177.海への道のり――神託装置と頼まれごと
翌日、馬車に揺られながら、レンは神との対話を可能とする魔道具について考えていた。
(まず、リュンヌはある範囲内の電子の位置を変えられる。これを利用すれば電流が生じる。それを計測することが出来るなら、オン、オフを伝える事は出来る筈。計測方法は置いとくとして、8本の銀の線なんかを用意して、状態を何かで観測、記録する仕組みが出来たら、1バイト……8ビットの情報伝達装置になる。JISコード全部を覚えてる訳じゃないけど、0x20が空白、0x30が0、0x41がAだったはずだから、アルファベットと数字のコード表を作って、リュンヌにはそのコードを使って信号を入れて貰えば行けるはず)
コンピュータはオンとオフのみで情報を記録、伝達する。
文字でも数でも、全て、1と0で表現するのだ。
レンは通信にその仕組みを使おうと考えていた。
レンが考えているものにも近く、有名なのはモールス信号だろう。
モールス信号は長音、短音の組み合わせで文字を表現する。ただし、人間が用いる都合上、モールス信号では文字と文字の間や、単語と単語の間、文の切れ目に無音が入る。
有名なSOSのモールス信号なら
「短音 短音 短音」「短音の三倍の無音」「長音 長音 長音」「短音の三倍の無音」「短音 短音 短音」「短音の三倍の無音」のように表現され、多くの書物では「・・・ ー ー ー ・・・」のように表記される。
レンが考える魔道具では数字とアルファベットについては、コンピューターが使用するJISコードを使うつもりだった。
そうすれば、リュンヌに、アルファベットと数字のコードを説明する手間を省くことが出来る。
(それはさておき、課題が三つか)
信号の受信部については、リュンヌ任せなので、あまり考えることはない。
だからレンは課題となるのは
1.読み取る方法
2.変換する方法
3.出力する方法
の3点と考えた。
モールス信号に置き換えるなら、
1.読み取る方法:受信した電波から、人間の耳に聞こえるようにすること
2.変換する方法:「・・・」ならそれが「S」であると置き換えること
3.出力する方法:「S」という文字をメモに書き留めること
である。
(最悪、変換なしで出力しておいて、変換は俺が手作業でやるやり方もあるか、面倒だけど……リュンヌが発生させた電流は微弱って考えないとだから、それを動力に繋いでって方法だと辛いかな)
トランジスタ(小さな信号を使って、より大きな電流の流れをオン、オフする等の機能を持つ電子部品)でもあれば、信号をベースに流してやって、コレクタから入れた電力を流せば済むのだが、この世界には真空管すら存在しない。
リュンヌがそこそこ大きな電流を生み出せるなら、リレー(電磁石で回路のスイッチをオンオフする電子部品)でも良いが、それだけの電流を文字数分だけ生み出すのでは、灰箱よりも省エネな神託装置を作る意味が薄れてくる。
(まずは魔道具の監視板が使えるかを確認するか)
監視板。
魔道具の標準パーツの一つで、赤い面と青い面を持つ聖銀をベースとした板である。
青い面に乗せたものの状態変化(魔力の状態なども含む)を検出すると、赤い面から魔力が流れるため、魔道具では便利な検出装置として利用されていた。
ただし、レンはそれで解決するとはあまり考えていなかった。
この世界ではまだ電気と雷の関係も明らかになっていない。
そんな世界に、存在すら知られていない電気を検出する標準パーツがあるかと言えば、その可能性は限りなく小さいと考えていた。
馬車の座席で、レンは小さな青いポーチを取り出す。
「レン、それは何?」
「ん? 魔道具関連の小物入れかな?」
魔石、魔道具の標準パーツ類、聖銀の針金などが入ったそれを、レンはクロエに渡す。
ポーチの中身を確認したクロエは、なるほど、と頷く。
「ポーチ単位に分類して収納してるの?」
「全部が全部そうって訳じゃないけど、学園で教える時に必要なものが小さくまとまってた方が楽だからね」
「なるほど……それで、これで何を始めるの?」
「ちょっとした実験かな……ええと後はオレンジと銅板と亜鉛の板だったか」
レンが作ろうとしているのは、レモンをオレンジに置き換えたレモン電池である。
銅の板、亜鉛の板に導線を付け、それぞれの板をレモンに挿すと微弱な簡易電池になる。レモンを他の柑橘類に置き換えても同じ結果が得られる。というのを小学校の夏休みの宿題でやったことがあったレンは、別のポーチから必要な材料を取り出して並べる。
「魔道具にオレンジを使うの?」
「これはまた別なんだけど、まあ、ここから出る何かを検出する仕組みを考えたくてね」
「オレンジから出る何か。果汁?」
