44. 眠りの中の秘密
グリーゼルはなんとかご令嬢たちから逃れ会場に戻ってきた。
庭園には飾られたテーブルがいくつもあって、花を愛でながら会話を愉しむスペースがある。そこと続くように開け放たれた建物内のスペースもあり、煌びやかな装飾に囲まれていた。
そこここで美しい衣装に身を包んだ紳士淑女たちが、グラスを片手に談笑している。
グリーゼルはご令嬢たちからの圧で疲れていた。建物の中に入り、様子見でもしようかと壁の花になっていた。しかし見知った顔が近づいてくるのを見て、思わず頬を緩める。
「グリーゼル、久しぶりだね。また一段と綺麗になった」
彼はラリー。ニクラウス先生と一緒にグリーゼルに呪術を教えた兄弟子だ。彼はグリーゼルより爵位が下の子爵だが、短くない期間共に過ごした仲なので気安い言葉で話していた。
「ラリー。久しぶりね! 綺麗だなんてそんな……」
グリーゼルは最近いろんな人にキレイだと褒められて、困惑していた。今まで男性にそんなこと言われたことはないし、元々ラリーもこんなことを言うタイプではなかった。思わず赤く染まった頬を両手で押さえると、それを見ていたラリーもちょっと恥ずかしそうに視線を逸らす。
「グリーゼル、喉乾いたよね? 今飲み物持ってくるよ」
「ありがとう」
グリーゼルはちょっと褒められただけで顔色を変えてしまう自分に、呆れていた。一旦間を置くために、飲み物を取りに行ってくれたラリーには感謝しかない。
ウェイターからグラスを受け取ったラリーは、喜びに口元を綻ばせていた。
(グリーゼル、やっと再会できた)
グラスを持ったラリーの手から緑の靄がうっすらと光る。しかし彼の体の影になって、他の人からは見えていない。
ラリーはグリーゼルの元に戻り、素知らぬ顔でそのグラスを「どうぞ」と渡す。グラスには特におかしな点はない。
「ありがとう」
グリーゼルはなんの疑いもなくグラスに口をつける。
「最近の活躍聞いているよ。グリーゼルは元々とても優秀だったもんね。最初は私が教えていたのに、いつの間にかどんどん先に進んで」
「いいえ、ラリーの教え方が上手だったのよ。先生の難しい話も、噛み砕いて説明してくれたから助かったわ」
「先生はすごく賢いから、話し方が小難しいんだよね」
「まぁ、ふふふ」
グリーゼルは笑って、またクイとグラスを口に傾けた。
ラリーはその様子を眺めてから、誇らしげに自身の功績をグリーゼルに話す。
「今度私の呪術の功績が認められて伯爵位を賜ることになったんだ」
「まぁ! おめでとう! やっとあなたの頑張りが認められたのね!」
グリーゼルは兄弟子の躍進が素直に嬉しくて、手を合わせて褒め称えた。ラリーは嬉しそうにそれを見て、グリーゼルに顔を近づける。
「これで私もあなたに相応しい男になれたかな?」
「え……?」
ドクンッと心臓の鼓動が激しく鳴ったと思ったら、体がカアーッと熱くなってくる。甘い台詞に反応したにしては、ちょっと度を超えている。動悸が激しくなり、思わず胸を押さえて体を傾ける。
「グリーゼル? 大丈夫?」
ラリーが心配そうに私の肩を触った瞬間、ビクッと体が勝手に反応して、グラスを落とす。甲高いグラスが割れる音と共に、周りに貴族たちの視線が一斉に集まった。
「ご、ごめんなさい」
「具合が悪そうだね。一緒に休憩室まで行こう」
そう言ってラリーが差し出した手は、横からスッと現れた別の手に遮られ行き場をなくす。
「僕が休憩室に連れていくよ」
グリーゼルの肩に差し伸べられたラリーの手を払い、自らの手でグリーゼルを支えたのはレオポルドだった。
「……殿下」
次の瞬間、ラリーの目つきが一気に鋭くなった。
「いえ、殿下のお手を煩わせるほどでは。グリーゼルは昔馴染みですし、私が連れて行きます」
「ここは僕の城だからね。僕の方が最速で適切な場所に連れて行けるよ」
一層鋭さを増したラリーの視線に気付かないふりをしながら、レオポルドはグリーゼルを連れて行った。
*****
グリーゼルは額に汗を滲ませ、歩くのも辛そうだ。レオポルドはすぐにでも抱きかかえて休憩室に連れて行きたかった。しかし人目がある所では注目を集めないために我慢していた。会場からは見えない廊下まで来ると、ひょいっとグリーゼルを抱き上げる。すると途端にグリーゼルから変な声が上がった。
