、丁度彼女が条件を提示したところだった。レンダリルがアンダーリムの眼鏡をくいと持ち上げて、唸る。
「我々としても、当座の身の保障は欲しい。腹も空くし疲れもする。当然、通しで歩き続けるのは無理がある。それに、渦中から離れたことによって、情報の取得にはどうしても遅れが出る。ここで一度、揃えておきたい」
彼はぐるりとシオリたちを見回して、再びフィセットに視線を戻した。
「どうだね、諸君。彼女の困りごとに手を貸せば、後援者がつく」
「内容にもよるけど、私はしばらくイズミでほとぼりが冷めるのを待つのに賛成だし、特に断る理由はないよ」
「うん。シオリがいるなら、僕もここにいるよ」
シオリが答えると、エゴは僅かに座り直して、シオリの側へ寄った。
「俺も断る理由はない。ただ、レベル差がなー……」
「それは、追い追い埋めていけるものだから、大丈夫。私がサポートする」
今となっては一蓮托生。宿の時のお返しとばかりに、ヴィクトールの自信のなさを、今度はシオリが引き受ける。
「あとは、田中が安全に生産できるところも欲しいよね」
「それだな。どっちみち、アキバに戻るかここに残るか、決めないといけないだろうし。おれはあんたたちに任せる」
シオリとしては、田中の身柄の安全も確保したいところだった。全てを聞き終えてから、シオリはレンダリルに目配せする。彼は瞼を閉じ頷いて、ゆっくり目を開いた。
「では、領主殿。そちらの内容を聞かせて頂きたい」
「うむ……君たちも、イズミに来た時、畑を見たと思う」
フィセットはティーカップを持ち、窓へと視線を向けた。ほんの少し高台にあるアイギール邸からは、実った稲穂の輝きが見えている。
「今このイズミの街には、あるアンデッドモンスターの影響が及んでいる」
「アンデッドモンスター……あっ」
田中が声を上げた。シオリは、彼とおそらく同じことを考えていると察した。イズミに来る前、確かにスケルトンに遭遇しているのだ。
「名前は?」
「名を『沼地の王』という」
「む、沼地の王だと?」
「あーっ! そいつ、俺も知ってる!」
フィセットから聞いた名前に、ヴィクトールが立ち上がりそうな勢いで声を上げる。シオリはエゴと顔を見合わせた。横ではレンダリルが首を捻る田中の横で眉を寄せている。
「ボスモンスターだ。近くから生命力を吸うとかいう……」
確かに、クエストによっては、モンスターが田畑を荒らすので退治してほしいというお決まりの文句と共に、ささやかな設定がついている。
『沼地の王』もその類いである。名前の通り、スケルトンの取り巻きを従えて、時間経過で沼地にスポーンする。広範囲魔法攻撃と取り巻きによる集団攻撃でプレイヤーを圧殺する戦法を取るため、相対するならば単独行動は厳禁である。
とはいえ、沼地の王は比較的初心者向けのボスである。慣れて来た冒険者がパーティーを組み、連携を取って戦うのに丁度良いバランスのモンスターとして、沼地先生などと呼ばれたりしたものだった。
それが、土地に実害を加えているらしい。
「……っ、まさか、ボスモンスターの存在が土地そのものに影響を出しているのか?」
レンダリルが頭の中で情報を揃えたのか、顎のあたりに手をやってそう呟いた。
「そういうことだ。我々としても突然のことで驚いていてな……」
アイギールとしても、今までそんなことはなかったと言わんばかりに眉を寄せている。
「……ノウアスフィアの開墾」
シオリが呟き、エゴが頷いた。
現実ともゲームともつかない世界で、ただその言葉だけが、冒険者たちに『知らないことが存在するという』ヒントを示していた。
《受けよう。レベル的に戦えない相手じゃない》
念話の後、シオリがレンダリルに目配せをする。彼は頷いて、口を開く。
「沼地の王の討伐、我々が引き受ける。さしあたって、依頼完了後、アキバの状況の伝達、それから……できれば蔵書を見せて頂きたい」
「蔵書? 確かに、屋敷にもいくつかあるが……」
レンダリルの提案に、シオリも首を傾げる。彼は眼鏡を光らせた。その後ろで、明るい緑の瞳がほんのりと翳る。
「領主殿。我々は現段階で知識不足です。無論、今まで世界に多く触れてきてはいますが、元ある知識だけでは対抗できない可能性が出てきています。改めて、私はセルデシアという世界について、再認識がしたい」