「そんな感じかな?」
レンは土魔法で銅と亜鉛のインゴットから板を切り出す。
ちなみに、亜鉛も普通に存在する。
地球では、人類が歴史を記録し始める前から利用はされていたものの、かなり遅くまで単体の金属としては認識されなかった亜鉛だが、この世界では土魔法による分離が可能であるため、金属の一種として知られていた。
板に小さな穴を開け、銅のインゴットから針金を通す。
土魔法で細長く加工しただけなので柔軟性には欠けるが、元々柔らかい銅を使っているため、多少は曲げられる。
「絶縁はまだいらないか」
そして、小さな木のコップに金属板を1センチ程隙間を空けて軽く固定する。
後は、コップに果汁を入れれば、電池の完成である。
よく見るレモン電池は、見た目の分かりやすさとインパクトから、レモンに金属板を直接刺したものが多いが、必要なのは果肉ではなく電解質溶液なので果汁でも全く問題ない。
ちなみに、レモン電池の電圧は使用する金属の組み合わせで変化する。
銅と亜鉛は概ね1ボルトが期待できるが、それも果汁に触れている板の面積に左右される。
(抵抗は、面倒だから適当な金属でいっか)
電子回路の抵抗器は電力を熱に変えることで電流を小さくする。仕組みは磁器の芯にニクロム線のような電気抵抗が高い金属を巻き付けるだけなのだが。
(ニッケルはともかく、クロムはこの世界で探したこともないからなぁ。電気抵抗が高い金属……熱には弱いけど、今回の用途なら鉛で良いか)
電気の世界で鉛と言えばヒューズなどが有名である。
過剰な電流が流れると、焼き切れることで回路を守るアレである。
今回は元々弱いオレンジ電池の出力を更に微弱にするのが目的なので焼き切れる心配は不要である。
何なら導線を長くしたり、それをコイル状に巻くだけでも一定の効果は得られる。
(電圧・電流計が欲しいけど、今回は通電の有無が分かれば良いか)
バネも回転子も抵抗も代替品なら作れるので、最低限の機構は作れるが、得られた情報を数値化する基準がなければ、計器は意味をなさない。
計器を作れたとしてもその針が示すのが、1Aなのか、0.1Aなのかが分からないのだ。
暫定的に、例えばオレンジ一個分を1Oなどと表記する手もあるが、慣れない単位にすると感覚的に分かりにくくなると不都合が出る可能性があるため、レンはそれは避けたいと考えていた。
(まあ、今回の目的からすると、電流が流れているかが分かれば良いし、オレンジ電池じゃ出力もたかが知れてるだろうから、単位系は考えないことにしよう)
木の棒に細い溝を掘って、そこにコイルを巻き付け、磁石と組み合わせて雑な回転子を作り、針が0の位置を指すようにバネを入れ、抵抗の代わりに鉛を組み入れて電流計もどきの本体を作ったレンは、配線の絶縁をどうしたものかと首を傾げる。
コイルに関しては、木の棒に溝を掘って巻き付ければそれで済む。
一般的に、木は絶縁体だからだ。
ガラス、ゴム、プラスチック、液体なら油なども絶縁体となるが、この世界で一般的に使われるガラスでは簡単に割れてしまう。ちなみにゴムやプラスチックらしきものはあるが、それらが絶縁体かどうかは分からない。
暫く考えたレンは、木の棒を使って配線をした電流計をくみ上げると、オレンジをゆっくりと揉み、柔らかくなったところで強めに揉んで、皮に穴を開けて果汁を先に作ったコップに、少しだけ注ぎ込む。
そして、電極となる針金に電流計を触れさせると、回転子に取り付けた棒が僅かに揺れる。
「よかった。調整は必要だけど、一応これでも通電は確認できる」
レンの手元を覗き込んでいたクロエは、レンが何をやっているのか、まったく理解出来ていなかったが、針がピクリと動くのを見て何か楽しいことだと考える。
「レン、これは何?」
「んー、オレンジから魔力みたいなものを取り出した、のかな?」
電気と言っても通じるはずもないし、レンとしても積極的に電気の存在を広めたくもない。
だからと言って、何もかもを秘密にするのも無理がある。
幸いこの世界には雷撃を扱う魔法があるので、レンは、電気をそうしたものの一種と説明した。
煙に巻いた、とも言うが、数時間、説明したところで通じるとも思えない、という部分もあったためである。
「魔力感知では反応が読めない?」
「あー、そうだね、かなり特殊だし、魔力に分類するのもどうかなって代物だしね」
「何かに使えるの?」
「いや、今は使い道は少ないかな。もしかしたら、この力を使って、リュンヌから連絡を貰ったり出来るかもだけど」
「……神託?」
「神殿では灰箱ってのを使ってるんだよね。あれの、もっと文字を多くした仕組みが作れないかなって思ってね」
レンの言葉に、クロエとフランチェスカ、エミリアは顔を見合わせた。
