01 にわかオタ、前期の嫁キャラがいる世界に転生する
蒼き叡智の魔導書。
二千年代も後半に差し掛かった頃、発売したエロゲーだ。
エロゲーと一口に言っても色々ある。その言葉を耳にした一般人は、アダルトビデオのような性行為を楽しむゲームを思い浮かべるだろう。
確かに蒼き叡智の魔導書、通称蒼グリには、そのようなシーンがある。ただしそれは、シナリオに重きを置かれたものであり、エロシーンはあくまで話の幅を広げる彩りだ。
つまり蒼グリはエロゲーの中でも、シナリオに主軸を置いたシナリオゲー。『名作と呼ばれた映画にも男女の営みが描写されているだろ? それと同じだ』と渡辺はうるさいくらいに語っていた。
そんな熱狂的な信者を数多く集めた蒼グリの人気は、エロゲ界隈だけでは収まらず、一時代を築いたようだ。
何度もファンディスクを出しただけではなく、沢山のグッズを世に送り出し、コミカライズ化し、一般家庭用ゲーム機に移植したりと、破竹の勢いで年々新しい展開を見せファンを喜ばせてきた。
時は流れ、発売から十年と少し。蒼グリはついに初のアニメ化を果たしたのだ。
信者いわくアニメ化は大成功。このアニメ飽和時代に置いて、素晴らしい円盤の売上を叩き出したようだ。グッズ商法でも成功したのだろう。
俺、佐藤もそんな蒼グリ信者の一人。ではない。
アニメを楽しむほどには嗜むが、渡辺を前にしてオタクだと言い切るほどの熱量はない。
いわゆる、にわかである。
二次元とは無縁に生きてきたが、大学へ進学した後、道を踏み外したのだ。『いい歳にもなってアニメはな……』と、思っていたが存外面白い。名作というものを渡辺に勧められるがまま見ていく内に、最後には『アニメ見まくってる俺ってマジオタクじゃん』と草を生やすくらいにははまっていた。
ただし、オタクとして楽しむのはあくまでお金がかからない範囲。オタク向けのマンガも読むが、全て布教のため渡辺が持ち込んだもの。三ヶ月ごとに新たな嫁を作り、来週も楽しみだなと待ちわびるだけだ。
前期の嫁の名は、クリスティアーネ・リリエンタール。通称クリス。蒼グリの看板ヒロインであり、人気投票不動の一位だ。
蒼の賢者の末裔、リリエンタール家に生まれ育った、自らの血に誇りを持ち、御家始まって以来の才媛だ。蒼の賢者が残したと言われる伝承により、クリスこそが蒼の魔導書に、その色を取り戻すと期待されてきた。
それが地球生まれのクソザコナメクジの手によって、魔導書はその蒼さを取り戻した。クリスが蒼一を敵視するには、十分すぎる理由である。
学園から追放寸前だった蒼一は、蒼き叡智を手にすることで首の皮一枚が繋がった。それどころか、地球人ではまず身を置くことはないとされた、エリートたちが集まる第一校舎へと放り込まれたのだ。
高等部へと上がり、教室どころか校舎すら新しい。蒼一は肩身の狭い思いをしながらも、蒼グリ三大柱のヒロインが一人、ソフィアと談笑していると彼女が現れるのだ。
「貴方が煌宮蒼一ね」
凛とした声音が耳朶を打った。
声に釣られるがまま、ソフィアから目を逸らす。
まず目に入ったのは、全てを見通さんとする蒼玉のような、凛然とした瞳。
一見凛乎と澄ましたその表情からは、彼女の感情は感じられない。けれど内なる怒りが、プレッシャーのように向けられていた。
けれど自分は、その怒りを恐ろしいと感じられなかった。
可憐でありながらも、凛々しいまでの美しさに飲まれていたからだ。
「私は貴方を認めない」
これが煌宮蒼一と、クリスティアーネ・リリエンタールの初対面であった。
借りた原作をやった限り、二人の出会いはこんな風に綴られていた。
凛という漢字がやたらと多様され、『けれど』が二回続いていると指摘したら、渡辺に切れられたから、よく印象に残っている。
初めこそ敵意むき出しであったクリスだが、巻き起こる騒動を通じ、蒼一を認める内にそのまま惹かれ始める。デレるというわけだ。
蒼グリ人気投票不動の一位。十数年も愛されてきたキャラだ。嫁キャラとするのにふさわしい魅力は確かにあった。主に外見が。
そんな前期の嫁が出るゲーム、その主人公になぜかなってしまっていた。
トラックに撥ねられた記憶もなければ、何者かに召喚された気配もない。蒼き叡智を手にした瞬間、佐藤としての記憶と人格が宿ったのだ。
鈴木が一流モデルと合コンするのを直前で知り、危ういところで阻止をした。その後、悪友共を呼んで飲み会を開き、『いやー、合コンに行けず残念だったな』と慰めてやっていたことまでは覚えている。
それが俺の覚えている最後の記憶だ。もしかしたら、寝ているところ鈴木に刺された可能性がある。
なぜ、俺はこうなってしまったのか。その答えを出すことを早々に諦めて、『どうせ二次元の世界だ、好き勝手やってやる』とこの世界を満喫することを決意したのだ。
なによりこの世界には前期の嫁がいる。それだけで胸が高鳴る。
ゲームやアニメでは語られなかったこの約二ヶ月間。俺もただ座して待っていたわけではない。
蒼き叡智を手にした自らの立場、二つとないその希少性を振りかざし、学園との交渉に及びながら優雅な軟禁生活を経て、ついに王立グリモアール魔法学園高等部へと進学を果たしたのだ。
「おかしい……」
「おかしいって……どうしたのソーイチ?」
ボソリと漏らした呟きに、律儀にソフィアが拾って返す。
入学して既に一週間。
「クリスが全く話かけてこない」