邂逅
幽霊など存在しない。宇宙人も超能力も妖怪も存在しない。
要するに、俺は現代科学で証明しえない事象の全てを信じていない。
いや、いなかった。
―彼女に出会うまでは。
ポケットの中でスマートホンが小さく鳴る。アラームを切って時間を確認。午後五時。
俺は読んでいた本を閉じ、鞄にしまった。
この時間なら、正門前でのサークル勧誘もやっていまい。
俺は人混みが嫌いだ。様々な人の視線や音や匂いに酔いそうになる。すぐに気分が悪くなってしまう。
人付き合いに向いていないんだろうと俺は思っている。要するに、向き不向きの問題なのだ。
だからこそ帰宅途中に人混みに出くわさないように、最善の時間を狙って帰る。
何とかして新入生を獲得しようと奮闘する、各サークルの意気込みは認めるのだが、入る気など毛頭ないなのにしつこく勧誘されるこちらの身にもなってもらいたい。
想定通り正門前に人気はなかった。ほっと息をつき、俺はうつむきがちに歩いた。だから門を出て曲がったところで、飛び出してきた人影に気付かず衝突し、無様にも尻餅をついてしまった。転んだ拍子に鞄の中身をぶちまけてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、こっちこそ」
俺にぶつかり自身も派手に転倒した女性は、すぐさま体を起こすとぺこぺこと頭を下げてきた。彼女が頭を下げるたびに、長い黒髪も一緒に揺れる。
「俺も不注意だったし…」
言いながら俺は落ちた持ち物を拾い集めた。最後に本を拾って立ち上がる。
「シャーロック・ホームズ…」
俺が拾い上げた本に目を留めたらしく、彼女が本の主人公の名前を呟く。
「ホームズがお好きなんですか?」
問いかける彼女の顔を見て、俺は思わず返事に詰まった。
―綺麗だ。
問いに対する答えよりもまず、その感想が脳裏に浮かんだ。
「というより推理小説が好き」
どぎまぎして意図せず早口で喋ってしまった。
「私もです」
にこっと笑って答えるその表情が眩しすぎて俺は思わず目をそらしてしまった。俺はこんな美人と話す耐性などついていない。顔が紅潮してしまい、言葉は口の中でもにょもにょ言って消えてしまう。
なんと言えばいいのかわからないのは彼女も同じなのか、気まずい沈黙が流れる。
「あ、そうだ。君、新入生だよね?」
「え、ああ、はい」
唐突に彼女が尋ねてきた。質問の真意がわからず首を傾げる俺に、彼女は更に質問を重ねた。
「あの…オカルト研究会…に、入ってみませんか?」
言いながらおずおずとチラシを差し出してくる。
俺は、彼女への好感度が激減するのを感じた。ぱし、と差し出された手を払いのける。
「俺、そういうの信じてないんで」
後ろで彼女が戸惑うのを感じながら、俺は振り返ることなく歩き去った。
幽霊など存在しない。宇宙人も超能力も妖怪も存在しない。
要するにオカルトなんて馬鹿げてる。
それが十八年間という短い人生の中で俺が導き出した一つの結論だ。
いもしない存在のために思考を割くなど、考えるだけで無意味だ。
自宅に帰りつき、鍵を開けたところで俺は違和感を覚えた。
誰もいないはずの室内から誰かの気配を感じる。
―こんなことすんのは、あいつしかいないよなあ。
自分に言い聞かせて、俺は何も気づいていないように歩き、勢いよくドアを開けた。
「ひっ」
ドアが勢いよく開く音に、室内に潜んでいる奴は情けない悲鳴を上げる。
電気をつけると、頭を抱えてうずくまる桜の姿があった。
「あ、お、驚かさないでよ、京ちゃん」
「やっぱりお前かよ…」
俺の言葉に、あいつはむっとしたらしい。
「やっぱりって何よ。京ちゃん驚かないからつまんない」
「じゃあするなよ」
「せっかく幼馴染が遊びに来てやったのにその態度は無いんじゃない?」
「あ、そういえばお前、どうやって入ったんだ?」
勝手に部屋に侵入し驚かせようとする相手に心当たりはあっても、手段はない。こいつに合鍵など渡していない。
「明里さんが開けてくれたよ」
「え、母さん来てるの?」
「もう帰ったけど」
「勝手に来るなよな…あ、勝手に冷蔵庫開けるな」
この幼馴染には、ここが他人の家であるという意識はないらしい。
「あ、それもう残り少ないのにっ」
「いいじゃん別に」
何を言っても聞きそうにないと知っているので、俺は諦めてため息をついた。
風呂から洗って着替えて部屋に戻ると、すっかり食事の用意が整っていた。頼んでもないのに桜はこういうことをする。おせっかいなのだ。俺とは正反対の人間だ。
「さ、あなた。ごはんの時間よ」
「気持ち悪いからやめてくれ」
「京ちゃんノリ悪い。つまんないつまんないつまんないー」
「ガキか。ていうか京ちゃん言うのやめろ」
「えー今更じゃん」
ケラケラ笑って桜が答える。
俺はこの姉気取りの幼馴染に頭が上がらない。桜という名に似つかわしくない性格の彼女は、昔は俺よりも力が強く、背も高かったため、恥ずかしながら頼りにしていた時期もあった。無意識のうちに桜を自分の上位存在と誤認してしまっているらしい。
食事も終わり、泊まるんだとか戯言をほざく桜を追い出し、俺は読書に耽った。
俺が読むのはたいてい推理小説だ。たまに別のジャンルも読むが、それでも間違ってもホラーなどオカルトに関する小説は読まない。
夕方のやり取りが脳裏に鮮明に蘇る。
『オカルト研究会に入ってみませんか?』
俺はそういうのを、オカルトだとか超常現象だとかいう類のものを信じていない。だから彼女の手を冷たく払いのけた。
『俺、そういうの信じてないんで』
眠気を感じて本を閉じる。内容が頭に入ってこない。
本を棚に戻したところでふと思った。
―そういえば、俺はどうしてオカルトが嫌いになったんだ?