《第五幕:龍神町夕顔は傷つかない》
《第五幕:龍神町夕顔は傷つかない》
「いや、本当にひとりで歩けるって」
杖は必要だが。
「やだ」
「いやぁ夜ちゃん。無理があるって」
「やだ」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
仕方がないので、杖を月下に渡して夜来の肩に手を回す。そして、こっちの体重を支えきれずふたりで床に倒れた。
「うん、まあ、こうなるよね」
「う、うう、ごべん血脇くん」
「挑戦することは良いことだ。鼻大丈夫か?」
馴れたというか、馴染んだ感じに月下に肩を借りて立ち上がる。
「………………」
最近、色々な険が取れた夜来が、ちょっと前までの表情に戻る。
月下の肩を借りてテラリウムの長い廊下を歩く。
夜来の救出から、ひと月が過ぎていた。
色々あったが、順にいうと失血死寸前の皆久に、月下が自分の血を与えて命を繋いだ。彼女は以前吸った分を返しただけだといったが、それで彼女の心臓が三分ほど止まっていたのだから、皆久はコメントに困るしかない。周りのメイドが急いで輸血しなかったら、こうして肩を借りることはできなかった。
彼女というか彼女ら<レアエッジ・レプリカ>は、抗体の関係で万能供血者であり万能受血者でもある。その上タフなのだから羨ましい限りだ。
皆久の怪我は全治三ヶ月と診断され、すぐさまテラリウム傘下の病院に隔離された。
生まれてはじめての入院生活では、姉妹の世話になりっぱなしだった。特に月下には、人として、もう見られて恥ずかしい所が何もないくらい世話になった。
途中から拘束の解けた夜来も参加というか、仕事を増やしに来たが、それは見なかったことにする。気持ちはありがたい。
傷は、まだ完全に癒えていない。本来ならまだベッドの上だが。
「こんな調子で本当にやるの?」
「そりゃまあ、横に色々それたけど。これが元々の目的なわけだし」
「また別の機会を待てば?」
「それでまた、手の届かない所に行かれた困る。その先で違う奴にやられようものなら、そう考えると僕は気が気でない」
「ちょっと妬ける」
「ん? どこが」
「いや、いいわ。説明するのが面倒くさい」
飽きれ顔の月下、ちょーだいと手を出す夜来に杖を渡した。
龍神町夕顔が今日帰還する。
《マクスウェルの悪魔》の一件で、任務放棄をして帰還準備をしたらしいが、思ったより解決が早く、放棄した任務を再開。だが他の部隊と仕事がダブり、混乱を呼んで作戦期間が延びてしまったそうだ。
「血脇くん、勝てる?」
「どうだろうか」
体は平時の六割といった所、左足が不便なのが一番痛い。機動力は四割くらいか。それでもまあ、龍神町に負けた時を十とするなら、今は百くらいの力がある、と自負している。師が跳ね上げてくれた能力だ。変な感情や雑念が邪魔をしなければ、まだまだ伸びる。
「やってみないとな」
敵わないまでも、どこまで届くか試してみたい。
「あ、あの。それじゃ。役に立つか分からないけど」
杖を脇に抱えて夜来はスカートのポケットを探る。
「これ、使って」
ずるり、と二メートル近い偃月刀を取り出す。
月下とふたりで呆気にとられた。
夜来は、あれに取り込まれていたせいか変な才能に目覚めた。パズルのピースのように浮かんだ知識がはまると、たまに使用できるらしい。それは他の組織が隠している秘法の一部であり、バレたら刺客が来る。それも腕試しができて良いかと思うが。
