第六章
そして、五日後。
高校最後の実践教育が始まった。
夕日の森というのは、あやかしが多く出現する場所の一つだ。
まあ、陰陽寮の記録の中で、一番妖がいるであろう場所だな。
なぜ俺たちがその、夕日の森に行かなければいけないかというと、卒業するためだ。そして、陰陽寮の三等陰陽師の試験に合格するための最低な条件でもあるしな。
クロに学校に行かせる、というのは案の定、学園長に却下された。
「クロ君は、確かに強い。けれど、授業に参加させたらきっとみんなから差別を受けることになる。式神たちに力の制御を教えたりする講義もあるが、そもそも、クロ君は黒天狗だからね。あまりほかの式神たちが好かないと思うんだよ。風弥君、すまないね、私では、そこはどうでもできないんだよ」
と、学園長に提案したらそう返ってきた。
まあ、この返事は思った通りだけど、実際にクロに言ってみたら、すごく落ち込んでいた。
あ、でも。夕日の森には、お付き添いとしても言っていいよ、と文月さんが言ってたな。
しかし、このことを教えたらまたクロがはしゃいで翼を思わず出してしまいそうだったので、今日、言うつもりだ。
もちろん、外で。
お、来た来た。
いつ言おうかと考えていると、見送りに来たのか、クロの姿が見えた。
「クロ、お前も一緒に来て構わんぞ。あ、もちろん、力は先生が術で封印をかけて使えないようにするけど」
俺がクロにそう言うと、クロはぽかんとした顔で俺のことをじっと見てきた。
あ、これ、信じてないやつだ。いや、うれしそうでもあるのか?
「有馬先生!」
俺は仕方ないと思い、有馬先生を呼んだ。
「なんだ。なんか忘れもんでもしたか?」
「いえ、何も忘れてないですよ。クロって、同行オッケーでしたよね?」
面倒くさそうにしながらもわざわざこっちまで歩いてから聞いてくる。
たまに思うが、有馬先生、本当は生徒思いだよなぁ。
尊敬するわ。こんな大人にはなりたくないけど。
「ん?ああ、そういやあ、あの人、そんなこと言ってたっけ。ったく、おい、こっち来い」
と、思い出したようにぶつぶつ言った後、クロに向かってそう怒鳴った。
クロもなかなかに不機嫌そうだ。教えたときは嬉しそうだったけど。
ほんと、どっちがどっちのこと最初に嫌ったのやら。
「俺、風弥に封じてもらったほうがいい。お前の霊力なんて身にまといたくもない」
「ああ?それはこっちのセリフだっつーの、くそ天狗が」
目が合ったかと思えば、クロが最初に、けんかを売るような口調で口を開いた。
……小学生かよ。
「おい、流川。お前に呪文書いてやるからお前がやれ」
しばらく言い合いが続くと、有馬先生が吐き捨てるように紙に呪文を書いて丸めて俺に投げてきた。
…………。
俺は無言で投げられた紙を見たが、字が汚い……
読めなくはないけど……
「はぁ……。わかりましたよ」
もうかなり遠いところにいる有馬先生を見て、俺は一つため息をついた。
そして、空に封という文字を描きながら、紙に書かれた通りの真言を唱えた。
「ジャク・ウン・バン・コク」
文字は、俺が真言を唱え終えたとほぼ同時に描き終わった。
すると、文字が光の鎖に変わり、クロの体をぐるぐる巻きにした。かと思いきやその鎖はパリンという音を立てて消えていった。
「……どうだ、クロ。妖術以外は封じられてないよな?」
一息つくと、俺はクロにそう聞いた。
初めてこの真言を体を縛るためじゃなく、妖術を封じるために使ったんだが……
顔を上げてクロのほうを見ると、いつもと変わらず動いていたから、まあ、大丈夫でしょう。
「すごいな、風弥。さすがだ。絶対あのくそ野郎はこんな風にうまくかけられなかったよ」
と、満面の笑みでいつの間にか俺の後ろに来ていた有馬先生に見せつけるように言った。
