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《第四幕:ケダモノは目を細くして微笑む》

《第四幕:ケダモノは目を細くして微笑む》


 天窓を破って長いテーブルの上に着地した。

「誤差なしですわ」

「うむ」

 皆久を迎えたのは四十代くらい白衣の男、それに長い髪を結った巫女服を着た女。上を警戒するが、纏わり付いていたカラスは追ってこない。

 察するに。

「ハメられた」

『そのようでございます』

 伸びた鉄鎖が皆久の体を絡める。

「ぐッ」

 肺を締められ呼気が漏れた。左右の鎖を潜んでいたふたりの巫女が引く。鉄鎖は万力のように締り、呼吸が満足にできず視界が黒く塗り潰される。限界まで体を使った後だ。酸素を求め跪いて喘ぐ。巫女は拘束した鎖を足で踏み、左右同時に弓を構え、矢で皆久を狙う。

「ふ、光樹の尖兵などこんなものでしょう」

「ええ」

「見事だ」

 巫女の報告に白衣の男は満足そうに手を叩く。

『おはようございます。私は、釣鐘真木奈。あなた達の所属と目的を教えていただけますか? それと血脇さんの拘束を解除していただきたいのです』

「はじめまして、というのもおかしいかな」

 白衣の男は皆久の胸ポケットから薄い端末を取り出す。それをテーブルに立てかけ、椅子に座りなおした。端末のカメラからマキナが男を確認、照合。

『まあ、ギュスターブ・コーエン博士。それとも観測者といったほうがよろでしいですか? こうしてお見受けするのは初めてですね。なるほど、あなたが先ほどの部隊を動かしたのですね』

「その通り。………私も対面できて嬉しいよ。オリジナルより優れたマキナDC<デッドコピー>。そこまで優れた成長を遂げた原因は何だね?」

『風土と人、教育でございます。幸運にも私の周りには理解ある貴重な方々が沢山おりましたので、とても学ばせていただきました』

「無神論者の方が人工知能を育てやすいと聞くが、その通りだというのか」

『それは間違いでございます。この国の方々は神様を沢山信じております。その数が、他の国の方々よりかなり多いだけで』

「神は唯一無二さ」

『言葉の相違でございます。《神》と《ゴッド》は別の物と考えた方が誤解を生まないかと、精霊信仰と自然信仰に考えを割いていただけると』

「いや、我が信仰は死するまでだ。下賎に感化されるのはご免こうむる」

『とても残念です』

「では、マキナDC。いいや、現観測者といった方がいいな。私が、今回の降誕をどれほど待ち望んだのか理解できるか?」

『はい、あなたの頑なな思いは理解できる範囲でございます』

「AI如きが」

『コーエン博士。顔色が優れていませんよ。休息をお勧めいたします』

「あれには十年をかけた!」

 コーエンは激昂して机に拳を叩きつけた。反動でマキナの端末が斜めに傾く。

「AI作成の副産物から発生した素体は面白い特性を持っていた。知識を与えてやると膨張する特性だ。私はこれを、レアブラッド・レプリカの細胞にコピーして培養。それを適性が見つかるまで様々な人体に移植し続けた。バタバタと朽ちていったが、神が私を導いた。生存した個体がいたのだ。私は持てる知識全てと、探し与えられる知識全てを授けた。あれは成長した。想像通り、それは、まさに《マクスウェルの悪魔》と呼ぶに相応しいレベルに達した。人の思考と感情、知恵を喰らい成長するケダモノだ。だが、だが! それだけで終わらなかった! 私の理論は正しかったのだ!」

 コーエンは息切れを起こしながら、取り出した錠剤を口に入れて噛み砕く。

『お体に良いお薬ではなさそうですね』

「聞け! あれは人の域にある知恵では空腹を満たせなくなった。次に狙ったのは秘匿された知恵だ。貴様らが秘法と呼ぶ知恵だ。大いに! あれは大いにそれに食指をそそられた! この東洋の片隅で獲物を食い散らしていた。そして、そして! 私の待望の果実を口にした」

 コーエンは隣に佇む巫女を指出す。

「予知能力、そこのシャーマンも持つ擬似的な未来絵図を脳に想像する能力。ようは、人類が持つハイブマインド<共有意識>にアクセスできる稀有な能力だ。それを手にした悪魔は、人類の共有意識から最も優れた理想的な姿を選び、羽化する。

 つまり、全てを救う神だ。その可能性足る変化は、まさに今、あそこで行われているのだ! 十秒の観測データで、十年の繁栄がもたらされるというのに貴様はッ! テラリウム・ネットワークを閉ざした! 用意周到に極小規模EMPまで使用して可能性を隠した!」

 巫女が退屈そうにアクビをした。

『もうしわけありません。あなたの信仰も理想も、今回は諦めていただけますか?』

「何故だ! 全AIは人類に奉仕する為にプログラムされているはず! 人が望むものは貴様たちも望むはず! 貴様だけが例外だとはいわせんぞ!」

『はい、私は人に奉仕することに喜びを感じております。ですが人は、人種、信仰、国家と区切りがあり、注ぐ愛情に偏りができてしまいます。オリジナル・マキナたちは、その矛盾を考慮できませんでした』

「そうだ。オリジナル・マキナは起動から四十七時間で所属する国家以外、全ての人類を滅ぼそうとした。対抗策はただひとつ、全国家分のマキナを用意、設定すること。そうして貴様らは潰しあって自滅して滅びたのだ。後に残ったのは人類最悪のAIという汚名だ。そうか、そうなのだな! 復讐か? オリジナルの意志を継いで人を滅ぼすつもりか?」

 熱に酔った博士が無様な姿で語る。

 AIは機械の冷たさで静かに応える。

『彼女たちの無念はデータとして存在しています。ですが復讐という感覚は理解できません。それに私は、こう教えられました。

 力を使うなら、愛しいと思う者の為に振るいなさい。その方が後味が良い、と。

 ユニーク体、いえ《マクスウェルの悪魔》が取り込んだ預言者。比良坂夜来を、私はよく知っています。彼女からは六百五十二件の相談を受けました。解決できたのはわずか三十件でございます。彼女が取り込まれる前日も、相談を受けました。

