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《開幕》



《開幕》


 その日。

 血脇皆久が、龍神町夕顔に敗けた日。

 敗北は実にわかりやすく。立会い人も多数であり。皆久が生きた十八年と研鑽した十年の技術、プライドに明日を生きる希望、全てが壊された。

 皆久は、足元が崩れて、世界の光が三割減、三大欲求も薄まり、できるなら植物にでもなりたい心境。しかし、腹を切るほど時代錯誤ではなく。首の動脈に刃物を通すほど潔くもない。

 ただ、ショックのあまり七日間アパートに引き篭もり、しかし八日目には登校した。

 それは、次のステップに向かう為に精神を切り換えたのではなく。諸事情の為、学園に顔を出さなければならないのと、龍神町が海外遠征で、クラスから二週間いなくなるという理由が重なっただけである。

 七日ぶりの学園はいつも通りで、朝礼が終わり、退屈な講師の響きを右耳から左耳に流して、昼休みが過ぎ、放課後になる。

 誰も、話しかけてすらこなかった。

 そもそも皆久は、クラスの連中と親しくない。時々話す程度が二、三人。友人と呼べるものは、この世に存在したことがない。

 つまりまあ、誰とも話さなかった七日間が八日間になるということ。

 ある意味、何も変わりないということでもある。


 彼女を引き寄せるまで、変わらないと思っていた。


「………血脇くん」

 呪われた市松人形が現れた。

 ではなく、クラスメイトの比良坂夜来<ヒラサカ・ヤライ>だった。セミロングの艶の浮いた黒髪、前髪は眉上で切りそろえられている。小柄で痩せていて、目の下には濃いクマが浮かんでいた。加え、世の終わりを見たような絶望した表情。度胸試しに、にらめっこした生徒が自殺未遂を起こした話しもまだ新しい。

 彼女なりにフレンドリーな態度らしく。屈んで、机にアゴを置いて軽く首をかしげ、上目遣い。

瞳孔は定まっていない。口端が、にや~と歪む。

「ひっ」

 通りかかった生徒が短く悲鳴を上げた。皆久は喉まで来た悲鳴を何とか飲み込む。夜中に見たら失禁する姿だ。魂が病みそうなので、皆久は視線を逸らす。

 クラスメイトたちは今日も混沌としていた。

 女生徒が黒板にびっしりと数式を書き殴っている。そのすぐ傍に、和式ナイフでキャッチボールならぬキャッチナイフをしている双子。目隠しで文庫本を読んでいる小学生くらいの男子。コックリさんをしながら黄色い声を上げる三人組み。その他、盛り沢山な奇人変人が奇行珍行の図。極少数、正常に見える人間もいるが、中身までまともとは限らない。

 彼、彼女らの年齢と制服には一貫性がなく。それがまたクラスの混沌に拍車をかけている。集めた条件が条件なだけあって、仕方ないといえば仕方ない。

 軽く他の景色で逃避したが、皆久の現状は何も変わっていなかった。

 死霊ような比良坂が動かずそこにある。皆久は自分を呪い殺すまで彼女が離れないような気がした。

「おし、えて」

「な………何をでしょう」

 比良坂の迫力で、過去に犯した全罪状を吐き出しそうになる。

「角の折れた、カブトムシの気持ち」

「………………う」

 それはもう惨めだろう。カブトムシのカブトムシであるモノが折れたのだから。

「貧しさ故に刀を質に入れた、お侍様」

「………………うっ」

 魂を身銭に換えてまで生きて行く様は、勇み戦い死んだ者から見て、さぞかし滑稽に見えるだろう。

「深爪した虫歯のライオン」

「………………ううっ」

 大きい猫だ。いや、昨日まで爪と牙で生きてきたものに愛嬌などあるまい。人に媚びることもできない。虫歯とあっては草も食えまい。

 敗北から溜まりに溜まった自責の念が口から出る。

「生きていて………すみません」

 皆久は、脳を支えきれず額が机を打つ。

「お姉ちゃん、生まれてごめんなさい」

 比良坂も同調して落ち込む。

 ふたりの周囲に暗い結界ができあがった。

「………………血脇くん」

 比良坂に手を取られる。その肌の冷たさに皆久は顔を上げ、真正面から虚ろな瞳を見つめてしまった。

「一緒に死んで」

 突然の告白だが、堕ちに堕ちた皆久の精神状態では断る気力もない。それどころか、それも良いかなと思う始末。死に神のような女が目の前にいるのだ、死ぬのも容易かろう、と。

