<スクランブル>
「あ、そうだ! 猫!」
しばらくエゴと奇妙な見つめ合いをしていたシオリは、はっと我に返って後ろを振り返った。猫の耳は認識していたが、それが何であったか確認することすらままならなかったのを思い出したのだ。
隣にとことことやってきたエゴもそのままに、シオリはその輪郭を確認する。
「は……はひっ、た、助かったぁ……! あんたら、強いんだな……!」
「……猫じゃない、猫人族だ」
よくよく見れば、それは猫人であった。名前欄を見れば、燦然と輝く卍二つの間に田中商店と記されている。
(ろ、露骨な倉庫キャラ……!!)
すんでの所でツッコミを飲み込み、シオリは黙った。が、その側でヴィクトールが耐えきれず吹き出してしまっている。田中は毛並みを軽く逆立てながら両手を振る。
「わわわ、笑うなよ。まさかこんなことになるとは思わなかったんだ!」
「くくっ……わ、悪い」
「あんたたち、〈エルダー・テイル〉の〈冒険者〉か?」
シオリはこの場に集まった他三人を見回した。ついでにパーティーリストを見れば、ちゃっかりエゴと田中がパーティーに入っている。
「私はそう。皆は?」
「俺はプレイヤーだ。アップデートが終わったって思ったらこんな感じで、何が何やら」
ヴィクトールがまずは頷いた。気まずそうに頭を掻いている。
「私もそうだな。偶然、仕事を早引きした結果がこれだ」
レンダリルも首を横へ振った。いつの間にか、その足元には小柄なマイコニドが一匹立っている。茶色に白の水玉模様のカサをした、いかにもキノコな見た目である。
シオリと目が合うと、マイコニドは恥ずかしそうにレンダリルの脚の後に下がった。最終的に、よじよじとレンダリルのローブを上って、彼の頭の上に落ち着いた。
(なるほど、森呪遣いの召喚物か)
遠慮がちに手でも振ってやろうかと思ったシオリであったが、その脳に突如として囁きが通る。
《牡丹鍋》
「牡丹鍋!?」
びっくりしてエゴの方を見ると、うんうんとエゴは頷いていた。
「帰還魔法は駄目だったから、念話が使えるか試してた」
「ああ……そういう」
フレンド同士で使える念話機能は、どうやら健在らしい。シオリはそのまま、エゴに問いかける。
「エゴも巻き込まれた感じ?」
「うん……僕も大型パッチ、楽しみにしてたから」
エゴがどこで何をしているか、シオリは知らない。ただ、彼女の一人称が僕であることを知っているだけだ。
この場にいる全員が、エルダー・テイルの世界に巻き込まれてしまったのだという事実が、シオリの理性にじっとりと広がった。
レベルは、シオリが90。エゴが80。レンダリルが82でヴィクトールが26、田中商店が10。ヴィクトールと田中はアクティブモンスターのことを考えれば、一人で歩くこともままならないとシオリは判断した。
「あー、さて。名前は見えるが、街に歩きながら自己紹介でもどうかね」
思考に浸ろうとするシオリに、ふとレンダリルの声が届いた。彼はいかにも明るい表情をして、皆を見回している。それぞれがそれぞれに思うところがあるのか、皆、何かしら翳りを持っていたが、彼の言葉に顔を上げていた。
「……そうしようか」
またスケルトンが襲ってくるとも知れないところにいるよりは、ずっといい。
シオリは四人の冒険者と一緒に、イズミの街へと歩き出した。まず話し始めたのは、田中だった。
「おれは、あー、名前は田中商店になっちゃうんだろうなあ。生産職兼ね露店キャラだ。戦闘は全然してない。というわけで、街まで護衛頼んだぞ」
「そういう魂胆かよー。ま、こんなとこ、一人で歩けないよなぁ……」
次に喋ったのはヴィクトールだった。楽器を背負った彼はいざ自己紹介となると、少し声色を落として、にやりと笑った。
「俺は、こっちの名前ならヴィクトール。ヴィクトール・フリートベルクだ。さっきは助けられたな。よろしく」
「吟遊詩人が前衛してるの、僕は初めて見たよ」
「う、うっせー、あのキノコしか一緒にいなかったんだよ!」
「いやあ、助かったぞ。何せ、私は一発殴られたら死んでしまうからな!」
エゴにつつかれた彼がびしりと指差す先には、レンダリルが歩いている。彼は眼鏡をくいと指で押し上げ、笑って流している。
彼は杖を持っていない。代わりに、鞭を持っている。鞭は行動速度重視型のプレイヤーがたまに持っている。つまり、彼は一度の回復量より、迅速な行動を好んでいるようだった。
「私の名はレンダリル。見ての通りの森呪遣いだ。レンでもダリルでも、好きなところで区切って呼んでくれたまえ」
「イレズミのドルイドとかよく選んだなー……何だよ、その低レベモブみたいなHP……」
「いやあ、作った当初はここまで吹けば飛ぶ体力とは思ってなくてなー……だが、使ってみたら愛着が湧いてしまったのさ、わはは」
法儀族のあだ名を呼んで、ヴィクトールが胡乱げな眼差しでレンダリルを見やる。そうすると、彼はのんびりとした調子で答えた。
(二人はライトユーザーとロールプレイ勢だなあ)
シオリは男性陣を見比べて、その振る舞いや心構えを観察していた。その二人が、今度はエゴに視線を向ける。エゴもそれに気付いて、自分を指差した。
