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07、宿命・1

 レフティは自分の叫び声で目が覚めた。

また、あの夢か。汗びっしょりに濡れた額を拭った彼は、こめかみを押さえた。背中も広く濡れていることも悟り、げんなりする。

 たかが夢に人生の大半を振り回されているなんて。

 自嘲するが、内心では揺るがぬ確信を持っている。これは己の前世であり、カインとの宿命なのだ。この夢を見るといつも、右肩が剣で斬られたように痛い。

 肩をさするレフティの耳の奥には、目が覚める前に叫んだ言葉の響きがこびりついていた。


 ――「おまえが『善人になりたい』などと、笑わせるな!」


 あの夢を見るたびに俺は違う服を着ている。夢の場面はそれぞれに異なっている。俺は十代の男になって船上で海を眺めていたりする。二十代の男の時もある。

 が、年端もいかぬ子供の頃のような夢は、いつも同じだ。俺は家族と共に一つの小さなテーブルを囲み、パンとスープを目の前にしている。

 横には生まれたばかりの妹がいて、父も母も満足そうに夜の宴を楽しんでいる。慎ましく夜を過ごす家族が集まる狭い家の扉を、突然に誰かがけたたましく叩く。

「逃げろ!」

 やがて静かだった村の時間を破るように、幾人もの女の悲鳴と野太い男の声が交錯して聞こえてくる。俺は親の言う通り、妹を抱いて家から逃げ出していた。周りは燃えさかる火と煙の匂い、人の悲鳴でいっぱいだ。

 その中を走り出した俺は、鎧姿の何人かの男に捕まってしまう。

 取り押さえられた俺の眼前、鬼のような形相の男ふたりが両親を家から引きずり出した。そのふたりの男だけは、鎧を身に着けていない。ぎょっとしているうちに、一人の男が命乞いをする両親の首を刎ねて殺してしまう。もう一人の男が家に火を放つ。

「おまえら、あっちだ! あっちならば若い女がいるぞ!」

 家に火をつけた男が叫ぶと、俺の周りにいた鎧姿の男たちが散って行く。なんとしても逃げなければ、妹と俺だけでも生きなければ。そう思って泣きながら走る。馬の駆ける音が追いかけてくる。

 すぐに俺は逃げられなくなる。二頭の馬が、追いついたからだ。

 道を塞いだ男は親の首を刎ねた、あいつだ。

 男は鳶色の目を見開く。

「その抱いてる女の赤子をよこせ!」

「お、女じゃない! 違う!」

 何度も叫び続けて妹を強く抱きしめる。だが背後には、もう一人の男がいる。そいつは俺の右肩を、剣でざっくりと斬りつけてくる。

「あっ!」

 痛みに声を上げた俺の、妹を抱く手がゆるむ。

 男たちは、こっちには用がないとばかりに俺を蹴り飛ばして妹を抱き上げた。

「かっ、返してくれ!」

「うるせえガキだな」

 妹を抱き上げたのは鳶色の目の男だ。彼は眉をつり上げ、こちらに向けて剣を大きく振り上げる。

 俺は激しい恐怖で体がすくむ。傷を負った子供が大人ふたりと戦える訳がない。男たちは妹をさらったまま、馬でどこかに駆けて行ってしまう。

 いつのまにか俺は二股に分かれた山道でつまづいている。

 右手から血がしたたっているのを見て「まだ生きてるんだな……」と、はじめて思う。

 どれだけ村から離れたのかわからない。もしかしたら、まったく逃げられていないのかもしれない。気が遠くなりそうだ。

 いつしか背中の方から、馬の蹄の音とパチパチとはぜる松明(たいまつ)の音が聴こえていた。

 あっ、と思って草むらに伏せた。

 男たちの低い声が聴こえる。

「さらったガキどもはどうする」

「いつものところに集めているのか」

「ああ」

「男なら、また滝にでも捨てていくとするか。生きていても、どうせ野垂れ死にだ、飢えさせておけばいい。三日も持たん」

「ふっ、魔王はとことん人の心を折るのが好きだな」

「ここの農民はおとなしいだけが取柄だ。女ならまだ使えるが、男ではまったく使えない」

「まあ、盗る物も盗ったし、充分に愉しんだから善しとするか」

「帰るぞ」


 あいつらは……!

