50. 王位継承争い
「…………」
「…………」
1分くらい気まずい雰囲気が流れ、逃げ出したくなった私はさっさとお辞儀をして立ち去ろうとした。
「失礼します」と顔を上げた時、エルガー殿下の後ろに迫る人影に気づく。明らかに殺意を滲ませ、エルガー殿下に向かって手を翳している。
咄嗟に私は両手を持ち上げるように動かした。すると人影の足元から黒い闇の糸が3本にゅっと伸びる。その糸を操るように手をクロスさせると、人影に絡みついて身動きを封じた。
「は!?」
何事かと後ろを振り返ったエルガー殿下は、捕縛した人影と私を交互に見比べている。その間に私の護衛騎士であるクルトが駆け寄ってくる。
「お嬢様、ご無事ですか!?」
振り返ってみると既に護衛騎士ミカエルが、もう一人の暗殺者の背中を膝で押さえ、捕縛しているところだった。私が「大丈夫よ」と声をかけると、闇魔法で捕縛していた暗殺者も、クルトが拘束して引き取ってくれる。きっと私が捕縛しなくても、クルトがどうにかしてくれていたに違いない。
「エルガー殿下、この人達は一体……?」
「もうとっくに王位継承争いは始まっているということだ」
あたかも当然のようにエルガー殿下は答えた。
王位継承争い――つまりもう一人の王位継承者であるレオポルド様がエルガー殿下を暗殺しようとしたということ!?
「レオポルド様はそのようなことはなさいません!」
「兄上が手を下そうとそうでなかろうと、勝手に動く輩は大勢いるッ!」
エルガー殿下はギリッと歯噛みしながら、悔しそうに顔を歪めていた。エルガー殿下もレオポルド様のことは疑っていないようだった。元々疑っていなかったのか、それとももう調べたことなのかは分からないけど。そうでなくてもご兄弟で争い合うなんて、悲しすぎる。
「兄上の呪いも、父上やお前が襲われたことも、俺は何一つ命令などしていない」
レオポルド様の呪いも、陛下や私が襲われたことも、王位継承争いが関係しているというの!?
言われてみて、初めて思い至る。
レオポルド様がお兄様なのだから、元々レオポルド様が第一王位継承者で、エルガー殿下が第二王位継承者だった筈だ。それがレオポルド様が呪いで王位継承者から外れ、その直後に私がエルガー殿下の婚約者に選ばれた。エルガー殿下を王太子にすべく仕組まれたと考えれば、ピタリと時期が合う。
しかし先日陛下や私が襲われたことまで関係しているというのは、腑に落ちない。
「陛下やわたくしが襲われたことも関係あるのですか?」
「今父上が亡くなれば誰が王になる」
――第一王位継承者のエルガー殿下だ。
先日の食料問題の謁見でレオポルド様が再び王位継承権を得た。
元々エルガー殿下が王位を継ぐと考えていた人たちは、焦ったに違いない。
以前もレオポルド様が第一王位継承者だったのだから、いつまた順位が変わるかは分からない。
そこで順位が変わらないうちに王位を確定させてしまおうと考えたのだろう。
でも婚約を破棄された私が王位継承争いに巻き込まれる理由にはならないような……?
