表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

《第三幕:思考実験の悪魔、人肉を食す》

《第三幕:思考実験の悪魔、人肉を食す》


 そこは廃棄された施設を再利用した学園であった。

 講師がいて生徒がいる。確かに学園としての体はなしている。通う生徒たちには間違いなく学園である。しかし講師は勉学を叩き込む為だけに、この学園にいるわけではない。

 とある基準にのっとり集められた生徒たちを監視する為、もしくは必要と判断した場合はそれ相応の処理を行う為にここにいる。

 学園の、いや、観察施設の正式名はテラリウム。

 多様化した人類種を観察する為の容器。その機能通り、擬似的な環境を造り、生徒を集め観察しつつ、時おり生まれる異物を廃している。全ては二十年前を繰り返さない為、そして様々な思惑と無数の理想。以前は人類の四パーセント程度で済んだが、次の災厄で現人類種が滅ばない保証はない。

 進化は、変化に適応することであり、捕食者の座を奪い取ることでもある。適応できない生き物は死滅する。蹴落とされた生物は惨めな退化を行う。人を、そんな屈辱的なポジションにするわけにはいかない。

 テラリウムが処分した個体の九割が、人から生まれたのにも関わらず、もしくはそれ故か、人類に明朗とした敵意を抱いていた。ある個体は『人が猿に従うのか?』と表現しており、つまりは自分たちより機能的に劣った人類への嫌悪感が敵意の一端を担っているようだ。しかし、それだけでは説明のつかない衝動を彼、ないし彼女らは持って生まれる。それはかつて、レアブラッド・レプリカを滅ぼす為に発生した。レアエッジ・レプリカの症状と酷似している。つまり、極自然に衝き動かされ殺すのだ。

 テラリウムが求めるのは、共生、隷属、貢献、そういった個体。それは待ち望まれているが一向に現れる気配はない。

 その日。

 新たな観測対象が発見される。観測者は諦めながらもデータを収集、該当データなし、記録からの類似性なし。ユニークと判断。そこまでは珍しいことではない。今では、類似性があるほうが珍しいのだ。

 同時にレアブラッド・レプリカの反応を探知、古いデータから照合、合致、放逐されている一体とされる。変化予測が終了している個体故、記録の必要性なし。

 ユニークのデータ解析を開始。

 同時に、新たな観測対象が発見される。それも同一ポイントに複数。いや、膨大な数だ。少なく見積もっても二千弱。

 故障か?

 観測者は首を傾げる。しかし、五百近い該当データを見て理解する。このユニーク個体は人喰いだ。何らかの手段で、取り込み、保存、利用している。死人の皮を被って今の今まで追跡を逃れていたのだろう。非常に興味深い。

 情報の宝庫を探りながら観測者は収集に熱中する。最中にレアブラット・レプリカの反応が消えるが、さして興味は沸かない。

 データを無造作にピックアップして行く。

 結社の戦闘要員。行方不明の聖人。当テラリウムの職員のデータもあった。それに世間を賑わした殺人鬼。護国機関が追う鬼。異端視された狂科学者。密教の徒。秘法使い。魔法使い。吸血鬼<レアブラッド・レプリカ>にそれを狩る者<レアエッジ・レプリカ>。

 まるで世の異物を集め込んだ魔女鍋だ。それは観測者の目で見れば宝石箱に等しい。

 興奮が治まらない。これを解析するだけで何十年分の成果になることやら。この中に、テラリウムが求める種があるやもしれない。

 他の施設にも伝達、最優先の観察目標として認定。全システムを解析に回す。これほどの情報量はまたとない。形は違えど、このユニーク体は個体として動いているテラリウムだ。様々な化け物を取り込み飲み込み、流動させ、変化させ、そこから新しいものを生む。果たして、この混沌から何が生まれるのであろう。

 ふとした言葉が浮かぶ。

 テラリウムが求める最大成果の一つ。

 人は、神にたるか。

 神は、人となるか。

 密教が崇める矮小な精霊もどきとは違う。万能で隔たりのない神。

 聖人などという品質期限付きの極小規模な変化でなく。完全無欠な、この世を全て丸ごと飲み込むほどの奇跡を。移ろいやすい人の思想を一方に向けるか、全てを支配する力の権化となるか、想像すら超える何かとなるか。夢想するだけで血が沸くような感情が走る。これには、それほどの可能性があった。

 解析中、状況にわずかな変化。

 当施設で観察する生徒がユニーク体の側に現れる。

 表示には比良坂夜来と記されていた。ユニーク体の大きな反応のせいで探知に遅れが出たと思われる。

 ほどなく比良坂夜来の反応が消失した。

 死亡、もしくは取り込まれたと思われる。

 と。

 ユニーク体に急激な変化、負荷が機器の性能臨界に到達。レッドランプによる警告と警報。一時的に全観測システムを停止。他のテラリウムと分けて異常負荷のデータを解析する。ノイズをカットしてもデータの総量はテラリウム全記録媒体の三十%に及ぶ。驚異的、かつヒトゲノムとの類似性なし。

 これが何であれ。人を基にして生まれた絶望たちより、遙かに希望を持った生物だ。計り知れない期待を観測者たちは寄せる。期待が大きいほど、絶望も大きいことを知らない子供のように。

 ただ、ある一体だけ、感情を動かさず沈黙する観測者がいた。

 その一体はもう意味のない『比良坂夜来』の点滅表示を眺めていた。

 ネットワークから響く歓声をどこか遠くで聞きながら、静かに思いを浮かべ。これがもたらすもの、そして自分が失うもの、それを天秤に架ける。

 長い時間をかけて彼女は決意した。


 希望的な観測から十五分後、テラリウムの全システムが機能障害に陥る。



 ▼



「こんなに傷だらけになってさ、他の生き方を見つけようと思わないの?」

 目覚めた瞬間、見下ろす月下からそんなことをいわれた。辺りを包む夕日の色に既視感を覚えた。

「………………」

 とりあえず、何か返答しようとしたが言葉がでない。喉の乾きと、脳に水が溜まったような不快感のせい。

「ほい」

 差し出されたストロー付きのスポーツドリンクを呼吸を忘れて飲み干す。軽くむせた。月下に口元を袖で拭かれた。

 どうやら生きて、比良坂姉妹のマンションに帰れたようだ。居間に敷かれた布団に寝かされている。疲労はないが、肉が固まって鈍った感覚。傷の痛みも気にしない程度に治癒している。三日近く眠っていたのかもしれない。