「……はっ。ばかばかしい。流川は俺の生徒だ。優秀なのは当たり前だろ。おれが!教えたんだからな」
という、大人げない返しをした有馬先生とクロには、俺は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
止めたら怒りの火が俺にうつりそうだしな。
まあ、出発まで時間はまだあるし、大丈夫かな。
などという自分でも無責任だなと思うほどの心情を、俺は抱いていた。
「蓮楓、悪いわね。今回も君頼ることしかできないなんて」
黒の長い髪を下ろし、時代とはかけ離れた衣装を身にまとい、畳の上に置かれた寝具で横になっている女性は、ふすまの向こう側で座っている男性のほうを向いて、そう言っていた。
「それが私の役目です、姉上」
男は長い銀色の髪を一つに束ねており、月がきれいな夜空の時のようなきれいで済んだ紺色の瞳を持っていた。
そう、この男性が碓氷家の未来の当主、碓氷蓮楓だ。
蓮楓がそう口を開くと、寝具で横たわっていた女性、蓮楓の姉の葵が手をついて起き上がろうとする気配がした。
蓮楓はその気配を察して、こう言った。
「姉上、私はまだ依頼が残っているので、先に失礼します」
蓮楓はそういうと、葵の返事を待たずして部屋から出て行った。
残された葵は、なぜか、泣きそうな顔をしていた。
「もう、私のことを葵姉さまとは呼んでくれないのね、蓮楓……」
そういうと、葵はせき込み始めた。
外の侍女は、その声を聴いて、慌てて葵のそばまで駆け寄り、彼女を横にして、布団をかけてこう言った。
「お嬢様、だめですよ。風にあたってしまってはお体をまた壊してしまいます」
葵は何も言わずに、ただ単にふすまの向こうを眺めていた。
まるで、蓮楓がまだそこにいて、自分の話を聞いてくれているかのように……
有馬先生とクロの言い合いは三十分くらい続いた。
慣れていたつもりの俺でもいい加減にしろと思ったくらいだ。ほかの奴らは耳栓をしたり、聴覚を封じたりして二人から遠いところに座るようになった。
「あ、先生。そろそろ時間ですよ。出発、10時半でしょう?」
と、その時、救世主の文月学園長が来た。
学園長にそう言われた有馬先生はちらっと腕時計を眺めた。
「ちっ、もう時間かよ。おい、見送りの奴らはさっさと散れ。もうすぐ授業だろうが」
有馬先生はいつの間にこんなに集まったかも分からない生徒たちにそう言うと、遠い場所から先生とクロの口喧嘩を見守っていた3年の奴らを整列させて、学園長の隣に並んだ。
「お見苦しいところをお見せしました、学園長」
「かまいませんよ。有馬先生の新しい一面を知れて、今日はいいことがおきそうです」
有馬先生が学園長にそう誤ると、学園長がまるで天使のようなほほえみを浮かべて有馬先生にそう言った。
うん、なるなら学園長みたいな大人になろう。まあ、性格までもまねしたくはないが……
というか、結構昔から学園長みたいにすごい陰陽師になりたいとは決めてたけど。
「皆さん、今回の授業の内容は君たちが高3に上がったときに詳しく説明したとおりです。今回の授業は、死傷者が出る可能性が大いにあります。もちろん、学園側はそうならないように最大限のサポートをするけれど、本当に危険なときは、助けが間に合わない時もある。その時は今から配る転移札を使ってください。そうすれば、基本的な状況には対応できます。もちろん、転移札を使った時点で、失格。式神は、学園の法で召喚陣を使って召喚してもらうことになります」
学園長は、壇上に立って、整列した俺たち三年生に向かってそういった。
死ぬかもしれない、という言葉を聞いて、この場で動じたりする人はいなかった。
高等部の入学・進学試験、二年から三年に上がるときの死ぬかと思った火山試験。そんな試験を乗り越えた三年生に、それくらいで辞めます、と言い出す奴はいないし、そんな間抜けはきっととっくに退学されてる。