灰箱で伝えられる文字数が少ない事。
神託の頻度が小さいことは、かねてより神殿の問題とされていたのだ。
「レン。それは完成するまで秘密にしとくべき。レンでなければ下手したら完成させるまで監禁される」
「は?」
クロエの言葉に、レンは自分の耳を疑った。
「監禁されるって聞こえたけど、何かの比喩か?」
レンの疑問にはエミリアが首を横に振った。
「監禁と言うとやや言い過ぎですが、軟禁に近い状態になったことなら過去に何回か……その、灰箱で伝えられる文字数を増やすことは神殿の一部の者にとっての悲願なのです。今でこそ神託の巫女と呼ばれており、その役目の大きな部分が神託を受けることとなっていますが、見聞きしたことをソレイル様にお伝えすることこそが巫女の務めの始まりであったことから、今の在り方は正しくないと考える者もいたのです。神々との対話は神殿関係者に限られず、多くの人々の関心事でもありますから、伝えられる言葉を増やす方法があるかも、と知れば、静かな開発環境を用意して、そちらにお越し頂き、完成まではそちらで何不自由なく研究をして頂く、という選択をしたわけですね……もちろん本人の同意の上で、ですが、軟禁に近い状態になることもありました。いずれにせよ、リュンヌ様の使徒ならそのようなことにはならないと思いますが」
「……静かな開発環境を用意して、完成まではそこで不自由なく研究をって、つまりは缶詰にして軟禁じゃないか。神殿の存在意義を考えるなら、理解出来ない話じゃないけど……そもそも俺の考えてるやり方なんかは、可能かどうかもまったく分かっていないんだから、下手したら死ぬまで軟禁されるな。取りあえず、使徒で良かったと初めて思ったよ……でも、そのやり方だと研究者が萎縮するから、神殿は別のやり方を考えるべきだね」
「あ、はい、最近はそのような考え方の元、改善されつつあります。ただ、神殿というのは比較的旧弊な組織ですので、絶対に安全とまでは言えないのが残念なところです」
なるほど、と頷きつつ、レンは魔石ランタンのスイッチ部分を分解し、魔力伝導経路として使われている聖銀を取り外し、監視板表面の銅板にオレンジ電池から伸びる電極を触れさせてみる。
(予想通りだけど反応なし、と……)
本来であれば監視板の前に魔石や聖銀を配置し、そこに魔力を流して使う代物である。流れ込んだ魔力を監視板が検出し、魔石ランタンのオン、オフを切替える仕組みになっているのだ。
そこに電極を繋いだところで反応があるはずもない。
(そうなると、本気でトランジスタが必要か? ゲルマニウムを探さないとなぁ)
そんなことを考えつつ、なんとなく外した聖銀を監視板に触れさせた途端、魔石ランタンが点灯した。
「あれ?」
魔力を流した覚えはなかったが、間違って流したのかを手元を確認したレンは、スイッチ代わりの聖銀に電極が触れていることに気付き、聖銀はそのままに、電極を聖銀から離してみる。
魔石ランタンは消灯した。
再度接触させると、点灯。
(聖銀なしだと?)
電極を直接
ランタンは無反応だった。
(監視板の表面は銅板だから電気は通すはず……だけどそれには無反応。聖銀を置いて、通電させるとそれは検出する? まあその辺は後で検証するとして、もしも弱い電流でも検出できるなら、これで読み取りは出来るかも知れないか。)
これで、
1.読み取る方法
2.変換する方法
3.出力する方法
の内、最初の1つがクリア出来るなら、後の部分はそれほど難しくはない。
信号に対応する文字のスタンプを紙テープに押し、紙テープを一文字分ずらす。という仕組みなら、手間は掛かるが出来なくもない。
紙テープがなくなったり切れた場合の対処方法こそ必要だが、出力装置部分を多重化して、同時にテープが尽きないように調整しておけば、2系統が同時におかしくなる可能性は低い。
ついでに、信号を受信したら、アラームを鳴らしてやるようにすれば、気付かず放置される心配も少なくなる。
(まあ、文字コード知ってる相手じゃないと通信できないわけだけど、リュンヌはAIだった頃の記憶があるわけだし、何とかなるだろ。文字にする仕組みはひたすら面倒だけど、難しい所はないし、一週間程度で形に出来るかな……あ、そういや、ラウロさんに頼まれてたのもあったっけ……あっちも考えないと)
読んで頂きありがとうございます。
また、誤字報告ありがとうございます。とても助かっています。
感想、評価などもモチベーションに直結しております。引き続き応援頂けますと幸いです。
今回書いてて、軟禁の合法、違法の線引きって結局の所、契約次第なのかな、と思ったりしました。
自ら契約してマグロ漁船に乗り込んだ人なんかを指して、被害者と思う人は少ないでしょうし。