「それならば構わんさ。書庫に通すよう、使用人たちに伝達しておこう」
「ありがとうございます」
その白い頭が深く下げられたのを見て、エゴとシオリは念話を投げ合う。
《やっぱりレンダリルって社会人?》
《多分、そうじゃないかな……ま、助かるよ》
あいにくと、この五人の中にリアルで知人同士の者は存在しない。皆、それぞれの素性を知らないのだ。
だけれども、今はその距離感がシオリにとって好ましかった。変な詮索なんてしない方がいい。その方がずっと、心が楽であるから。
「その間、田中を頼みます」
彼女はそれだけ告げて、立ち上がる。
「承知した。我々がきちんと保護しよう」
「助かる~っ、ありがとうな……」
「出立は早い方が良いが、冒険者殿もお疲れだろう。明日、頼む」
全てが探り探りの中、田中を除く四人は沼地の王と戦うことを選んだ。
気付けば外の稲穂が夕陽を浴びて、いつの間にか一層黄金に輝いていた。
「……あっ」
ぐう。と誰の腹が最初に鳴ったのか。緊張していた冒険者たちは、今まで誰一人として食事をしていないことに気が付いた。
「そういえば、何も食べてねえな……」
ほのかに顔を赤らめて、ヴィクトールがはにかんだ。レンダリルも苦笑いして、腹をさすっている。シオリもエゴも、この世界でも腹が鳴ると分かって、急におかしくなって口元を緩める。
「では、夕食を用意させよう」
「ああ、いや。私とレンダリルが料理人だから、何か作ります。自分の手で、作ってみたくて」
「それならば、食堂に案内しよう」
フィセットの気遣いはとても嬉しかったが、シオリはサブ職業である料理人の力を試してみたくて、そう申し出た。そうすると、フィセットは皆を食堂へと案内してくれた。
「っし、それならおれに任せてくれよ! 素材はいっぱいあるんだ!」
ここぞとばかりに立ち上がるのが田中だった。彼はカバンに飛びついて、いそいそと中から素材を出してくれる。
「ドラゴンの肉があるけど喰う?」
「いいね、ドラゴンステーキ!」
ファンタジー世界に来て、ファンタジー料理を食べないわけにはいかない。シオリは田中から材料を貰って、手早くスキルリストから選び、料理を作る。何せ煙のようなエフェクトが出て、すぐにできあがる。
レンダリルと二人がかりで作れば、あっという間に机の上に料理が並んだ。
「おおー……すげー……」
「ファンタジーのご飯だ……」
「ほう、これが冒険者の力か。便利だな」
見目も華やかで、ボリュームもたっぷりなフルコースに、皆の心は一つになった。フィセットも好奇心をそそられたといった様子で、椅子に座って微笑んでいる。
「よ、よし。それじゃあ……いただきます!」
ヴィクトールの一声と共に、全員が行儀良く「いただきます」と唱え、肉や野菜を元気よく頬張った。
「……」
「……」
「……。食品サンプルって、こんな味かな……」
初めてのファンタジー飯は、しけった煎餅のような虚無の味がした。
◆
(お茶の味がしなかったの、あれは緊張じゃなかったんだな……)
食事とブリーフィングを終え、自室に戻ったシオリは、しみじみと会議の時に含んだ茶のことを思った。どうやら、この世界で食い道楽というのは難しいらしい。そう思うと、何だか人生の楽しみが減ってしまったようで、がっかりと肩を落としてしまう。
(睡眠とか他の部分は普通なのに、なんで食べ物だけ……ふあぁ……)
あくびを一つして、ベッドに伏せ、じっとしていれば眠気が襲ってくる。食い道楽はダメそうだが、寝ることはできると知れば、多少は気も楽になる。
「……ん」
そうしていると、耳に不慣れな音楽が聞こえてきた。ぽん、ぽぽんとぎこちなく弾かれるのは、竪琴だ。
(ヴィクトール、こんな時間まで練習してるのか……)
眠くなりかけた身体を起こして、シオリは宛がわれた自室から隣の部屋へ向かう。
「ヴィクトール?」
「ん、ああ! 悪い、起こしたか……」
何気なく呼びかけてみれば、扉の奥からはどたばたと音がした。ほどなくして、ヴィクトールの部屋が開かれる。
「あ……マイコニド」
机の上では音を聞いていたのか、レンダリルの連れるマイコニドが座っていた。シオリに気付くと、ぴょんと立ち上がって、その場でくるくる踊り始める。
「こいつなあ、どうも一匹で勝手に動いてるんだよ」
「レンダリルが使役しているなら、彼がやっているんじゃない?」