「ん。僕のハンドルネームはエゴだから、エゴでいいよ。本当は男だけど、その辺は気にしないで」
「えっ……」
「えっ?」
付き合いのあるシオリ含む、皆のえっという声が重なった。さらっと告げられる衝撃の事実に、シオリは言葉に迷って視線を迷わせる。
「あー……キャラクターを別の性別にしてたのか」
「うん。少し違和感はあるけれど、そんなに不便はしてないよ。こっちの方が都合が良い。女の子の方が、人は情報を出してくれるから」
シオリはエゴとそこそこ長い付き合いであったが、エゴの考えていることが分からないことがしばしばあった。彼女――エゴは彼か彼女で呼ぶ場合、『彼女』の方がいいと言った――は、頭の中で問題を解決して、その答えだけを言ってしまいがちだった。
自己完結して、その道だけを見て進んで行く。彼女には、その実力もある。
そうしたプレイスタイルは、エゴを時に孤立させたりした。人に干渉しないよう過ごしてきたシオリでも、それは心配の種だった。
「で、君はどうなんだね。武士の少女よ。それとも、馴れ合いはお嫌いかね?」
「えっ、ああ、私? いや、そんなことはない」
エゴの方を見ていたシオリは、レンダリルの呼ぶ声で顔をそちらへと向けた。切れ長で三白眼気味だが温和な人柄を感じさせる目がそこにある。自分の紹介をすっかり忘れていたのを思い出したのだ。
「私はシオリ。見ての通りの武士。エゴとは知り合いだよ」
「うん。結構長いよ」
「いいなあ、俺のフレンドはみんなオフラインだったぜ」
頭の後ろに両手をやって、ヴィクトールは唇を尖らせた。エゴも歩きながらフレンドリストを眺めているのか、指を中空でくいくいと動かしている。
「新規ログインはいなさそうだよ」
「GMコールも応答なし。こりゃ後続には期待できないな」
田中はマズルの近くをひくひくさせ、苦く笑った。ひげが心なしか垂れているのを見て、シオリは同情と共感を抱いた。
五人は歩くにつれ、徐々に浅い森を抜ける。差し込む太陽の光は、どことなく弱々しい。エゴは遠くに見え始めた麦畑に目を向ける。イズミの街まで、徐々に近付いてきている証拠だった。
「情報を集めるなら、アキバがいいけれど。イズミでよかったの?」
「いや、イズミで問題ないだろう。おそらくだが、アキバは混乱状態だ。ある程度のほとぼりが冷めるまで、人が少ないところにいた方がいい」
誰に言うわけでもなくエゴが問うと、レンダリルが左頬の文様のあたりを撫でながら唸った。シオリは小さく息をついた。
「ま、私たちみたいなギルド無所属の冒険者は、食い物にされてもおかしくはないだろうからね」
「ああ、そうか……冒険者には、まとめ役がいないのか」
ヴィクトールの呟きに、エゴは頷いた。仮に同じ境遇の者がアキバに殺到していたとしたら、それらを治める統治機構は当然、存在しない。
「権力狙ってみる?」
「うーん……」
エゴの冗談交じりの提案に、シオリは苦笑した。彼女はダウナーなりに楽しいことが好きであったが、権力には食指が動かなかった。むしろ、それに伴ういろんな面倒事が過った。
「よーし、では私が沈みがちな雰囲気を持ち上げるべく、小粋なトークをしてしんぜよう」
突然異世界へ放り込まれた身の上、どうしたって暗くなりがちである。そこで、レンダリルが語り始める。
彼が話したのは、ハーフガイア・プロジェクトの大雑把な話だとか、倒すだけになりがちなモンスターのTIPSだとか、この世界の地下深くには一粒が鉄塊より重い、青い地層があるとかの、『エルダー・テイルの世界観を調べる者なら知っている程度の知識』であった。が、シオリたちの気分を紛らわせるには丁度良い軽さの話だった。
「へえ、詳しいね。レンダリルはセルデシアが好き?」
「無論だとも! それでここから少し行ったところには――」
「……」
そんな小粋なトークを続けるレンダリルをよそに、ヴィクトールが麦畑を眺めていることに、シオリは気が付いた。
「ヴィクトール、どうかした?」
「なんか、作物の元気……なくないか?」
「ん? そうか? おれにはよく分からんなあ……」
田中が近付く麦畑をじろじろと観察するが、彼は首を傾けるばかりだ。シオリも、一度麦畑の方を見回してみる。しかし、彼女が気になったのは、麦畑にある別の存在だった。
シオリには、いくばくかの人影が見えていた。誰も彼も、こちらを不安そうに見つめている。
(視線は、苦手だ)
少なからず不快感を抱いて、シオリはそっぽを向いた。
彼女はいつだって、好奇の視線を向けてきた人間の顔を忘れたことはなかった。彼女の視線の先で、枯れかけた麦が、頼りなげに揺れていた。
「あれって、大地人?」
「多くないか……?」
田中とヴィクトールが人影を見やると、彼らは目を逸らしてしまう。エゴもさして表情を変えないまま、NPC――大地人を見て、不思議そうに首を捻った。
「あ。帰還場所が変わった」
そんな彼女が不意に声を上げた。シオリ含む全員が、それぞれにステータス画面を眺める。
からっぽになっていた帰還場所には「イズミ」と記されている。
心は晴れずじまいであったが、晴れて、冒険者たちはイズミの街に到達したのであった。