69. (エピローグ)ふたりきり
式典の余韻が残る廊下を私はレオポルド様と歩いていた。
正直な気持ち、もっとレオポルド様とお話ししたいと思っていたけれど、もうあとは帰るだけである。
「予想以上に人が集まってきてたね。たくさん話して、疲れたでしょ?」
レオポルド様は苦笑いしながら、私を気遣う言葉をくださる。
その言葉に私は頭を振った。
「わたくしは大丈夫ですわ。レオポルド様は第一王位継承者になられたんですもの。皆さまがお話ししたいのも当然です」
確かに、今までの全てのパーティーを合わせたくらいの人から挨拶を受けた。
でもレオポルド様の婚約者として挨拶できるのに、嬉しくないはずがない。
「あの挨拶の半分はグリーゼル目当てだよ?」
キョトンとする私に、レオポルド様は優しく微笑む。
「今日の式典の主役は君なんだからね」
私が主役……?
陛下暗殺事件の解決も、第一王位継承権を得たことも、そして私という婚約者を得てお父様を味方にしたことも、私にはレオポルド様こそ主役に思えてならなかった。
「今回一番の功労者として表彰されたのはグリーゼルだよ。それに……僕の婚約者になったんだから」
私たちの足はいつの間にか止まり、視線が交差した。
そしてレオポルド様が一歩進み、私の頬に触れようとしたところで
「これでやっとお前を妃にできる」
私たちふたりの肩が同時にビクッと跳ねた。
……ん? 今の声はレオポルド様じゃない。
レオポルド様の方向から聞こえた気がするけれど、レオポルド様より低い声だった。
それにレオポルド様は私のことを「お前」とは呼ばない。
どうやら話し声は曲がり角の向こうから聞こえたようだ。
レオポルド様は口の前に人差し指を立てて、こっそり覗き見た。
「嬉しいっ! エルガー様、大好きっ!」
「ああ、俺もだ!」
曲がり角の向こうにいたのは、エルガー殿下とナーシャだった。
二人は熱く抱きしめ合っていた。
そして顔を上げたナーシャが背伸びして、エルガー殿下に口付けをする。
一瞬目を見開いて頬を染めたエルガー殿下は、唇を離そうとするナーシャを引き止めた。
そして今度はエルガー殿下がナーシャの唇を食むように、ちゅっと音を立ててキスを返した。
み……見ていられない!
完全に見てはいけないものを見てしまったわ……。
こんな誰が通るかもしれない場所で、あんなことまでするなんて……。
あまりの甘い光景に、私は両手で顔を覆った。
それでも指の隙間からつい見てしまう。
ドキドキと心臓の音がうるさいのに、二人から目が離せない。
……でもここまで明け透けに愛情表現ができる二人が、ちょっと羨ましくもある。
「反対の道から行こうか」
逢瀬を続ける二人に聞こえないように、レオポルド様はそっと私の耳元で囁く。
それにすら私の心臓は跳ね上がった。
今二人のラブラブな光景を見て真っ赤になっていたところで、レオポルド様にそんなに顔を近づけられては私の心臓が持たない。
私は何度も頷いて、なんとか動揺を誤魔化した。
「エルガー殿下はナーシャと婚約していなかったんですか?」
「うん……次期国王の妃が男爵令嬢では務まらないと、反対されていたみたいなんだよね」
「えっ」
乙女ゲームでは結婚していた気がするけど、なぜ?
よく思い出してみると、乙女ゲーム『王子たちと奏でる夢』のエルガー殿下ルートでは、好感度が上がってからもいろんなイベントがあった気がする。
でもナーシャは食料を集めたり、辺境伯領に来たりしていた。
まさかイベントをこなしていない?
いえ、あれだけこのゲームが好きなナーシャがそんなわけはないか。
それにしても、折角エルガー殿下が謝罪してくれたのに、それが半分自分のためというのは何とも締まらない。
馬車に着いたが、まだお父様は来ていなかった。
一緒に屋敷まで帰るつもりだったので、待ちぼうけになってしまう。
「まだお父様は来ていないようですわね」
「侯爵、男泣きで喜んでいたからね。まだ嬉しくてグリーゼルのこと誰かに自慢してるんじゃないかな」
レオポルド様は式典の時のお父様を思い出して、クスッと笑った。
お父様は自分が勲章を受け取った時は気丈に振る舞っていた。
それなのに私がレオポルド様に求婚を受けたあと、振り向くと目元を掌で覆って男泣きしていた。
お父様のあんな顔、初めて見たからびっくりしてしまった。
けれどお父様がそこまで喜んでくれたことが嬉しくて、目尻にじわっと水分が滲む。
「いつ帰るのか、侯爵に聞いてみようか」
レオポルド様が一言断ってからフーワをかけてくれる。
暫くすると、お父様から応答があったようでくすくす笑って返した。
「やっぱりグリーゼルのことを話してしていたんだね」
会話こそ聞き取れないが、時折グスッと鼻を啜る音が聞こえてくる。
まだ泣いているのかしら……。
「まだ陛下と話しているなら、グリーゼルは僕が送っていくよ」
フーワからはお父様の声は聞こえないけれど、レオポルド様がうんと頷いたことでお父様の了承が伝わった。
私はまだレオポルド様と一緒にいられることが素直に嬉しかった。
もっとお話ししたいことはたくさんある。
あのドラマティックな求婚から、ひっきりなしに来賓の方の挨拶を受けていた。
皆さまの祝福は嬉しかったけど、レオポルド様とはまだあの時交わした言葉とさっきの会話だけしか話せていない。
本当はすぐにでもレオポルド様に縋りつたい気持ちだった。
でも侯爵令嬢として、レオポルド様の婚約者として、そんなみっともないことはできない。
こんなに幸せなのに、これ以上を望むなんて贅沢かしら。
レオポルド様はいつもの優しい顔で、馬車へエスコートしてくれた。
そう、いつもと変わらない。
この焦がれるような衝動は私だけなのかと、ちょっぴり恥ずかしくなる。
そして馬車の扉が閉じると同時に
――ふわっと抱きしめられた。
レオポルド様の爽やかな香水が鼻孔をくすぐる。
まるで世界に私たち二人だけしかいないように、ドクドクと心臓が脈打つ音だけが聞こえた。
私からも求めるようにレオポルド様の背に手を伸ばす。
すると更に強く抱きしめてきたレオポルド様は、囁くように言った。
「……ずっとこうしたくて堪らなかった」
レオポルド様も……?
「夢のようだ。君が僕の婚約者になってくれたことも、愛してるって言ってくれたことも」
「わたくしも……嬉しいです。ずっとこうしてほしかったから」
感情が昂って、声が震えてしまった。
するとレオポルド様は私の顔を見て、艶美に微笑んだ。
「ああ、グリーゼル。なんて可愛いんだ。すごく嬉しいよ」
レオポルド様の色香に当てられそうになって、私はより一層熱が上がる。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、レオポルド様は真剣な顔をなさった。
その熱を持った視線に、胸がトクンッと高鳴る。
「グリーゼル、愛してるよ」
レオポルド様の銀髪がサラリと肩から落ちて、長い睫毛が近づく。
そしてちょんっと触れ合うだけのバートキス。
もう一度開いた瞳は、熱を帯びてまだ足りないと懇願しているようだった。
溢れる気持ちをひとつひとつ落とすように、何度も唇を啄まれた。
そして最後にお互いを確かめ合うように、深く口付けた。