「いや、さっき蔵書室に行ったら本に埋まって寝てた。エゴもすぐ戻るってさ」
「へえ……いや部屋に連れて行ってやりなよ……」
「いや、マイコニドは可愛いし、いいかなって」
明日は早いのにとシオリが呟く間も、マイコニドはくるくると踊り続け、ヴィクトールの竪琴をせがむ。彼は竪琴を鳴らしながら、人好きのする笑みを見せる。
「不思議なもんでさ。弾けるんだよな」
「竪琴?」
「そう、俺は竪琴なんて触ったことないのに、なんとなくは分かるんだ」
確かにヴィクトールの指先はぎこちなかったが、彼は誰にも教えられていないのに、音の鳴らし方が分かるのだという。
「ふーん……? 確かに、私も普通に剣が振れたなあ……」
シオリは自分が武器を抜いた時の感触を思い出していた。いちいちメニューを開いてスキルを叩くというのが手間で、そのまま刀を振り抜いた。だが、それでよかったのだ。スケルトンを砕いた時の感触に思いを馳せれば、まだほんのりと実感が手に残っている。
「私たち、メニューなしでもスキルの実行、いけたりするのかな?」
「かも……それっぽい、感じはあった」
来歴もごくごく普通の二人は、同じように腕を組んだ。何もかもが手探りで、頭を使う。シオリも椅子に座って、ふーっと長い長い息をついた。
「なあ、シオリって学生?」
「いや、社会人」
「そっか。俺は高校生。マジで普通の、なんでもないやつ」
ふとヴィクトールから質問を投げかけられ、シオリは頷いた。そうすると、彼は竪琴を練習しながら、にっと笑った。
「びっくりするよな。昨日まで普通に試験勉強してた高校生が、自分の作ったアバターそのものになって冒険しようとしてんの」
「私はそんなに変わらないんだよなあ。ちょっと、髪の毛が多いぐらいで」
きっとお気に入りのアバターだったのだろう。ヴィクトールは自分のさらさらの銀髪に触れて、時折満足げな表情を見せる。シオリは自分の髪の量が増えたこと以外、まったく変わらないアバターだったので、その様子をちょっと羨ましく思った。
「ヴィクトールはどうだった? スケルトンと戦ってみて」
「あー、すっげー怖かった! はー、もうちょっとかっこよくやれると思ったんだけどな」
ヴィクトールは唇を尖らせた。彼は格好良く振る舞おうとしているようだが、根は素直で純朴だ。それは、ここでは美徳だった。
「ヒーラーいても、死んだらどうなるんだろってちらついたら腰が引けた」
「分かる……同じ背の高さでも十分怖い」
「シオリぐらいのレベルでも怖いんだな……意外」
「あ、当たり前だよ。中身は普通だし」
レベルが高いからといって、中身まで超人というわけではない。それをシオリは痛感していた。自然と、ぎこちない演奏の中、見えない音符を追うように天井を仰ぐ。
「……私だって、明日があるはずだったんだ」
そう、シオリにだって明日があった。少なくとも、冒険とは無縁だった。だというのに、体はすっかり旅慣れしてしまっているようで、あれだけ歩いたのに明日になったら歩けるような気がしてくる。
まるで、エルダー・テイルでシオリという狼牙族が生きてきたかのように。
「全部欠席だなぁ、あはは」
「やばそう……」
「マジで模試やばーい!」
顔を見合わせて、二人は情けなく、けれど朗らかに笑った。心の中に確かにある、今までの記憶。それを確かめれば、おのずと本来の自分――黒畑詩織の輪郭が見えてくる。
そうすれば、不思議と大丈夫なような気がしてくるのだ。魂の自重を支えられるだけの力があるような、そんな気持ちになってくる。
「ん、ありがと。眠れる気がしてきた」
「そっか。起こして悪かったな」
いつの間にか、マイコニドが踊るのを止めて机の下に丸まっている。ヴィクトールも竪琴を弄るのを止めて、うーんと両腕を天井に伸ばした。
「明日頑張ろうな」
「うん。頼りにしてる」
もはや、人を分かつのはレベル差ではない。立ち向かうか、否か。そのスタンスだけだ。
シオリは立ち上がって、ふるふると犬のように頭を振り、ヴィクトールと同じような伸びをした。着実に依頼の時は迫っている。クエストと言ってしまえばそれまでだが、今まで通りに行かないことは確信していた。
しかし冒険者たちの思惑をよそに、世界はめまぐるしく変わっていく。
権力争いから逃れ、アキバから離れた冒険者たちも、奇しくもその激動の渦に飲み込まれようとしていたのである。