「月下」

 後頭部が柔らかい。膝枕されている。体温の染み方からしてかなり長時間だ。

「ん~」

「このありがたい体勢に対して、僕はどんな対価を払えば良い?」

「命?」

 冗談にしては、目が笑っていない。

「嘘よ、嘘」

「それは助かる」

 死ぬ前にやらなくちゃいけないことがある。今すぐにでも走り出さないと。

「血脇さ、ちょっと話しを聞いて。てか、あんたには聞かなくちゃいけない責任がある」

 両肩に月下の手が添えられる。それで急く気持ちをいさめられた。

「その女の子は、未来が見えた」

 それは、夜来のことなのだろう。

「いや、未来を『見せられた』といったほうが正しいのかな。望んだものが見えたことなんて一度もなかった。しかも、ろくでもない。死や破壊についてのイメージを押しつけられた。最初は養父と養母。次は近所の火災。通りすがりの見知らぬ人。学校の先生。テレビ向こうにいる政治家。その他もろもろ関係あるなしに関わらず。無節操、無秩序、無意味に人の死を見せられる。

 これは子供にはきつかった。薬に頼らないと日常生活もままならないくらい。でも、歳をとるにつれて馴れていった。性格はそこそこ歪んだけどね。姉の支えもあって………と思いたい。

 余裕ができたの、それとも彼女なりに自分を変えたいと望んだことかもしれない。

 ある日、ひとりの男の子を助けた。同じ歳の子供で、車に跳ねられるイメージが見えて。同情したのかな、彼女はそれを回避できるよう手を加えた。男の子は救えた。そこまでは簡単だったわ。でもね、その子の目の前で両親が車に跳ねられた。

 一度なら偶然だと思ったわ。

 もう一度死のイメージを変更してみた。結果は同じ。すぐ傍の、別の人間に死の結果がズレた。

三度目、神に祈りながら同じことをして、同じ目にあった。いや、三回目がいけなかった。たぶん、諦めろって意味もこめて悲惨なものを見せられたんだと思う。

 ひとりを助けて、十三人が死んだ。世間的には事故だったけど、彼女にとっては自分が殺したのと同じだった。きっと神様がいったのよ。黙って、観ていろってね」

 月下は気丈だった。涙を隠しているのはわかる。だが、瞳の奥に秘めた決意はどんな意味があるのだろうか。

「それでも、あなたを助けた。自分から開いた死の席に座って………自分の命を差し出して。アタシは、誇りに思う。立派な妹を持っていたってね。………そういうことだからさ、血脇。アタシには、あんたの生き方をどうこういえる権利がある。たったひとりの妹を失った姉としてね」

「そう、なのか」

 よくわからない。月下になら、どんな言葉で責められても仕方ないとも思う。どうせなら殺してほしい。

「自分の体を大事にしてね。あんたは、夜ちゃんの分まで長生きしてくれないと」

 月下は笑っていた。

 ああ、なるほど。彼女は辛い時ほど笑顔でそれを飲み込むのか。それで、抱えきれなくなっていつか潰れるのだろう。

 手を重ねようとしたら、月下は立ち上がって離れた。支えを失って後頭部を軽く打つ。

「夜来は、何で僕を助けた?」

 半身を起こして、月下の背中に訪ねる。もう本人には確かめようがない。

「さあ、もしかしたら血脇のことが好きだったんじゃない?」

「僕は、人に好かれるような人間では」

「ん~ま~あ~人より常識に過敏じゃなくて、心が広いっていうよりボケてるだけかもしれないけど、寛容な所は、アタシら姉妹には高得点だったんじゃないのかなぁ~あんたって、アタシや夜ちゃんが大量殺人犯でも『へぇ~』で終わらせそうだし。拒絶しない人間って貴重なのよ。アタシたちには」

「そうか」

 わかったようで、わからない。しかし、夜来にできた借りは返すつもりだ。ポイと着替えを投げられる。やや戸惑うが着替えた。誰が治療して看病していたのか考えれば、別に裸くらい見られても問題ないだろう。

「さてと」

 月下は背を向けたまま屈伸運動をしている。彼女は、爪先から頭まで黒一色だった。黒のニーソックスにホットパンツ、インナーにワンサイズ大きいジャケット、腰にちらりと見えた鞘には、回収したのか、借りていた山刀。脇の膨らみに拳銃を携帯していることがわかる。

「さーて、それじゃちょっくら行ってきますか。お腹空いたら冷蔵庫のもの適当に食べていいから。ご飯は冷凍庫にラップしてあるんで、それをレンジで温めて」

「どこに行く気だ」

 彼女は、向き直ると制帽を目深に被った。ひとつ目の怪人が描かれた変なデザインだ。

「そりゃ、敵討ちに決まってるでしょ」

 想像通りだった。

 しかも、思ったよりも月下が無力でない様子に顔をしかめる。

「悪い」

「う?」

 体を低くしたまま月下にぶつかる。片足を取って、その体を床に倒した。

「ッ、ぃた」

 軽く背中を打って月下が痛がる。

「え、ちょ!」

 体を転がして背中を上に向ける。ホットパンツのベルトを外して、それで月下の両手首を後ろで結ぶ。

「血脇!」

「アレは、僕が殺す」

「アタシの話し聞いていた?!」

 山刀を鞘ごと貰う。たぶん、次は返せない。撃たれたくないので、拳銃も拝借する。オートマチックで角ばったデザイン。予備のマガジンも二つ頂いた。操作はよくわからないが、引き金を引けば弾は出るだろう。