「ひゃあぁ!」
さすがのレオポルドもそれにはびっくりして、「大丈夫? いきなりごめんね」とグリーゼルの顔を覗き込む。その顔は上気して赤くなり、ハァハァと息まで荒くなっている。
近くにいた衛兵が顔を赤く染め、思わずゴクリと唾を飲み込む。それを横目で見ていたレオポルドは、その場から逃げるように足の動きを早めた。
休憩室まで来ると、ソファにグリーゼルを寝かせて、そっと毛布をかける。
部屋の中にも衛兵が待機していたが、先程の衛兵と同じでグリーゼルを舐め回すように見ていたので、部屋から追い出した。
「レオポルド様、お手を煩わせてしまい、すみません」
震える声で謝罪するグリーゼルに、レオポルドの理性も持っていかれそうだったが、グッと堪えて優しく諭す。
「僕の手なんていつでも使ってくれて構わない。グリーゼルのためなら、いつでも差し出すよ。さっき薬師を呼んだ。もう少しの辛抱だからね」
辛そうな様子に髪を撫でようかと手を伸ばしたがやめた。さっきのグリーゼルの反応から、余計な刺激になってしまいそうだ。
そこにコンコンッとノックの音が聞こえる。やっと来たかと入室を許可すると、シスが入ってきた。
「また姫さん毒を盛られたのか?」
グリーゼルへの嫌味に聞こえ、レオポルドは顔を顰める。
「軽口を叩かないで、診てくれるかい?」
「あぁ、じゃあちょっと失礼しますよ」
と軽く答えたシスは、ソファから起き上がったグリーゼルの顎に手を添えて、じっと見つめる。
頬は薔薇のように染まり、うっすらと汗ばむグリーゼルは殊のほか艶っぽく、美しい。
「いやぁ、別嬪っすね! こりゃメロメロになるわけだ」
顔を赤くしたシスが、目を逸らすように視線をレオポルドに向けると、すごい剣幕で睨まれる。
「シス!」
「へいへい。大丈夫。こないだと違って、大した薬じゃねえよ」
手をひらひらさせて顔を仰いだシスは、何でもない事のように返す。しかしどう見ても何でもないようには見えない。グリーゼルは顔を赤らめているし、息も荒い。少し触っただけで敏感に反応する。まさか――。
「ただの媚薬だ」
「は!?!?!?」
「えっ……!!」
二人同時に顔を真っ赤にして、目を見開く。
グリーゼルは体の中でジクジク何かが暴れるような感覚に、それが媚薬のせいなんだと一人納得する。恥ずかしいけれど、命の危険がないのならいいかとさえ考えていた。
レオポルドは口を手の甲で覆い、その意味を反芻していた。グリーゼルの顔が赤いのも、息が荒いのも、もうそういう風にしか見えない。さっき抱き上げた時の反応も、体が媚薬で敏感になっているんだと思えば、どうしようもなく恥ずかしくなる。
「ってことで一晩抱いてやれば明日には落ち着くぜ」
「ダメに決まってるだろう!!」
「何を言ってるんですか!!」
二人の悲鳴に近い怒号が室内に響き渡り、テーブルの上のグラスがカタカタッと揺れる。
「あれ……アンタらそこまでは行ってないのか? こないだ舌入れたキスしてただろうが」
「してません!!」
今度はグリーゼル一人の声しか響かなかった。
あれ?と不思議に思ったグリーゼルがレオポルドの方を見ると、顔を真っ青にして視線を逸らしている。さっきまでの怒号が嘘のように、室内はシンッと静まり返った。
(え……私の記憶ではそんなことされたことないんだけど……?)
グリーゼルが首を傾げてレオポルドを見つめると、手で顔を覆ってしまった。
「いや……その……違うんだ。 あれは薬を飲ませるためで、そういうんじゃ……」
「薬を飲ませるため」と聞いて、グリーゼルは毒から目覚めた時のことを思い出す。あの近すぎる顔も、抱きしめられたことも芋づる式に思い出してしまった。尚且つディープキスをされていたなんて分かれば、ボンっと一気に頭が爆発した。
その様子をニヤニヤ見ていたシスは、笑いながら助け舟を出す。
「まぁ、そういうことなら症状を抑える薬を作ってやるよ」
「……ありがとう」
項垂れたレオポルドはお礼を言いながらも、内心「それを先に言ってくれ」という気持ちでいっぱいだった。