45話 父と子のお料理対決
本日は七面倒な来客がある。父上だ。我輩が契約先で真面目に仕事しているか調べたいらしい。だが建前だと思っていた。おそらく本音は――。
「我が息子よ。待たせたな」
父上が魔方陣から出現した。メイスみたいにゴツい角。大樹のごとくがっしりした尻尾。凝縮された筋肉。密度の濃い体毛。定年退職してなおグレーターデーモンらしい体型を維持していた。さすが毎日のように漁師をやっているだけある。
「父上。用件を終わらせたら、さっさと帰ってくれ」
「なんだ久々に父と会うのに、もっと喜べ」
どかんっとちゃぶ台へ置かれたのは、狩られたばかりの鹿であった。せっかくだから調理していく。解体と血抜きはしてあったから、臭みを取るために酒で煮込んでから、各種香辛料と野菜を投入した。
「ほら、我輩真面目に仕事しているぞ」
「それが嘘か真実かはどうでもいい。どうせ人間との契約期間など、たかが百年だからな」
「いいか。料理を平らげたらすぐ帰れ」
「グレーターデーモンと人間では寿命が違いすぎる。人間の女にうつつを抜かしても、必ず相手に先立たれてお前が不幸になるだけだぞ」
やはり寿命の話題が本命だったか。漁師にのめりこんで山岳地帯で寝泊りしてばかりの父上が、次男の仕事ぶりを調べるためだけに下山してくるはずがないのだ。
「兄上の指図か?」
「母さんが心配している。うちの一族で結婚していないのはお前だけだからな」
父上が指先で魔力を練ると、お見合い映像が投影された。グレーターデーモン族のうら若き娘だ。いかにも育ちが良さそうな角と尻尾であり、周囲を傷つけないように丸まっていた。体毛も絹みたいにさらさらだ。攻撃力と防御力を犠牲にしてでも容姿の美しさにを優先したのであろう。
魔界が統一されてから育った、平和の象徴みたいな娘だった。
「これほど若い娘は、我輩みたいな年の離れた男を嫌がるだろう」
「いいや、先方はお前を気に入っている。なにせ魔界統一戦争の英雄だからな」
魔界統一戦争――世を乱す暴虐な勇者軍団を討伐するために行われた戦争だ。魔族の中心となったのは、魔王殿・父上・兄上・我輩・ブラックドラゴン殿の五名である。戦果に関しては吟遊詩人たちが英雄譚として華々しく語り継いでいるが、当事者としては積極的に思い出したくない内容だった。
いくら平和を勝ち取るための戦争だったとはいえ、多くの血が流れた。我輩はたくさんの敵を葬ったし、大勢の友人を失っていた。
「英雄は理想化される。きっと現実の我輩に接すれば幻滅するだろう」
「そこまでふくめてのお見合いだ。こんな良縁中々ないのだぞ。器量よし、気立てよし、おまけにご両親は父の元同僚だ」
「なんだ政略結婚だったのか。ますますお断りだ」
「お前は由緒正しきグレーターデーモンで、力を重視される魔界で四番目に強い。となれば本人の意思と関係なく政治性を帯びる。第二、第三の勇者軍団を生み出さないためにも、有力者は結託して力を誇示しなければならんのだ」
強さの順番だが、一番――魔王殿。二番――兄上。三番――父上。そして四番が我輩だ。ブラックドラゴン殿は魔王殿以外に喧嘩を売らないので序列不明だった。
「定年退職した父上が相手なら、我輩でも勝てるさ」
「まだまだ若いのには負けんぞ。といってもお前の兄には負けてしまったから引退したんだが」
「…………我輩が勝ったら、お見合いをあきらめてもらおうか」
「いいだろう。地球で戦うと迷惑がかかるからな。魔界へ行くぞ」
「誰が腕力で戦うといった。お料理勝負だ」
我輩が菜箸を剣みたいに構えたら、父上は呆気にとられて、ことこと煮込まれる鹿料理を見つめた。