「はい」

「はい、じゃねーだろ」

 低めの通る声。皆久の頭が軽めの衝撃で揺れた。

 殴ると同時に声をかけてきたのは、短髪逆毛の背の高い男だ。体格が良く。目つきが悪く。斜に構えてガラも悪い。喪服に似たブレザー姿で威圧的と感じる者も少なからず。ただ、特別何かの為に鍛えた、という体はしていない。無造作な立ち方からして武芸の嗜みはないだろう。よく観察すれば、猫のような好奇心とトラブルを期待する退屈な餓鬼の顔が見えた。

 それが、太刀川秀一というクラスメイトだ。

「血脇よぉ。お前、去勢された牡馬みたいになってんな」

「僕は種のない種馬です。コンビーフに加工されるのがお似合いです」

「じゃあ、一緒に死んで」

「比良坂、お前はもう帰れ」

 太刀川は、しっしっと手を振って比良坂を追い払う。死霊の眼光も太刀川には無効だった。彼は何故か、クラスメイト誰にでも平等に取り合っている。独自色が強い人間たちを周りに置いて、自分のペースを崩さないのは特筆すべきことだ。その点はにっくき龍神町と似ている。

「講師の柳なんとかがお前を呼んでいたが、何ぞ心当たりあるか?」

「ああ、まあ」

「武芸館で待っているから来いと言付かった」

 柳という名の講師は、皆久をここに押し込めた人間だ。再三呼び出しを無視してきたが、そろそろ顔を出さなければならない。どうせ、話題は一つだろう。

「それと保険医が採血させろとな」

「へぇへぇ」

 皆久のふらついた視線に太刀川は飽きれ顔になる。

「人間変わるもんだな。残念な方向に」

 悪びれない感想を無視して、皆久は軽いスポーツバッグを担ぐ。他人に期待して馬鹿を見た。思考を停止して足を動かす。ちょっと考えを巡らせれば情けなさが滲み出る。

「それと、もう一つな」

 太刀川が何か続けていったようだが、皆久は背中で受けてクラスから出て行く。人と関わる気力が失せてしまった。

 廊下は静かで、戸一枚隔てたクラスの音が遠くまで響いていた。

 左に行けば帰路、右に行けば柳講師の待つ武芸館。

 右向け右で進んだのは、理由というより後々の面倒を抱えるのがイヤという惰性。背中を曲げて幽鬼の様に皆久は歩く。比良坂から変な業でも鬱されたようだ。

 廊下はとても長く。似たような空き部屋が続き、その場で足踏みしている錯覚に陥る。適当な部屋に入れば異界に呑まれ現世に帰れないとの噂が流れるほど、この施設は無駄に広く、無意味無数な部屋数である。

 元はこの施設、お国の都合で作られた娯楽施設らしいのだが、二年の営業中で来場者数は何と三人。内ふたりは、遭難ついでの来場である。木々に沈んだように佇む施設を見た時、彼らは悪の実験施設と勘違いしたそうな。