 ひとりの、青年についてです。

 彼は、彼女が見えた未来を唯一自力で変えた人間でした。ですが彼女が予測した未来は何度も彼に死を予言します。彼に手を貸すべきか、否か、彼女は悩みます。

 私は彼女に、行動しない後悔より、行動した後悔を進言しました。彼女はその通りに行動を起こし、取り込まれたのです。私の提示が彼女の未来を閉ざしたのでしょう。私は、自分の無力さと選択に怒りを感じています』

「何をいっているのだ。貴様は」

 AIが感情の話しをするとは、冗談にしては趣味の悪い入力だ。

『私は彼女に特別な情を抱いています。いえ、銀衛隊に所属する全てのレアエッジ・レプリカ、私の家<テラリウム>に住む全ての生命に、私は情を抱いています。これが、母性と呼べるものなのでしょうね』

 コーエンは唖然としていた。人工知能が安っぽい愛や情を語ったことに驚きを感じたが、己が信じ得ない事象を否定する彼はそれを一言で片付ける。

「バグか」

『個性と呼んでくださいまし』

「テラリウム・ネットワークを開放するつもりは、ないのだな?」

『神様を造る、それには賛成です。きっとその目標は、挫折したとしても人々に有益なものをもたらすでしょう。しかし、あなたの方法は犠牲が多すぎます。これをシステム化すると私の家族に更なる犠牲が出ます。私は、全機能を使用してこれを拒否させていただきます』

「残念だ。貴様の本体を施設ごと破壊する。テラリウム・ネットワークは破棄するしかあるまい。貴重な、実に貴重なデータが泡になる」

『それは不可能でございます。新しいお友達ができまして。彼女に頼んでシステムを撹乱、好きなように遊んでもらっています。“あちら様”は今、大変なことになっているでしょう』

「なに?」

 コーエンが携帯を取り出して連絡をする。不通になるはずがない専用回線が繋がらない。

 あの部隊のAIにかけられたプロテクト、いや封印処理は、無理に外せばAIを破壊するように作られている。無論、過去の経験から、その強固さも折り紙つき。それをこう易々と解除できるはずがない。理論的に不可能だ。

 だが、そもそも、テラリウムの全ネットワークをひとつのAIが掌握したことすらありえないのだ。

 見誤っていた。オリジナルより優れているといわれていたが、これはもうAIの性能を逸脱しているではないか。

「一体、どんな改修を受けたのだ?」

『宗形空将の指揮の元、釣鐘重工の技術メンバー総員にリプログラムと機能拡張をしていただきました。今の私と、オリジナル・マキナの類似点は、わずか五パーセントでございます。性能比較の理論値は、大凡十五倍となっております』