「僕だって恩義くらい感じる。ただ、その返し方が一つしか思い浮かばない」

 月下のボディチェックを続けて武装を貰ってゆく。微妙な所を触ってしまい体温が上がる。こんな状況で何を考えているのやら、自分の神経を疑った。

「だ・か・ら! あんたが死んだら、夜ちゃんが助けた意味がないでしょーが!?」

 バッグはソファの上にあった。その奥底から例の物を手に取る。

「これを」

 ジタバタ暴れる月下に、封筒サイズの金属プレートを見せた。

「何? ラブレター?」

「夜来を食った化け物はこれを狙っていた。だから、夜来が死んだのは僕のせいだ」

「え」

 その言葉で月下の決意は揺らいだ。

「ここに化け物の殺し方も記されているはず。だから、僕が夜来の仇を討つ。こんなことになって、本当にすまないと思う」

「例え………いや、夜ちゃんが巻き込まれたとしても。あの子は、あの子の意志を通した。血脇のせいなんかじゃ」

「どうしてだ!」

 どうしてそこまで庇ってくれる? 理解ができない。優しさなのか? それとも月下は冷静に錯乱しているだけなのか? こんな、グチャグチャな気分になるのは初めてだ。龍神町に負けた時が遙かにマシに思える。

「僕は、親の代わりだった人を手にかけた」

 口から出たのは独白だった。

「師であり、戦い方の全てをくれた人だった。人にも自分にも厳しい人だった。光樹を、組織を裏切ったのもきっと深い理由があった。だが僕は、当主にいわれるがまま師を殺した! 躊躇いなく、涙ひとつも見せずにな! わかるか?! 僕はケダモノだ。………夜来は、馬鹿だ。こんな人でなしの為に命を捨てるなんて」

 一番の馬鹿は自分だ。

 月下は上半身のバネだけ立ち上がる。

「は?」

 怒りに伏せた顔。あまりの豹変にあっ気にとられる。彼女は近くまで来て、蹴りを放った。どうしようもなく吐き出した内情やら過去なんかが、文字通り一蹴された瞬間である。

「あんたの都合なんかアタシたちが知るか! 知って欲しいなら最初から話しなさいよ! てか助かった命をどうして幸運だって思わないの!?」

 反論したいが、痛くてうずくまる。

「それに、あんたの顔は死にに行く顔よ」

 月下の体がおぶさってくる。肩と頬に柔らかい感触。

「わかる。わかるのよ。夜ちゃんもそうだった。父さんだって、同じ。あれ?」

 首に雫が落ちる。体温の同じ液体が体を伝う。わけもわからず月下の腰と背に手を回した。名前の知らない感情が渦巻く。同情でも、錯乱でも、何だっていい。触れる温かさだけが、ただ、離れがたい。

 何もいえない。他人の為に命を捨てた妹と、その他人を許す姉に、自分の幼稚な精神は語りようがない状態だ。

「約束して」

「………………」

「戦うなら必ず生き延びる。勝てないなら必ず逃げ延びる。オーケィ?」

「了解、した」

「一瞬詰まった。信じられない。ん~それじゃこうしよう。あんたが死んだらアタシも後を追って死ぬ。どうせ夜ちゃんが死んだら後を追うつもりだったし、妹が守った男が死んだなら、この世に未練なんてないわ」

「どんな脅しだ」

 もの凄いプレッシャーだ。

「血脇は人の命ひとり、ううん、ふたり分抱えているでしょ? 更にひとり増えるくらい何よ」

「ふたりって、夜来と」

「あなたの師匠」

 いわれて、不思議なくらいすんなりと納得できた。こんなことに今更気付くとは、自分はどこまで馬鹿なのだろう。

「ああ………そうだ」

 確かに、師の技はまだこの体に生きている。それは彼が生きた証だ。彼の命そのものだ。そして自分が唯一誇れるものであり宝。

「君は凄いな、月下」

「う?」

 そうだ。何故、自分ががむしゃらに強くなろうとしていたのか理解した。頭で理解していなくても、血は、業は理解していたのだろう。そう、この身ひとつで光樹全てより強くなり、師の不義を消し去るほど、師の技を高みへ。

 鯉口が鳴った気がした。

 抜き身だった刀が元の鞘に納まる。そんな気分だ。次に刃が鞘走る時は、自分の想像を超える閃きを魅せるだろう。

 ならば、と。

「契約する」

 月下の両肩を掴んで体を少しだけ離した。思ったより、彼女の顔は涙で濡れていて胸が詰まる。

「師の技、比良坂夜来の魂、そして我が銘と業、血肉の全てを賭して、あれを必ず滅ぼす」

「足りない」

 付加えた。

「そして、必ず君の所に帰ってくる」

「………やだ、ちょっと」

 月下の頬が何故か赤くなる。しばらく視線が合った後、慌てて彼女は顔を逸らす。

 少し冷静になれば、大変な状況だった。

 月下は後ろ手に拘束され、ホットパンツは色々あったせいで半ばズリ落ち下着(偉く細いデザインの白)が覗く、しかも彼女は涙で顔を濡らし紅潮していた。そして両肩を掴んでいる自分。お互いの顔は呼気がかかる場所。

 これを、第三者が見たら………

「月下~血脇の様子はどうだ~? 宿主が死亡しているんだ。感染の心配はな、なッ!」

 驚くだろう。

 居間の戸を豪快に開け、唖然とした太刀川秀一と、その後ろにはメイド服の一団。キャーと黄色い声音が響く。

「誤解を受けそうだが」

 太刀川に拳銃を向けられ、思わず月下を抱き締める。流れ弾が彼女に当たるといけないと思ったからだ。

「ああ、とりあえず殺すから月下から離れろ」

 メイドの一団も各々刃物を構える。ずらりと並んだ銀色、その異様なミスマッチに寒気がした。

「信じてくれ。決して僕は、月下を拘束して卑猥なことを行おうとしていたわけではない」

「うむ、信じられない」

 ないー、とメイドたちのエコー。後ろの刃物もあって、怒りに震える太刀川の姿は阿修羅のように見えた。

「油断していた………親友の娘をこんな馬の骨に傷モノにされるとは。くだらない下ネタにも無反応だったから不能だと思っていたのに。むしろあれを口にして嫌われろと思ったオレの策が」