 建築には数十億の血税がかかっており、膨大な部屋数もそのせいである。営業する為、というより建てる為に建てられた施設である。

 そんな産廃に等しい施設であったが、今は生徒数三十数名を抱える学校施設であり。しかも講師数が生徒の三倍という破格の待遇だ。

 それでも満足行かない生徒曰く。

『もう十倍集めて来い』

 だ、そうな。

 皆久曰く。

『ものの数より質』

それはまあ、己に揺るがない自信を持っていた時の言葉だ。今は、

『どうでも良い』

 という胸中。

 廊下にぽつんと一枚の張り紙を見つけ、足を止める。『マキナちゃんのお悩み相談コーナー』と書かれアドレスが記されている。

 馬鹿らしいので通り過ぎる。何で足を止めたのやら。

 ふらふらと歩き、何度か通って体が覚えていたせいか、気付いたら武芸館に着いた。自然と一礼して開いた入り口を潜る。奥の畳の間に正座の男がひとり。

 三十台半ばで彫りの深い顔。太刀川の形だけの威圧感と違って本物の圧がある。肉に無駄がなく、実に機能的に鍛えられていた。

 がらんとした道場を見回して、ふと皆久は、微かに、ハエの羽音程度な極々小さな違和感を五感から得た。

 そんな瑣末なことは、強張った講師の視線で後ろに行く。

「座れ」

「いや、お断りします」

 近くに寄るが、間合いは遠く保つ。帯刀した相手を前に座して待つ馬鹿はいない。柳講師の反りの入った刀は、さぞかし速く飛ぶだろう。

「俺が、尋ねたいことは理解しているな?」

「それなりに、まあ」

「貴様が、龍神町に敗けたことは事実に相違ないか?」

「逃れようもなく事実で」

「腑抜けた顔でッ! 息を吐くなッッ!」

 激昂が響く。片手が柄を握っていた。声の大きさに皆久は倒れそうになった。

「俺に煩わせるか? 潔く己で始末つけろ」

「つまり何を?」

 答えはわかっていたが皆久は問う。短刀が畳を滑って皆久の爪先に当たった。

「腹を切れ、兄弟子の縁だ。介錯はしてやる」

 予想通りの答え。流石、信条が五世紀前から止まっている人間だ。自分もその一端だが、何故だか遠く感じる。

「時代錯誤ですよ。二十一世紀にもなって」

「これ以上、師の名を汚す気か? あれは最後の選択であった。貴様は失敗できぬことを違ったのだ。我らの矜持を汚すことなく。そうあるように、逝け」

「う~ん」

 こいつは参ったと皆久は頬を掻く。だいたい、矜持とやらがしっかり血肉に流れているなら、とっくに自害している。それができず、尚且つ返す術や代わる信条がないから悶々としているのだ。比良坂と自殺するならまだしも、と変な気持ちがあるのは彼女の魔力に中てられたせいだ。

 ともあれ、

「じゃあ、殺ってみろよ」

 素直に言葉を吐く。

「今、何といった?」

 兄弟子の顔は怒りから一瞬驚きに変わり、すぐまた怒りに染まる。そんな瑣末なことなど捨て置き、皆久は口を開く。

「僕は確かに、り、龍神町に………………」

 改めて認めると胃が痛む。

「事実逃れることなく完璧に確実に絶対的に敗れたが、それでも、あんたらの五人や十人が、束でかかって来ても敗けるつもりはない」

 それが、皆久の精神の角っこにちょっとだけ残っていた矜持。

 殺りに来るのは勝手だが、角の折れたカブトムシなりに抵抗はするぞ、という意思表示。

「そうか………そうかッ!」

 臨界に達した兄弟子は不敵に笑みを浮かべて、中腰になった。寄らば斬るという構え。すり足で必殺の間合いを皆久に近づけて来る。背を向けて逃げれば、恐らく体ごと飛んでくるだろう。退く術はない。構えさせたら、潜るか折るしかない。そういう技術だ。

「?」

 皆久は片眉をしかめる。兄弟子に火を点けて、違和感が濃くなる。同門で殺し合いなど日常茶飯事なので気にしない。いや、それは見当違い。

 焦点をぼかし視界全体を収め原因を掴む。兄弟子の影が、不可思議なほど濃かった。


「はーい、そこまで」


 そこに第三者の声。

 同時に、兄弟子の足元に黒い穴。ぱかり、そんな擬音が似合うように姿が消える。如何な術か、人ひとりがするりと消えた。選手交代とその穴から別の人物が這い出てくる。

 シルクハットに燕尾服、下半身はレオタード。すらりとしたおみ足には網タイツと黒のハイヒール。手品師というか、マジシャンというべきか、そんな服装の女。長身で胸が豊か、プロポーションに文句はつけられない。幼稚なツインテールと固定したままの笑顔が、随分若く見せている。美人だ、それ以上以外の言葉が浮かばない。しかしどこか味気ない、無個性な、作為的な造形だ。