「……よし、じゃあ、さっそく出発しようか」
誰も何も言わないのを見ると、学園長は微笑んで、そういった。
「静夜、頼んだよ」
静夜というのは、学園長が昔、この学園を卒業する時、俺たちが今行こうとしている夕日の森の中に住んでいた蛟のことだ。
まあ、今は学園長の式神だな。
ちなみにいうと、静夜は半分龍の血を引き継いでいるから、ほかの蛟よりははるかに強い。
大体は今のように人のか姿をあらわしたりはしないが、たまに学園長に言われて仕方なさそうに人の姿に変わることがある。
結構、普通な美青年だった。服装がかなり独特だったけどね。
《全く。なんで毎年俺がやらなきゃいけないの、海渉。こういうのは君がやればいいじゃん》
文句をぶつぶつ言っている静夜に対して、学園長はいつもと変わらぬ笑みを携えて静かにこう言い返した。
「もちろん、君が普段から掃除をさぼっているからだよ。静夜、私が何も言わないからと言って、気づいていないわけではないからね」
ほう、なるほど。
何やら俺たちはとんでもない事実を知ってしまったようだ。われらが学園長は、式神を使って家の掃除とかを手伝わせているという事実を。
俺たち、学園長に風で飛ばされないかな?めちゃくちゃ心配になってきた。
「なあ、風弥。俺たち、こんなこと知っちまったけど、飛ばされない、よな?」
そんなことを考えていると、不意に、俺の前に並んでいる冬貴が俺のほうを見てそう聞いてきた。
「……分かんねえ。4割の可能性はあるな。俺らがこの学園の生徒じゃなかったら8割だったが」
少し考えると、俺は冬貴にそう答えた。
なぜ冬貴がそんなことを俺に聞くかというと、中3までは、学園長、いや、文月さんの家に居候させてもらっていたからだ。
小学校低学年のころまで俺はあの人のことをかい兄などと呼んでいたのを薄々覚えている。
今思えば、よくあの頃の俺はあの不機嫌オーラ丸出しの文月さんの前で生き残れたな、と昔の俺に感心したいくらい、今の俺にとっちゃぁ、そう呼ぶのが怖いということだ。
「じゃあ、とりあえず、飛ばされる心配はしなくていいんだな」
冬貴は、俺の答えを聞いて少しほっとしたのか、安心したようにそういった。
ていうか、このやり取り、早く終わんないかなぁ……
《ちっ。わかったよ。おい、お前ら、今から水で飛ばすからおぼれないように気をつけろよ》
そういうと、俺たちが反応するよりも先に、静夜は空気中の水を集め、俺たち一人一人を水で囲んだ。
俺は慌ててポケットの中にしまってある自分の体の周りを守る結界の札を取り出して破った。
すると、その札は、光の粒となって、俺の周りを囲んだ。とたんに、息苦しいのもなくなり、地上と同じように呼吸ができるようになった。
隣を見ると、俺が妖術を封じてしまったせいで何もできずに気絶していくクロの姿があった。
あ、やっちまった……。こりゃ、あとでめちゃくちゃ文句言われる奴じゃん……
俺がそんな風に後悔しているうちに、水玉の中に包まれた俺たち高3一同、プラス天狗一人は、空の上を飛んでいた。
《ん?なんでお前、まだ意識あるんだよ》
え、意識あっちゃダメなのか???
「まあ、いいじゃないか。風弥くん、いくら私でも今回は君の手助けをしたりはしないよ。それが、君のためだからね」
ふづきさんが、やさしく微笑みながらそう言うのが聞こえた。
なぜだろう。悪魔のささやきにしか聞こえない。
「では、加速するよ」
まるで俺に言い聞かせるように文月さんは言うと、急に移動するスピードが上がった。
いくら護身結界で守られているでもそのスピードには頭がくらくらしてしまい、そのままふつりと意識の糸を手放してしまった。