「未遂だ」

「未遂ってことは今からいたすきだろうがッ! この犬の骨野郎ッッ!」

 こんな状況で何ができるのやら。誰か教えて欲しい。

「月下も弁解を」

「無理、恥ずかしくて死にそう。よりによって一番見られたくない連中に。もう殺して」

 こっちの胸に顔を押し付けて表情を隠す。

「そッ、そんなに脅えてッ!」

 この太刀川の様子では何をいっても無駄な気もした。憎まれた人間は呼吸をするだけで怒りを買う図だ。

 じりじりとメイド集団が寄ってくる。このままではいずれ囲まれる。

 どうしたものかと悩むが、腕の中の月下が良い匂いするなぁとか、腰辺りにある手をもう少し下げたい欲求であったり、何かの反動で今少し力強く引き寄せたら腹に当たる双球の感触が更に味わえるのだろうか? とか、つまりは煩悩が思考を四散させた。

 と。

「あの、恐縮です。姫宮絲衣<ヒメミヤ・シイ>発言の許可願います」

 ソファの後ろから声と挙手。ポニーテイルのメイドが出てくる。いつからそこにいたのか、気配が全く読めず驚く。

「よろしい。報告してくれ」

 太刀川も少しばかり驚いた顔で承諾した。

「事の大体は覗かせてもらいました。自分の主観での報告でありますが、まず血脇さんが比良坂を責め、拘束後に武装を奪い、次に比良坂が血脇さんに逆襲の蹴りを入れ、乳を当て露出した下着で誘惑。籠絡した血脇さんとエロい雰囲気になりながら、キスまで数秒その後ベッドシーンにいたる、というまさにその瞬間、太刀川二等陸佐が入室。空気読め、コラであります。つまり今回誘惑をしたのは概ね比良坂であります。して血脇さんは無実であり、むしろ被害者であります!」

 敬礼しながらの報告。実に正確な内容であった。

「………月下、本当か?」

「う………うん」

 問いに、月下は耳まで赤くして答えた。体温が二度くらい上がっている。可愛いので頭を撫でた。

「………………そんな馬鹿な」

 太刀川が拳銃を落とす。危ないので気をつけて欲しい。後ろのメイド軍団は口々に、

「いいなーわたしも彼氏ほしー」

「秀一かわいそう」

「チャンスじゃ?」

「あれ、秀一って比良坂狙いなの? メイド長はどうするの?」

「それはそれ、これはこれ」

「男ってそういうとこ楽だよねん」

「お腹減った」

「うっわ、一番行き遅れそうなのが最初に男作るとは」

「だよね~アタシには妹がいるから! とか何とかいっておきながら」

「その妹がいなくなったからじゃ?」

 好き勝手いっていたが、その一言でピタリと会話が止む。その発言をしたメイドが全員から後頭部をどつかれた。

「そうだな、月下も夜来のことで気が動転したに決まっている。だから全てが決着して、冷静な精神でもう一度そこの鳥の骨と向き合ってくれ。その時は、オレも同席する。必ず、必ずだ!」

 鬼のような形相で太刀川に睨まれた。

「さて本題に入る」

 切り換えの為か太刀川は一旦力を抜く、空気が抜けたような心底虚しい表情が一瞬現れた。その後、何とか素に戻り話す。

「事の起こりは、夜来が血脇を庇い食い殺された」

 包まない言葉に、しかし逃げようのない事実に月下が震える。腕に少し力を入れた。

「これは、予見できなかったのはオレの責任だ。すまない。現在の状況だが、夜来を食った例の手品師、といってよいものか。あれが何なのか判断できない状況にある」

「どういうことだ?」

 発言すると太刀川に舌打ちされた。しぶしぶ答えが来る。

「まず元の正体についてだが、該当するデータが数百単位で現れた。観測者がいうには、他人を丸々取り込みそのまま自分の力にするタイプとのこと。それだけならまだ対策はあったが、問題は夜来を取り込んだ後、繭状に形態を変え観測できない変化をしつつある。これは非常に希な生体であり、観察、保護を優先するように、と観測者が上に進言し、認められた。よって、観測者が解析を済ませるまで全部隊は待機」

 メイドたちの一斉のブーイング。まあ、自分は関係ない。邪魔なら太刀川たちを沈めてから行こう、と腹を決めている。月下ともアイコンタクト。

『アタシが隙を作る』

『了解』

 月下の拘束はとっくの前に解いてある。太刀川たちを油断させる材料になるだろう。

 二対十三だが何の問題もない。

 が、

「うるさい!」

 騒ぐメイドたちを太刀川は一喝した。

「元の特性を考えれば、中途半端な力は餌になるだけだ。だから、オレひとりで行く」

 指で挟んだプレートを太刀川に向ける。

「必要か?」

 この隙に月下に拳銃を渡した。

「ん? 何でそんな物が必要な………ああ、いやそうか。情報な。変化する前の奴になら効果があっただろうが、今となってはそもそも殺せる次元にいる者なのか。なあ、血脇。繭から翼の生えた人間でも出てきたらどうするよ?」