それと、予知の能力は完全に消えてしまったそうだ。
「ありがたく」
偃月刀を借りる。青銅製、儀式的な装飾がされた長物。何だかこれ、ものすごく邪悪な気配がするのだが。
「召喚機能は再現できなかったけど、呪具の特性はしっかりあるから。龍神町に効果あるかも」
「妹が、段々人間離れして行く」
姉が憂鬱な顔を浮かべた。
「おーう。ちょっと血脇を借りていいか?」
後ろから声。振り向くと、太刀川秀一がいた。
「いいけど、変なこと教えないでよ」
「でよ」
「こいつはお前らの子供か。あんまり時間とらせないから、ちょいふたりで話しさせてくれ」
「んじゃ、調理室にみんなのご飯用意してあるから取ってくる。夜ちゃんいくよー」
「よー」
姉に手を引かれて妹も小走りで去っていった。
杖を持っていかれたので偃月刀を杖代わりにしばらく無言で歩く。太刀川も無言で並走した。
「ふむ、死霊の類?」
「半分当たりって所だ」
疑問を口にしてみる。太刀川は、確かに頭を吹っ飛ばされたはずだが。
「今回は、お前の世話になった。礼をいっておく。だが、オレだってな。月下のことで動揺してなかったら狙撃くらい軽く避けていたぞ」
「負け惜しみ」
にや、と笑ってやる。
「こ、この野郎」
怒れる太刀川を尻目に、石突をごとごと鳴らしながら歩く。
「もう二十年前になるか」
「ん?」
「おっさんの昔話だ。ちょっと聞け。比良坂姉妹や龍神町に関係がある」
十代後半の青年の顔に、老齢した表情が浮かぶ。
「ロングロングアゴー、疫病が流行った。死亡率百パーセント超強力、治療法なしの絶望的な病だ」
やや芝居じみた態度。おどけてはいるが、目は笑えない様子。
「だがそれは紙面上の死だ。肉が腐れ、骨になる死ではなかった。ま、紆余曲折あって吸血鬼って呼ばれるようになるんだが。ホント、馬鹿みたいな話しだったさ。その頃オレはフツーの高校生やってて、日に日に空席が増えてゆくクラスにぞっとしてた。でも他人事さ。自分の身にふりかかるまでは、な。
オレも感染者になった。
渇いて渇いて、苦しくて、飢えを満たす為、身を守る為、愉しみも、なかったといえば嘘になるか。沢山殺したさ。そもそも上の失策が原因で起きた感染爆発<パンデミック>だ。そんなこと、オレらの知ったことじゃない。オレたちが悪いわけじゃない。生きて何が、悪いとな」
太刀川の声が小さくなる。距離が離れていた。彼は足を止めている。
追いつくの待って、肩を並べて歩き出す。
「オレみたいなのが心配することじゃないのだろうが、捕食と感染がこのままのペースで続けば人類滅びるんじゃね? と心配した。まあ、杞憂だ。
カラクリがあったのさ。
仲間が次々と殺されはじめた。政府や軍、いや人間にじゃない。
レアエッジ・レプリカ、この時にはまだその名前はなかったが、オレたちは『銀の衝動』といって恐れていた。こいつはな、ある程度感染者が増えると一定確率で発生する、吸血鬼から生まれる吸血鬼殺しだ。
吸血鬼のようなデタラメな再生能力や、感染能力は持たないが、驚異的な身体能力に、オレらを探知する能力を備えていた。それに殺す感覚っていえばいいのか。小火器程度じゃビクともしない吸血鬼を、ナイフひとつで惨殺していた。
吸血鬼は徐々に押された。
企業の奴らが私兵を動かし、光樹のような組織も、鈍足な政府の要請で動き出した。外来の術者までサンプル欲しさに乗り込んできて。四面楚歌さ。
まあ今を見ればわかるだろうが、吸血鬼は滅びた。
