32. 目覚めない目撃者
トールキンと合流して話を聞いたレオポルドは愕然とした。
胸騒ぎは間違いでもなんでもなく、むしろ想像以上の最悪の事態が起きていた。
何者かに襲われた父上は未だに目を覚ましていない。そしてその容疑はバートに。
バートが父上を襲うなんてありえない。せっかくアコーニタムを隣国から持ってきたのに、これではもうバートの容疑を晴らせない。
馬車の中で頭を抱えたまま、視界がグニャリと歪む。
「それと申し上げにくいのですが……、坊っちゃま!?」
トールキンがスローモーションみたいに見えて……ぐらりと視界が傾いたと思ったら、揺れる馬車に頭を何度か打ちつけた。
……次に気づいた時にはもう王城に到着していて、トールキンに起こされたところだった。
*****
レオポルドはコンコンッとノックの音を響かせた。
物々しい警備が敷かれた貴人を捕らえる部屋の前まで来ていた。
身体は悲鳴を上げていたし、先程意識を失ったばかりだが、むしろそのお陰で休めた。何より父上とバートが気がかりで休んでなんかいられない。
暫くして扉の中から返事が聞こえて、部屋の中に入る。
おかえりと言ってくれたバートの顔は少し窶れたように見えた。
「……すまない。僕がいない間にこんなに事態になっているなんて……。まだ君の無実を証明できそうにない」
「いいんだ。お前が信じてくれるなら……。それよりお前も無理はするな。酷い顔色だぞ?」
返ってきたのは、バートらしくない弱々しい笑顔だった。
「陛下はご無事なのか……?」
バートも無実の罪で疑われて辛い立場だろうに、父上の心配をしてくれる。ずっと王城にいたはずなのに、父上の容態を聞いてないのかと不思議に思ったが、恐らく父上暗殺容疑がかかってるから、聞かされていないんだろう。まぁ……バートが暗殺する訳ないから話すけど。
「行ってみたけどまだ治療を続けているみたいで、顔を見ることはできなかったよ」
「……そうか。早く目覚めるといいな」
暫く沈黙したまま、二人はカーペットを眺めていた。それが苦痛だったわけではないが、バートは顔を上げて沈黙を破る。
「ところでグリーゼル嬢の顔は見たのか?」
「……グリーゼル? まだ会ってないけど……?」
てっきりレオポルドはかなり心配してるだろうなと思っていたバートは、首を傾げるレオポルドの様子を訝しむように聞き返す。
「聞いてないのか……? グリーゼル嬢は襲われて、俺が助けた時にはもう毒で意識がなかった」
「なんだって!?」
勢いよく立ち上がり、一人用のソファがガタッと揺れる。レオポルドは目を見開き、震え出す。
グリーゼルが襲われたなんて話聞いていない。護衛の騎士も付けたし、てっきり今もツッカーベルク侯爵邸で過ごしているものだと……。しかもグリーゼルに付けた護衛はそこら辺の下っ端じゃない。選りすぐりの精鋭を付けた筈だ。それが何故!?
最悪の事態が更に続いていることに目眩を覚えながら、バートを見下ろして続きを待った。
「陛下が襲われた翌日、灰色のローブが数人、グリーゼル嬢を温室に運んでいくのを見た。そこでまた毒の霧が出て……。助けた時にグリーゼル嬢は『オレは無実で、陛下は別の』と言ってた。……もしかしたら何か知ってるかもしれない」
「何か知ってる……?」
バートはコクっと頷く。
バートが無実で、陛下は別の…………誰かに襲われた?
それを知ってたから、口封じされたのか……!
その誰かのことを考え、腹の底からふつふつと煮えたぎるような気持ちが湧き上がる。
*****
グリーゼルが療養しているという客室の前まで来たが、ノックもできず立ち尽くしていた。
早く顔を見たい気持ちと、倒れているグリーゼルを見るのが怖い気持ちが鬩ぎ合って、金縛りにあったようだ。
なぜグリーゼルのことを教えてくれなかったのかとトールキンに問い詰めようとしたが、馬車の中で途中で意識を失ってしまったことを思い出して、やめた。
そんなことを考えていると、扉の奥から声が聞こえてる。
「旦那様! もうお休みになってください。体が保ちませんよ! 陛下が倒れられてからずっと働き詰めではありませんか!」
「……あぁ」
侍女に支えられてヨロヨロとツッカーベルク侯爵が扉から出てくる。寝ていないのか、侯爵の顔は土気色に燻んでおり、目の下にはありありと隈が浮かんでいた。
「……侯爵。……グリーゼルは……」
「……殿下?」
侯爵はひどい顔色で首をフルフル横に振るだけで答えた。
「そんなにひどいのかい……」
「顔を見てやってください。……うわ言で殿下のお名前を呼んでいました」
どうぞ、と扉を開けられるが、足がすくんでなかなか進むことができない。部屋の中に目を向けるとベッドの端が視界に入る。どれだけ待っても、かけられている布団はピクリとも動かなかった。
レオポルドの足がやっとゆっくり進むが、手も足も震えていた。
グリーゼルの顔を見たい……見たくない……怖い…………会いたい。
「グリーゼル……?」
近くまで来るとグリーゼルの青白い顔が視界に入る。
さらりと髪を撫でて、その先を掬い上げてみるも反応はない。
グリーゼルの近くに顔を寄せ、手を握ってみるが、やはり握り返されることはなかった。
ふと昏睡状態のコンラートの顔が頭に過ぎる。レオポルドの呪いで傷つき、死んでしまった叔父。今のグリーゼルと同じ青白い顔で、その後目覚めることはなかった。
…………死?
いやだ……いやだいやだいやだ!
グリーゼルとコンラート叔父上の顔が重なり、首を振るも、不安は晴れない。
グリーゼル……いなくならないでくれ……。
僕はまだ君に何も恩返しできていない……。
……好きだと……伝えていない……。
「……愛してる」
そう囁いた瞬間、握ったままのグリーゼルの手の指がピクリと動いて弱々しく握り返してきた。
反応があったことに歓喜すると同時に、今口走った言葉への羞恥心に動揺する。
鼓動が波打つ音が響くまま、グリーゼルが起きるのを待ってみるが、また沈黙がカーペットに吸い込まれていくだけだった。
ーーグリーゼルはまだ生きてる。
今ので目が覚めた。まだ死ぬことが決まったわけじゃない。何もできなかったあの頃とは違う。コンラート叔父上とは違う。まだ出来ることがあるはずだ!
「君を死なせはしないよ」
握り返された手を解くことをまだしたくなくて、名残惜しそうにグリーゼルの髪を撫でる。生きてることを実感するため、呼吸をする唇まで指を伸ばして……そっと触れた瞬間。
ーーコンコンッ。
扉からノックの音が響く。
ビクッと肩を揺らして、侯爵が戻ってきたのかと、返事をする。
侍女に開けられた扉の向こうには、ナーシャ嬢がその可憐な金髪を揺らして立っていた。