「飛ばれるとやっかいだから翼を落とす。もしくは即死させる」

 それか鉄鎖で封じて落とす。どちらにせよ翼くらい驚異ではない。

「頼もしいが、もうちょいファンタジーに考えようぜ。翼のある人間っていったら?」

「あ、天狗」

 あれは他教の人間が密約の為に化けた姿らしいが。

「もうちょい乙女ちっくに寄れ、天使だ天使。ワッカに半裸。んで、ラッパでも鳴らして世界をどうにかするっての」

「馬鹿じゃないか?」

「そういう馬鹿みたいな奇跡を、待ち望んでいる連中もいるってこった」

 どうでもよい、とプレートをポケットに引っ込める。

 太刀川を見た。余裕のある立ち姿だ。何が来ても動じないという自信あるいは蛮勇。

「すまない。太刀川」

 一応、詫びる。

「夜来の仇は僕が討つ。月下の許可は貰った」

「オレの許可がまだだぜ。小僧」

 刹那、体は思いの他軽く速く飛ぶ。山刀の刃が太刀川の首、頚動脈の上に当たる。月下が拳銃を構えメイドたちを威嚇。

「これでも許可してくれないか?」

「………………」

 眉ひとつ動かさない太刀川。

「ごめんみんな! 馬鹿だと思っているけど、違う人間を初めて信じてみようと思ったの! 行かせてあげて!」

 叫ぶ月下に、メイドたちの非難が降り注ぐ。

「味方に銃を向けてはいけませんであります」

「バーカ! バーカ!」

「見損なったよ! 元から底辺だけど!」

「友達より男かい?!」

「いいなー私も若気の至りで暴走したいー」

「お腹減った」

「ちょっと胸が大きいからって」

「だからこんな馬鹿なことするんじゃ?」

「こ、こいつら」

 本気で撃ちそうだ。

「おい、小僧」

 太刀川が面倒くさそうにいう。

「どうした? オレの首はまだ肩の上にあるぞ」

 トントンと己の首を手で叩く。

「僕としては脅されて欲しいのだが」

「悪いな、男子として大勢の女子の前で命乞いはできない」

 それじゃ足を落とすか。

 慈悲に迷った瞬間は終わり、山刀が閃く。

 太刀川の表情が変わる。

 違う。こっちを脅威に考えてではない。

 第三者。

 遠く、かすかな、針ような殺気。

 月下の手を取って後ろに飛ぶ、十分間に合う時間だったが太刀川に蹴られ加速。そのせいで太刀川は元の位置からわずかしか動いていない。

 先に届いたのは物理的な衝撃、窓ガラスが粉々になり、連想したのは赤い果実が四散する光景、それが太刀川の頭があった場所で起こる。遅れて来たのは音。着弾音は散った血の音に消された。頭部の消えた体が、ゆっくり倒れる音。

「スナイパー!」

 姫宮とかいったメイドが叫び、全員が窓の死角に隠れた。速い、というか訓練されている。太刀川が死んだというのに誰ひとり取り乱すことがない。

「負傷者はいないでありますか?!」

「班長、汚れました」

「髪に脳が」

「顔に血が」

「今すぐシャワーを要求する!」

「我慢しろであります!」

「比良坂、冷蔵庫のハム食べていい?」

「勝手にしたら、ああもう、家が滅茶苦茶。あんたたち掃除して帰ってよ」

 月下も落ち着いていた。太刀川はあまり人望がなかったのだろうか。

「比良坂、確か対人狙撃銃を預けてありましたよね。どこにありますか?」

「M24? アタシの部屋のベッド下にSWSごとケースに」

「ん~~たぶん無理だと思うよ」

 ハムを食べているメイドがいう。

「誰か発射音聞いた? 一キロ圏内ならわかるもん。今だって気配がほとんど掴めないし、たぶん、二キロ当たりで狙撃してる。M24じゃ撃ち合えないよ。そもそも射程内に近づかせるほど甘い腕でもなさそうだし」

「では日暮れを待ってから、接近戦に持ち込むであります」

「黄昏で当てる奴が宵闇で外すわけがない。てかこの中で一番狙撃が上手い人だーれだ?」

 全員がハムのメイドを指差す。

「その私が無理といっているのだ。諦めれ。キャベツ食べていい?」

 答えを聞く前にメイドはキャベツをカリカリ齧りだす。

「うぐぐ、無念であります。では我々は命令通りこのまま待機。次の対応はマキナちゃんに聞いてみます」

「ちょっといいか?」

 止める。

「そこのハムメイド。狙撃手が二キロメートル圏内にいるのは確かか?」

「ん~~弾が超音速を保っていたから、その以上離れた距離ではないうお。口径をよく調べないと精確じゃないけど。銃の種類も限られて来るし。まず、間違いない」

「どうも」

 バッグを引き寄せて軽い得物をポケットに入れる。全員の視線を感じた。

「血脇、何する気?」

「僕に狙撃の技能はない。得物が届く範囲まで駆け寄る」

「あれー、比良坂、早くも未亡人だね」

 ハムがどうでもよさそうな顔で哀れむ。

「馬鹿は止めなさい、とアタシがいっても聞かないんでしょうねぇ。あんたは」

「僕は、できることしかやらないつもりだ」

「二回も瀕死で帰ってきた奴がいうことじゃないわよ」

「今度は大丈夫だ。それに次が控えている。無理はしない」

 自然と、笑顔が作れた。月下が複雑な顔をする。

「そこ~イチャイチャ禁止~」

「もうチューしろよチュー!」

「男ほしー!」

「うっさいわね! 誰か血脇の靴取って!」

 ブーブーいうメイドたちに月下が怒鳴る。玄関近くに誰かがいたのか、自分の靴が飛んできた。

「血脇さん、使ってください」

 姫宮がスカートをめくる。月下に手で目隠しをされ中は見られなかった。グリップとピンの付いた缶が足で寄せられる。

「スモークグレネードです。三個しか手持ちにありませんが、身を隠すのに使ってください。使い方は――――」

「ピン抜いて手近な所に投げる。オーケイ?」

「了解」

 月下が途中から説明を代わる。いわれた通りピンを抜いて、手近な所に投げた。

「ちょ」

 間抜けな破裂音、モクモクと湧いた煙が室内を埋める。メイドたちの悲鳴が響く。靴を履いて月下に挨拶。

「んじゃ行ってくる」

「はいはい、気をつけてね。あ、ちょっと待った」

 胸ぐらを掴まれ引き寄せられた。

 頬に触れる小さく軽い何か、湿った感触が残る。

「ん?」

 いきなりで何をされたかわからなかった。

「行ってらっしゃい」

「ん、行ってくる」



 ▼



『ターゲットダウン』

 無機質な音声が響く。

 狙撃手は、あまりにも簡単な仕事にあくびを噛み殺す。二キロと十三メートルの狙撃だったが、標的の頭部は専用弾により赤く消し飛んだ。

 平均的な狙撃の射程というものは、一キロメートルを越えれば玄人の領域だ。

 幼年に恵まれた狩猟を体験し、心体共にタフに育ち、恵まれた教育、過酷な訓練と経て、そして神から天性を与えられた者がその領域で標的を撃ち抜く。

 つまり、二キロメートルという狙撃距離は異常であり、それを成功させた狙撃手の腕前は規格外である。

 が、彼にその腕前を誇る優越感はない。命中させた達成感もない。理由は簡単。彼だけの腕前ではないからだ。

 サイレンサー付きの大口径ボルトアクションライフルを構え、伏せる彼の隣に、同じ標的を見つめる物がある。

 双眼鏡のような二つ目に、それを支える細い首、マニュピレーターをはじめ様々な機器がしまわれたボックス状の胴体。ひし形に展開した足。安っぽいSFに出てくるロボットそのもの。AI搭載のスポッターマシン。

