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03、戴冠式・1

 宮殿の裏手、少し歩いたところにルーンケルン国内で最大規模の教会がある。宮殿よりもやや広い、よく似た造りの大理石の建物だ。

 夜明け時刻から、日の光は背の低い教会を照らしていた。

 美しく整えられた芝生の中央には、教会に使われている大理石と同じ、乳白色の真四角の踏み石が並べられている。

 エレーナ王女は、ひとつひとつの踏み石に白のワンピースから伸びる足を軽やかに乗せていく。彼女はレフティの三歩ほど後ろを歩いていた。最後尾にはカインがいる。

 紺色の詰襟チュニックを着た男ふたりにはさまれ、歩みを進めるエレーナの姿は芝に映えて美しい。

 カインから見て、レフティは真後ろを歩く王女を慎重に気遣いながら進んでいるようだ。

 国王が亡くなってから、さほど日にちは経っていない。しかしながら、王女の頬が、かなり痩せたように見える。

 痛ましい、とカインは思う。

 王位を継ぐことになったエレーナは亡き父の臣下をそのまま引き継ぐことになった。

 が、臣下のうち何人かは年端も行かないエレーナを頼りなく思っていた。

 カインは思う。

 自分やレフティの立場の者たちは、エレーナを徹して護るべきなのだ。しかし、肝心の相棒にしたい人間(レフティ)には信頼されていない。そのことに、どうしようもない歯がゆさを感じる。


 レフティが振り向いたとき、教会の扉の前に着いていた。彼は扉に手をかけ、穏やかな口調で王女に向かって唇を開く。

「式典が始まるまで、お待ちください。わたしがお呼びいたします」

「はい」

 付き添ってきた二人の臣下が教会の扉を開けた。

 陽射しが広々とした礼拝堂の床一面を照らしている。王女は静寂に包まれた空気を泳ぐように前に進み、振り向いた。

 彼女はレフティとカインに軽く礼をして顔を上げた。頬がほんのり紅く染まっているが、笑んだ表情はとても硬い。

 これから正式なドレスに着替えたのち、戴冠式が行われる。緊張するなと言う方が無理だろう。

 レフティは王女の心を慮ったように「お着替えなさったら、また、お心持ちが変わりますよ」と声をかけた。

「ありがとう、レフティ」

 エレーナはちいさな溜め息と共に、肩を下ろした。

 カインが右腕で「あちらに侍女たちが控えております」と指し示した。王女はあらためて背筋を伸ばし、かすかに頷いた。迷いを振り切るように、普段は聖職者たちの控え室として使われている部屋へと向かっていく。

 王女の姿が完全に見えなくなった。カインとレフティは礼服のポケットから、それぞれ教会の間取り図を出す。

 カインは胸の前で図面を広げ、同僚を見た。

「わたしは教会の入口から、この扉までを警備するんだったな」

「そうだ、頼む」

 レフティは髪をかきあげながら礼拝堂を見渡す。中に入ることを許される国内外の賓客の位置などは、この男が仕切るに違いない。

 カインの心に一抹の寂しさがよぎる。

 ――わたしは王女が魔術師から冠を賜り、女王となる瞬間を見ることができない。

 外の警備を言い渡されたことについて異論はなかった。けれどもやはり、「王女の晴れやかな姿」を記憶にとどめておきたかったのだ。彼女が五歳の時から国王に教育係を仰せつかって以来、ずっとエレーナのそばにいた。日毎に美しくなっていく彼女は亡き王妃によく似ており、国王の自慢でもあった。

 カインは広い礼拝堂の磨かれた床や壁を見ながら、デメテール国王から「王女の教育係」を拝命した時のことを思い出していた。

 彼は鼻の下をさすりながらつぶやく。

「あの日までは『俺』って言ってたんだっけ」


 俺が十五歳になった夏の日。

 宮中で働く両親が、夜更しをして朝寝している俺をたたき起こしに来た。

「カイン、陛下が直々にお呼びだよ。さっさと顔を洗って宮廷に行きなさい」

「えっ、どうして?」

 まさか陛下に昨日の厨房でのつまみ食いがバレたか。

 思わず首をすくめていた。だが、両親の不安気で落ち着かない表情を見るととても言えそうにない。

 二人とも国王陛下から直に話しかけられたのは初めてではないはずなのに、妙に青ざめている。俺は訝しく思い、母を見た。彼女はなにか言いたそうに唇を動かし、肩を落として父を見ている。「お父さんに任せた」と言わんばかりだ。