私がまだ考え込んでいると、エルガー殿下がまた口を開く。
「お前は兄上と婚約するのか?」
神妙な声で聞いてくるエルガー殿下に、私は声を出せずにいた。頭に浮かんだ「そんなことあり得ません」という言葉が、なぜか口から出てこない。
それを勝手に同意と受け取ったエルガー殿下が、質問の真意を話し始める。
「陛下からの信頼が厚い侯爵の令嬢が、兄上の婚約者になったら、力関係はどうなると思う?」
元々私がエルガー殿下の婚約者になったのも、政略結婚だ。それを破棄した時点でかなり政略的に力が落ちている。更にそこでレオポルド様が私と婚約するという話が上がれば、一気にレオポルド様に力が傾く。
もしエルガー殿下がナーシャと結婚するつもりなら、別の後ろ盾を得ることも叶わないのだから尚更だ。
「エルガー殿下とレオポルド様それぞれを王位に付けたい方々が、独断で暗殺者を送り込んでるということですか」
私を殺してしまえば、レオポルド様は後ろ盾を失う。それどころか娘を守れなかった不興を買い、お父様はエルガー殿下に味方するかもしれない。
「そういうことだ。俺がやめろと言ったところで、結果は変わらん」
それでは一番危険なのはレオポルド様とエルガー殿下だわ。
「エルガー殿下は護衛をお付けにならないのですか?」
「さっき捕まえた賊を連れて行った。俺は強いし、いちいち護衛に付いて行くのも面倒だ」
エルガー殿下は苦笑いを浮かべる。一日に何度も襲われているんだわ。それじゃあ気が休まらないに違いない。
「お前は俺の心配までしてくれるんだな……」
意外そうに言うエルガー殿下に、私はキョトンと目を丸くする。
「当然ですわ」
婚約破棄されてからちょっと苦手ではあったけど、それでも元婚約者だ。それにこの国の王族でもあるエルガー殿下を、心配しないわけがない。
迷いなく当然と答えた私に、戸惑うように碧眼が揺れる。それから次の言葉を躊躇うように視線を彷徨わせた後、そっぽを向いたままぶっきらぼうに礼を述べる。
「……そうか。そういえば助けてくれたことに、礼を言ってなかったな。……ありがとう」
最後はかなり小さい声だったけど、私に向けてこんな風に言ってくれたのは初めてかもしれない。私がいえと短く答えて口元を緩ませると、話を逸らすように早口で別の話題を出す。
「その闇魔法は以前から使えたのか? 攻撃魔法なんて使えたんだな」
「これは……最近身につけたんです。本当は余程のことがない限り、使わない約束なんですけど」
後ろに控える護衛騎士を指して紹介する。
「クルトに教えてもらいました」
クルトは木魔法の蔓で敵を捕縛するのが得意だ。小柄にも関わらず、敵の動きを蔓で止めて素早く切りかかる様は、とても格好よかった。遠隔からの防御魔法を習得した後に、私がその魔法に憧れていたことを話すとコツを教えてくれた。
「侯爵令嬢がなぜ攻撃魔法なんかを? 守ってもらえるだろう」
「わたくしはレオポルド様の負担になりたくないんです」
私が傷付いた時は、いつもレオポルド様は悲しそうなお顔をなさる。もう私のためにあんな顔をしてほしくなくて覚えた魔法だ。これからはレオポルド様をお守りすることにも使えるかもしれない。そう思えば、より自分の魔法が誇らしくなってくる。少しくらいエルガー殿下の闇魔法に対する嫌悪感を払拭できたかしら。
「貴女は前に進んでいるんだな……」
エルガー殿下は負けを認めたような表情をしていた。いつも自信満々だった彼からは想像もできない顔だ。遂には俯き、弱音まで口にする。
「俺は貴女と婚約破棄してから、何も進めていない。後退ばかりだ」
エルガー殿下らしくない言葉に、私は問わずにはいられなかった。
「後悔しているんですか?」
あの婚約破棄がなければ、私はまだ未来の王太子妃だったかもしれない。でもあの婚約破棄がなければ、レオポルド様と会うこともなかったし、レオポルド様の呪いを改竄することもなかった。
「貴女と婚約破棄したことは後悔していない。…………だがやり方が悪かったことは認める」
やはりエルガー殿下はエルガー殿下だ。
私のことを婚約者に望むような方ではない。
それでも謝罪をしてくれたことには、少なからず好感が持てた。
「ふふ。それならその反省を次に活かせばいいだけです。失敗ばかりが続くなんてありえません。人は成長しますから」
「そうだな」と今度こそエルガー殿下らしい笑顔を取り戻した様子に、私は安堵した。