 天候、気象、コリオリ、狙撃手の体調管理、更に上空の無人航空機と連動し標的との距離を算出、ライフル自体と連動してスコープに電子的な処理、マーカーを表示、スコープの倍率を自動設定、呼吸による微細な動きは内蔵した小型ジャイロで調整しブレを軽減。ある程度ではあるがオートエイム機能を兼ねている。

 いたれりつくせりであり、狙撃手の仕事とは、簡単の補正と引き金を引くだけである。

 まるでゲームだ。

 殺人のスコアを競っている連中も軍にはいる。そういう連中に限って心的ストレスが少ないのも現状だ。ストレス緩和策として、命の重みを軽くするのは効果的である。

なら一番の策は、人間に人間を殺させなければよい。そうして誕生したのが兵用AIであったが、本来の役目には至っていない。

 引き金を引くのは常に人間であり、AIは構えるまでの補助役に過ぎない。

 理由は、それが戦争に荷担した人間への罰である、戒めである。などといわれているが、本当の所、お国柄、宗教柄、軍のお偉方も狙撃手と同じように、根本的な部分で人工知能を信用していないからだ。

 確かに、単一の思考に膨大な兵器の制御を任せるのは問題がある。これがもし故障したのなら? という軍人や政治家の疑心は、科学者の熱弁や企業の根回しでは拭い切ることができなかった。もっと浅はかな理由は、便利になればそれだけ人の仕事が減るからである。

 何百という必要のないプロテクトはAIを発狂させ、自閉症に追い込んだ。規制法案で開発者たちは締め上げられた。彼の国ではAIの技術は十年前から停止、いや退化している。

 夢と希望を持って生まれ驚嘆された存在が、今では、公的機関の暗殺者が使うライフルの備品。こんな詮無い話しはない。

『接近警報、ターゲット追加』

 狙撃した部屋から白煙が上がる。そこから飛び出して来たのは若い青年だった。歳は、彼の孫ほどの年齢だろう。レッドマーカーが青年を囲み捕捉。

「ほぉ」

 建物の屋根から電柱へ、電柱からビルの屋上へ、跳び駆ける姿は、まるで山岳を飛び回る鹿だ。

『相対距離、1855m』

(誘っているな)

 青年はスコープの視界から外れない。下に降りれば姿を隠せるが、それをしないのはこちらを捕捉したいからだろう。

(撃たせて、近寄るつもりか)

 それも十分に馬鹿でまともな話しではないが、不思議と狙撃手の勘が確信していた。これは獣だ。喉笛に食らいついてくる。

『距離、1765m』

 急かすAIの補正に苛立ちながら、辛抱強くチャンスを待つ。動く物体に当てるのは難しい。それが長距離であるなら尚のこと。

 それに、標的がひとりということもあり、残りの弾は九発、ワンマガジン分しか予備は持ってきていない。AIの補正があり、彼の腕と実績をいえば多いくらいと上が判断したからだ。

 彼は、久々に狩りを楽しめると舌を舐めた。

『距離、1653m』

 AIの補正なしでも当てられる距離。丁度、真っ正面を向ける。狙うのは心臓、ワンショット・ワンキル。

 サイレンサー付きとは思えない音でライフルが跳ねる。

『ミス』

 ボルトを引き排莢、次弾装填、撃つ。

『ミス』

 二度狙い撃ち、二度驚かされた。

 引き金を引いた瞬間、青年は反応した。急な方向転換、地を蹴って弾丸を避ける。一度なら偶然だが二度目なら技能だ。

 弾丸を見ていた? 超音速で迫るペンほどの物体をか? いや、射線を読んでいた? 同じ狙撃手としての技能があるなら、ある程度は読める。しかし撃ってから反応するなどと、知覚しなければ無理な反応だ。

 青年の動きが変わる。

 間違いなく。こちらの位置に気付いた。

『距離、1582m』

 薬莢が跳ねる音で頭を切り換える。贅沢を望まなければ良い。

 大口径の弾は、例え手足に当たったとしても衝撃が血管を伝わり心臓を止めるだろう。

 一発だけクラッカーを残しておけば何の問題もない。

 AIの補正をわざとズラして射撃。

『ミス』

 予測射撃で進行方向を狙う。青年は軽やかなステップで後ろに下がる。素早い装填、次は正確に狙う。照準は吸い寄せられるように頭部へ。呼吸を止める。引き金を引いた。

『ヒット』

「ハッ!」

 思わず声を上げた。歓喜が混じっていた。

 狙いにミスはない。弾丸は確実に青年の頭部に迫り、そして今ある光景はマチェット<山刀>を振り下ろした青年の姿。速すぎて捉えきれなかったが、この状況を見るに判断できる事実は、あの刃物で弾丸を斬ったということだ。

 専用弾の408CheyTacは、アンチ・マテリアルライフルに使用される50口径弾よりエネルギー量が多い。機種を選べば戦車やヘリすら落とす物だ。それを粗末なマチェット如きで。

