21話 テニスをしよう。テニスを。そうテニスという名の格闘技を――バーニング!
本日は姪っ子が遊びにきていた。いつぞやドラク○をプレイしたとき、川崎にレッサーデーモンで経験値稼ぎをされて取り乱したことが思い出深いが、あのレッサーデーモンの姪っ子だ。
姪っ子というだけあって女の子だから、つるんっとした角で、尻尾も丸みを持っていて、毛皮も柔らかい。うーむ、純朴で可憐だな。このまま汚れをしらないで育ってほしい。
――補足しておくと、あくまでデーモンタイプの基準で可憐だから、人間の考える美少女ではない。脳内で補正するのは自由だが、ほどほどにしておくのだぞ。
「あんちゃん。あたし、地球の“テニス”をやってみたいの!」
デーモンタイプでは可憐な姪っ子が、いきなり頼みごとをしてきた。
「スポーツをはじめたのか?」
「魔界で流通するようになった漫画に、すてきなやつがあって。これなんだけど」
テニス●王子様だった。
またもや某集英社の作品なのだが、連載が続くほどにテニスというの名の格闘技に変貌していった快作だ。噂によると女性ファンがめちゃくちゃ多いらしいが、まさか魔界にまで流通していたとは。
「ちなみに、すてきの意味をくわしく教えてくれ」
「部長がかっこいいの。リーダーシップと眼鏡がステキ。あたしも青学の柱になりたいな。きゃっきゃっ」
部長とやらの思い出を語る姪っ子の顔は、まごうことなき乙女であった。どうやら二次元の男性に恋をしたらしい。
「なるほど姪っ子よ。そっちに走ったのか」
「そっちってどういう意味?」
「いや、こちらの話だ」
しかしまいったな。どうやら姪っ子は底なし沼にハマりかけているらしい。地球に住んでいるなら底なし沼にハマっても関与しないのだが、魔界に住んでいたら文化も違うしなにかと軋轢も生まれるだろう。
なんてところで花江殿が回覧板を持ってきた。
「まぁ! 暮田さんにそっくりな人ですね!」
姪っ子を見て、ぱちぱちと拍手していた。まるでお笑いの双子芸を見たような喜び方だった。
「そっくりだろうな。姪っ子だから」
「まぁまぁ、姪っ子さん。お名前は?」
さぁどうやって説明しようか。魔族の名前は人間の言語では発音できないのだ。
魔界側の登場人物が増えてきたので、ちょっとだけ名前の詳細に触れておこう。
なぜ魔族の我輩や姪っ子、ヒューマンの園市の名前だけ地球の言葉で発音しにくいのか。
なぜゴブリン族のゴブゾウ殿やミノタウロス族のミノル殿の名前は発音可能なのか。
その答えは魔界の歴史にあった。
魔王殿が魔界を統一する以前、声と文字で意思を疎通させる古代言語を扱っていたのは、魔族とヒューマンだけだった。
文化を手に入れる前のゴブリンやミノタウロスは動物に近い鳴き声や仕草などの肉体言語でコミュニケーションしていた。
閉鎖的なエルフは同族だけで生活したいから精神を直接つなげる魔法言語でコミュニケーションしていた。
だが共通した言葉がないと、争いが生じたとき、またお互いに利益を交換したいとき、意思を疎通させる手段がない。だから芸術に長けた魔王殿は、簡素かつ瑞々しい共通言語を新規に作りだし、魔界にばら撒いた。
こうして魔族とヒューマンも共通言語で生活することになったのだが、名前だけは以前使っていた古代言語のまま残された。自分たちが生きてきた歴史を平らにされたくなかったからだ。
この古代言語は発音が難しいため、地球の語感では表現が難しいという理由だ。
「花江殿、彼女はレッサーだ」
花江殿の聞き間違いに期待することにした。
「烈紗〈れさ〉? ずいぶん強気なキラキラネームですね」
「それでいい。地球では烈紗で通していくぞ」
「ふーん、よくわからないですが、レーちゃんって呼びますね。そっちのほうが可愛いから」
レーちゃんか。悪くないのではないか。姪っ子は賢いので、すぐに事情を理解してくれた。
「うん、あたしレーちゃん。よろしくね。それであんちゃん。この女性はどちらさま?」
姪っ子に紹介する前に、かくかくしかじかと花江殿に“テニス”の事情を教えた。できれば底なし沼に入らないようにアドバイスしてやってくれとも。
だが軽く拒否されてしまう。
「……そんなこといわれても、わたし特殊な文化には詳しくないですよ」
「魔界は漫画の本場ではないから、底なしに沼にハマったら生活が困難になる。同じ女性の立場から、うまく“テニス”から引き離してやってくれ」
「うーん、膨大な情報量でノックアウトするのはどうでしょうか。暮田さんたちの故郷で漫画が主流でないなら、恵まれた環境との落差でショックを受けるかもしれません」
膨大な情報量と恵まれた環境で脳内に浮かんだのは、池袋の乙女ロードだ。執事喫茶にBL同人誌専門店に乙女ゲームを前面に押し出すゲーム屋と、なんとなく男性客は肩身がせまい雰囲気だ。道を歩くのも女性客ばかりで、各商店の店員さんも男装した女性が多かった。
