39 生の喜び、その幸福
「あ、やっと終わったのか。長かったな」
「渡辺のオタク話の相手をするとか、ユーリアも付き合いがいいわね」
「オタクのキモい早口を聞き届けるとか、ユーリアは聖女すぎる」
退屈な話が終わったとばかりに三人の様子に、渡辺はとても不快そうにしている。最初からこいつらには期待していないとばかりの顔だ。
私もそんな三人の態度が信じられなかった。その反応に驚きを通り越して呆れてしまう。
「あのね、貴方たち……煌宮蒼一が蒼の賢者の転生体だったとか、私たちの一族がただの盗人の血とか、そして魔神大戦と黒の賢者の真実とか。今日の話を全て公にしてみなさい。歴史ごと全部ひっくり返って、セレスティアは大騒ぎになるわよ。これだけの話をされながら、よくそこまで無関心な態度でいられるわね」
「まあ、そんな設定だったのかくらいには聞いてたぞ」
「成人向けゲームの設定に関心を持てと言われてもね」
「設定がガバってるクソゲーのネタバレに興味はない」
などと言う始末だ。
私と彼らの価値観の違いをつくづく実感した。
かつて渡辺が指南してやろうかという世界を、私は子供の娯楽と切り捨てた。彼らにとってこの世界は、そういうものにすぎないのだ。それが淫猥を楽しむための物語だというなら、なおさらだろう。
三人の反応は、そういう意味では真っ当な反応なのだ。
成人向けゲームといったか。その物語を楽しむのはきっと、一部の者たちだけなのだろう。
「ぐっ、ほっ!」
「リョナは最高だな」
女の頭を踏みにじりっているあの男が、その一部の者だったというだけだ。
渡辺は幸せものだ。かつてはなんの役にも立たない知識が、この世界では宝の山。カノン・リーゼンフェルトよりも貴重な存在だ。
一度は失い、新たに得たこの人生。きっと楽しくて仕方ないだろう。
「あの男、女相手に容赦ないわね」
躊躇なき綺麗なボデイブローだった。
女が腹部を抑え苦しみ悶ているというのに、渡辺は恍惚とした表情すら浮かべている。
「皮が嫁キャラでも、中身はただのネカマにすぎんからな」
「ネカマ?」
知らない単語を聞かされ、佐藤に向かってそのまま問い返す。
「女を装って、男を騙すことを生業とするカスの総称だ」
「女を、装って? 待って……田中って、もしかして男なの?」
「そう。あれの中身は『俺のキャラには女が宿る』とかほざき、男を地獄に叩き落とすのを趣味とする愉快犯。セクハラ顔のモテないカスだ。流石の渡辺も女には手はあげんが、中身がカスなら容赦はない」
佐藤は鼻で笑いながら、酷い言いようで田中をそう称した。
未だ頭を踏みにじられている田中に目を移す。
よく考えれば人間は男か女しかいない。生前と同じ性別を得られるのは、二分の一だ。転生した際に、男の魂が女の身体に宿っても不思議はない。
「生前の性別と違うなんて。苦労してそうね」
「いや、今のあいつは水を得た魚。女の身体を得たネカマだ。苦労するどころかサクラの身体を満喫している。なにせ女の身体は凄い。貴方は負け組と煽ってくるくらいだからな」
女の身体は、凄い……?
その意味に気づいた瞬間、ぶるりと身体が震え、つい自らの身体を抱きしめるほどに慄いた。
いくら命に執着はないとはいえ、田中にこの身体を奪われたかもしれないと思うと恐ろしかった。それこそ全身が粟立ちを覚えるほどに。
そこで思い至った。
学園では諍い罵り合いながらも、縁を切り決別することなく彼らは共にいる。こうして同じ屋根の下で過ごしているほどに。
彼らが旧知の仲であるのは最早言うに及ばず。そこで田中は男であることが発覚した。
自らの飲み物を取りに立った女の背中を見た。
学園では誰よりも憧れと羨望を集めたその美貌。彼女は自慢げにそれを振りまくことはなかったが、あれだけ美しいのだ。自負と自信と誇りは持っていただろう。
それが今や他人のもの。あれだけ極上の肉体を手にしたのだ。手つかずなんてわけがないだろう。
いくら面倒な女だったとはいえ、手に渡ってしまった先を考えると同情を禁じえない。
「……ん、どうしたのよ?」
佐藤にビールを手渡すと、じっと見る私の視線に気づいた鈴木は首を傾げる。
「可哀想なお姫様。同じ女として、貴女には同情するわ」
「はあ? いきなりなんで私は同情されているのよ」
「気にしないで、貴方に言ったわけじゃないから」
かつて面倒だった女のために憐れみの息をつき、己の身の無事に安堵する。
意味がわからないと顔をしかめる彼を無視しながら、グラスの中身を空にした。
「とても美味しいわ」
ああ、なんという美酒か。同じ物のはずなのに、先程とはまるで味が違う。
生の喜び、その幸福。それがいつの間にか、この胸に初めて満たされているのを知った。
今まで手に入らなかったものが、こんな形で手に入ることとなるとは。それも手にした理由がよりにもよって、己の身の無事を喜ぶ、自分可愛さだったなんて。
複雑なことこの上ないが、幸福の器の底に、穴が空いてはいなかったとわかったのだ。上々である。
とんでもない形で生まれたこの世界だが、その未来に、もう少しだけ期待してみようと思えたのだった。