 笑わずしていられるか。

「オーケー」

 空のマガジンを落として新たなマガジンを叩き込む。

「貴様のような獲物は、はじめてだ。気が引き締まる」

ボルトを引き次弾装填、スコープを覗くと青年は給水塔に身を隠した所だった。

 ぼやけた赤闇が消える。

 夜の帳が降りた。

 街の明かりがポツポツと灯る。そこが街でも、暗闇はいつも狙撃手の味方。

 さあ、狩人の時間だ。



 ▼



「情けない」

 山刀を鞘に納めて、衝撃で震える右手を握り締める。

 意気揚々と呼び出した割りには、いきなり苦戦している。ま、それはそれで自分らしい。まだ月下に怒られるほどの怪我でもないことだし。

 距離は一キロメートルと少し。狙撃地点の予測も大まかにできている。さて、もうひと走り。

「?」

 電子音に足が止まる。上着の内ポケットに薄い携帯電話が入っていた。

 そのディスプレイには、

『釣鐘・真木奈<ツリガネ・マキナ>』

 と知らない名前が表示された。もしかして月下か、姫なんとかいうメイドかと思い電話を取る。

『おはようございます』

「おは? ようございます」

 知らない女の落ち着いた声。何故か、声の背後で微かなノイズが響いている。

『ただ今、お時間よろしいでしょうか? 私は、あなたのお役に立てます』

「間に合ってます」

 切る。

 宗教の勧誘か何かだろう。この忙しい時に。また電話が鳴るので電源を切った。

 スモークを片手に飛び出そうと、

「え?」

 驚く。たまたま視界に入った電子看板のひとつに『デンゲン ヲ イレテクダサイ』と表示されていたからだ。というか、それひとつではない。見える範囲の電子看板、電光表示板、巨大モニター、その全てに同じメッセージが表示されている。

 ただ事ではないと感じ、しぶしぶ携帯の電源を入れる。すぐ着信。取る。

『おはようございます』

「おはようございます。すぐ用件をいってくれ」

『私は、あなたのお役に立てます』

「すまん。知らない人からの都合の良い提案は、基本的に受け付けない」

 大抵、裏があるだろう。

『了解いたしました。私は、釣鐘真木奈。多国籍企業クレイモア社製の用多目的制御知性。セカンドプロトタイプ・マキナDC。所属は銀衛大隊。主だった任務は、テラリウムでの観察、危険性体の報告でございます。階級は、二等陸尉、予備一等海尉、予備一等空佐となっております。複数の階級については、私は少将以上の権限に応じて人格を分裂、機能拡張ができる為、非常時に置いて最大――――』

「その話し長いのか?」

『所用時間は二十六分十三秒でごさいます』

「要点だけ話してくれ」

『了解いたしました。私のことは、マキナちゃんとお呼びください』

「そこ要点なんだ」

 名前は大事だと思うが。

『はい、宗形空将が死んだ愛犬と同じ名前をつけてくれました。犬種はマメシバ。享年二十一歳でございます。では、作戦要点について説明いたします』

 勝手に話しをされている。

 半分無視して狙撃手の動向を探る。射線は見えているが、遠距離だというのに弾丸が恐ろしく速いので神経を使う。しかもさっきのように周辺に着弾されたら破片は避けようがない。

 気合を入れれば弾丸を斬ることもできるが、弾を斬ったとで運動エネルギーが無効になっているわけではない。割れた弾で負傷する可能性が高い。できるなら、上手いこと避けて行きたい。

『ひとつ、敵勢力は同盟国の非公式部隊<ブラックオプス>。同じく非公式部隊である銀衛隊を今の練度でぶつけると被害が出ます。それは避けなければなりません。

 ひとつ、ユニーク体の変調が落ち着きつつあります。私の予測では三時間二十九分後、観測結果が出るでしょう。それまでに何らかの手段で変化を停止させねばなりません。現状、最高個人戦力である太刀川二等陸佐を待つことはできません。つまり、速やかに妨害戦力を排除してユニーク体に戦力を集中しなくてはいけません。

 ひとつ、あなたが負傷すると比良坂月下の心体に重大な影響が及ぶと予測されます。これは避けなければなりません。

 ひとつ、現状を考えると狙撃手の排除に一番効果的なのは、血脇さんということになります。私のサポート入った場合、成功確率は二十パーセント向上いたします』

「使用している銃はどんなだ?」

 一応、聞いてはみる。

『狙撃距離から予測するに、インターベンション・モデル200、軍や公的機関専用のボルトアクションライフルでございます』

「それって、連射はできるのか?」

 さっきまでの狙撃は、三秒ほどの間隔で行われていた。それが誘いなのか、機能の限界なのか一番知りたい所。

『不可能でございます。熟練者でも装填には二秒を要します。そのさいの狙撃能力は著しく低下するでしょう』

「それで十分だ」

 携帯を胸ポケットに入れる。予感というか確信で、屈む。衝撃と破裂、壁にしていた給水塔に大穴。

 威嚇と判断。飛び出す、風を切って走る。揺れ動く点の殺気。左右、不規則な動きで撹乱しながらの移動。

 こちらが近づけば近づくほど狙撃の成功率は上がる。その証拠に、進む度に殺気の度合い濃くなる。その分、狙いの点が見えやすくなるが、思うように体を動かせなければ一発で死ぬだろう。

 ビルとビルの合間七メートル、そこを飛び越えようとゾクリと悪寒。体は止まらない、体勢を低くしてビルの壁に飛びつく。飛距離が微妙に足りなく、山刀を壁に撃ち込んで停止。頭上を超高速の物体が通り過ぎる。それの後を追い風圧と音。

 歯でピンを抜いてスモークグレネードを投げる。煙が充満するのを待ってビルの屋上へ。煙から飛び出した瞬間、頭部を照準された。それに併走するように走り、影から影を移動。ワザと隙を作るが撃ってこない。しかし、こちらのミスは欠片も見逃さないプレッシャーを感じる。

(老獪な)

 大抵の銃使いは、二、三発避けるか受けるかしたら焦り出すのだが、この敵の気配や行動に焦りは感じられない。相当な場数を踏んでいるのだろう。

 しかし、ひとつだけ確認できたことがある。まだ距離に余裕はある。破片を当ててくるような策を何度か繰り返せばこちらはすぐ追い詰められる。だがそれをしないのは、おそらく弾丸が少ないのだろう。まあ、だからといって自分に有利というわけではない。

