<オブザーベイション>
穏やかなはずのイズミの街に入ってからも、大地人からの視線はどこかよそよそしい癖に、冒険者たちに絡みついた。
「何か、感じ悪いなー……」
田中が言うことはもっともだった。シオリも居心地の悪さに、ぶるぶるっと濡れた犬のようにポニーテールごと頭を振るった。
「はて、この時期、イズミは収穫祭だが……どうにも、収穫祭のしの字もないな」
レンダリルがきょろきょろとあたりを見回している。ヴィクトールもどこか気まずそうである。ただ一人、エゴだけが表情を変えず、大地人たちの様子を眺めていた。
しばらく様子を見ていた彼女が、不意にぽつりと呟く。
「見てる。話してる」
「特定のメッセージだけじゃなくて?」
シオリの問いかけに、エゴは小さく頷いた。
「どうなってんだ……?」
状況が飲み込めないヴィクトールも、怪訝そうな顔をして、レンダリルと一緒に右を見たり左を見たりしている。
「うーむ、マイコニドもそうなんだが、行動が多様になっているというか……これは単純に、NPCと見ない方がいいかもしれんな」
頭の上のマイコニドをちょいちょいと指先で遊んでやりながら、レンダリルがため息をついた。無邪気に彼の指先にじゃれつくそれを見て、シオリも渋い顔で唸った。
「私、コミュニケーションは苦手なんだけどな……」
「僕も……」
「俺も……」
「おれもー」
「……何? 交渉役は揃って辞退かね?」
シオリたちは一斉に、力強く首を縦に振った。レンダリルは戸惑いの表情を見せたものの、すぐにくいと眼鏡をあげて不敵に微笑んだ。
「ふ……よかろう。若人たちのためにひと肌脱ごうではないか。任せたまえ!」
自信ありげな顔を見て、シオリはほっとした。
「交渉役は決まりだな。宿行こうぜ宿」
「さっき財布の中身を見ていたが大丈夫なのかね、若人よ」
「うっ……いやそれは。ごほん。ほら、あっちだ、あっち!」
ヴィクトールが指差す先には、閑散とした通りと、通りに面した宿があった。
「うん、結構な距離歩いたし……僕は一度休みたい」
「実際、大地人たちがどういう対応をするのか直に見てみたくはあるしな……うむ、善は急げだな!」
「へへ、交渉役のお手並み拝見と行くぜ」
レンダリルもヴィクトールの提案に乗り気なようで、一足先に宿へと入っていこうとする。そんな様子を一歩引いた位置で見て、シオリは肩をすくめた。
彼女が宿に入ると、レンダリルと半信半疑な様子の宿の親父が、丁度収穫祭について話しているところだった。エゴは手持ち無沙汰にヴィクトールの方を見ているし、田中は傍観の姿勢だ。
「ほうほう、収穫祭では、どのようなことを?」
「この時期は、夏野菜の収穫が始まります。由緒ある祭りですから、この時期は記念で宿代が無料なのです」
「では五人、宿は頼めそうかね?」
「どうぞ、お受け取りください……」
「……助かる。ありがとう、亭主殿」
シオリから見ても、宿の親父は決して無機質ではなかった。ただただ、よそよそしいのだ。かといって、よそよそしさを問い詰めるほど、彼女たちもイズミの事情が分かっているわけではない。
《難しいな、断絶を感じる》
《イズミ自体に、すでに問題が発生しているってことかな……いや、単に冒険者はよそものだから?》
結局は、レンダリルから借りた個室の鍵を受け取るだけになってしまった。念話で彼とやりとりをしながら、シオリは唸った。
「ともかく、一旦休憩しよう。長距離歩いたし」
「うん。後で、他の人にも聞こうか……親父さんは、なんか怖いし」
小声で答えながらエゴが鍵を受け取って、足早に二階へ向かっていく。
「やれやれ。やっと一安心だ。助かったぜ」
「はーっ、疲れた……これからどうするかな、ほんと……」
田中とヴィクトールも鍵を受け取り、番号を確かめてエゴの後ろをついていく。あとにはシオリとレンダリルが残る。シオリはなんとなく彼の半端な82というレベルを見て、問う。
「その半端なレベル、もしかして復帰勢?」
「ん? ああ、まあ、そういうところだな。だが、それはエゴもそうだろう?」
「エゴは複キャラでやりくりする派だったから。あのキャラクターは私と狩り場のレベルを揃えてくれてるんだ」
「なるほどな……ということは、アップデートの時、最新レイドより何より君を気に掛けたというわけだ」
「……そうなるのかな」
他人にそのように言われると、なんだか照れくさい。頬のあたりを掻いて、シオリはむずがゆい口元を軽くもごもごとさせた。
そう、エゴはおそらく自分に声を掛けようとしてくれた。だからこそ、ほんの一回りレベルの低い彼女を守りたいとも思うのだ。だけど、どうやってと聞かれれば、答えは出ない。
「困ったら相談しろとは、窮屈で好きな言葉ではないのだがね。敢えてこう言おう」
沈黙するシオリの横にいて、レンダリルは微笑する。互いに向き直ると、彼は己の胸に手を当て、シオリに深い一礼を見せた。
「道に迷う若人よ。真摯に物事を問うならば、このドルイド、君に頭を垂れて進言しよう」
