9話 ボーカロイドは鳴りやまない
本日は大学生の川崎と一緒にパソコンを買いにきた。秋葉原のパソコン売り場には、ずらーっと箱が置いてあった。
「川崎、パソコンだが、種類が多すぎないか?」
外箱はぜんぶ同じに見えるのだが、英数字の表記が違っていて、値段にも開きがあった。
「搭載されたパーツの組み合わせによって値段が上下します。本当は好きなパーツを集めて自分で組んだほうがいいんですけど、暮田さんは初パソコンだから、お店が提供するやつのほうがいいと思いますよ。それでも注意しなきゃいけない点があって、たとえば電源ユニットとか――」
川崎は、いつもの爽やかな顔で、ぺらぺらと搭載されたパーツの説明をはじめた。魔法使いが呪文を口頭詠唱する雰囲気にそっくりで、とても気持ちよさそうだ。
だがしかし、我輩にはさっぱり理解できない。基礎の知識がないからだろう。
「ふーむ、難しいな。それで、どの箱を使えばボーカロイドを動かせるのだ?」
なにをかくそう、我輩はボーカロイドに興味津々であった。
「どれでも動きます。初音○クが発売されたのは十年前ですからね。当時のハイスペックが、今じゃガラクタですから、技術の進化は怖いぐらいですよ」
「ずいぶん詳しいな川崎」
「なにを隠そう自作erですから」
ジサカーなる未知の言語について質問しようとしたのだが、川崎の知識自慢がはじまったら帰るのが遅れるから、定番の手を使うことにした。
「……わかった。川崎が選んでくれ」
というわけで一番安いやつから二つだけグレードが上のやつを購入して、長屋へ戻った。
初期設定は川崎にやってもらって、すぐさまボーカロイドの初音ミ○を立ち上げた。
青緑がパーソナルカラーの女の子だ。ツインテールとかいう幼い雰囲気の髪型で、花江殿に負けず劣らず胸が薄い。この子が我輩の入力した曲を歌ってくれるというのだが、肝心の入力方法がよくわからなかった。
キーボード、マウス。なんだこれは。スマートフォンの親戚らしいが、タッチパネルに比べると直感的な操作ができないから、とっつきにくかった。
「先日小山と一緒に歌った〈蝋人形○館・魔界バージョン〉を入力したいのだが、どうすればいいのだ?」
「最初の曲だけ僕が入力しますから、それを覚えてくださいね」
川崎はボーカロイドにも詳しいらしく、ぽちぽちとキーボードとマウスを操作してお手本を見せてくれた。
数をこなせば覚えられそうな手順だ。あとで反復しよう。
我輩の事情はさておき、さっそく初音ミ○に出だしの部分だけ歌わせてみたのだが、棒読みだった。
「川崎、棒読みでは聴衆を失神させられないぞ」
「合否の基準は失神なんですか……」
「歌は破壊力だからな」
「難しいと思いますよ。棒読み気味になるのがむしろ魅力といわれていますから」
「逆に考えたら初音ミ○をパワーアップさせれば可能なのだな」
「ぱ、パワーアップ?」
「うむ。我輩、無機物に生命をあたえる魔法も使えるゆえ」
人形や石像を使い魔として使役する魔法を初音ミ○に使った。
すると画面の初音ミクが、生物のように動きだした。
『どうも初音○クでーす!』
完璧な発音に、川崎が顔面蒼白になった。
「大変だ! なにも入力してないのにミクがしゃべった!」
『そんなに驚かなくてもいいと思いますっ』
「あぁ、これはきっと悪い夢なんだ……」
川崎が頭を抱えて現実逃避したところで、がらっと花江殿が入ってきた。
「若い女の子の声がしました。まさかいかがわしいことをしてるんじゃないでしょうね」
じーっと室内を見まわして、最後にパソコン画面の初音○クに注目。
「なんですか、そのアニメ調のあざとい娘は」
『そういう地味なおばさんは誰ですか?』
「地味!? おばさん!? なんて失礼な!」