オレも企業の連中に捕獲されたが、運良く、そこにオレの親友がいてな。大分便宜を図ってもらった。つかの間だが、平和だったよ」
遠い過去の話しに、太刀川は思いをはせていた。
こちらも師の活躍を思い浮かべていた。
「その企業の一番の研究対象は、人間で、吸血鬼で、銀の衝動さ。彼ら曰く、純粋な好奇心ではなく、対抗する為に必要な研究なんだと」
「対抗?」
「何と戦うつもりだったんだろうな。聞く前にみんな死んじまった。親友も、ふたりの娘を残して逝った。気の良い研究者連中も成果をひとつ残して消えた」
沈黙。
長い沈黙の間、自分の歴史を振り返っていたのか、太刀川はようやく口を開く。
「それが比良坂姉妹と、龍神町夕顔だ」
つまり、と太刀川は何気なく拳銃を取り出して銃口を向ける。
もう一度、足が止まる。
「お前は、オレの娘のひとりを殺しに来て、ひとりに助けられ、ひとりを助けた。わけがわからない。オレの裁量じゃもてあます」
素直に話す。とても簡単な理由だ。
「最初は命じられるまま、次は善意、次は恩、で今は、自分の強さを確かめる為」
「………………」
呆れた顔。
最近わかったことだが、本心を話すと大抵こういう顔をされるのだが。何でだろうか? いい加減、傷つく。
「なるほど、オレが思う以上にお前は馬鹿だ。ある意味、似ているんだよなぁ。やっぱそれが原因かぁ」
銃を下げてくれた。深刻そうに太刀川は頭をかいた。
歩行を再開。
しばらく無言。
ぼそりと会話は再開。
「人間は、遺伝子の蜂の巣をつついた。
溢れ出る情報は狂乱を起こし、制御できない技術は冬を呼ぶ、捨ててきたはずの獣性は甦り、再び牙を剥くだろう。
人類に次はない。
だからこそ、人を超えた者に、それこそ神にでも救いを乞うしかない、ってのが《マクスウェルの悪魔》を造った博士の独白だ。マキナちゃんが博士の論文から引っ張ってきた。んま、博士は末期癌でな。最初は純粋に人類の救済を考えていたかもしれないが、後半は、何よりも自分を救って欲しかったのだろうな」
「僕にはわからないのだが、神はそんなに万能か?」
無能ではないが。いや、こちらがピンチの時に、一槍刺す程度に有能ではあるが。
「………いいや」
太刀川は微笑んで首を振った。
「僕が知っている神には得手、不得手がある。全部どうにかしてください、なんて無理な願いをいったら説教される」
だが、こんな捨て駒の尖兵を助けてくれるのだから慈悲深いのは確か。
「そういうもんなのか。まあ、オレ<吸血鬼>が願う神はいないからな」
「探せばいそうだけど」
「いいや、もういない。普通の男にぶっ殺された」
「ん?」
「気にすんな。神殺し」
「よしてくれ、それに今回のは神でも悪魔でもない。ただの、ケダモノだ」
自分と同じ、欲望に忠実な。
ある意味、対極であり平行線でもある。価値観が違い過ぎて、取り込まれずこの身が対抗手段になった。
「ただ、もうひとりの神殺しに、お前の技は届くかな」
太刀川の不敵な笑い。
廊下が終わり中庭に出る。良い天気だった。曇りない蒼天である。話しが長引いたせいで、もう観客は全員揃っている。
比良坂姉妹が弁当を広げて、メイド姿の小隊はワイワイとパクついていた。監視と暴走した時の対処の為に講師たちが配置されていた。暇なテラリウムの生徒たちの姿もチラホラ。
ギャラリーに囲まれ、その中心に足を進める。
待ち構える長身の少女。体格はまだ未成熟な部分を残しているが、細くしなやかで、無駄がない。鍛えたというより動いているうちに自然とそうなった形。