 父は言いづらそうに、口元をモゴモゴとさせている。

「おまえ、王女さまになにか……よ、よからぬイタズラでもしたのか?」

「はあ?」

 俺はベッドからずり落ち、床に尻餅をついた。母親がおろおろしながら見下ろしている。

「なっ、なにを言ってんだ! 四歳だろ! そんな趣味は断じてない!」

「だ、だって……陛下から急に呼ばれるなんて。ねえ、お父さん」

「息子を信用してくれ!」

 両親に怒鳴ってから「冗談じゃないよ、まったく……」とぼやきつつ、陛下に接見するために長い廊下を歩く。

 物心ついた時には、父は宮中の庭園管理を、母は書陵管理の一切を任されていた。代々を国王に仕えてきた血筋の者は、それほど多くない。宮殿の近くにある臣下や使用人の住まいの棟以外に居を構えることが許されているのも、我が家の他には数えるほどしかいなかった。

 それでも小さい頃から宮中行事の度に備品を運んだりする人手として駆り出されていたので、宮廷は自分のもう一つの庭のように隅々まで知っている。

「こんなシャツしかないな。まあ、いいか」

 廊下の途中にある鏡に自分の姿を映し、白い開襟シャツを眺めた。

 宮殿の敷地に入ったときから、小さな女の子のはしゃぐ声が聴こえていた。中庭へと続く長い廊下の扉を開け放しているらしい。

 ここからは、かなりの距離で離れているはずだ、と思った。俺は生まれてからこのかた、聴力がずば抜けて優れていた。この頃は相手の所作の、すべてがわかる。

 宮中に出入りしている人間で、澄んで甘ったるく舌足らずな女の子といえば一人しかいない。エレーナ王女だ。彼女は、ぺたぺたと裸足で大理石の宮殿の中に入りこんだ。

「お父さまー、見てみてー! この虫、珍しいよー!」

「エレーナさま! 陛下のところに行くなら、お着替えをしましょう!」

「やだー! 逃げちゃうー!」

 うわっ。

 このままこの廊下を前に進んで行けば、間違いなく裸の王女と鉢合わせすることになる。状況的に水浴びでもしていたんだろう。まあでも五歳だし……って違う!

 一般人の無邪気な子供とは全然まったく違う。相手は「王女」だ、下手をするとこっちの命が危うい。

 しかし逃げ場所がない。

 とりあえず背中を向けて逆方向に駆け出した。背後からは、きゃっきゃっとはしゃぐ声と、濡れた足で走る音が聴こえる。

 すぐに舌足らずの子供の声が、俺の背中へと浴びせられた。

「あっ、カイン! カインだよ!」

 たどたどしい女の子の声が、宮殿の廊下いっぱいに広がった。

 俺の理性は「なぜこちらの名前を知っている?」と言っていた。が、自分の名前を呼ばれたもので、ついつい振り向いてしまう。

「カインが来たよー!」

 あまりの光景に、俺の全身は固まった。ふたたび背中を向けて、走り出すことも出来ない。

 黒いツインテールで素っ裸の女の子が満面に笑みをたたえ、ものすごいスピードで走ってきた。その後ろ、バスタオルを持った侍女がいた。侍女は髪を乱して、必死の形相で王女を追ってきている。

