199.海への道のり――森と村
ライカが作った風の繭ごとかなりの速度でライカとレンは西――ラピス氏族の村に向っていた。
風の精霊が作り出した繭が、現在は外の音を遮断しているため、繭の中はとても静かである。
眼下には後ろに流れ去っていく街道と森。
遠くには黒い雲のような黒蝶の群れ。
「蝶の進行方向は……目視だと分からないもんだな」
遠くの黒蝶の群れを眺めながらレンは呟く。
群れは、長距離の移動(渡りなど)をするもの、しないもの(縄張り内の巡回程度)に分けることができる。
そしていずれも、更に、リーダーや順位がある群れとない群れが存在する。
また、順位で動く群れであっても、移動時以外は順位を無視したような挙動をとったりもする。
リーダーがある群れの行動は、リーダーの観察である程度予想出来るが、例えばイワシの群れ等にはリーダーはなく、観察していても次に群れがどちらに動くのか、まったく予想できない。
蝶の群れは、レンが見る限り、リーダー不在の移動する群れだった。
個体の識別ができないということもあるが、頑張って一個体に集中しても、それはまっすぐ一方向を目指すような動きをしていない。
レベッカがこれを見て、その進行方向を判断できたのは、群れの挙動を見る事に慣れた狩人だからという点が大きい。
「ライカは予想できるか?」
「あっちですね」
ライカが指差す方向を見て、レンは、なぜ分かるのかと尋ねる。
「逃げ出す動物たちの気配ですわ。空からだと案外広く見渡せますので、全体をぼんやり眺めるようにすると見えてきます」
言われてレンもそれを真似てみる。
気配察知の感知範囲はそれほど広くないが、そこにはたくさんの気配が感じられた。
手元の本を読むのではなく景色を眺めるように、思いっきり粒度を落して見ると、沢山の気配が雲のようなものとして感じられることに気付く。
その上で、気配の動きを感じ取ると、動物の動きが、黒蝶が通過したルート以外に広がっているのがなんとなく分かる。
黒蝶の後ろにはガスがあるため、そこに動物は残っていないのだろう、と動物たちの分布をぼんやりと感じると、漠然とではあるが、動物が殆どいない線が浮かび上がる。
「あー……そういうことか」
それが黒蝶の移動経路であり、ほぼ直線であると分かれば、後はその線を延ばしてやれば、確かにライカが指差した方向に向っているように見える。
「こんな使い方があったんだなぁ」
「普通、気配察知はできるだけ精度を高くしますから、こういう使い方は珍しいですよね。でも、空を飛ぶときは便利なんですのよ?」
高空を飛べば普通の気配察知では地上は見えないし、低空を高速移動する場合も普通の気配察知では見えたときには通過しているから、飛行時特化の魔法として、飛行魔法を生みだした過去の英雄が考えたものだという説明を聞き、確かに普通の気配察知の感知距離が50メートル程度だからそうなるよな、とレンは納得した。
レンは改めて動物たちの動きを確認する。
そして黒蝶の進路を確認し、その先に何があるのか、と頭の中で地図と照合してみる。
「ダルアの街は逸れるな?」
「ええ。思ったよりも西側でしたわ。街の向こうのチヴォリの村よりはこちら側でしょうか……ですが、強い風で方向が変わることもありますから油断は出来ませんわ」
「それで? ラピス氏族の森や村は?」
「村は不明ですが、森は、たぶん川の辺りで直撃ですわね……急いで伝えないと」
黒蝶接近の情報を持つ者の中で、現在もっともダルアの街に近いのはライカである。
ラウロが手配した早馬は、下手をするとまだターラントの街から出ていない可能性すらある。
「レン様。ダルアの街に警告を出すべきでしょうか?」
「ライカはラピス氏族に大きな恩があるし、そこにはレイラの友達や血縁者もいるんだろ? なら優先するのはラピス氏族だ。大丈夫。村に到着してから誰かに街まで走って貰っても、早馬よりも早く着く」
「承知しました。ならば最短距離で向いますわ」
眼下の街道の何かを目印にして、ライカは方向を少し南に変えて街道から外れた。
ラピス氏族の村は、街道から少し南に入った位置にあるのだとレンに説明しつつ、ライカは森に目を走らせる。
「あの生えてる木の色が少し違う辺りからラピス氏族の森ですわ。もう少し飛ぶと、葉が青っぽい高い木が見えます。その周辺が村となりますの」
「ところでライカ、あの黒蝶について色々教えてくれないか?」
「え? あ、はい」
ライカは、黒蝶は普段は森のあちこちにいる普通の蝶でしかないこと。
数年に一度、こうして集まって長い旅をすることが知られていること。
その旅の目的地は毎回異なる事。
普段は昼しか飛ばないが、この旅の間は夜も休まずに飛び続けること。
魔物でも何でもない普通の昆虫である事。
旅をする時期だけ、その死骸が毒のガスを発すること。
蝶は旅の間、どんどん死んでいくこと。