 パチパチ、と。

 皆久は無感動で拍手をした。

 少し前の彼なら、この異常さに気付いて何かしら動きを見せた。精神がふやけた今では、ただ混乱する一般人と同じ。

 女はよく通る声を響かせる。

 それだけで、致命に匹敵する。

「ただ今ごらん頂いたのは、死者が生者の如く語らい動く、反魂の儀でござーい。もちろん、タネも仕掛けもありません。さて、お次は指を鳴らすと人体が弾け飛び散る妙技、とくとご覧あれ」

「え?」

 パチンと女の指が鳴り、皆久の体が横殴りで飛んだ。

「がっ」

 丸太で殴打されたような威力に悶絶して畳を転がる。衝撃が脊椎を痺れさせて胎児のように体が丸くなった。急な展開と痛みで皆久の思考は追いつかない。

「はれ? 失敗失敗それも愛嬌と笑っていただきたく~では、お次の妙技は首が体から浮遊する」

「ちょ、ちょっと待って」

「お客さん、演目を止めるたーこんな野暮なことですよ」

 タイムタイムと皆久は挙手した。苦い液体を口から吐き出して、必死に言葉を作る。

「全てが急で、色々説明を求める」

「いやはや、人生の降幕なんざぁそんなものです。お客さんは血脇さん所の皆久さんですよね? なら、付け狙われる訳は一つで惚ける暇はないはずだ」

「ま、待ってくれ、確かに恨まれることは多々してきた。でも僕は、戦う意志がない奴は捨て置いたし、後腐れが残るような、うっ」

 胃液が再び口を汚す。涙と鼻水が出た。人間、最後は綺麗にいかないものだ。

「当座の仇敵、龍神町から預かった物を渡して頂きたく。当座が売り出しているのは芸と愛嬌のみでござーい」

「は?」

 全く、心から、欠片すら、理解できない。龍神町から預かる? 自分が何を? 何か重大な順序が抜けているのでは?

「ふふーむ。惚けて時間稼ぎですか。あなた方は古臭くとも潔いかと思いましたが、美しくないです。では今度こそ、パッと花火のように散る妙技をごらんあれ」

「ちょ、ま!」

 パチン、と指が鳴ろうとして、

 何か赤い筒状の物が、皆久と女の間に飛んできた。

 消火器? 乾いた音と重なり、それにコイン状の穴が開く。衝撃と共に視界が白く塗り潰される。

「けほ、けほっ、ふむ、これはいけません。衣装が汚れてしまう。演目の続きはまた後日。こう、ご期待を」

「で、できれば二度と会いたくない」

「ふふ、次は度肝を抉りとる妙技でモツから脳まで引き摺り出しましょう」

 白煙の向こう側から、女の気配が消える。煙が散った後には兄弟子の居合い刀がぽつんと置かれていた。

 皆久の背後から現れたのは、硝煙の匂いがする太刀川だった。彼は銀色の何かを背に隠したが、見なかったことにする。

「あー、邪魔したか?」

「い、いあ」

 後、数瞬割って入るのが遅かったら、自分の怒涛の反撃が開始されて、あの得体の知れないマジシャン女を裸体にして、ポールダンスをさせていた所だ。と、皆久は太刀川にいった。ただ、あまりにも声がか細くて誰の耳にも届かなかった。

 太刀川から見た光景は、皆久は細かく震えてブツブツ呟き吐血して気絶。

 以上だ。



 ▼



 保健室のベッドから眺める夕焼けは格別だ。

 黄昏に染まる世界は、人類の滅びそのものだ。ああ、何と美しいことか。文明の造り出した建造物は植物に絡め砕かれ、人々は塩となる。滅びは平等だ。貧富の差や国家、宗教の垣根すら包み込む。人が消えた後の星はひたすら青く緑に茂り、そして最後は何もかも、全ての生物が砂と散るのだ。