「わあっ!」

 俺は叫び声を上げ、両手で顔を覆ってうずくまった。

 裸の幼女がはしゃぎながら「わーい」などと言って抱きついてくる。

 その時だ。


 小さな王女が俺を包む、ふわっとした感覚を両腕に覚えたと同時だった。

 うずくまったままで動けないでいたところに激しい頭痛と、全身を貫く気味の悪い衝撃が襲ってきたのだ。

 脳味噌の扉を誰かにいきなり開かれたような気がした。閉じられていた頭の奥が一気に開かれ、それまで澱のように溜まっていた「なにか」が一気に全身を貫く。

 俺は「扉を開いた誰か」に強烈な勢いで引き裂かれ、体中を侵食されていった。

「た、助けて」

 それだけ呻いたのは憶えている。が、自分のものではない記憶や意識が濁流のように流れてくるのを拒むことができない。

 頭も全身も、割れるように痛かった。

 激痛の中、閉じた瞼の裏や耳の奥、鼻先に様々な景色や匂いが生々しく蘇り、行き過ぎた。赤い血の色。人の泣き叫ぶ声。悲しくて流す涙。パチパチと燃えさかる炎。

 俺はうずくまった姿勢のままで両の膝をつき、倒れこんだ。


 気がつくと、デメテール国王が目の前にいた。俺はなぜか、直立不動で立っている。

 国王が俺に言う。

「眩暈をおこしたようだね」

「ご心配をおかけして、申し訳ありません」

 ねぎらってくださっている。ここまで来る記憶を失くしていたことへの不審よりも、ありがたみが湧いた。

「急に呼びだてて、すまなかった。そういえばエレーナの裸も目撃したそうだね」

「はっ」

 一気に緊張が体中を走った。深く腰を折って礼をすると、上から愉快そうな笑い声が聞こえてきた。陛下が笑っておられる……と思い、ほんの少し安心した時だ。

「娘の裸を見たついでだ。明日から、彼女に変な虫がつかないよう、そなたに教育係を申しつける」

「はい?」

 ノドから余計な言葉がせり上がってきたのを、奥歯を噛みしめてこらえた。

 俺は陛下が思うような人間じゃない。カインであってカインじゃないんだ。

 次にデメテール国王がなんと言うか、はっきりと予測できる。

 陛下はなにも言わぬ俺に先回りするように、また、こちらの脳裏に浮かんだ考えを裏づけるように温和な笑顔を浮かべ続ける。

「この間、妻の法要祭に来ていただろう?」

 宮廷内に勤める官吏たちが行ったあれか。

 この国では身内が亡くなると一年、三年、五年と区切りをつけて故人を偲ぶ慣習がある。二週間ほど前の日は、王妃が亡くなってから三年が経っていた。その祭祀のことだろう。

 当日は両親から、いつもの「後片付け要員」として強制的に呼ばれていたものだ。

「は、はい」

「あの時、エレーナに飴玉をくれたそうだね。それで彼女は『あの人、誰?』と宮中の人間に聞き回っていたんだよ。突き止めてみたら御両親とも、ここに出入りしている人じゃないか。子供ながらに、気になったんだろう。きみならば身元もしっかりしている。ぜひともエレーナの教育係になって欲しい。このわたしからの、願いだ」

「御意に」

 言いながら俺は、気がついていた。

 俺の中に覚醒した「誰か」の正体は、何度も転生を繰り返してきた魔王だ。

 魔王は俺の口を借り、こう言った。

「チャンスをお与えいただきまして、ありがとうございます」

 デメテール国王は「なんのことか、さっぱりわからぬ」と言いながら愉快そうに笑った。


 わたしは陛下の笑い声を聞き届けた直後、完全に覚醒した。それと同時、疼いて止まない思いが体中を満たし続けた。


 間違いない。エレーナ王女は「あの子」だ。


 わたしは、あの日から生まれ変わっていた。

 宮中が勤務先になってから、自分のことを呼ぶ名称も「俺」から「わたし」に変えていた。意識的にしていたわけではない。自然にそうなっていたのだ。 


 カインは教会の中に続々とやってくる人に礼を交わしつつ、去来する記憶を追いながら扉の奥にいるエレーナ王女を想っていた。

 父君を亡くされたことを乗り越え、今日からエレーナさまが国家元首におなりあそばれるのだ。

 大勢の人が自分と同じような晴がましい気持ちを抱きつつ、教会の中に足を運んでいるのがわかる。

「おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 カインが賓客たちと言葉を交わしていると、視界の隅。(やいば)の光がちらついた。




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