1.栄転という名の貧乏くじ
冴えないおじさん、軍人でもない彼は、何故か今、軍艦のブリッジに立っている。
モニターに映し出された映像には、敵艦の群がいくつも見える。それがピンク色のビーム砲を放っている。この艦にめがけて。
そのうちの一筋が、ブリッジをかすめた。
艦が揺れる。足腰の衰えが始まっているおじさんは、おっとっと、片足で飛んでケンケンする。
「敵艦隊との距離15,000だ、おっさん!」
若いヤンキー風の男が、モニターにカットインされ、早く撃たせろと催促する。30代の頃なら、こんな兄ちゃんに怒鳴られたら、縮み上がってしまうが、もう年を重ねた今なら、可愛い犬がきゃんきゃん吠えているようにしか思えない。
おじさんは手帳を開いて、にわか勉強でノートに書き込んだ射撃についてのメモを読む。
「……うん!ウチの艦だと、15,000から、命中精度は2割増し。そろそろいいだろう」
おじさんはノートを閉じ。ネクタイを締めなおすと、息を大きく吸って、口を開けた。
「各主砲、一斉射撃開始!」
こんなかっこいいことしてみたかったなあ……
「ただいま」
キイという金属音とともに、玄関ドアが開く。
私の帰りに反応する者は、むろん誰もいない。
私はくたびれた革靴を脱ぎ捨てると、吊るしのスーツをハンガーにかけた。
脱いだワイシャツを見ると、襟はうっすらと垢がついている。クリーニングに出すなり、新しいシャツに買い替えるほうがよいのかもしれない。
どうせ私の格好など、だれも見ていないのだ。薄汚いワイシャツを着たままでも、よいのかもしれないと思い直す。
ともかく、シャワーでも浴びようと、服を脱ぎ終える。と、乱暴に洗濯機に脱いだものを突っ込んだ。
人類が宇宙に出て、はや200年近く経つというのに、洗濯機はいまだ進化していない。正しく言うなら、末端のさえない庶民のもとまで、自動アイロン機能まで完備した先進的な洗濯機は行き届いていない。
他の家電だって同じだ。人類は我が物顔で宇宙を飛び回っているが、独り身の男子の夕食を作ってくれるロボットすら生まれていない。
せいぜい、ポストに保温ボックスにいれた弁当をデリバリーしてくれるだけだ。金持ちは、ここ何千年間と同じように、メイドや料理人を雇っているそうだが。
いつものゼンジロウなら、この後、弁当をかき込むように食べ、部屋の片隅に放置同然で飼っている金魚に餌をやると、睡眠薬をほおばって、そのまま翌朝を迎える。
だが、今日はとっても晴れ晴れとした気持ちだ。
ゼンジロウは、デリバリー弁当、いつもよりもワンランク上だ、を食べながら、安っぽいナイロン製のビジネスバックから一枚の辞令をうやうやしく取り出す。
【ゼンジロウ・ガケフチ
貴殿を資料編纂室長を免じ、ドギワ星系・行政局長官への転任を命ず】
「やっと、やっと報われる時が来たのだ……」
私は、辞令をじっと見る。
いつの間にか、疲れて眠っていた。
崖淵 善次郎 (ゼンジロウ・ガケフチ)
銀河歴150年生まれの42歳だ。
火星植民都市の中流家庭において、次男として生まれる。
銀河歴174年、連邦立火星総合大学を卒業。
銀河歴176年、銀河連邦上級幹部登用試験に合格。
この時期がゼンジロウの人生における絶頂期であった。大学卒業後2年間の苦学の末に、宇宙一難関試験と呼ばれる、上級幹部試験にラインぎりぎりとはいえ合格し、意気揚々の若手官僚としてデビューしたのだ。
ところがである。
同期が出世していくなかで、ゼンジロウにちょっとした不幸が起こる。
上司が進めていた大規模プロジェクトが失敗したのだ。当時、その上司はゼンジロウの属していた派閥の重要人物であった。
派閥のボスは、ゼンジロウに身代わりになって左遷されて欲しいと頼む。
「2、3年窓際で我慢してくれたら、重要ポストとして呼び戻す。お願いだ。ひきうけてくれ」
引き受けなければ、派閥からは追い出される。
派閥から出れば、平凡な業績しか挙げていないゼンジロウを引き取ってくれるところはない。
派閥から出て、生き馬の目を抜く官僚の世界で生きていけるとは思えない。
考えてみると、2、3年我慢するだけで、その後の栄達は約束されるのだ。いきなり重要ポストに抜擢となれば、下手すれば同期中での出世頭になれるかもしれない。
ゼンジロウは、上司の失敗した大規模プロジェクトの全責任を引き受ける形で、リストラ候補の集まる資料編纂室へと、異動させられた。
ところが、2年経っても、3年経ってもゼンジロウは呼び戻されない。
不思議に思っていると、かつて自分が身代わりとなってかばった上司が、資料編纂室のトップとして異動して来たではないか。
「上長、私を呼び戻してくれるという話はどうなったのですか。もう約束の3年を過ぎております」
「その件に関しては、本当にすまないと思っている。ゼンジロウくん。これを見てくれ」
課長は、そっと人事異動のリストを見せる。
そこには、ゼンジロウの属する派閥のメンバーが、次々と重要ポストから外されているではないか。
「上長……もしかして、我々の派閥は」
「そうだ、君の想像通りだ。ボスは、失脚して地方に飛ばされ、ナンバー2の私は、リストラ部屋こと資料編纂室に異動になった。他の幹部も似たような運命をたどった」
組織内での一つのグループの没落。そんな話は、よくあることだ。
ゼンジロウだって、そんな話を酒場で聞けば、おきのどくさまの一言ぐらいは言うだろうが、翌朝には忘れてしまっている。
けれど、当事者になってしまうと、とんでもない話だ。
その後、有能なメンバーは他の派閥に引き抜かれ、次々と復権していった。
ゼンジロウには、大規模プロジェクトを失敗させた無能としてのレッテルだけが残った。ボスも失脚してしまった今、重要ポストとして呼び戻す空手形には何の意味もない。
他の同僚に話しても、過去の失敗を誤魔化したい言い訳、下手すれば妄想としてしか捉えられないだろう。
そのまま、ゼンジロウは資料編纂室の置物として忘れさられていった。