 皆久は余命一時間、といった重病者の人相で窓から外を見ている。

「血脇くん、良い塩梅」

 保健室の隅で比良坂はグッと拳を作った。彼女は皆久に近寄らないよう、太刀川に角に追い払われた。というか、彼女は端っこが好きらしく。少し嬉しそうに生息している。

「まあ、何だ」

 遠い目をした皆久に太刀川は語りかける。保険医の手で採血ついでに治療は完了している。軽傷らしい。龍神町とやりあった後も、そこそこの重傷で済んでいた。鍛え方が尋常ではないのだろう。ただ、精神的なものは砂城のようだが。

「心臓を刺された後、内臓を刺されたようなもんだ。気にするなよ」

「僕は、つい最近まで自分が世界で一番とはいわずとも、時と場、条件さえそろえば相当強いほうだと自覚して確信していた。だってさ、そういう風に育てられ鍛えられてきたから自信持つのも仕方ないじゃないか」

「まあ確かに、自信がなければ育ちはしないな」

「そりゃ闇試合とはいえ結構な人数を地獄に落としたさ。成果があるのだから、うぬぼれたっていいじゃないか、人間だもの」

「人の道からは、大分外れているぞ」

「傷が治る前に、同じ傷を抉られるとは思わなかった」

「そこだけは同情する」

 ばつの悪そうに、太刀川が顔をしかめる。前はいざ知らずだが、今回の皆久の負け分は太刀川に少しだけ原因があった。

「実は、いや、話しを聞かずさっさといなくなった血脇にも原因があるのだが。龍神町から言付かっていることがある」

「あ?」

 龍神町の名に一瞬、ちょっと前のギラギラしていた血脇皆久になった。しかし穴の開いた風船のように気概が萎む。上半身が力なく折れて伏せた。

「血脇くん、死を待つ老犬みたい」

 比良坂がときめいた顔で皆久を見ていた。

「これな」

 太刀川は封筒サイズのプレートを取り出し、皆久に手渡した。

「これで首の動脈を」

「そんなわけあるか」

 皆久の自殺願望を一蹴して太刀川は続ける。

「再戦切符だとよ」

「ん?」

 再戦切符という言葉をよく飲み込めず皆久は、手にしたプレートを耳に寄せて振る。小さな物が擦れる音。プレート内部はわずかに空洞で、そこに何かが納まっているようだ。

「ん?」

 物分りの悪い皆久に太刀川がいう。

「それを奪われず、龍神町が帰還するまで保管できたら、お前と再戦してやるってよ」

「………………」

 沈黙と逡巡。皆久は、再戦という可能性があることに気付かされた。敗北=死という皆久の価値観の中で、再戦というのは完全に盲点だった。そう、何故生きているのかと迷うのではなく。何故、殺さなかったのかと死に際の龍神町に後悔させてやるのだ。

「ふ、ふ、ふ」

「急に笑い方がドス黒くなった」

「もう一度、もう一度、あいつと、あいつの、心臓を、目を、足を手を肋骨をアバラを砕き骨という骨を引き抜き耳鼻頬を削いで、生きたいと懇願するあいつを徹底的に嬲り、死を懇願してもそれを叶わせず、千の責めの後、次は万の絶望があるのだろうと囁いて、ふ、く、クックックックッ」

「血脇くんが眩しい」

 比良坂が羨望の眼差しで皆久を見ていた。恋焦がれる乙女の顔だ。対象がアレであるが。

 嬉しそうな皆久を見て、太刀川が続ける。

「で、そのプレートだが。中には色んな組織や結社を崩す情報、密教に狂信教の秘法、秘本、極意、影で名だたる人外異能の弱点、殺害法、エトセトラエトセトラ、が詰まっている。さっきのお姉ちゃんもそれを狙ってきたのかと。いや、すまんな。俺のせいで混乱させただろう。“そういう”ことだ」