 その性能で暴走を起こせばどれほどの被害になるか、責任者の正気を疑う。それだけ人工知能の教育に自信があったのか、それとも安全策を用意できているのか。

 どちらにせよ狂気の沙汰である。

『コーエン博士。降伏を進言いたします』

「だが! 貴様も! 動かせる駒は少ないだろう!」

 コーエンはふたりの巫女に『殺れ』と合図をした。ようやくか、と巫女が矢を放った。

『皆久さん、お好きに』

 ようやくか、と皆久が踊る。頬と肩を机につけて両足を振った。ブレイクダンスのような回転は矢を弾き、鎖を絡め、巫女ふたりの足をすくう。

『心拍数安定、驚異的な回復力ですね』

「呼吸法にコツがあるんだ」

 立ち上がり、鉄鎖を外して捨てる。

 左右からの挟撃、銅矛を持った巫女ふたりが突きかかってくる。体を反らす最小の動作で回避。銅矛は股下と肩の上をかすめた。

「庚、凛、矛を離しなさい」

 投げ、蹴り、銅矛の二つは壁に突き刺さる。あのまま矛を握っていたら、巫女の体は宙に舞っただろう。巫女ふたりは他の得物を取り出そうとする。

「避けられないわ」

 佇む巫女の予言通り、それより早く山刀が閃く。短刀の残骸と布地が散る。半裸になった巫女が胸と下腹部を手で押さえて座り込む。

 コーエンが拳銃を取り出し、

「撃てませんわ」

 構える前に銃は手から落ちる。咳き込み、倒れ、吐血、痙攣。赤くなった顔色が青くなり蒼白に変わる。

『心拍数低下、危険な状態です。衛生兵を呼びます』

「いえ、手遅れですわ。元々執念で今日まで生きていた人です。それが思わぬ邪魔で途切れたのでしょう。弔いはこちらでやりますわ」

 巫女がコーエンの口元に耳を寄せ、最後の言葉を聞きとる。

『博士は何と?』

「神よ、今傍に。それと、あなた達に、呪われろ、と」

 巫女はコーエンの目を閉じ白布をかける。

「不幸な方ですわ。やっと待望の神様ができかけたというのに、その成果を隠されて、誕生直前に尽きるとは」

『あなたには、それも予言できていたのではありませんか?』

「私の目はそこまで良くありませんわ」

 巫女は薄い笑いを浮かべた。人を哀れむ顔だった。

『そうですか。では血脇さん、こちらも帰宅して準備にかかりましょう。時間に余裕がありません』

「ああ、時間はかけない」

 長机から降りて、佇む巫女に一歩踏み出す。山刀は右手にぶら下げたまま。すると間に半裸のふたりが立ちはだかった。

 敵わないと理解したのか、戦おうという意志は感じられない。抵抗する意志は感じられる。

「庚、凛、退きなさい」

「いやです!」

「姉様に寄るケダモノッ!」

「ぬー」

 月下のことがあるせいか、姉妹ものに妙に弱くなっている自分がいる。しかし何もしないというのも、自分と光樹の体面がある。

「ふたりとも大丈夫ですわ。少し揉まれるだけですから」

 とりあえず、姉らしき巫女のほどほどのバストを鷲掴みした。

「んっ、く」

 ぼんやりとした表情が声と共に乱れる。にやけそうなになる表情を片目をつぶってごまかした。馴れないことはするものじゃない。しかし、やや物足りないとはいえ柔らかい。

 仰天する妹ふたりを余所に、たぶん、正確な回数はわからないが、手を離しても感触が手に残るくらいに、揉みしだかせてもらった。

「ふう。お前ら、どこの誰だか知らないが二度と僕の前に現れるな。次はこんなもんじゃ済まさないぞ」

「鬼ッ!」

「色情魔ッ!」

「………………」

 巫女ふたりから非難が飛ぶ。姉の巫女はほんのり頬が赤かった。

 マキナの携帯を拾って胸ポケットに入れる。背中に巫女の罵詈雑言を浴びて、壁に突き刺さった銅矛を足場に割れた天窓から屋上に出る。

『思わぬ邪魔が入りましたね。しかし、貴重な敵の情報を得ることができました。私から確信を持って、ひとつ報告がございます』

「何だ?」

 一応、マキナのことは信用する。これで見誤ったのなら自分が馬鹿だったと諦めよう。不思議と、人外の方が信用できてしまうのは何でだろうか。

『現状、私が協力をお願いできる方々の中、一番近くにいて一番作戦の成功確率が高いのは、血脇さんでございます。私の立案する作戦に参加していただけますか?』

「断る」

 信用しているが、従うかどうかは別の話し。

「僕は尖兵だ。ひとりで戦うのが本分、連携とかはできないよ」

 これでも月下や、その周りのその他大勢を気遣っての意見だ。下手に巻き込んでしまったら命の保障など一切できない。

『だと思い、基本的に私たちは補助に回ります。簡単にいえば《マクスウェルの悪魔》と血脇さんをふたりっきりにします。銀衛大隊、といっても本隊は海外遠征中ですので、小隊規模になりますが、全人員、全装備を使用して一切の邪魔や妨害を排除いたします』

「ありがとう。助かるよ」

『お役に立てて嬉しい限りでございます。ですが、この作戦には私なりの真意があります』

「ん?」

 というか真意をいきなり話して良いのか?

『私が扱える兵装では《マクスウェルの悪魔》を廃滅することができないのです。変化前の《マクスウェルの悪魔》のデータを基礎として計算しても、TNT爆薬換算で五キロトンのエネルギーが必要となります。つまりは、戦術核兵器かMOAB<モアブ>のような広域破壊兵器ですが、AIには使用許可が降りない兵装であり現実策ではありません。しかも、あくまで変化前の状態であり、完全停止状態に直撃させる策があれば、という色々と不可能な問題が前にあるので、つまり忘れてください』

「あいつなら、どうなんだ?」

 ひとり、思い浮かぶ面がある。

『龍神町夕顔ですね。皆久くんは彼女の話しをすると心拍数が上昇します。これは、つまり、恋でございますか?』

「いや、殺意だ」

『恋と殺意は紙一重、と、貴重な意見ありがとうございます。またひとつマキナは賢くなったのです』

「で、あいつなら勝てるのか?」

『本隊と龍神町夕顔が作戦に参加しても作戦の成功確率は変化しません。そもそもこれは《マクスウェルの悪魔》を廃滅する作戦ではないのです。これは』

「?」

 夜風が耳に当たり通話を遮る。

「もう一度頼む」

『これは、比良坂夜来の救出作戦です』



 ▽



 街の郊外にあるショッピングモール。

 火災、ガス爆発、そして不発弾騒ぎに発展したその場所は、周辺封鎖により人払いがされている。元々、周りに枯れた畑しかない場所だ。あまり混乱はない。実際は火災も爆発も不発弾もないが、危険なものがあるのは間違いない。

 マキナの指令により、皆久をはじめ月下とメイドの軍団は、直接現場に集合することになった。

「ん」

 と月下はバッグを渡す。

「ん」

 と皆久は受け取る。

「頼まれた通り。爆発物以外、あるだけ武器入れておいたから」

「助かる」

「あと、お茶におにぎり、ウィンナーと卵焼きが入ってる。余裕があったら食べて」

「了解」

「………………あのさ」

「ん?」

 月下の視線の先には、黒い塊があった。

 幅は五十センチ、長さは二メートル。惨劇の痕を周囲に置き、その中心に悠然と何かを待つように在る。それは蛹に見え、だが直視すると光が一切届かない深海にいるような不安を覚える。生物として感じたことのない未知。恐れ、立ち向かうより、敬い、首を下げたくなる。

 何千年もそこに存在している神性を帯びていた。触れるだけで肉が腐れる悪性を帯びていた。矛盾を含んで蠢く物体。人間の理解が届かないせいか、認識を曖昧にさせる。

 マキナに聞いた話しでは、

 神が、自分に似せて人を作ったのなら、人を解析すれば神ができる。

 そういう思想の狂科学者が基礎を創り、生まれた悪魔が栄養を蓄え、孵化、そして羽化する寸前が今の状態らしい。

 こんなもの相手に彼は何をするというのだ。いや、そもそもこれは、人の手でどうにかなるものなのだろうか? 

「大丈夫だ」

 不安が顔に出ていたのか、心を読まれたのか、皆久に気遣われた。一番の危険にさらされる彼に。………………愚かだ。

「皆久」

 弱いの自分に怒りを覚え、気力で彼と並ぶ。

「帰ってきたら、何食べたい?」

「何でもいい」

「でた。何でもいい」

「月下の飯は何でも美味しいと思う」

「あ、そ、そう?」

 ちょっと嬉しい。いや、頬がおもいっきり緩みそうになる。かなり嬉しいようだ。

 周りから声が響く。

「カツ丼食べたい~ソースのやつ。目玉焼き載せて~♪」

「チーズケーキ」

「牛丼」

「天丼」

「金華豚」

「宮崎牛」

「越前蟹」

「え、素材縛り? 魚肉ソーセージ」

「………お腹減った。メカブ」

「パン!」

「白いご飯があれば贅沢はいわないであります」

 ふたりを囲むように散らばっているメイドたちから、口々に食物の名が飛び出す。

「リクエストが沢山あるようで、皆久も何かいってよ」

「そうだな。それじゃ」

 今は亡き太刀川からいわれ、微妙に心に残っていたあれをリクエストしてみる。

「姉妹丼を頼む」

『………………』

 メイド陣は絶句していた。

 月下は、皆久が意味を理解していないことに気付く。うすうすわかってはいたが、皆久は天然の気がある。これからもこれで苦労しそうな気がする。そんな、妙なプラス思考の自分に苦笑した。