 俺は息を殺して泥だらけの顔を上げた。馬に乗っている人間の顔を見ようとする。

 松明(たいまつ)に照らされている男はふたり。彼らは鎧を着けていない。

 そのうちの一人、親を殺した男のすべてを脳裏へと深く刻みつける。鼻梁の通った、鳶色の眼差しがギラギラ光った男の顔を。魔王、と呼ばれた男の名前を。

 悔しくて、悲しくて、涙がどっと溢れてくる。

 泣き声を立てないように。地べたに這いつくばって馬の蹄の見えない所へ。もっと遠くへ。爪に泥が入るのも構わずに涙をこぼしながら進む。

 夢の中の俺は、唇を血が出るほど噛みしめて誓っている。

 今は力はないけれど、必ず家族の仇、友の仇を取ってやると。何度、生まれ変わっても必ず「魔王」と呼ばれた男を必ず倒してみせると。


 俺は夢に見る「魔王」の存在と、今までに何度も対決していた。


 鳶色の冷たい瞳の男がこちらの眉間に、キラリと光る剣の刃先を突きつけていた。瞬時に殺気を薙ぎ払い、顎を上げて言い放つ。

「今日こそ息の根を止めてやる」

「きみには無理だ。今生(こんじょう)もまた、わたしが勝負をいただく」

 今生……? いつも夢を見ながら思う。そうすると右肩が痛んでくる。ぎりぎりの緊張状態であるはずなのに。黒髪の鳶色の瞳の男は、いつも同じだ。俺を苦しめる夢に出てくる男の際立った特徴だった。

 そういえば……いつか子供の頃の夢で見た男も鳶色の目をしていた。男の剣を薙ぎ払い、踏み込んで相手の胸元に斬り込んでいく。

 そのたびに夢の中の俺は叫んでいる。

「罪なき人を殺め続けた罪をつぐなえ」と。

「今さら善人になりたいなどと、笑わせるな!」夢の中で叫び、目が覚めたこともある。目が覚めると、いつでも訳のわからない憎しみや復讐心が湧いていた。


 レフティが何気なく壁に掛けてある古時計を見ると、午前三時をさしていた。長い年月をかけて磨きこまれた木目にツヤのある時計は、エレーナ女王から「父の形見分け」として直々に手渡されたものだ。

「悪夢は、いつになったら終わってくれるのか」

 つぶやきながら消えそうな蝋燭の火を新しい蝋燭に継ぎ、火をともす。クリーム色の壁に、頬が削げた自分の顔が浮かび上がった。

「痩せたかな……」

 独り言の後、ほのかな灯りを背にして立ち上がる。窓の外から、かすかに雨の音が聴こえていた。少しずつ右肩の痛みがおさまってくる。

 雨か……。

 宮中警護の役目を仰せつかった日にも、雨が降っていた。

 レフティは窓硝子越しに下を見る。昨日、エレーナ女王と歩いた路面が濡れている。


 レフティが初めてデメテール国王に呼ばれたのは十四歳の時だった。

 その頃のレフティは武術学校でも剣の技に長けていた。彼の名前を聞きつけた国外の王族から「金はいくらでも出すから、レフティに私たちの警護をしてもらえないだろうか」という声もかかっていた。

 元々、国王と縁もゆかりもない両親は提示された金額を見て、これ幸いとレフティを家から出そうとしていた。生まれた時から右肩に刀傷を持つ我が子は不吉だと、彼らは思っていたのだった。

 だが、それを聞きつけた武術学校の教官でもある魔術師はあわてた。

「レフティほどの強者を国外に出すのは大きな損失だ」

 教官は神職に携わる、みずからの師匠に相談をした。

 師匠は「それならデメテール陛下に話を通してみよう」と言い、その結果、直々に国王に呼ばれたと言うわけだ。

 レフティは広々としたデメテールの執務室に通され、しげしげと壁にある本棚を眺めていた。

「難しそうな本ばかりだな」

 背表紙に並ぶ文字を見ただけで頭が痛くなるよ、思わず舌打ちをすると背後から大人の男が笑う声が聞こえた。

「きみがレフティだね」

 はっとして振り向くと、がっしりした背の高い男性が目を細めて自分の顔を見つめている。男性の全身からは、慈愛と知性が発せられている。短めに散髪してある黒髪には、うっすらと白いものが混じっていた。