「………………」

 皆久の顔が暗い笑顔のまま固まる。率直な疑問が口から絞り出た。

「何で、そんなもんが、ここに?」

「龍神町が趣味で集めた。あいつ他人の秘密とか大好きでさ、ちょっと悪い方向に進み過ぎたというか、危険な情報を集め過ぎたと気付いた時には、手遅れで。あちらさん方にも勘付かれた」

「ま、待て! さっきの女! 僕を名指しで襲ってきたよな! それはつまり! どういうことだ!?」

「関係各所にお前が情報持ってるぞって、宣伝したからな」

 そういうことだった。

「関係各所って何処だよ!」

「ほぼ全域に広まってるはずだ。つーか、関係ない連中も来るんじゃないのか? ほら有益な物だし」

「そりゃ、有益かもしれませんがねぇ僕には有害以外の何物でもないだろうぉ」

 皆久が半泣きになっていた。その姿を比良坂のケータイがパシャリと撮る。

「まー大変だろうが頑張れ」

「ふざけんな! あいつは人を何だと思ってる!」

「徹底的に嬲るとかいっていた奴が何をいう」

「僕がする分は何の問題もないだろうがぁ」

 皆久は情けない顔で最低なことをいった。そんな奴でも、この先地獄のフルコースが、テイクアウトで待ち構えているのだ、太刀川は少し気の毒になってきた。このままだと、明日のお悔やみ覧で血脇の名を見そうで。

「しかし、お前だってこの施設に入れられてるってことは、それなりのもんだろ?」

「あのさ、僕は軽度の観察対象。しかもいや、今となってはどうでもいいけど。外出禁止のお前とか、他の連中みたいな人間超えたり止めたりしてる奴と同じにしないでくれ! それに得意なのは人の壊し方! 人外魔物は別! 餅は餅屋だ! さっきの女は門外漢も良い所だ! エクソシストかイタコ呼んで来いよ!」

「イタコでどーすんだよ。あーもしかして、苦手意識がついたか?」

「違う。できるなら、僕の人生に二度と登場して欲しくないだけだ」

 皆久は軽く震えていた。人間、理解できないモノには弱い。

「血脇よ、例えばだぞ? プレート目的の連中からひたすら『逃げる』を連射して、運良く上手くいったとしよう。今のままのお前で、龍神町に勝てるか?」

 ………、と皆久は思案して肩をすくめる。

「いや、ほら、前回は僕も真の力が出せなかったというか、あれが僕の全てではない、かと」

「五時間も踏み躙られ続けて、まだ出し惜しみがあったのか」

「全力全開、奥義の底まで使い果たしました………」

 死んだ魚の目になる。傷が何一つ塞がっていない。このままだと精神が失血死しそうだ。

「で、勝てるのか?」

「………………勝算が、一つもないです」

「だよな」

「闇試合無敗(笑)」

「自慢が悲しく響いてるぞ」

「zz,zzzzz」

 比良坂は寝ていた。握ったケータイの待ち受けが半泣きの皆久なのは彼が知る所ではない。

 皆久はぐったりうんざりと呟いた。

「とりあえず、逃げ続けるよ。身体能力はそこそこ、いや、中の下くらいはあるんだ。あの女の気配は覚えたし、ミクロでも感じたら全力疾走する。他の連中は、しゃくだけど講師に頼る。腕はともかく数と火器があるんだ。どうにかなるのでは? 少なくとも僕みたいなカビの生えた者より役に立つ、それから」

 皆久は、絶望的な勘違いをしていた。

 この施設の古株である太刀川がそれを正す。

「ここは観察施設な。そもそも講師連中は、俺たちを守る為にいるんじゃない。万が一の際、俺たちを処分する為にいるんだ。一応、私設部隊はあるが、その本隊は龍神町と遠征中」

「人を! 人を一体何だと思っていやがる!?」

 悔しさに皆久は壁を叩く。

「ここだけ聞くとお前が至極まともな人間に見えるな。つーかな、外からの侵入はザルだぞ、ここ。他の生徒のことだってある。触らぬ神に祟りなしってな。悪いことはいわない。施設でた方が安全だ」