美麗な顔立ちは、万人に愛されるような形をしていた。あまりにも美しいの加虐心が湧く。長い銀髪が風に揺れ、太陽に輝く。それは、国を間違えて光臨した女神のよう。
浮かべる笑顔が妙に子供らしく。それが実に腹立たしい。
服装は前と同じ、とてもミスマッチな古風なセーラー服。夜来と同じ制服だ。
それと、ひとつだけ違和感。
左目の下、そこに小さい絆創膏。
「見違えたぞ、皆久」
「気安く呼ぶな。龍神町」
内ポケットから銀のプレートを取り出す。指を斬り飛ばす威力で投げた。
「む?」
難なく指で挟まれる。
「再戦切符。確かに渡したぞ」
「む?」
疑問符二回目、龍神町は左右に首を傾げた。
「皆久。何故まだ開けていない」
プレートが投げた同じ威力で返ってくる。これとして意識していなかったが、自然と指に挟んで止めていた。
「開ける? 何で再戦切符の中身を見るんだ?」
「秀一!」
太刀川が呼び出される。はいはい、と小走りでやってくる。
「説明を求める!」
「夕顔。お前は基本的に全部唐突なんだ。物事ってのは、順序よく整理しなければ伝わらない。いきなりこんなもん渡されて」
「秀一、つまりどういう意味だ?」
形の良い眉が曲がり、秀一を睨む。
「うむ、マキナちゃんに頼んでデマを流し、余所の組織や勢力に血脇を葬らせようとした。なんせ最初は、鬱陶しい密教の刺客だと思ったからな。あ、今でもそこは変わらないか。それで、途中から偉いことになって報告通りだ。すっかりいうタイミングを逃してた。すまんすまん」
「なるほど、つまりは夜来の件もある意味秀一のせいであるな」
秀一の白々しい笑顔が固まる。
「あーかも」
銀の風が吹いた。
龍神町の蹴りが美しい弧を描いて秀一を殴打。秀一は人体の速度を超越して、転がり、バウンドして、庭の茂み飛び込んだ。
「改めて礼をいう。くだらない奸計にはめられたというのに、夜来を救ってくれた。皆久は家族の恩人である」
うすうす怪しいとは思っていたが、全部あいつのせいか。
「ま、もう済んだことだ。僕にはそれより大事なことがある」
意味がないプレートは投げ捨てた。
偃月刀の切っ先を夕顔に向ける。
「龍神町夕顔、お前の強さに用がある」
ケダモノの殺意に夕顔は応える。鈴の音のような清浄とした気配で。
「完全とはいいがたい様子であるが、良いのか?」
「今の僕はこれで最高の状態だ。見下すな」
いっておかしいと気付く。
これは、確認より先に、撲殺する奴じゃなかったか?
「そうだな。うむ、すまない」
すまない、まただ。
密教の様々な刺客を容赦なく屠ってきた奴が、何かおかしい。最初戦った時はこんな感じでなかったのだが。これも自分が変わったせいか?
「来い」
「うむ、行く」
馬鹿みたいに宣言通りに来る。
助走なしの突貫。
それでも人を軽く跳ね殺せる威力。
偃月刀の石突に近い所を持つ、軽く浮かせ、膝で柄を打ち跳ね上げた。得物を天に掲げ、体を捻じり膝を落とし体重をかける。
回転と落下を追加した一撃。
今の状態、この得物で、完全ともいえる一撃。タイミングも文句なし。巨大な刃は夕顔の肩に落ちた。人の体ならば容易く両断できる。紙ほどの抵抗で切断する威力。
しかし、わずか制服を裂くだけで止まる。
龍神町夕顔は傷つかない。
傷つかないのだ。
衝撃で偃月刀から手が離れる、中空のそれを、龍神町は拳の一撃で粉砕した。デタラメだ。流石、龍神町夕顔。これだ、これに負けたのだ!
