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君へ

作者: 葉月☆

君へ


君は今元気ですか。風邪など引いていませんか。

こんな心配をされても貴方には迷惑かもしれませんね。だって君にとって私は「会った事のない人」なのかもしれないし。


季節が何度も移り行く中で、私は幾度と無く君を目にしました。


友達と笑いながら話す君、図書館で黙々と勉強する君、ゴールを目指して一生懸命走る君・・・気がつけば君とそれほど接したことは無いのに、君の思い出が私の心の中には溢れていました。貴方は優しい人でした。何もとりえの無い私にすら表裏の無い態度で接してくれた。それが本当に嬉しかった。



でも君へ声を掛けることすら出来なかった私は、遠くから貴方の姿を見つめているだけ。貴方が愛しそうに微笑みかける相手が私だったら良いのに、そう思うことしかできなかった。


この手紙が君に届くことは無いけれど、それでもこの気持ちを残しておきたかった。私は貴方が好きでした。本当に本当に好きでした。高校時代のことを考えるとすべて気がつくと貴方に結びつくんです。本当にどうしようもない奴だと自分でも思っています。



でも今のこの気持ちだけはどうしても残しておきたかった。だからこの手紙を書きました。

別の道を進んでいく私達、君と人生において交わることはもう無いと思うけれど、貴方の人生が幸せであることを祈っています。

                                                                                  深雪


最後まで手紙を読んだ後、私はゆっくりと便箋をたたんで机の上に置いた。

 

一ヶ月前、母が亡くなった。病気一つしなかった彼女の最後は急性心不全という病により、あっけないものであった。穏やかな表情でまるでただ単に眠っているかのように私には見え、彼女に死が優しく訪れたことに少しだけ安堵の気持ちを感じた。

私は母のことが大好きだった。女手一つで子ども1人を育てるたくましい面を持ち合わせながら、しとやかで優しく笑顔が似あう女性で自慢の母であった。だからこそあまりにも早い死に、知らせを聞いたとき涙が流れるよりもまずあっけに取られてしまって何か積むごうにも言葉が出てこず目を見開いて立ち尽くすことしか出来なかったことをよく覚えている。

通夜が終わってからは母が居ないことを受け入れられなくて、実家の方に足を踏み入れることが出来ずしばらくは自宅にこもって殆ど外に出ない生活を繰り返していたが、いつまでもそうしているわけにもいかないし、夫にも励まされたのをきっかけに久しぶりに母の遺品を整理するために実家へと足を運んだ。

母の部屋にはたとえ実家に帰省したとしても足を踏み入れることは少なかったように思う。私が誰かに自分のものを触れたりするのがあまり好きではなかったから、母に許可をもらわない限りは彼女の部屋に入ることなどめったに入ることは無かった。だから、部屋の前に立ったとき意外にも少し自分が緊張していることに気づいた。手にじんわりと汗をかいている。喉も気のせいか少し渇いていた。


意を決してふすまを開けると、そこにはそれほど物が置かれていないがらりとした和室の風景が広がっていた。

母はそれほど物を持つことに執着が無かったことを思い出した。けちというわけではなく必要最低限のものしか買わないし、使わない。


部屋にあるのは鏡台とタンス、それに机。それだけだった。


まず、部屋の角に配置されているタンスを開く。やはり服は少ししか入っていないしよく見慣れたものばかりだ。1つだけ他の服とは違うのは、クリーニングに出されたと思われる一着の灰色の背広。それだけはビニールに包まれ大事そうに保管されていた。彼女にしてはめずらしく思い入れがある品なのだろう。そう察すると心がじんわりと温かくなった。

背広は何着かあるが、この背広は彼女がここぞというときに着る背広だった。保険の営業をしていた彼女の背広は殆どこれだったし、私の入学や卒業など晴れの舞台には必ずこの灰色の背広を着て誇らしげにやって来ていた。母にとってのいわば勝負服なのだ。この背広を着た母との思い出は計り知れないほど多い。目を閉じればいつでもこの背広を着た母に会える、そんな気がする。


しばらく感慨にふけっていたが、そんな自分を奮い立たせるように洋服ダンスの扉をしめた。


続く鏡台の引き出しもこれまた処分しなくてはならないと思われるほど物が入っておらず、実は整理する必要なんてあまりないのかもしれないと思うようになってきた私だったが、最後に机の中だけは見ておこうと思った。



引き出しを引くとぎぎっとすべりの悪い音が響いた。何しろ年代物の木製の机で、あちらこちら傷ついているし、今にしてはめずらしい床に座って使うタイプのものであるから仕方が無いのかもしれない。母はこの机を確か私が小さいときからずっと使っている。父の形見なのだそうだ。