「アパートに引き篭もります。春が来てほとぼりが冷めたら電話ください」

「そりゃまた精神に悪そうな」

 太刀川は、どうしたものかと腕を組む。一応、プランはあるがそれを伝えた所で今の血脇がやる気を出すとは思えない。血脇の憂鬱な顔を見ると、何をしても失敗しそうだ。

 そんな絶望を、更に濃くする曲が太刀川のケータイから流れる。チゴイネルワイゼンだ。比良坂がぱちりと目を覚ます。

「ちょっと失礼」

 皆久に詫びて太刀川はケータイに出る。

 念の為にと、手を回した人間からの報告だった。

「ああ、うん。そうか、どうもご苦労。もう必要ない。引き上げていいよ」

 報告は確実で簡潔。太刀川は気遣いの意味で報告を戸惑うが、何れ解ることだしいっておいたほうが得だろうと口を開いた。

「血脇、その落ち込まないで聞いてくれ」

「僕は絶望の底辺にいる。これ以上、何を恐れることがあろう」

「お前のアパート、燃えているってさ」

 皆久は、何かを通り越して無表情になった。

「僕は今、世界に『死ね』といわれた気がした」

「すまん俺もそんな気がしてきた」

 比良坂がキラキラした瞳で皆久を見ていた。ふたり手を繋いで投身自殺しそうだ。

 駄目元で、太刀川は説得することにした。

「血脇よ、お前が龍神町に勝てない理由は何だと思う?」

「………………運?」

「五時間も嬲られて運とぬかすか」

「細胞、遺伝子、存在に至る全てが敗因です」

「そこまで認めろとはいわないが、問題は経験だ。お前、古流の闇試合で相当強かったんだ。学習能力は高いってこった。しかしそれは、ギリで人の常識内。次は常識の外での経験を積め。運が良いことに相手は沢山、しかも向こうから進んで来る。俺に任せてくれ、フルコースを用意してやる。全部平らげろ。メインディッシュは愛しの龍神町だ」

 応、と返事をするほど皆久に元気はない。二回の敗北は体と心を重くしている。あー、と力なく口が開いた。

「太刀川………目的は何だ」

 当然の疑問。皆久と太刀川はさして親しくない。今日の会話だけで、ここ一年分以上話している。

「実はな、龍神町は妹の仇だ」

「嘘を吐くな」

「俺はお前の父だ」

「………………死ね」

「俺たち友達だろ?」

「気持ち悪い」

「楽しいからだ」

「ん?」

 太刀川は真っ直ぐな目で皆久を見る。瞳は、混じりけのない好奇心に輝いていた。昼休みの小学生みたいな、旅行前日の準備中みたいな。

「龍神町は強い。まあ、戦闘能力もそうだが器がな。来る者、何人も拒まずさ。大抵の野郎は負けたら尻尾を振る。擦り寄る。あいつと同じ色になろうとする。俺は何百とそういうのを見てきた。

 で、飽きた。

 いくら綺麗でも向日葵ばかりじゃつまらん。一つや、二つ、ドス黒く禍々しい花がないと彩りのバランスがな。

 あれだけ徹底的に負けたのに、お前には取り込まれようって意志は欠片もない。だから、是非。再戦して欲しいのさ。あいつを倒せる唯一になるかも知れない。届かなくとも、あいつの色を変える切っ掛けになるかも知れない」

