26. 毒の霧
気づいた時には私は青紫の霧に包まれていた。少し吸い込むとゴホゴホと咳が出て、すぐに毒だと分かる。
温室の調査に夢中になってしまって、後ろから広がる毒の霧に気付くのが遅れてしまっていた。さらに悪いことに、どうやら毒の霧は後ろの花ーー隣国から送られたアコーニタムの法螺貝のような花びらの中から噴き出しているように見える。周りは他の花で囲まれていて、通り道はそこしかない。
つまりレオポルド様たちと合流するには、一番霧が濃いところを通っていかなければならない。
怖くて仕方がないが、ここを通らなければ死しかない。私には毒を浄化する光の魔力もなければ、霧を防ぐような魔法も使えない。
ゴホゴホと咳が出るまま手で口を覆って、なんとか花のそばを通り過ぎようとしたが、手ではほとんど霧を防げず、息をするたびに肺に毒の霧が入りこんでくる。何の訓練もしていないこの体では息を止められるのもほんの少しだ。
アコーニタムの側まで来ると、その霧の濃さに堪えきれず激しく咳き込んで止まってしまった。あまりに空気を吐き出したため、肺が空気を取り込もうと呼吸を求めている。グッと口を閉じて我慢してみるが、苦しくなって吸いこみ初めてしまってからはもう耐えられなかった。空気を求める欲求に抗えず、思いっきり吸い込むと、それと一緒に毒も肺に入り込んでくる。激しく咳き込み、そのままカクッと膝が勝手に曲がり、毒の霧が溜まる床にしゃがみこんでしまった。
*****
僕は後悔した。グリーゼルのそばを離れるべきじゃなかった。今グリーゼルは毒の霧に包まれている。念の為防御魔法はかけていたけど、土の防御魔法は毒の霧は防いでくれない。
「皆さん! わたしの近くにいてください!」
毒の霧に気づいたナーシャ嬢が光の浄化魔法を使って、光の球を産み出すとどんどん大きくなっていく。ナーシャ嬢を中心に広がる球体の中に僕たち王子3人はすっぽりと収まった。この中にいれば安全だ。しかしグリーゼルだけはその中にいない。
グリーゼルのところまで皆で移動するのを待っていては、間に合わないかもしれない!
僕は意を決して光の球体から飛び出す。風魔法で毒の霧を跳ね除けながら進んだ。今やるべきことは一刻も早くグリーゼルを助けることだ!
「レオポルド殿下! ここから出ては殿下まで毒に!」
ナーシャ嬢の声が聞こえるが、ただグリーゼルの元に一刻も早く行くことしか考えていなかった。風魔法を使い、加速して僕ができうる最速でグリーゼルに駆け寄る。スピードを上げたからか僕の風魔法でも完全には毒の霧を防ぎきれなかったらしく、少し咳き込むがそれよりもグリーゼルを抱き抱える。グリーゼルはすでに濃い毒の霧の中にいて、激しく咳き込んでいる。もう危険な状態かもしれない。
恐らくエルガーたちはナーシャ嬢が守ってくれるから、大丈夫だろう。僕はグリーゼルを横抱きにしたまま、出口まで一目散に脱出する。
出口を出て、ガラつく声ですぐに衛兵に風魔法で声を飛ばす。グリーゼルは咳き込む合間に、喉からヒューヒュー音がしてかなり苦しそうだ。
「グリーゼル! 大丈夫かい!?」
苦しそうなグリーゼルを抱き抱えたまま背中を摩っていると、遅れてナーシャ嬢とエルガーとバートランドも温室から出てくる。まだ騎士団の救護班は到着していない。
「ナーシャ嬢、頼む! グリーゼルの毒を浄化してくれ!」
以前の態度からナーシャ嬢はグリーゼルを嫌ってるのかもしれない。そんな不安が頭を過ったが、それよりも今は光の魔力を持つ彼女でなければ、グリーゼルは治せない。
「分かりました!」
ナーシャ嬢が手をグリーゼルに翳すと、手から白い光が出てきてグリーゼルを包みこむ。少しするとその光は収まり、グリーゼルの咳は収まっていた。本当に浄化してくれたことに安堵しつつ、無事を確かめるため、呼びかける。
「グリーゼル! 大丈夫かい!?」
「……大丈夫ですわ。ありがとうございます」
やっと落ち着きを取り戻した様子のグリーゼルはまだ涙目だったが、少し深呼吸して体を起こし、お礼を言ってくれた。
「レオポルド様、ナーシャ様、助けていただき、ありがとうございました。わたくしはもう大丈夫ですわ」
「よかった」
思わずホッと胸を撫で下ろしたところに、救護班を連れた衛兵が走ってくるのが見えた。
「温室に毒の霧が発生したと伺いました! 負傷者はどなたですか!?」
「皆なんとか無事だ。ナーシャ嬢が浄化してくれたけど、グリーゼルがかなり毒を吸ってしまったから、念のため検査してくれるかい?」
「は! しかし皆様念のため、検査させていただけますと幸いです!」
そう言っている間にも、別の衛兵が温室に向かって毒の霧が漏れ出ないように、風魔法と木魔法を使って処理していく。
救護班に促されるまま、僕たちは全員検査してもらうことにした。
検査室に移動する傍ら衛兵はこちらを振り返り、状況を聞いてくる。
「大変な目に遭われたところ申し訳ありませんが、話せることのみで結構ですので状況をお教えいただけませんでしょうか」
僕たちがどう話そうか思案していると、遠くから一部始終を見ていたであろうエルガーが口を開く。
「見ていた限りだと、毒の霧はアコーニタムという花から出ていたように見えた。あの法螺貝のような花から噴き出るように」
あのアコーニタムは隣国マクスタット王国からこの国に献上された花だ。当然他国への献上品となる花なら、毒などないことを入念に確かめてから持ち込まれる。そうでなければ他国に毒花を送りつけるなど、敵意ありと見做されかねない。
その花を持ち込んだ本人であるバートが悲壮な面持ちでエルガーの言葉に反論する。
「我が国の調査ではアコーニタムには毒性はないことが確認されている。決してこの国に害を為そうなどとは考えていない。……何かの手違いだ!」
「温室に入った時には毒は出ていなかった。何か別の要因があるのかもしれないね」
僕が助け舟を出すが嫌疑は晴れていない。僕は不安そうに顔を歪めるバートの肩を叩き、救護班に促されるまま検査室へ向かった。