63. 標的
「先生! これ以上罪を重ねてはいけません」
「グリーゼルを離せ!」
「先生、なんてことを!」
グリーゼル・レオポルド・ラリーの悲鳴混じりの声がニクラウスを非難する。
それに怯むこともなく、ニクラウスは不敵に笑った。
「あなたがグリーゼルを何よりも大切に思っているのは知っていますよ、レオポルド殿下」
そう言ってニクラウスは手から風魔法を出して、グリーゼルへ近づけた。
「やめろ!!」
レオポルドの反応にニクラウスは満足げに笑った。
「私の罪は冤罪であったと騎士たちに伝えてください。言う通りにしないのであれば、この魔法でグリーゼルを葬ってあげましょう。あなたが五年も出し続けたこの魔法でね」
「先生!!」
グリーゼルの悲鳴のような叫びが聞こえる。
グリーゼルは拘束を振り解こうと、もがくがニクラウスの腕は振り解けない。
「大人しくしなさい!」
抵抗するグリーゼルを更に強く腕で拘束して、風魔法をグリーゼルの首に近づける。風に当たった黒い髪が何本か切れて、ハラリと落ちる。
「やめてくれ! ……分かった。言う通りにしよう」
レオポルドはフーワを取り出し、言われた通り騎士たちに伝えた。
「ニクラウスの罪は間違いだったようだ。捜索を止め、研究所ではなく一度城に戻れ」
ニクラウスはニコリといつものように笑い、そしてまた目を細めた。
「さあ、もう一つですよ。ここで殿下が自害すれば、グリーゼルを殺さないであげましょう」
「なにっ……!?」
「嗚呼、いいんですよ? できないということでしたら、彼女の顔を少しずつ削っていくだけですから」
そう言ってニクラウスは、手の上でヒュルルと音を立てて回る風魔法を少しずつグリーゼルに近づけた。
「やめろ!」
レオポルドが手を上に向けると、土の塊が空中で円錐状に固まり、巨大な杭が形成される。
ドリルのように回転するその切っ先は、真っ直ぐレオポルドの胸を差していた。
風で舞った書類がそれに巻き込まれ、粉々になって散る。
まるで重機のようなドリルに目を輝かせ、ニクラウスは満足そうに微笑んだ。
「いいですね。その魔法ならここにいる誰も真似できません」
「レオポルド様、おやめください!!」
杭は少しずつ進み、今にもレオポルドの胸を貫かんとしていた。
もう見ていられないグリーゼルは、後ろ手に拘束されて動かない腕に無理やり力を込めた。そしてニクラウスの足元に闇の糸を出現させる。
「なっ、なんだ!? これは」
自身が出す闇の手と同じそれをニクラウスが知らない筈がない。
しかしグリーゼルがそれを出すとは露ほども思っていないニクラウスは、一瞬目を剥いた。
細い闇の糸はすぐにニクラウスの闇の手によって搔き切られた。
しかしニクラウスの注意を逸らす、それだけで充分だった。
ヒュンッ、グサッ!!
「ギャッ!!」
土の槍が杭の後ろから出現して、ニクラウスの腕を貫く。
回転する槍がぶつかり、風魔法は霧散した。
そしてもう一撃で、グリーゼルを捕まえる手をも払い除けた。
「グリーゼル!!」
レオポルドはすぐに自身の体を風魔法で加速して、グリーゼルを助け出した。
グリーゼルの腰を抱き、フワリと着地する。
「杭の後ろに予め槍を用意していたんだ。グリーゼルが注意を逸らしてくれて助かったよ」
「ぐっ……これまでか」
片腕を押さえたまま、ニクラウスはドプリッと闇の沼に沈んだ。
逃げるつもりだ。
「逃しません!」
グリーゼルがでクロスさせて、叫ぶ。
ニクラウスが腰まで沼に入り込んだ時、沼のヘリから闇の糸が幾重にも伸びてニクラウスに絡みつく。
「なん……だと!?」
それと同時に静止していた蔓が再び動き出し、ニクラウスを拘束した。
闇の手を伸ばし、それらを振り解こうとするが、レオポルドの風魔法が闇の手を切り裂いた。
ニクラウスの瞳からは光が消え、もう何もかもを諦めたようだった。
「五年前、僕に呪いをかけたのは君だね?」
「私の呪文は素晴らしかったでしょう? あれほどの呪術をかけられるのは私を置いて他にはいません!」
「先生、もうやめてください!」
ラリーが頭を抱え、もう聞きたくないとばかりに叫ぶ。
尊敬する師の憐れな姿に、ラリーは項垂れたまま尋ねた。
「なんでそんなことをしたんですか……」
自重気味に笑ったニクラウスは、五年前を思い出す。
あの頃からレオポルドに比べ、エルガーは正義感に溢れ、行動力があった。
自らの行動で地位を築いてきたニクラウスは、そんなエルガーに取り入った。そのあどけなさから御し易いとも思っていたからだ。
「エルガー殿下はもし国王になっても、その正義感を貫かれますか?」
「? 嗚呼。もちろんだ!」
「では国王になった暁には、私に爵位を授けてください。きっと殿下のお役に立ってみせますから」
「いいだろう」
思えばただの社交辞令だったのかもしれない。
でもニクラウスは、エルガーの正義感は嫌いじゃなかった。
きっと軽い口約束であろうと、律儀に守ってくれるだろう。
しかしその約束はもう果たされることはない。
「エルガー殿下が約束してくださったんですよ。ご自身が王となった暁には私を貴族にしてくださると」
グリーゼルには信じられなかった。
たかが身分のために他人を陥れたことを。
「そんなことのために、レオポルド様を五年も苦しめたというの!?」
「生まれながらに高い身分を持つあなた方には分からないでしょうね!!」
ニクラウスの怒号が室内に響く。
「私は文字通り泥を啜って産まれてきました。そこから闇の魔力だけでここまでのし上がって来たんです。それなのに無能な貴族たちは爵位があるというだけで何不自由なく育ち、あまつさえ私のことを下賤の身と見下す!! これが我慢なりますか!」
「君の境遇には同情するけど、それとこれは別の問題だよ」
レオポルドの冷たい言葉に同意しつつ、グリーゼルはニクラウスには違った未来もあったのではないかと考えずにはいられなかった。
「先生がもっと闇の魔力を誰かのために使っていたら、もっと良い結果になったかもしれないのに……」
グリーゼルの言葉をニクラウスは鼻で笑って一蹴した。
「貴方は何を勘違いしているんですか? いくら貴方が呪いを解呪しようとも、闇魔法は本来呪うために編み出された魔法です。貴方だってそうでしょう!?」
ニクラウスは壊れたように笑い出した。
グリーゼルは自身の汚さを指摘されたような気持ちになった。確かに自分も呪いをかけたのだから。
そこに騎士たちが音を立てて入ってくる。
「な、騎士は城に返したのでは……!?」
「騎士たちには『研究所に戻れ』だけ聞こえるようにしたんだよ」
連れて行けと小さく命令すると、騎士たちはニクラウスに魔力封じの拘束を着け、連行して行った。