「ふ~ん………………………………」

 皆久は、白けた目を太刀川に向ける。

 うさんくさい。欠片も信用できない。これ絶対騙されている。

 だが、

だが、開いた手が力強く拳を作った。心は折れたが、五体満足だ。呼吸して駆けるくらいはできる。

 小さな自信でも積めば新しいものになるか。それは果たして届くのか。

「太刀川の都合なんざ、僕にとってはどうでもよい」

 でも、と。

 小さく呟く。

 どうせ他にやれることなどないからさ、と皆久は自嘲気味に笑い、続ける。

「乗ってやる。少しだけ燃えてきた」

「ま、お前のアパートは全焼だがな」

「………………」



 ▽



 マンションの三階。

 ふたりの姉妹が住みかにしている3LDKの一室。

 その昔、ここには姉妹と三人の他人が家族として暮らしていたが、今はいない。

 去年も昨日もこなしたように、今日もただ今も、比良坂月下<ヒラサカ・ゲッカ>は夕飯の支度をしていた。点数にして八十点くらい料理が完成し、テーブルに並べられる。

 ひとり分の慎ましい夕飯にふたり分の栄養。血肉になり明日への糧。

 月下はエプロンを椅子にかけて先に座る。

 後五秒で妹が玄関を開ける。外れない彼女の第六感がそう告げていた。

 足音、

 鍵が上がる、

 扉が開く音、

 ただいま~と、か細い声。

 妹が帰宅。

 見慣れた憂鬱な顔。姉妹の部品は大体同じだが、髪形と表情がふたりを完全に別者としている。

「う?」

 月下は妹の様子に首をかしげた。あーうー、と何かを口ごもっている。ははん、とすぐ勘付く。大切な妹のことだ。何でもお見通しである。

「夜ちゃん、また瀕死の猫拾ってきた?」

「う、ううん。違う」

「も~仕方ないな。小型犬ならいいけど、あんまり大きいのは大家さんにバレちゃうから」

「犬より、大きい」

 月下の脳裏に犬より大きな生き物一覧が浮かぶ。その中で妹が拾ってこれそうなのは、ペンギン、アリクイ、ゴマアザラシ、熊は無理だろうが餌で釣れば不可能でもないか。まあ、今までの経験上、どれも三日持たず冷たくなるのだから。

「まあ~連れてきなさい」

「う、うん」

 玄関に戻って、妹がいいよ~と何かを招きいれる。

 妹が連れてきたのは、人間の男だった。

「捨ててきなさい」



 ▼



 血脇皆久は、比良坂姉妹のマンションで夕飯を馳走になっていた。正確にはマンションのベランダで。

 メニューはタマネギとブロッコリーのサラダ。

 急の来客に中々豪勢なものを出す。

 ガラス戸の向こうでは、比良坂(妹)が比良坂(姉)を説得している。宿泊の交渉は、上手くいっているようには見えない。

 妹は正座させられ半泣き、仁王立ちの姉は早口で責め立てている。

 比良坂(姉)は、妹と造形や骨格はほぼ同じだ。

 ただ、前髪が長くて表情に覇気がある。キリっと吊り上った目は意志強く、ピンっと伸びた姿勢は、どんな困難でも正面から受けて立つ、威風堂々とした雰囲気。それと胸の肉付きが妹より素晴らしい。

 ヤらしい視線がバレて、カーテンを閉められた。

 お説教再開。

 幾らクラスメイトとはいえ、いや、あんな施設のクラスメイトだからこそ。皆久のような奴を家に置きたくないのだろう。皆久も立場が逆なら断っている。

「ううむ」

 わからん。

 理解できん。

 考えても、一片すら理由がわからない。

 比良坂(妹)の目的は何だろう? ………………と、それなりに考えては見たものの、面倒になり、すぐ思考停止した。よくわからないものは、どうでもよいものだ。井戸のような暗くて狭い場所で育った彼に、同情善意好意といったものを理解しろというのが無理な話し。

 獲物と教えられれば喰らいつき、殺めるのみ。

 そんなケダモノの理を、皆久は取り戻しつつある。そして胃が満たされた今、実に獣らしく眠気にも襲われた。

 スポーツバッグを枕にして体を横にする。比良坂(姉)の説教は子守唄に丁度よい。夜気は冷たい。でも死ぬほどではない。

 無用心な場所だが、ベランダの柵は外から死角になっているし、開けた場所で風を聞いていると感覚がどこまでも広がる気がした。

 意識が夜に溶けるような心地。

 全ては明日から。

 再起を誓い。

 再燃した小さな炎を胸に。

 皆久は、深い眠りに落ちた。


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