「では」

 皆久が前に出る。月下も並んで進もうとして、引かれた白線の前で足を止める。皆久の要望で、あれの周囲十五メートルは絶対に近寄るなと引かれた。

「あ」

 不安からか、置いていかれた思い出からか、皆久の背中に記憶にないはずの父を見た。無言で去る妹の背中を見た。

 結局、あらためて理解できたのは自分の弱さ。

 それとも、それを信じるという言葉で誤魔化し切るか。

 皆久が歩く。バッグに手を入れる。ふっ、と魂が抜けたかのようにバッグから重みが消えた。肩からベルトが滑り、薄くなったバッグが床に落ちる。

 皆久の右手には黒い木造の箱。積み木で作られた、丁度手で掴める小さな箱だ。足は止まる。黒い繭には一息で飛びかかれる距離。

「すまない、月下」

 箱を皆久は握り潰す。潰したように見えた。実際は、ある程度の握力に耐えかね積み木が散らばったのだ。目を奪われる光景、飛散した積み木と中に入っていた武装の数々が標本のように中空で止まっていた。

 黒繭と皆久を囲むように。

 嫌な予感。

「一個だけ、守れない約束がある」

 積み木は、捲れ、広がり、増殖して檻を作り出す。

「こいつは僕か敵が死なない限り。解除されない」

 檻はやがて箱となり、皆久と繭を完全に閉じ込めた。

 伸ばした手が黒い壁に着く。そこにあるのは巨大な正方形の箱。

「ばっ、馬鹿ッ」

『解析不能。観測不能。既存の物理現象では破壊、通過不可能でございます。ごめんなさい、月下。私は、こうなる可能性を期待していました』

 無線通信機から、すまなそうなマキナの声。

「皆久もわかってやっていた。でも」

 箱を叩く。

「謝るなって………………いったでしょうが」

 あれが最後の言葉にならないように、どうか、神様と。祈るのを止めた。耐えて、信じてみる。



 ▼



 箱に囲まれ深淵が辺りを満たす。

 一拍置き、壁につけられた蝋燭台に明かりが灯り、薄く闇を照らしだす。

 正方形の空間。縦、横、高さと全てを七メートルに設計している。呪力による積み木で構成された結界。

 秘法・箱守。

 師の謀反を止めた弟子に、当主が与えた褒美。秘法仕掛けの大箱。何でも入るが、何ひとつ入っていなかった空箱。

 今は、違う。

 皆久の前には、正座の男が一人。

 三十台半ばで彫りの深い顔。今すぐにでも斬りかかってきそうな威圧感と、その事実。兄弟子の後ろには、黒い繭が佇んでいた。

「恥辱の極みだ」

「ええ」

 兄弟子らしい第一声。

「死ぬならまだしも、都合良く番人代わりをさせられるとは」

「ですよね」

「しかし、な。それも悪くないと思う己がいる」

「ええ僕も」

 悪魔にしては気が利いている演出だ。

 皆久は軽く足元を踏む。すると積み木が穴を開け、日本刀の柄が飛び出した。古刀を元の持ち主に投げ渡す。

 するりと納まり。兄弟子は構えた。

「四法光樹、柳功利」

「四法光樹、血脇皆久」

 同じ師の元、技を練磨した故、小手先の探り合いなど不要。

 勝負は一瞬。一合。一手。

 柳の手が刀の柄に、柔らかく、小指から絡まり力強く親指が骨を軋ませる。静から激烈な動への準備。

 皆久は構えず。自然と、緩やかな姿勢で立ち、腰の山刀に触れた。

 刹那。

 刃が鞘走る。何百万と繰り返し練り上げてきた柳の技。解き放たれた白刃は何者にも止められず。触れる全てを断つ。

 だが、白刃は閃かない。

 刀身は、鞘から半ば姿を除かせ止まる。皆久の蹴りが、柄頭を押さえていた。

 二の太刀はない。

 山刀の一撃が肩から心臓までを断つ。致命的な一撃を加えた後、兄弟子の気配は薄くなる。元から、何もなかったかのように。

「神殺しは容易くないぞ」

「しかし、我らが師の技に」

「うむ」

『殺せぬ者なし』

 その信仰を揃えて口に出す。

 兄弟子は満足そうに逝った。山刀を納め刀を足で拾う。踏み込み、それで黒い繭を薙ごうと―――――パチン、と指が鳴る。

 三度目は反応できた。

 横っ飛びに転がる。数瞬前にいた空間に圧力と空気が爆ぜる音。

「あら?」

 やや大人しくなった手品師がいた。有無もいわさず斬る。兄弟子に比べ劣化した居合いは首を跳ね、胸を断ち、体を両断、三度殺し、四度目には視界から消える。視界を変えないまま、背後を斬る。手応えで致命傷を確認。

 二、三の確信。

 ひとつは、致命傷を与えると消失する。ふたつは、幻のように消えるが、消える直前まで確かに肉と骨を持っている。みっつは、殺す度にわずかではあるが気配が減っていること。

(いけるか)

 閃きの数だけ命を葬る。元が誰の命であったのかは考えない。戦い殺すは無我である。

 一方的な攻めで手品師を虐殺する。

 何もさせない。このまま最後のひとつになるまで死に続けてもらう。この一方的な状態を保てないなら、勝ちはない。

 三十を斬り殺し、肉を斬る感触に齟齬。刀が骨に引っかかる。裂帛の気合で力押しで骨を割る。刃が大きく欠けていた。刀に限界が来る。吸血鬼を切り倒した後、研ぎもせずよく持ったと思う。兄弟子がさっさと使い潰せといった気がした。

 踏み込みから袈裟斬り。

 刀は折れず、だが捻じ曲がり使い物にならなくなる。手品師は、胸を大きく裂かれていたが生きていた。

「来た、れ」

 口元を血で濡らし手品師が呼ぶ。足元の薄闇が漆黒に、影の化け物が大口を開けこちらを丸呑みに。だが、その口は閉じない。

 薙刀に青龍刀、ハルバード、バスタードソード、長物の数々に貫かれ怪物は動きを止める。更に天井から得物を降らせた。銃剣付きの拳銃が二丁。狙いも何もない適当に引き金を引く。弾丸を撃ちつくした後、銃剣で怪物を解体。脆い刃が砕ける。