ドルイドの元ネタは遠いケルトの地の僧侶だと、王や高い身分の者に物申すこともあったのだと、シオリはどこかのサイトで見たことがあった。そのいやに徹底したロールプレイが嬉しい反面くすぐったくて、彼女は眉を下げて困ったように笑った。
「悪い気はしないけど、それ、ロールプレイ?」
「無論。とっておきだとも」
「ふふ、悪くない。じゃあ、一つだけ」
シオリはいつの間にか強ばっていた肩から力を抜いて、レンダリルに問いかけた。
「料理できる?」
「うむ、私のサブは料理人だぞ」
「そっか、食事当番が二人で助かったよ」
「良いな! 後で早速生産してみることにしよう。改めてよろしく、シオリ」
「ああ。よろしく、レンダリル」
一つ何気ない握手をして、二人もそれぞれの個室へと向かった。
転機があったのは、それから三十分ほどした後のことだ。
◆
宿の玄関が開く。居眠りをしていたシオリは蝶番の音と、金属鎧の擦れる音で目を覚ました。起き抜けには辛い音だと、目を擦って身を起こす。
「失礼。ここに《冒険者》がいると聞いたのだが、相違ないか」
大人になりきらぬ少女の声だ。宿の親父は頷いて何事かを少女に伝え、明らかにシオリたちの方へ向けて声を掛けた。
「お泊まりの皆様、お客様です」
《客って……どうすんだ?》
《ピンポイントで我々に用事か……どうするね?》
ヴィクトールとレンダリルから念話が入る。エゴはすでに様子を伺っているのか、返事がない。シオリはベッドから降りて、髪を束ね直す。
《私が行く……少し待ってて》
《な、何かあったら言えよ!》
何が起こるか分からない現状、めいめい警戒はしているようだった。ヴィクトールの念話に背を押され、シオリは勇気を出して扉を開き、階段を降りる。横目で見れば、みんな扉をうっすら開けていたり、身を乗り出したりしている。ほどよくシオリの肩の力が抜ける。
「……」
一階に立っていたのは、やはり少女であった。鎧に身を固めた従者を連れ、両脚でしっかりと立っている。長く整えられた柔らかそうな金髪に、あどけなさの残る顔。身軽なドレスの上に、皮の胸当てをつけている。その『設定』を知らなければ、彼女は冒険者を前に緊張する、どこかの貴族のNPCというだけで終わったろう。
実際に、シオリは彼女が何者であるかを看破できなかった。
《……フィセット・アイギールだ》
最初に念話で声を上げたのはエゴだった。
《え、誰?》
《フィセット・アイギール。若くしてイズミ一帯を任される辺境の貴族、アイギール家の少女という設定の大地人だな。つまりは領主様だ》
《まじ……?》
シオリと同じく事情が掴めないヴィクトールに、レンダリルが補足をする。そうした念話を小耳に挟みながら、シオリは少女に向き直った。
「私たちを呼んだのは、あなたですか?」
「いかにも。君たちが《冒険者》ならば、わたし、フィセット・アイギールの求める相手だ」
背丈に反した、凜とした声が心地よい。シオリは彼女の青い瞳をまっすぐと見て、頷いた。よくよく見れば、細身のレイピアを帯剣している。それは彼女の覚悟の証のようだった。大人しく腰に下がっているが、柄の飾りから何まで、鋭利に光っている。
少なくとも嘘を言うような相手ではない。そう思ったシオリは、小さく頷いた。
「うん、確かに私たちは《冒険者》です。そう、呼ばれてるはず」
「そうか、良かった……」
フィセットもまた、シオリの誠実な対応にほっと胸を撫で下ろした。少女の顔立ちから、わずかに緊張が緩んで消える。だが、それも一瞬のことだった。
「わたしは駆け引きは苦手でな。単刀直入に言おう」
彼女は再び鋭い眼光を宿し、シオリに、そして様子を見る冒険者たちに呼びかける。
「早馬でアキバの状態は聞いている。君たちの状況について話がしたい。できれば、君を案ずるご友人も一緒に」
どうやら、フィセットにはエゴたちの様子はお見通しのようだった。シオリが二階の吹き抜けに顔を上げると、警戒を露わにしたエゴが立っていた。
「だ、そうだけど。お茶会は好き?」
「……ん。行く」
「はーっ、びっくりした……何か文句言われてとっ捕まるのかと思ってたぜ」
エゴが小さな足音で階段を降りてくる。その後ろから、気疲れを起こした顔でヴィクトールがついてくる。その更に後ろから、レンダリルもやって来た。
「レンダリル、後の交渉は任せていい?」
「構わんよ」
先ほどのやりとりで、レンダリルとの意思疎通はかなり楽になった。交渉は任せて休もうとしたシオリの向いている方角から、声が掛かる。
「おおーっと、お前らにばっかいいカッコはさせないぜ!」
「お前ーっ、今起きて来たんじゃないのか?」
「ヒーローは遅れてやってくるんだよっ」
「今あらかた終わったぞ!」
「マジで!」
ちょっと遅れてやってきた田中を、ヴィクトールがからかう。二人のやりとりを見たフィセットの鈴を転がすような笑いが、束の間、冒険者たちの心を癒やしたのだった。