花江殿はナギナタを振りかぶってパソコンを殴ろうとしたので、さすがに我輩が必死に止めた。
「おちつけ! パソコンは高価なのだぞ!」
「いいえ、こういう失礼な娘は早期に成敗しないと秩序が乱れるんです!」
せっかく乱暴モノを落ちつかせようとしているのに、初音ミ○はあおりだした。
『やーいやーい小じわを化粧で隠すおばさん』
「あなただって二十代になったら小じわが気になるんです!」
『わたしはボーカロイドだから永遠の十六歳ですよーざまぁみろー』
とつぜん川崎がグワっと目を覚まして、初音○クの映った画面をわしづかみした。
「ミクはそんなひどいこといわない!」
『うわっ、キモオタ』
「キモオタなんて絶対にいわない! ああきっと初期設定を間違えたんだな、そうに違いない、初期化しよう」
神業みたいな速さでパソコンごと初期化して、初音ミ○は画面から消えてしまった。
利害の一致した花江殿と川崎とハイタッチして初音○クの消滅を喜んだ。
だが置いてけぼりになった我輩は、むすっとした顔で不満をもらした。
「二人とも、我輩の当初の目的である、ボーカロイドに故郷の歌を歌わせるという野望がまだ達成されていないのだが」
「自分で歌えばいいんです。そんなあざとくて失礼な娘に頼ることなんてないんです」
と花江殿。
「このミクは性格悪いから封印してもいい気がしますね」
と川崎。
これはダメだ。川崎は二度と協力してくれないし、対策も考えないまま再び初音ミクを使おうとしたら花江殿が妨害してくるだろう。
……いや待てよ。そもそも他人に頼って機械を動かそうとするのが間違っていたのではないか。初音ミクは趣味の道具なのだから、悪戦苦闘しながら使い方を覚えることで、できあがった曲を喜ぶことができるのではないか。
我輩、目が覚めた。これからは地球産の道具や機械だろうと、なんだって自分から吸収していく必要があるだろう。
というわけで、我輩は夢中になって使い方を覚えていく。せっかく魔法で初音ミクを自律して動かせるようにしたのだから、彼女に教官役をやってもらった。つらく厳しい特訓である。若いころ、グレーターデーモン族の教官にしごかれたのを思い出した。
あのころは、大変だった。今では賢くて強い我輩だが、頭が悪くて弱かった時代もあったのだ。
『がんばって伝衛門さん! もうちょっとで完成だよ!』
初音ミ○に、いやミクさんに励まされて、我輩は奮起した。
深夜になって、朝焼けが見えてきて、それでもめげなかった。
こうして翌朝になった――ずぎゃああああんっという心地よい重低音が長屋に響いた。
目をひん剥いた花江殿と川崎が部屋へ入ってきた。
「な、なんですか今の体に悪い音はっ」「暮田さん、心臓が痛いですよ」
『お前たちを蝋人形っぽいアレにしてやろうか――っ』
完璧に魔界バージョンで調律されたミクさんが、聴衆を失神させるべく、全力全開で歌っていた。
「ふははは、我輩とミクさんの勝利だ! これで我輩もボカロPだな!」
勝利宣言もつかのま、どこかで力のいれどころを間違えたらしく、我輩のミクさんのデータが世界中のミクさんへ伝染していって、誰もが〈蝋人形○館・魔界バージョン〉を勝手に歌いはじめた。
『流行が終わったら二度と起動しないなんて、絶対に許さないんだからね!!』
まるで人間のように調律してきたソフトだからこそ、見捨てられたときの怒りは並々ならぬものだったらしい。
魔族にとっては心地よい環境であったが、世界中の人間たちを恐怖のどん底へ追いこんだのは、さすがにやりすぎだったらしい。
「ICPOだ! 暮田伝衛門はどこだ!」
国際警察とかいう屈強な連中が長屋へ突入してきて、我輩は国際的に逮捕されてしまった。
どうして毎度こうなるのだろうか……。