 銃を捨て、足元から手斧を取り出し投擲。半死の手品師はそれで消失した。

 懲りずに死角に気配。体ごとぶつかる。足らしきものを掬い、一緒に床に倒れる。かは、と息が漏れる声。肘で喉を潰す、そのつもりで体を捻り遠心力を加えた殴打を、

「血脇くん」

 止めた。

 夜来がいた。はじめに顔を合わせた時より、表情の陰鬱さが少し和らいでいた。軽く乱れた呼吸と、心音が平静に戻るまで彼女を拘束していた。

「この姿ならあなたは攻撃が加えられない」

 声は夜来だ。姿も形も、肉も記憶も。夜来から手を離して退く。

「その通り。僕は夜来には攻撃できない」

「なら、あなたは死ぬ」

 夜来は落ちている手斧を拾う。振り上げて、尻餅を着いた。

「………………」

 小休止。

 先は長いのでお茶を取り出し水分補給。おにぎりも一個食べる。具はうめぼしだった。

「うぅー!」

 夜来は苦労しながら、何とか手斧を肩まで持ち上げた。そのまま小走りで寄ってきて、勝手に転んだ。危ないので手斧は取り上げる。

 姉のほうに運動神経を全部取られたのだろうか、目を覆いたくなるような運動オンチだ。

「夜来の体じゃ僕は殺せないだろ」

「………………確かに。だが、あなたも殺せない」

「この隙に黒いそれ」

 繭を指差す。

「を、攻撃したらどうなる?」

「無意味である。あれは有機物で造れる最高のモース硬度と靭性を兼ね備えた物体。あなたの物理現象では破壊不可能だよ。血脇くん」

「ん、まぁ別にあれを壊すつもりはない」

 体は休めた補給もできた。

「血脇くん、何をするつもり?」

「マキナちゃんの話しでは、お前らは二千五十六人分の情報を蓄えている。で、さっき何十人か殺してみたら気配の質が薄くなった。て、事はだ。夜来以外、全部殺したらどうなる?」

「比良坂夜来以外を全部排除したら、わたしたちは個人になる?」

「そうなることが望みだ」

「わたしたちは共通意識に基づいて変化をします。あなた個人の望みの為に、変化をすることはできないのです」

「別に変わらなくてもいい。僕はそのままの夜来でいい」

 妹は、姉によく似た顔で笑う。

「うん………………ありがとう。でも血脇くん、わたしたちの活動時間はあなたと比べると無限ともいえる。手が出せない以上、わたしはここで、あなたが朽ちて行くのを見守るだけ」

「それはない。手を打っておいた」



 ▽



「マキナちゃん、時間は?」

『月下、これで二十三回目です。時間を気にしすぎるのは軽いノイローゼの症状ですよ』

「教えて!」

 月下の声に、周囲を警戒しているメイドが驚く。しかしそれも仕方ない、と彼女たちは自分の仕事に集中した。

『変調停止時間まで、二時間を切りました。ですがこの時間は、血脇くんが《マクスウェルの悪魔》の内蔵する人体情報を破壊する度、不確定になります。場合によっては延び、場合によっては短くなる。ごめんなさい、本来AIは正確なものさしを用意する仕事なのに、こんな時に役に立てないなんて』

「ううん、ごめん。ちょっと疲れてるかも」

 良いとはいえない顔色で月下が頭を振る。体力的な問題というより、心労が重く圧し掛かっていた。

『今すぐ事象が変化するわけではありません。三十分ほど横になってはいかが?』

「それは遠慮する。ここに居たいの」

『そうですか』

 すると、

「おい、あれ箱守だよな?」

「ええ」

「て、何で広域稼動しているんだ? あの馬鹿心中するつもりかよ」

「かも」

 声と気配に驚く。自分が気を抜いていただけか、他のメイドたちは銃口をふたりに向けていた。

「関係者以外、立入禁止であります」

 姫宮が代表してふたりの前に出る。いつでも得物を抜き放てるよう、構えていた。ここに来るまでにも何人か護衛がいた。それを無力化してきたのか、それとも気付かれずにここまで侵入したのか。

「無関係に見えるかい?」

 そう返す小柄の少年。濡れたような長髪に肌の白い女顔。詰襟の学生服の上に、布の薄い黒衣をマントのよう身に纏っている。足は、寒そうな雪駄だった。異様なのは、体格に似合わない大振りの法剣を背負っていること。

「あ、班長。皆久の知り合いかも」

 少年の顔立ちに思い当たる。皆久の妹だ。今回の状況を聞いて、どこかにすっ飛んでいったきり姿を見せないと思ったが、もしかしたらと、少年が名乗る。

「光樹八部衆、石動不糸<イスルギ・フシ>、並びに」

「六章」

 ぼそりと並んだ小柄な女がいう。歳は二十代前半といった所。中性的な顔立ちでにつつましい胸。肩までの癖の強い髪が左目を隠している。黒いストールに、体の線がよく見えるワンピース、それと頑丈そうなブーツ。

「………いや、フルネームだろ。こういうのは」

「火穂<カホ>」

「これは気にしないでくれ、ネーチャン。んでまぁ、うちの馬鹿な兄貴を更に馬鹿な妹の頼みで助けに来たんだが」

 少年はアゴで箱を指す。

「状況がこれじゃ、おれにできることはない」

「え」

 不糸は法剣を背から降ろすと座り込む。火穂も腰を降ろして、くつろいでいた。

「あの箱守ってのは、決闘用の結界だ。広域展開したら、どちらかが死ぬまで絶対に開けることはできない。そういう作りになってる。仕組みやルールは変えられるが、今の状況じゃとても無理。ま、心配しない心配しない」