ちゃんと説明しておくと、BLとはボーイズラブのことで、男性と男性がくんずほぐれつする創作物だ。専門店の経営が成り立つぐらい愛好者が多い。だがやっぱり専門店だから立地条件が大事になり、乙女ロードがぴたりと当てはまっていた。
魔界には乙女ロードみたいな特化した場所はない。これならうまくいくだろう。
というわけで、三人でオタク女性の聖地――池袋の乙女ロードへいった。
「あんちゃん! 乙女ロードすごい! テニスだけじゃなくて他にもかっこいい二次元の男性がいる!」
逆効果だった。
「姪っ子よ。なぜ二次元にハマってしまったのだ?」
なお乙女ロードを埋めつくす二次元男性たちだが、たしかに見た目がかっこいい。販促ポスターの説明文を読むかぎりイケボな男性声優さんが声を当てているという。なおイケボとはイケメンボイスの略称で、かっこいい声のことらしい。地球の文化は複雑だな。
「えー、たとえばあんちゃんとかオッサン臭いし、同年代の男性ってなんか信用できないし、やっぱり二次元かな。あたしの胸をきゅんきゅんさせてくれるの」
「我輩、オッサン臭いのか………………ところで花江殿はどこへ?」
花江殿は、ゲーム屋の店頭で流れる乙女ゲームのPVに目を奪われていた。街中の雑音が聞こえていないらしく、口が半開きだ。
これは……格闘ゲームにハマったときと同じ流れなのでは……。
「花江殿。我々は、姪っ子を三次元に引き戻すためにここへきたのだぞ。ミイラ取りがミイラになってどうするのだ」
「え、あ、そのー…………わたし、急用を思い出したので!」
花江殿はATMへ走った! 今すぐ乙女ゲームを購入するつもりだろう。どうしてこうなった。
「ほらあんちゃん。やっぱり二次元の男性はかっこいいんだよ」
姪っ子が勝ち誇っていた。
「しかし、お前がやりたい“テニス”は普通のテニスじゃないぞ。格闘技なんだから」
「えー、でも部長のBL同人誌書くためには本物のテニスを体験しておかないとルールがわからないでしょ?」
「そっちの意図だったか……」
我輩の完敗だ。姪っ子は手遅れであった。腐っていたのだ。ならば、ささやかながら手を貸してやるか。
最寄りのテニスコートを借りると、魔力で編んだラケットを握り締めて“テニス”をやることにした。
「バーニング!」
我輩が全力で打った魔力の球は、音速を超えてソニックウェーブを発振――テニスコートの表面を削りながら姪っ子に迫る。
「こっちもバーニング!」
がつんっと姪っ子も打ち返すと、暴風が発生。審判席とネットを吹っ飛ばして、災害みたいになる。
「またまたバーニング!」「やっぱこっちもバーニング!」「バーニング&バーニング!」「バァアアアニィイイイング!」
我輩と姪っ子の“テニス”によってコート周辺が工事中の砂地みたいに荒れ果ててしまったのだが、いつもだったら突っこみをやる花江殿が、購入したばかりの乙女ゲームに夢中で誰も止められなかった。
突っこみ不在の恐怖! だが“テニス”が面白くなってきて我輩も手が止められない!
こうして夜更けになるまで“テニス”が続いて、この日は解散となった。
――数日後。事務的な用事があって一時的に魔界へ帰郷したのだが、実家の屋敷で兄上に呼び止められた。
「わが弟よ。姪っ子がおかしな本を魔界で布教しているのだが、覚えはないか?」
薄い本だ。それもテニス●王子さまの部長がアレなアレになるやつ。やたら“テニス”のシーンがリアルで、池袋の思い出が創作意欲を膨らませたのはいうまでもない。
「……我輩はなにもしらない」
「本当だろうな?」
兄上が怖い顔で迫ってきた。どれぐらい怖いかというとおしっこをちびってしまいそうなぐらいだ。兄上はグレーターデーモン族で一番強いので、もし本気で怒ったら我輩なんてミンチにされてしまうだろう。
しかし真実をあけすけに語って姪っ子に矛先が向かったらかわいそうだ。がんばれ我輩。ときには嘘をついてかよわき妹キャラを守るのも大事なのだ。
「姪っ子には姪っ子の信条がある。それを否定してはいけないだろう!」
もっともらしいことを叫ぶなり、事務的な書類を兄上に投げつけて、すぐさま魔方陣を作って地球へ逃げ帰った。
はーっと胸をなでおろす。本当に怖かった。だが姪っ子よ、もっと隠して活動してくれ。我輩の命が危ういではないか。
心の中でぼやいたところで、花江殿がどこからか帰宅してきた。だが我輩と目が合うと、バっとなにかを後ろ手に隠した。
「花江殿。なにを隠したのか」
「な、な、なにも隠してません」
ぼとりと後ろ手に隠したものが落ちた。
紙袋だ。池袋の乙女ロードにあるBL同人誌専門店の名前が印字されていて、中身は姪っ子が作った薄い本だった。
どうやら腐の魂は地球でも魔界でも伝染するらしい。