片足では自重が定まらず動きがふらつく。それが吉と出て撹乱を生めた。拳、膝、肘、蹴り。当たりはしない。吸血鬼よりは鋭いしフェイントも混ざっているが、だからといって当たる理由はない。
だが、どうしたものか。
避けるだけでは無意味なのは痛いほど学習している。これは人外なのだ。長引けはそれだけ辛いし、ちょっとそれはしばらく遠慮したい。短期決戦、できれば次の手で決める。決められないなら潔く負けでいい。
「皆久! 怪我しないでよッ!」
と月下。
「………………」
と夜来。声が小さくて聞こえない。
後は茶化す小隊の面々。
戦い殺すは無我であり、常に張り詰めていた。こんな変な気分で、しかも応援まである中、戦うのは初めて。変に楽しい。
大振りを誘ってカウンター。
龍神町の顔面を掴んで足を払う。彼女の体は完全に空中に、後頭部を地面に叩きつけようと、そこで、手を離して半歩退く。ワンテンポ遅れて、蹴りが飛んできた。
「おお、何をされたかわからなかったぞ」
「それでも途中で反応するか」
意識の空隙を襲ったのだが、まあ、これが成功しても地面が土じゃ、大したことにはならないが。
龍神町は頬の絆創膏を気にしながら、体を揺らしてリズムをとる。
ふと気になり口にする。愚かな行為だと思うが、気になる。
「お前、それどうした?」
「記念なのだ。大事にしないと」
絆創膏を嬉しそうに撫でる。イラっとした。
「怪我? お前がか? 一体誰にだ?!」
勝負を中断して、まずそいつを殺しに行きたくなる。龍神町はきょとんとしていた。
「誰って決まっているだろうに」
指差し。
「僕?」
「他に誰がいるというのだ」
我侭が通じない時の子供の顔。
「いつ?」
「いつって、この間の以外いつというのだ。おかしいことを聞く」
最初のなす術なくやられたあれで? あの時、使った得物の中に特殊なものは含まれて居なかった。程度でいえば、さっき破壊された偃月刀の方が特殊だ。
思案しながら攻撃をかわす。
武器ではない。
当たり前だが素手ではどうにもならない。
すると、ひとつしか思い浮かばない。
その絆創膏の傷は偶然だが、今の感覚ならその偶然を再現できる。
踏み込みから右の拳、次は肘、このふたつを紙一重でかわすと、左の蹴りが来る。
初撃の点線、関節の可動から予測して、想像通り肘を頬に掠めて避け、予測とやや違<だが>え右の膝が来る。というか膝ごと頭を狙い飛んできた。アホらしい膂力だ。
読み違えたが、それが功を奏した。
「え………………お?」
龍神町が転倒している。
何が起こったのか理解できず、疑問符を浮かべていた。そりゃ、象に踏まれても平気な女だ。アゴに一発くらったら驚くだろう。
追撃はしない。いやできない。龍神町が立ち上がるのを待って、同じことをした。
今度は肩を打つだけに留まる。戸惑いのせいで威力が削がれていた。
まだ理解ができていない、というわけではなさそう。変な、どうしてか、安心したような理解できない表情を浮かべる。
(奥の手でも隠しているのか?)
距離を開けると見せかけ、前に出た。龍神町はこれに引っかかる。
彼女の足元で小規模爆発が起こった。比喩であり、実際はそれと勘違いするほどの単純で、破壊的な圧力、ようはおもいっきり踏み込んだだけのことだが、考えるのも馬鹿らしい物理。それはでも、彼女の起こす現象では可愛い部類に入る。
文字通り爆発的な加速を得てからの、右ストレート。しかし、こちらは彼女の脇をすり抜け後ろに。
そこから読み通りの裏拳、屈んで回避。こっちの顔面は、龍神町の膝が狙いやすい位置だ。それを見逃すはずもなく。膝が迫り、だが読みの確実さに賭け、体は膝の紙一重に置いてある。風圧が頬を撫でた。読みに勝つ。次は技巧の精度。すれ違う足の踵を拳でかち上げる。
千切れない限り足は繋がっている。コントロールを乱され、威力を加えられた彼女の膝は自分の胸にめり込んだ。
小さくもれる吐息、転倒、痛みで胸を手で押さえる。
龍神町を唯一傷つけられるもの。彼女自身の体。