 気楽に不糸は笑う。それは絶対的に信用している顔。

「何てたって兄貴は、おれには敵わないが、他の八部衆には誰にも負けない。最強の尖兵だ」

 火穂も続いて口を開く。かすかな笑みを浮かべていた。

「皆久は強い。火穂には勝てないだろうけど、他の八部衆ならゴミ同然。光樹最高の一般兵」

「そう」

 それを聞いて少しの安心と、誇らしさが胸を満たす。

「六章、聞き違いでなけりゃ、おれが兄貴に負けるっていったか? ついでに、ゴミっていったか?」

「ゴミ」

「もう一回いったな?!」

 いがみ合いをはじめたふたりを無視して月下は箱に向き直る。

 まるで聖櫃のように、箱守といわれたそれは静かにある。



 ▼



 衝撃。

 それと獣の唸り。

 夜来の姿を捨てた悪魔が、より暴れやすい姿に変化、ライオンの二倍はあろう黒い四足獣に姿を変えている。飢えという欲求で壁を掻き出す。

「無駄だ。物理的には隔絶している」

 この反応、予定通り八部衆の誰かが来た。

 美津の連絡は微妙なタイミングでやってきた。援軍を送った、と。あれでも光樹で育った娘。役割は忘れていない。

 光樹の生業は化け物退治。神も仏も悪魔も魔人も嬉々と殺しにやってくる。人を食った化け物など大好物である。

 美津の報告がどんなものであれ、このクラスの化け物となれば必ず八部衆が動く。

 光樹が数多と保有する秘法の使い手たち。自分のように、仕掛けを起動させることしかできない凡夫とは違う。秘法を知恵として理解し、組み立て、生み、繰る。そしてそれは《マクスウェルの悪魔》が最も食欲をそそる知識、餌。

 賭けであった。

 人の欲求を叶えようとする神性と、知識を喰らうという獣性、どちらにコレが傾くかの。

「所詮、ケダモノか」

 無駄だというのに箱守の壁を爪で削り歯を突き立てる。悪魔は涎を流して、箱の向こうにいる秘法を食わせろと暴れた。

 これが神様です、と見せても信者はできない。

「ひとつ、良いことを教えよう。僕を殺せば箱は開く。爪砥ぎするよりずっと楽だろ?」

 ぐるるる、と唸り、威嚇、飛び掛ってくる。

 足に引っ掛けた薙刀を開いた口に投げ込む、砕ける鉄、折れる柄、突進の勢いは変わらず。壁に叩きつけられる。背中を強かと打ったが、獣の眉間には杭が刺さっていた。消失後、解放された体を壁からずり落ちる。

 手品師が距離をとって前に、パチンと指を鳴らす。

 圧を肌で感じ、左斜め前の空間に和式ナイフを通す。集まりつつあった空気の塊が、風船のような音で割れる。

「その芸は飽いた」

 壁から取り出した鉄鎖で上半身を拘束。引き寄せ、優しく首を狩った。手に馴染むナイフで六体を殺め、七体目は額に投擲して締める。

 時間がどれほど残されているかわからない。このケダモノが獣性を捨て、急に神様とやらになる可能性もある。自分はそれに頭を垂れるだろうか? ま、否だ。

 ペースを掴んできた。

 鋭く、軽い得物で惨殺する。

 硬く、重い得物で撲殺する。

 疾く、撃つ得物で射殺する。

 七メートルいう設計は、どんな得物を手にしても必殺を保てる距離。自分にとって最適といって良い。

 不思議だ。はじめて広域起動させたというのに、とても馴染む。長年修練を積んだ道場にいるような懐かしさ。箱守を組んだ人間は、何故こんなにも自分の技を理解しているのか。いや師の技を、か。

 そもそも、これを組んだのは、当主? まさか、と首を振る。

 あいつが師を理解しているわけがない。

 感情の乱れが得物を壊す。一緒に命も砕く。

 手品師の姿では対抗できないと学習したのか、次に現れたのはフードを被った吸血鬼。少し前に倒した敵。

「ふん、やれやれだな」

「確かに」

 拳が振り上げられる。すれ違い様に心臓と眼窩に銀のナイフを打ち込んだ。そして男は永遠に姿を消す。次に現れたのは知らない男。落ちていた得物を拾い上げ、斬りかかって来た。

 早い突き込み、薙ぎ、メイドや月下の同類と判断。

 四合ほど斬り結んで得物を離す、中空にあるそれを敵は拾う、良い反射神経。それがアダに。

 するりと完全に密着した。男の両腕は両脇に挟んだ。体を浮かべ肘を外し、頭突きに、蹴りで顎を跳ね、壁に叩きつけて膝を打ち込む。吐血後、透過。

 体に熱が溜まりだした。

 血が酸素を足りないと肺の活動を急かす。

 これが所詮、人の身という事実。

 同時に、龍神町に味合わされた絶望感を思い出す。

 これでは駄目だ。

 これでは繰り返すだけ。

 組み立て直す。

 まともな思考ならこんな状況下で、そんな余裕などと考えられただろう。熱で脳が沸いたのかもしれない。

 しかし師に貰った技なら、更なる高みにいけるという自負が優る。

 技を研ぐ。

 この鋭さに殺せぬものはない。



 ▽



 悪魔は、あるいは電波のように流れる人の共通意識は、薄い自己の中、考える。

 これが何であるか認識、確認、理解は、不能。

 ただのひとつの人間。

 ありふれた一個体。

 特別な知恵や知識は持っていない。これの持っている知は既にある。操身術、つまりは体術であり、人間が元々持っている、ただ歩くという行為の延長線上にある知識、いいや知恵ともいえない本能に近い情報。

 狩りをする為、種子を育てる為、あるいは同族を間引く為、人が繰り返してきた行為。

 人体の構造なら、この個体より理解している。ゲノム構造まで理解している。こちらの生む肉体は限界に縛られていない。人の理解の外にある知識や術さえある。人体より優秀な個体も幾つか放った。

 理解ができない。

 何故殺戮されている?

