35. 木魔法の薬師
今日はシスが薬師を連れてくる約束の日だ。
レオポルドは朝からソワソワして、早めに身支度をしてグリーゼルの様子を見に来ていた。
以前は穏やかに眠っていたのに、今日は息も乱れ苦しそうだ。額にはうっすら汗も滲んでいる。
このままでは間に合わないかもしれない。
そんな気持ちを振り払うように、顔を振る。何もできない時間が歯痒くて、ギリっと拳を握る。
「待っててくれ。きっと君を助けるから」
レオポルドはベッドの脇から立ち上がり、シスが来る前にアコーニタムの様子を見に行く。万が一枯らしたりしたら、薬は作れない。
アコーニタムはレオポルド自身が世話をしていた。アコーニタムの育て方を直接聞いてきたのはレオポルドだったし、何より他人に任せる気になれなかった。自室に向かって歩いていると、トールキンが駆け足で近づいてくる。尋常じゃない様子だ。
「坊っ……殿下!!」
「どうしたんだい?」
「殿下のお部屋に窓の外から攻撃魔法が投げられ、アコーニタムがっ!!」
それを聞いてすぐ様駆け出す。自室の扉をバンッと音を立てて開けて、花があるであろう場所に目を向ける。
そこには無惨に炭になったアコーニタムの短い茎が首をもたげていて、そこから半分黒くなった花びらがハラリと舞う。
レオポルドは崩れ落ちた。
アコーニタムの花がなければ薬は作れない!
グリーゼルを助けられない!!
脳裏に死ぬ間際のコンラートの顔が浮かんでくる。
それが息を乱して苦しむグリーゼルと重なった。
……いやだ…ダメだ!
スクッと立ち上がり、レオポルドは歩き出す。
「殿下、どちらへ!?」
「もう一度アコーニタムを買ってくる」
「隣国までですか!? それでは……」
……間に合わない! そんなことは分かってる!
あのグリーゼルの様子では持って数日だろう。
隣国までは僕の最速でも片道数日かかる。
でも今はそれしかないんだ!
奇跡に縋るしか……!
レオポルドとトールキンが王城の門まで差し掛かった時、言い争いの声が聞こえてくる。
「だーかーらー! 俺はこの国の第一王子レオポルド殿下に呼ばれて来てるんだって! さっさと通せよ!」
「お前のような身なりの者が、レオポルド殿下にお目見えできるわけがないだろう! それに殿下からは二人と聞いている!」
「…………シス?」
「……お! 殿下! いい所に! 衛兵が話が通じなくて通してくれねぇんだよ〜」
シスは最初に会った時と同じ気の抜けた声で気安く手を振っていた。
「不敬だぞ!」と衛兵に怒られている彼の周りを見ても、他には誰もいない。
薬師は連れてこれなかったのか……?と考えたが今はそれどころじゃない。
「すまない。日を改めてくれるかい? 今ちょっと……」
と言いかけた時、シスの手元にある袋が目についた。その青紫の花びらがチラリと見える膨らみには見覚えがある。先日レオポルド自身が運んでいた花ーーアコーニタム!? いやまさか! なぜ彼が? 薬師の替わりに仕入れてきてくれたんだろうか? 隣国からたった一日で?
手元を凝視したまま固まっているレオポルドに、シスは袋をチラリと開け中身を見せる。
「こないだの花はまだ魔力の蓄積が足りなさそうだったからな」
「……本当に……?」
レオポルドは目元に雫を滲ませ、それに手を伸ばす。その尋常じゃない様子にシスは察する。
「……何かあったのか?」
彼の問いには答えず、衛兵に一言「彼を通せ」と声をかけて、王宮に案内する。
あのままあの場所で全てを話すことはできない。
グリーゼルの眠る部屋までアコーニタムを持ったシスを連れてくると、シスはグリーゼルを見て「これは……やばいな」と冷や汗を浮かべる。……その言葉に不安と焦りが募る。
「……その花はどこで?」
「これは俺が栽培してる花だ」
「なるほど。だけど薬師は来てはくれなかった……ということかい?」
落胆が隠せない様子のレオポルドにシスが「いや」と返しながら、近くのテーブルに袋から出したアコーニタムを置く。
「?……後から来るのかい?」
(それだと間に合うかどうか……)
「それも違う。もういるんだよ」
「??……どこに……」
ーーまさか!