負けたとはいえ五時間以上戦っていれば癖くらい読み取れる。後はどれほど予測を確実に出来るか集中して精度を保てるか。なのだが、いうほど楽ではない。思ったより体にガタが来ていた。ひどい熱が出ていた。立っているだけで息が切れる。というか、そよ風で倒れそう。
完治してからのほうがよかったかもしれない。ただ、治ってからこの感覚が保てるか、微妙な所ではある。
ああ、でも。
何だかんだで届いた。
殺すに足りない技だが、
「この勝負、僕の勝ちだ」
生死を問わないなら、何をもって勝負を決するか。
条件は色々あるだろうが、サシの勝負に、相手の身内が邪魔を入れれば、こっちが勝ちを宣言しても問題ないだろう。
屋上から一斉に銃口を向けられる。気配から察するに龍神町と遠征していた本隊とやら。数は、まあ沢山だ。この状態では、もう一発の銃弾も避けられない。
元々自分は、テラリウムの異能者連中を暗殺しに来た。ただ、最初の龍神町でおおコケして話しがそれてしまっただけ。
今更、その使命を果たす気はない。それでも、自分は光樹の尖兵。敵組織に慈悲をかけられるいわれはなく。龍神町との勝負が決した今、憂いもない。
自分は勝ったのだ。龍神町夕顔に。
数多の悪魔と神を殺し、様々な人外魔人の刺客を返り討ちにしてきた女神を、地に這わせ、見降ろしている。師の汚名など、この成果で消せるはず。
気力を振り絞って声を張り上げる。
「聞け! 異能の学徒! 並びに銀の衛兵よ!」
月下と夜来は、知らないメイドに拘束されていた。助かる。ここで今、ふたりに出られたら締まらない。小隊連中はいない。たぶん、屋上で銃を構えているのだろう。秀一は、基本的にどうでもよい。龍神町は、胸を押さえたまま、こっちを見ている。
「我が名は皆久! 四法光樹の尖兵である! 我が師、血脇琴糸<キンシ>の技により、汝らの旗、龍神町夕顔は敗れたッ! 我が武勲、師の極技、例えこの命が尽きようとも! 堅く沈黙を守ろうとも! 我らの勝利は貴様らの脳裏に刻まれた! 脅え、竦むがよい! ………………それと、すまないけど誰か、光樹の人間と話す機会があったら、僕は強かったって、まあいってくれるとありがたい。駄目かな?」
最後は小声になってしまった。恥ずかしい。ま、こんな所だろう。途中で撃たれなくてよかった。
ため息ひとつ、目を閉じる。
銃声が響いた。
銃弾は頭に直撃、脳漿をぶちまけて、ひとりのつまらない男の人生を終わらせる。高望みのくせに、ある程度で、何もかも満足してしまう情けない男だ。強いのか弱いのか当の本人は自覚できないまま逝った。最後に、姉妹と、特に姉の方ともっとイチャイチャしておけばよかったと心底後悔、
「ん?」
薄目を開けた。まだ死んでいなかった。
龍神町が目の前にいる。銃弾は彼女の足元に着弾して、煙を上げていた。
「ああ、自分の手で止めをってか」
その気持ちはわかる。
「皆久」
両肩を掴まれ拘束された。首を抉るなり、全身の骨を砕くなり、好きにしたらよい。
「やっぱり私の思った通りだ! 私はお前に負けて嬉しいぞ!」
「は?」
え、意味わかんない。
「すまない。こちらの関係者方、誰か説明を」
と思ったが、こっちの関係者も全員『は?』という顔をしていた。龍神町はなれなれしく、抱きつきながら頬ずりまでしてくる。微妙に彼女の方が身長が高いので、うっとうしいことこの上ない。
「い、痛っっ首の骨が折れた」
都合の良い所で、おそらく事情を知っていそうな太刀川が茂みから出てくる。
「説明を求める!」
「血脇、お前凄いな。どうやって勝ったんだ? 本当に人間か?」
「秀一、私は決めていた!」
「だから何をだよ?!」
どこかほっとした表情で秀一は手を叩く。
「ああ、うん。決めていたな。てか、何でだろう。月下の時は、オレ胸が張り裂けそうになったんだが。お前の場合は、重荷が取れたような気持ちだ」
「父とはそんなものだな!」
「あー………………これが行き遅れなくてよかったー」
萎びた年寄りのような顔になって太刀川はいう。
「お前ら、そろそろ僕に説明しろや!」
完全に置いていかれてこっちは絶叫した。