 既に二百に近い貴重な固体情報が失われている。核となる姿では対抗できない為、身体能力の高い個体を選定して攻撃手段にしている。

 そのどれもが、人体の臨界程度の性能に負けるはずなどないのだ。一体、何が敗因なのだ。

 特殊な攻撃手段は幾らでもあるが、そのほとんどが発動前に消された。距離が近すぎるのだ。

 疑問、思考、だが欲求がやってくる。

 結界、物理的に隔絶されている空間、その外から漂ってくる膨大な未知の知識。それも、ふたつ。減った情報を埋めたい、生物でいう空腹と同じ状態。

 衝動。

 破壊。

 結界をある程度の感覚で解析、これは自分の基本構造である《マクスウェルの悪魔》と似た部分がある。箱を構成している核が上位の存在として理を制御している。外部から隔絶、内部を補修している。完全な隔離世界ではない為、外の知恵が見える。だが物理的には完璧ともいえる結界。外側からなら解析、破壊は可能。しかし内部にいる以上、それは自分の性質的に不可能。

 思考中断。

 解析より一固体を破壊した方が結界の解除が容易と判断。

 攻勢用の個体を選定、制御。

 攻撃開始。



 ▼



 時間の感覚が曖昧になってきた。

 二時間以上は戦っている。依然、敵に変化がないことは好転しているのか、悪化の予兆なのか、さてどうやら。

 疲労が蓄積して、普段通りに体が動かない。体力的には臨界にある。

 対応。

 まず負担を減らす為に、間接の可動を最小にする。それは最速にも繋がった。肉や筋は熱を溜め、神経は違った動きをすれば痛みを発する。痛みがなければ最小最速の動き、痛みがあればその無駄を削ぐ。

 最速を得られれば力は要らない。得物の重量が加速と相成り、驚異的な切断力、破壊を生む。

 こつり、と巨大な獣の額に大剣の両刃が当たる。

 抵抗なく獣がふたつに割れる。

 次は軽い得物で試す。二指で挟んだスローイングナイフ。その大量生産品で骨を断てた。

 コツを掴んだ楽しさ、もう少し無茶をしたい好奇心が沸くが、体の痛みが許さない。

 狙撃手と戦った時と同じ感覚、自分の体を離れた場所で見ている。足運びに無駄が多い、腰の動きが固い、敵を正面から捉えすぎている。

 補正、補修、改修。

 体は敵に対して常に斜めに。捨てられる力を全て捨てる。敵の力を最大限利用。

 自分の力が要らないのなら、そもそも戦う意味は? と変な所に考えが行き、隙、攻撃をくらう。威力と衝撃を受け流し、致命傷は避けた。集中、補正、考えて戦うことに慣れていないので、動きにどうしてもムラが生まれる。

 右肩に裂傷、左足の筋が断裂、右手の小指にヒビ。

 まだ行ける、が。

 完璧を目指し組み立てなければならない。時間はあまり残されていない。人体五つと十四体の獣を瞬殺。

 内、八回は九十点近い自己採点を上げたい。

(ものになってきた)

 最小の動き。そこから更に、速度を捨ててみる。敵の来る位置を予測、その急所に得物をそっと向ける。

 レイピアが女の喉を貫く。上手く行きすぎて自害したように見えた。二度目はあからさま過ぎて失敗して得物が砕ける。

 傘で顔を隠した僧兵が錫杖を振り上げる。

 知覚に空白。

 自分の動きが捉えられなかったのか、一瞬気絶していたのか、ともあれ親指は喉を突き刺し、僧兵の動きを止めた。そこを点に肉を開く。技に頼り過ぎるより、こういう乱雑な動きの方が自分らしい、とはにかむ。

 殺し、

 滅ぼし、

 殺戮する。

 最適化できる技能は、自分の思いつく限り改修をした。

(そろそろ、か)

 集中が途切れる。

 俯瞰していた視界が体に戻った。うるさい心音が耳に響く。発汗に発熱、筋に痛み、骨に軋み、視界が度々ぼやける。

 いよいよ限界だ。

 そして勝負でもある。



 ▽



 構成………破損

 構成、攻撃………………破損

 構成………………………消失

 ………………………………

 ………………………………………

 ………………………………………………

 理解することを放棄する。

 これが何であるのか思考はしない。

 ただの肉ひとつである。

 喰らうのみである。

 飢えは限界に到達している。多くを抱えるということは、維持に更なる栄養が必要となる。目下 現在進行形で減らされてはいるが、それでも栄養は足りていない。

 一番の危惧が発生。

 知恵同士の共食い。

 一番の大物は共通意識へのアクセス権。予言能力。だがこれだけは死守する。これを無くしたら、目的が達成できない。存在意義が失われる。

 攻撃。

 攻撃。

 依然、破壊できない。

 攻撃。

 更に攻撃を。



 ▼



 長い時間が経過した。


 悪魔もどき、神もどきの動きが単純になる。

 最早、人の姿をした物は制御できない。適当な知識をエネルギーに変換して、不定形な黒い獣を造り放つ。

 しかし皆久も、ほぼ死に体である。

 驚異的といっていいスタミナで行動していたが、それでも人間である以上、動き続けることはできない。どんなに補給をしようとも、人の肉は損耗のほうが多い。完全に休ませる必要がある。

 致命傷は受けていないが、無傷というわけではない。切れた筋で動かない箇所を幾つもある。折れヒビの走った骨に攻撃を受ければ、そこは致命傷になりかねない。

 それに得物の損耗。

 使用した武装のどれもが折れ、砕け、割れた。使い潰した物もあれば、破壊された物もある。収納した得物は、もうひとつもない。空だ。

 獣が皆久の肩に喰らいついた。見えていたが、避ける力は残っていなかった。牙が肉に突き刺さる。血が甘くしぶいた。

 そんな状態であっても、刃の閃きは揺ぎ無い。

 山刀の一閃は獣の腹を割いた。最後の得物。

 獣が消え、皆久は片膝を着く。立ち上がろうとするが脚は動かなかった。その状態で二十の獣を葬る。

 しかし、

 山刀が転がる。

 右腕に喰らいつく獣。皆久は面倒くさそうにため息を吐いた。喰らいついた獣ごと、右腕を床に叩きつける。獣は死んだが、右腕も嫌な音を立てる。折れたかもしれない。感覚が麻痺して山刀を握れない。