私が6歳のときに事故で亡くなってしまっていたため、私は父をあまり覚えていなかった。


でも何度か遊んでもらったり一緒に色々な所へ行ったりした、という断片的なことくらいは記憶に残っている。すごく笑顔が優しい人で、私は本当に父が好きだった・・・突然居なくなってしまったことをなかなか受け入れられなかった。


しかし、時が経つにつれて悲しくないといえば嘘になるが、そのことも仕方が無いことだと受け入れられるようになったときにふと思った。


母は1人で居る必要があるのか、と。


彼女は私が知らないと思っていたようだが、会社の人間の何人かに言い寄られているという話を母の友達から聞いて私は知っていた。贔屓目が少しあったとしても私から見た彼女はきれいだったし、出来た母だと思えた。でも、彼女から再婚の話は一切出てこなかった。



彼女に直接聞いてみたことがある。「再婚はしないのか」と。


でも彼女は驚いたように目を丸くした後、優しく微笑んで首を振った。


「しないわ。だって私はお父さんと結婚してるもの、今も。」

当時高校生だった私は亡くなった父に操を立ててどうすると心の中で思ったが、あまりにも母が幸せそうな表情で私を見つめるから二の句がつなげなかった。


どうしてそれほど誰かを思い続けられることがあるだろう・・・私はその頃すごく冷めている人間だったように思う。




・・・・しかし、結婚した今は、少し彼女の気持ちがわかるような気がするのである。



引き出しには印鑑や保険証など、彼女にとって重要なものが入っていた。だから、ピンクの花柄の封筒を見つけたとき少しびっくりしてしまった。何だろう、これは。母への誰かからの手紙だろうか。


人の手紙を読むのは気が引けたが好奇心の方が勝ってしまい、私は封が留められていない封筒の中を開けた。



そして、今にいたる。


母の純粋な気持ちがつづられた手紙。月日が経過したはずなのにきれいに残されているのは彼女の気持ちの表れか。彼女の学生生活を聞くということは思えばそれほど無かった。あまり自分の事を話さない人だった。私の話をいつも最優先して聞いてくれていた。



だから、母がこんなに誰かを好きだった気持ちを持っていたことを知らなかった。手紙からはその人に対しての思いが真っ直ぐ伝わってくる。読むだけで胸がいっぱいになる思いがした。一体このように思われる人とはどんな人だったのだろう。


手紙をたたむ。母の気持ちを勝手に覗いた気持ちがして、何だか申し訳なかった。母がここに居たらきっと顔を真っ赤にして怒るであろう。他人に気持ちを勝手に覗かれたという気持ちになるだろうから。



封筒に戻そうと中を開いたとき、まだ中に何かが入っていることに気づいた。ここまで読んでしまったのだし、気になって仕方がなくなりそうだと自分に言い訳をして、中をふるって手のひらに出した。



はらりと舞い落ちたそれは写真で。



その写真に映る人を見たとき、1ヶ月前に枯れてしまったかと思っていた涙が溢れ出した。



写真には笑顔のまだ学生服の母が友達と一緒に学校の校門付近で映っている。そんな彼女の背後―校舎の方から歩いてきている学生服を着た少年。





それは紛れも無く父だった。若くて幼さがまだ残る表情だったけれど、それは記憶や写真に残る父の姿だった。






これは父に向けてのラブレターだったのだ。彼女はいつの日か自分の恋心を相手に告げることが出来たのだ。




彼女は本当に父が好きだったのだ・・・そして父も。



父方の祖父母の家に時折遊びに出かけたとき、祖母が私に父の若い頃のアルバムを何度か私に見せてくれた。


その時、私は学生時代の彼の写真にこの三つ編みの少女の姿を幾度と無く見つけていた。

決してアップで映っていることは無く、遠くにいる彼女はいつも彼が写したと思われるアングルから離れた所に存在していた。何で友達を取ったと思われるのに、この写真は左端に被写体がよっているのだろうなどと考えたことが何度か思ったから覚えている。



当たり前だ・・・彼にとっての被写体はいつも彼女だったから。




私はあふれる涙を拭いながら今度こそ手紙を机にいれた。そしてもう1つの引き出しに入っていた鍵を見つけると鍵をかけて置いた。彼女の気持ちは元の通りに残しておこう。








本当に幸せだったのだろう、彼も彼女も。彼女は向こうの世界でもう彼に会えただろうか。




私はそのまま部屋を出た。ここに来る前とは違う、昂揚する気持ちを抱えたまま。



「今日はハンバーグにしようかな。あの人、喜ぶかしら。」


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― 新着の感想 ―
[一言] ふすまにはいった後の主人公の気持ちの推移の展開がよかった。ふすまに入る前とはいったあとでは母に対する気持ちが主人公はかなり変わったんではないか。ふすまに入る前は母の弱さなどがわからなかったが…
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