「俺がその薬師だ」
ニカッと笑って、当然のように告げる。
この間はまるで他人のようなことに言っていたし、偏屈とも言ってた。まさか彼が! いやでも揶揄ってるわけではなさそうだ。思い返してみると、彼はアコーニタムにかなり詳しかった。隣国でも聞いたことがないアコーニタムの情報を持っていたし、今日もその花を持参してくれている。
口を半開きのまま、シスを見つめているレオポルドを意に介さず、シスはトールキンに「グラスとかあるか?」と聞くと、「ただいまお持ちします」とトールキンは部屋を出て行った。
寝ているグリーゼルの他には二人きりになった部屋で、シスはポツポツと疑問の答えを零し始める。
「最初は全くこんなことやる気はなかったんだ。貴族は嫌いだし、金だけもらってオサラバしようと思ってたんだが……」
「それならどうして!?」
「アンタがあんまり必死だからさ。駆け引きだってできる賢そうな王子様がよ、顔面蒼白のまま愛する人を助けるために取り乱してるのを見たら、放っておけなくてな」
ははと軽く笑った彼は、最初に会った時や交渉の時とは違う穏やかな目をしていた。
「やっぱり君は優しいね」
「……よせよ」
恥ずかしそうに目を逸らした彼はいつもの軽薄そうな顔に戻っていたけど、何故か信頼できると思えた。
トールキンがグラスを持って戻ってくると、シスはそれを受け取り、腕まくりをする。
「さあ! 始めるぜ!」
アコーニタムの花を前に、シスが花に触ると突然クシャリと花を潰した。ビックリして声を出しかけたけど、こういうのは専門家に任せて黙ってるべきだと口をつぐむ。
シスの手が深緑の靄に包まれ、それが濃縮されるように手の中に収まっていく。
手をギュッと握ったと思ったら、手の間から黄緑の液体が溢れ、グラス三分の一程度を満たした。
「これを飲ませれば解毒できると思うぜ」
「ありがとう!」
レオポルドは寝ているグリーゼルの肩を抱き、身体を起こす。息を乱したまま苦しそうなグリーゼルに、心配そうに眉を寄せる。
シスからグラスを受け取り、声をかけてからグラスをグリーゼルの口元まで運ぶ。
「グリーゼル、薬だよ。飲めるかい?」
グラスを少しだけ傾けてみるも、……ウッ……ゲホッゴホッと咳き込み上手く飲めない。これでは解毒できない……と思ったレオポルドは咳が収まったのを見計らって、グラスをぐいっと呷って口に含んだ。そのままグリーゼルの口を舌で押し開き、口移しで薬を飲ませる。
シスはヒューッと口笛を鳴らし、トールキンは「ぼっ坊っちゃま…」と口をパクパクしながらそれを見ていた。
ゴクリと喉を鳴らしたのを確認して、唇を離す。
漸く息をしたようにハァハァ息をするグリーゼルの様子を見て、失敗かという不安が押し寄せてくる。
「グリーゼル、どうか目を覚ましておくれ」
ギュッと優しくグリーゼルを抱き寄せて、暫くグリーゼルの様子を見ていると、次第に呼吸が大人しくなってくる。
抱きしめるグリーゼルの肩がピクリと震え、掠れる声が聞こえた。
「…………レオ……ポルド様……?」
抱きしめているグリーゼルから体を離し、顔を覗いてみると、その灰色の双眸が確かにレオポルドを見て揺らいでいた。
……目を覚ました。
…………生きてる!
レオポルドの瞳から一筋の涙が頬を伝う。
「グリーゼル! よかった……」
レオポルドはもう離さないとばかりに、グリーゼルを抱きしめる。
グリーゼルは顔を真っ赤にしてあたふた、所在なく手を動かしていたが、レオポルドはただ抱きしめ続けた。それを見かねてシスが悪態をつく。
「……ったくよぉ。薬は魔法と違って効果が出るまでに時間がかかるんだよ。姫さんをあんまり興奮させんな。まだ安静にさせてやれ」
それを聞いてレオポルドは一気に冷静になり、「ご……ごめん!」とグリーゼルを優しくベッドに寝かせる。
グリーゼルは顔を真っ赤にしたまま、それを隠すように両手で顔を覆っていた。
だがその呼吸は落ち着いていて、苦しそうにはしていなかった。
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