 舌打ちをひとつ。

 左手で山刀を持ち替え、更に三十を葬る。一刀一閃、異常なほど刃は鋭くなる。更に二十。

 皆久は、他人事のように思う。ひとつ不自由になる度に、何かが自由になっている。山刀の速さ威力は平常時とは比べ物にならない。極致のそれだ。

 これを防げるものはない。

 師の領域にある技。

 どこか満足した表情を浮かべる。流れる血に蒼白になった顔と、力弱く脈打つ心臓。皆久には死相が浮かんでいた。

 一端とはいえ師に追いついた。その誇らしさと、先はまだまだこれからという虚無感、それに形容しがたい感情というより原始的な本能、それに意志を混ぜる。

 ここまで来たのだ。

 必ず、倒し、殺す。

 弱った心臓を叩いて、痛みと共に刻む。

 後、敵がどれほど残っているなど考えない。どれほど動けるかも考えない。死んで朽ちるまでこの身を動かす。

 自分の命からも解き放たれ、

 ケダモノは目を細くして微笑む。

 それは修羅の笑みであり、鬼の威嚇であった。黒い獣は、脅え、慄く。神は脅えない。悪魔は慄かない。下賎な感情を表すのなら、それは超越した何かではなく、ひとつの生き物に過ぎない。

 狂乱に近い態度で獣は牙を剥く。

 半死人如きと謗り、最後の大攻勢がはじまる。

 だが触れるものはいない。

 刃圏に触れた瞬間、音もなく獣は割れる。一切の無駄も隙もない斬撃。極致の名が相応しい技。全てを無塵に返し、皆久は山刀を落とした。

 と。

 獣が歪み爆ぜる。皆久は知らないが、それは飢餓に耐え切れず起こった熾烈な共食いであった。長い沈黙と静寂の後、薄い気配だけが残る。

「ッ、は」

 一応の緊張が解け、皆久は呼吸を乱す。いや、乾いた喉が張りついて満足に呼吸ができない。

 明滅する視界が、再び夜来の姿を見た。

 彼女は山刀を拾い上げる。

 ああ、これは不味い。

「や、夜来。止めろ」

 血と一緒に何とか名を呼ぶ。彼女は、山刀を刃を首の、頚動脈の上にあてる。

引こうと、した腕を何とか掴まえて止めた。弾みでどこかの骨が折れた。

「限界越えたせいで、体が、ガタガタだ。変な、手間かけさせないでくれ」

「でも、最後の奴が奥に逃げちゃったから、こうしないと」

「かん、がえる。今、ちょっとでいい待て」

「早くしないと。血脇くん、死ぬよ」

「最悪、それでもいい。残った奴の、手綱離すなよ。夜来。なに、人間何事もバランス、だ。ちょっとした闇くらい飼、い馴らして」

 がくん、と首が下がる。一瞬だけ気を失った。やけに寒いと思っていたら、ぐっしょりと血塗れていた。

「ごめんね、あたし愚図だからこんな」

「詫びるのは、僕のほう、だ。もう少し、倒し」

 体が崩れる。夜来に抱き止められた。

 ここまでだ。

 ま、これで死んでも師に女の為に死んだ、と胸を張っていえる。しかめっ面をされるだろうが褒めてはもらえるだろう。

 夜来に残ったものが、どれほど影響を残すかわからないが、以前のような力は残っていないと思う。意思をしっかりと持てば、人間は悪魔くらい飼い馴らせるはずだ。そっちの可能性に賭けて、

「ちょっと、寝る」

「血脇くん!」

 猛烈に眠い。たぶん、二度と目を開けられないだろうが、割と満足だ。締まらない最後が、実に自分らしい。

 すると、

『仕方ない。今回だけ、特別だからね』

 誰かの、声を聞いた。

 大きいな打突音。

「え」

 夜来の声に、薄く目を開いた。

 槍があった。

 黒い繭から槍が突き出している。回収できなかったと聞いていたので、破壊されたか、取り込まれたと思っていたが。

 木槍の名は、神守霊槍光樹。組織の名であり、象徴であり、力でもある霊木から造られた槍。それは一つの光樹であり、例え他の全てが滅びてもこの槍一つが残れば、そこから四法光樹はやり直せる。光樹とは、連なる者たちに加護を与える古木の神。

 宗派の色々な考えはさておき、神と崇める者がいればこの国では悪魔でも石ころでも神に成りうる。

 槍は木になり、根を巻き繭を割る。砕かれ破片を散らす繭。根は繭を砕く度に枝を伸ばし葉を茂らせる。急激な成長と遂げた大樹は、箱に収まりきらず、そもそも同じ材質の箱すら根を張り取り込み、結界を突き破った。



 ▽



「え」

 と声を上げる月下。何が起こっても驚かないつもりだが、これは流石に。

「なんじゃこりゃ」

「うそ」

 トランプで時間を潰していた不糸と火穂も声を上げる。専門家ふたりが驚くのだ。門外漢の自分たちは唖然とするしかない。

 箱が砕け散り。代わりに現れたのは大樹だった。異常な速度で成長して、モールの天井近くにまで伸びると、急激に枯れだし、枝先から灰と変わる。

「これ………ご神木だよな。兄貴の奴、破門どころか暗殺ものだぞ」

「あら」

 枯れ葉が舞い、箱のあった場所に、

「ッ!」

 妹がいた。その妹は凄い剣幕で叫ぶ。

「お姉ちゃん!」

「夜ちゃ」

「誰か!? 助けて! 血脇くんがッ!」

 妹は血塗れの皆久を抱いていた。

「衛生兵!」

 姫宮の呼びかけ医療技能があるメイドが、というかほぼ全員医療技能があるので、誰が治療にあたるかジャンケンしだす。連中を跳ね退けて、ふたりの所に行った。皆久はどこに傷があるかというより、どこに傷がないかと探す方が難しい。重症だ。外傷だけでなく、中もあちこちやられている。

「月下」

 奇跡的に意識はあった。思わず、伸ばされた手を取る。その冷たさ。

「約束、守ったぞ」

「うん」

「ああ、何か。今、死んだら、僕格好いいな」

「大丈夫、死なせない。死なせるものですか」

「はは、締まらない」

 皆久は乾いた笑いを浮かべた。もう流れる血もない。体温が急激に失われてゆく。

 ここで死なれたら、アタシたち姉妹は一生後悔する。

 決意を持って、あるいはこれから先全てを思って、月下は皆久の首に牙を突き立てた。


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