 レフティは「これ以上じっくり見ては失礼だ」と瞬時に思った。それと同時、体中に電流が流れるような衝撃に襲われた。

 なんて品のある人だろう。これが一国の主なのか。

 弾かれたように腰を深く折って礼をする。笑いかけた男性が入口から動き、部屋の奥に据えてある机についた気配がした。

 デメテール国王は、ふたたび屈託のない笑い声を上げて「顔をあげなさい」と彼に促す。

 おずおずとレフティは顔を上げ、額の汗を手の甲で拭く。国王の優しい眼差しがまっすぐに彼をとらえた。

「きみのことは聞いている。明日から、ここで生活すればいい」

「えっ」

「宮中の警護を申しつける。先々の話にはなるが、わたしは今の海軍も再編したいと考えている。我が国を囲む状況は、わかっているかね?」

「は、はい」

「働きぶり次第では、きみを軍の中にも招き入れる。しっかりやりたまえ」

「はっ」

 レフティは再度、頭を深々と下げつつ思う。陛下はあえて鷹揚に言ってはいるが、身分制度がガチガチに固まっているルーンケルンで破格の出世だ。それくらいは俺でもわかる。

 普通なら雇われ兵士の出自で宮中に出入りできるようになるなど、ありえない。

 執務室を出て扉を閉めると、途端に足が激しく震えた。思わず腰を落とした彼は、両手で顔を覆う。

 頭上から男の声がした。

「廊下に座ってはいけないよ」

「あ、す、すみま……」

 レフティは言いかけて顔を上げた。と、そこに自分を覗き込む鳶色の柔和そうな瞳がある。

「具合でも悪いのか。救護室に連れて行ってやるよ」

 気さくに話しかけてきた男は右手に分厚い本を何冊も抱えていた。痩せて見えるが肩幅は広く、ボタンを外したシャツの胸元はいかにも鍛えていそうに見える。

「だ、大丈夫です。もう、帰りますから」

 レフティはそそくさと本を抱えた男に背中を向けた。足を早めた彼は、宮殿を出る間際に不思議な感覚にとらわれていた。

 あいつ……こんなところにいたのか。

 その時に、物心ついた時から悩まされていた悪夢の糸口が見えたような気がした。


 いつしかレフティは、何百回も繰り返す悪夢の断片をつなぎ合わせて考えるようになった。そして、同じ男とあいまみえる夢を見るうちに確信を持つようにもなった。

 この人生に意味があるのなら、必ず生きている間に「黒髪で鳶色の冷たい瞳の男」に出会う、と。悪夢は過去世の自分そのものなのだ。そして、おそらく俺はそいつと戦い続ける運命なのだ。

 そんな風に思い続けていた時の「今生の出会い」が十四歳の、あの日だった。


 レフティは翌日、自分に声をかけた鳶色の目の男の名前がカインだということを知った。年齢は自分よりも二つ上だということも、王女の教育係をしていることもわかった。

 彼の目に映るカインの姿は、いつも温和な顔の痩躯な男だった。鼻筋も通り、鳶色の目を輝かせて口から出る言葉の数々はなぜか説得力があり、誰もが慕う存在感ある男でもあった。

 いわば「成り上がり」な自分よりも、生まれた時から遥かに多くのものを手の中に持っている男。レフティ自身とはなにもかもが違う。はじめて召しかかえられた先が、王女の教育係だというのも出自の良さを物語っている。

 年端も行かない王女の躾が行き届いていることに、レフティは内心で反吐が出る思いだった。デメテール国王が親しげにカインに話しかける度に、心が張り裂けそうになった。だが、嫉妬する心を抑えて職務を忠実に果たすうちに自分に運が向いてきたことも感じていた。

 やがてレフティは宮中だけでなく、国内の警備一切を任されるようになった。

 彼は毎朝、心に念じながら宮中へ上がった。

 いつか必ず、カインよりも国王陛下と王女に認められてみせる。そのためなら、どんな努力も厭わぬ。誰よりも努力してカインよりも、他の臣下よりも重責を陛下から任されるようになってみせる。




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