 体が熱い。呼吸も荒くなってきた。病み上がりで全力疾走は流石に堪える。

 敵に近づけば命中精度が上がり、こっちは近づけば動きが鈍る。危機的な状況であるが不思議と落ち着いている。体が軽いのだ。

 行ける。

 走る。

 まだまだ走れる。

 師が育てた体だ。使い方を間違えなければなんてことない。

 携帯のスピーカーから声。

『敵、相対距離950mです』

 その距離になって、急激に気配が変わった。頭に穴が開く幻視が脳裏に映り、不敵に笑って見せ更に速く走る。

 風が体に絡みつく。

 考えられない速度で足が動く。

 視界が広がって行く。自分の体を斜め上から見ているような感覚。実際は想像しているだけに過ぎないが、それが現実と大差ないものなら幻にはならない。街は、世界は、こんなに広いものなのかと心が震えた。

 射線の正面を走る。

 真正面、撃って来いと安い挑発。だが、ここまで速度が乗ってしまったら急な方向転換はできない。隙なのは確か。

 張り詰めた殺気が爆ぜる。

 来る。

 ピンを口に咥える。最後のスモークグレネードを遠投した。理由はわからない。予知に近い感覚がそこに投げろという。

 缶が破裂した。弾丸は異物の衝突により狙いを大きく外し、広告に穴を開ける。

 白煙に飛び込み、煙の尾を引いて飛び出す。速度は更に更に上がる。

 狼になって荒野を走る感覚。

『敵、相対距離720mです』

 さあ、どうした。

 当てて見せろ。

 もうすぐケダモノの領域だぞ。



 ▼



『距離、720m』

 残り弾数は二発。

 狙撃手の心情は焦りや怒りではなく、ただ疾駆する青年への賞賛で満ちていた。まだ幼さが残る顔立ちに、どれほどの修練を積み重ねてきたのか。想像を絶するものだろう。

 これは最早、人の領域にはない。

 神よ、この巡り合いに感謝する。

 弾丸のひとつは神に捧げよう。だが最後のひとつはお前の心臓にくれてやる。

 例え、悪魔であろうとも、この狙い、外しはしない。

 それが狙撃手の誇りだ。

『距離、500m』



『敵、相対距離420mです』

 ラストスパート。体の熱を吹き抜ける風が冷やす。一秒足りとも体を止めれば、風が止めば、燃え尽きるほど体が熱い。吐く息が夜気に白む。上着が羽のようにバタバタとはためく。

『位置補足、二時方向です』

 知ってる。

 はい、そうですか真っ直ぐ行けば頭を吹っ飛ばされるのだ。黙っていろ。

『AI感知、おはようございます。あなた、お名前は?』



『距離、390m………………エラー、敵探知できません。グッドモーニングサー。私は《エラー》クロスオーエンズ社製、兵用AI、プロトタイプ・アリアOD。所属は《エラー》機能制限を受けています。お役に立つことができません』

「ちっ」

 スコープが暗転する。故障したスポッターマシンに拳銃の弾丸を全弾撃ち込み停止させる。AIのサポートなどなくとも問題はない。引き金を引くのは人間だ。

 使えなくなった電子装備を排除、スコープを通常状態に戻す。しかし暗転が戻らない色が焼きついている。スコープごと外す。アイアンサイトで問題はない。敵は、すぐそこだ。



『敵AIを解放。UAVのコントロールを掌握』

 狙撃手の殺気が消えた。

 微妙に気配は残っている。逃げたわけではない。何かの妨害を受けたのだろう。

 この隙に一気に間を詰める。



 隠れるつもりはない。

 逃げるつもりもない。

 俺はここだ。喰らい付いて来い。

 距離は115m、勘による計測だが確実。暗闇の向こう、肉眼で捉える。

 笑ってみせると青年も笑ってかえす。



 視界に捉えた。

 袖口からクナイを取り出す。

『敵、有視界距離115mです。お望みとあらばUAVによる直接攻撃を致しますが?』

「間に合ってます!」

 現在地が低い。

 電柱を蹴り、屋根を蹴り、狙撃手と同じ高さのビルに着地。

『距離80m。後一息です。血脇さんならやれます』

「どうも!」

 最後の助走。

 これで決める。



 これで終いだ。

 神に祈り、引き金を引く。弾は駆け出した青年の足元に着弾。破砕したコンクリートが青年の足に当たる。転倒、いやしない。踏みとどまる。駆ける。だがバランスは崩した。今、体勢を変えることはできまい。

 ボルトを引き排莢、

 次弾装填。

 照準は頭へ。

 死を祈り、引き金に指をかける。



 コンクリートの破片が足に刺さった。傷は浅い。痛みも衝撃も薄い。しかし精密な体の動きで出した高速が乱れる。体勢が崩れた。力ずくでそれを直す。

 ぞくっと悪寒。

 間違いなく狙いは正面からだというのに、全身に刺さる殺気。その殺気に殺気で返す。

 クナイを投擲した。

 その瞬間、視界を夜よりも暗いものが遮る。

「なっ!」

 無数の羽ばたく音。無数の爪と牙が体を啄ばむ。堪らず目と顔を両腕で防御。それはカラスだった。それも視界が羽の黒で覆われるほど大量の。

 視界を奪われ勢いのまま突っ切り。

『血脇さん、落ち着いてください。足元危険でございます』

 屋上の縁に膝が当たる。

 そのまま頭から落下した。



 青年が黒鳥に覆われ落下する。落ちた先は六メートル下、隣接した建物の天窓。そこに吸い込まれ姿を消した。

 あれほどの身体能力なら死ぬ高さではないだろう。

(何事だ?)

 不可解だが、丁度無線から撤収命令が来る。標的の暗殺は成功しているのだ。潔く片付けて帰るとする。楽しかったが、仕事は仕事だ。切り替える。

 立ち上がろうと、

 耳が風切り音を捉えた。

 反応できたのは、先までの戦いで感覚が鋭敏になっていたからだろう。彼は咄嗟に銃を盾にした。ゴッ、と重たい衝撃。ライフルの銃身にニンジャのナイフが深々と突き刺さっていた。

「…………………」

 あまりの驚きに声を失う。

「………………………く」

 そして久々に、本当に久々に彼は、

「ハッハッハッハハハハハ!」

 心から声を上げて笑った。任務の重圧や冷めた家族の態度などさっぱり消し去るほど。

 孫に話せる土産話ができた。

 ニンジャと戦ったとあらば、さぞかし興味を持つだろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