きっと魔界時代の我輩なら腕力勝負を望んだろう。しかし今は四番目でも五番目でも不満はなかった――いや精確には違う。強いか弱いかではなく、魔界の序列構造に組み込まれたくないのだ。
「我が息子よ。なんでそんなに腑抜けた?」
「魔界統一戦争の疲れが、今になって出てきたらしい」
「……なるほど。ブラックドラゴンが魔王様に喧嘩を売るのと似たような理由か。やつは平和に馴染みすぎて闘争本能を弱まるのをひどく嫌っているから」
腑抜けるのは、良いことなんだろうか。悪いことなんだろうか。平和な時代には大事な生き方だと思うが、ふたたび魔界を混乱させる存在が出現したときに、撃退するための力が失われていたら本末転倒だろう。
大切な誰かを守るために必要なものは、浮世離れした理想論ではなく、強大な力と鋼のごとき意思だ。
それでも我輩は、戦いに倦んでいた。だから地球に召喚されて魔界の序列構造から切り離されたとき、水泡が弾けるように気が抜けた。今は花江殿の近くで休暇を甘受したかった。
「さぁ父上。お料理勝負だ」
「……いいだろう。父は料理も達者だからな」
ついに我輩と父上のお料理勝負が始まった。
我輩は地球の道具を使って、鹿肉を料理していく。合金製の包丁に、ガスコンロに、合成調味料だ。ようやく地球の生活に慣れてきたころだから、まだ道具を操る手つきに無駄があった。
父上は魔力で鹿肉を料理していく。切断から加熱まで全部魔力だ。さすがに漁師として料理してきただけあって肉を扱う手つきに無駄がない。
やや押されぎみのお料理勝負だが、味の決め手は手間暇を惜しまないこと――すなわち愛情だ。大切な誰かに食べさせるために、食感から微妙な塩分の調整まで細かくこなしていく。
親子の対決とはいえ、言葉を使った会話はなかった。ただ食材を加工する音で意思をぶつけるのみ。我輩と父上の願望が空中で激突して、湯気を攪拌していく。ほわっと料理の香りが長屋全体に行き渡るころに、二人とも料理が完成した。
どちらがうまいのか審判するために、味見役が必要だ。
まるで申し合わせたように、管理人の花江殿が鼻歌を歌いながら入ってきた。
「とってもいい香りがしーますねっ……ってあら、暮田さんそっくりな人がいらっしゃいますね」
「父上だ」
「まぁお父様ですか。はじめまして、花江陽子といいます。よろしくおねがいしますっ」
父上はうなずいて「なるほど。太陽だな」と納得した。魔界統一戦争の経験者なら、花江殿の尊さを理解できるだろう。
そんな尊い太陽に、我輩と父上の料理を食べくらべてもらった。すると、やや申し訳なさそうに結果を伝えてきた。
「暮田さんのお料理をおいしく感じるんですけど、でもこれってわたしの好みにあわせてくれたからですよ。こういうのズルいですよね。お父様はわたしの好み知らないわけですから」
我輩は最初から花江殿に食べさせるために作っていた。香辛料だって彼女の好みにあわせて投入したから、まんまと食欲を刺激されて、我輩の部屋をたずねてきたわけだ。
一種の作戦勝ちである。
敗北した父上は、魔方陣を作った。
「父の負けだ。我が息子よ、しばしの休暇を楽しめ」
「百年の休暇、か」
「百年後、ナマクラになったお前を鍛えなおしてやる。覚悟しておけ」
「わかってる。達者でな」
「たまには実家に帰ってこい。母さんも喜ぶ」
父上は魔方陣の向こう側に消えた。
ことこと煮込まれた鹿料理の香りが残る中、花江殿が首をかしげた。
「お父様、ずいぶん帰るの早いですね」
「鹿肉を届けるためにきたからな」
「漁師さんだから、息子においしいやつを食べさせたかったんでしょうか」
「うむ。では、残っている鹿料理を平らげてしまおうか」
長屋での休暇は、ゆっくりと過ぎていく――花江殿の寿命が終わるまで。