虫除けは効果はあるものの、単に、撒いたあたりに近寄らないだけで、上に避ける蝶もいるため意味がないこと。
夜間、篝火を焚いても、蝶は見向きもしなかったこと。
毒も蝶も火には弱いという話があること。
水に落ちてもその毒で魚が死ぬという話は聞かないこと。
など、知っている限りをレンに伝えた。
「篝火にもよってこないのか……」
蝶の大半は昼行性である。
だから、灯りを付ければ寄ってくるのでは、と思っていたレンだったが、残念ながらその方法は使えなさそうだと分かった。
「火と風と水だっけか。火はよく燃えそうだし、水もまあ、飛べなくなるって意味じゃ分かるけど、風の使い道は?」
「蝶もガスも、風で吹き飛ばせます」
「あー、なるほど」
「あ、ラピスの木が見えてきましたわ」
ライカが指差す方向に、背の高い、青みがかった葉を持つ木が生えていた。
「ラピスの木って名前なんだ」
「ええ。あれを、氏族の者はラピスの木と呼ぶんですの」
「木の名前を氏族の名前にしてるんだ?」
「分かりません。自分の縄張りって意味かも知れませんし、ラピスの木があったからラピス氏族なのかもしれませんが、気にしたこと、なかったですわ」
「まあ、気にしなきゃそんなもんか」
細い川を数本超え、ラピスの木の随分と近くまで来た辺りでライカは
「下りますわね」
とレンに声を掛けつつ減速する。
急激な減速に驚きつつも、レンは頷く。
「ああ。だけど、村の上空まで来ちゃって良かったのか?」
「私が飛べること、村の者なら知ってますから」
逆に、自分以外に飛べる者を見たことがないので、敵襲と思われる心配はない、とライカは笑う。
上空から目星を付けていたのか、ライカは迷わずに苗木を育てている場所に着地し、
「ご無沙汰してます、大叔母様。こちらは義父のレン様。火急の用件があって参りましたので、挨拶は抜きに願います」
と告げた。
大叔母とは親にとっての叔母。つまりは祖父母の妹である。
しかし、突然のライカの来訪に目を丸くしたのは、ヒトで言うなら20代にしか見えない女性だった。
「おや、お帰り。レイラは一緒じゃないんだね……それにしても火急で挨拶抜きとは穏やかじゃないねぇ」
と溜息を付いた女性はレンに向き直って、どこかレイラに似た笑顔を見せた。
「レン殿、私はアウローラ。先代の長の妹です。前はご挨拶出来ませんでしたが、あなたのことは覚えていますよ。あの時は本当にありがとうございました」
「大叔母様、黒蝶です。上空からの目視した限りですが、5日前後の距離がありますわ。村に来るかは不明ですが、今のまま直進すれば氏族の森を通過しそうです」
「あらまあ」
「お願いしたいことが三つあります」
「言ってご覧なさい」
「まず、この報をダルアの街に。同じ報せを持った早馬が後からターラントからも届くでしょうけれど、私は飛んで来ましたから」
「それはすぐにでも手配を」
アウローラの目配せで近くにいたエルフ達が動き出す。
「2つ目は避難ですわ。黒蝶はダルアの西側を通って森に到達しますの。だから万が一に備えて東に逃げて欲しいのです」
「それは私ひとりで答えられる話ではないねぇ」
「3つ目は、森を少し荒らすかも知れませんので許可を。可能かどうかは分かりませんが、撃退に挑戦しますわ」
撃退、と聞き、アウローラの顔が楽しげなものに変化した。
「黒蝶を撃退出来ると言うの?」
「この村からも学園には人材が送られている筈ですわ。レン様に何が出来るのかはその者に聞いてみてくださいまし」
「もう一度聞くわね? 黒蝶を撃退出来ると言うの?」
ライカは視線を落し
「分かりません」
と答えた。
「レン様は過去、とんでもない戦いをくぐり抜けた英雄のひとりですわ。相手が個なら、何とか倒してくれると思います。でも無数の小さな蝶ではどうなるか、確約は出来ません」
実際には、ソウルリンクしたリオなど、単体であってもレンが勝てそうにない相手も存在する。
だがライカは、レンならきっと何とかすると信じていた。
600年前のレンは、ライカがそう信じるだけの強さを示していた。
しかし。
同時に勝てない敵が存在することも理解していた。
例えば黒蝶の群れがそのひとつだ。
敵の個体数が多すぎるのだ。
物理では頑張っても一度に倒せるのは数十。
範囲魔法で焼き払ったとしても、桁がひとつ増える程度でしかなく、それは大きな群れのほんの一部に過ぎない。
仮にエーレンに力を借りても、範囲魔法がブレスに変わるだけ。落とせる数が少し増えるだけに過ぎず、全体には影響しない。
「そう……ならばあなたの言うように避難は並行するように皆に伝えましょう。森については、好きになさい。元々、黒蝶に追われた獣が通過すればただでは済みませんものね」
「ありがとうございます、大叔母様」
「それと……エルフの手は不要かしらね? 魔術師ならそれなりにいますわよ?」
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