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千年物語

「ま、俺が行くしか無いだろ」


暖炉の穏やかな火に照らされた男の目が、ゆっくりと閉じられた。小さく一つだけ頷くと、隣に座った男に笑いかける。


「それでいいな、ロウ」


問いかけられた男は、ただまっすぐに炎の色を見ている。時折ゆらめく影にふちどられた横顔は、万人が認めるであろう秀麗なものだった。


「そんな……。なんであなたなんですかっ!」


こじんまりとした部屋の、暖炉を囲む二人の後ろに立つもう一人の青年が声を荒らげた。激しく身振りをして、ロウと呼ばれた男に詰め寄る。


「勇者様! ガルム様をお引き止めください! こんなの間違っています!!」


「イズカ。お前のその気持ちは素直に嬉しい。だが分かってくれ」


あくまで穏やかに語りかけるガルムに、駄々をこねる子供のようにイズカが首を振る。こちらもまた美麗な横顔の青年だったが、耳には妖精の証があった。


「悪鬼の王を封印した者たちのうち、生き残ったのは俺たちを含め6人。賢者イーディスと魔女オリヴィアとは連絡がつかないし、聖女フィファナは永き眠りについたままだ」


ガルムの眼が懐かしむように細められる。


「弱まった封印を強固にするためには、あの場にいた者のうち人間の血で贖わねばならない。お前は妖精の血が混じっているからダメだ。となれば残りは俺かロウ。ならば俺が行くしかあるまい」


「くっ……。これほど己の生まれを呪ったことはありません……っ!!」


悔し涙を流し、唇を噛んで血を流すイズカ。若いエルフにとって、ガルムというのは血を分けた兄か、それ以上の存在だった。


「勇者様! お願いです! 何か他に策を!」


「……無理だ」


それまで伏し黙っていたロウが、火を見つめたままつぶやいた。ガルムは椅子に深く腰掛けて長く息をつく。


「奴を再封印するにはこれしかない。そしてこれさえ上手くいけば、今後千年の間悪鬼どもの影に怯える必要は無くなる……」


「ですが!!」


「くどいぞ、イズカ。わきまえろ」


「くっ……」


怒りと悲しみに満ちたうめきを呑んで、イズカは崩れ落ちた。勇者の一言には、それだけの力があった。


「…………。まあ、いつも通りだよなあ」


何がおかしいのか笑みをにじませながら、ガルムが言う。ロウは頬杖をついて横目で親友を見た。


「なんだかんだ言って、やっぱり俺がいなきゃな。悪鬼の王と戦った時も、ついてって正解だったぜ」


「正直言って、なんの役にも立ってなかったけどな」


「だからこうして今役に立ってんだろ?」


聞きようによってはガルムを馬鹿にしているようなロウの言葉だったが、その声はわずかな震えを含んでいた。応えるガルムの声も、それを分かっているのか穏やかなままだ。


「なんで、いつもあなたなんですか……」


涙をボロボロとこぼしながら、年若いエルフが床に拳を打ち付ける。


「神アーシェクよっ! 何故ガルム様にだけいつもこのような仕打ちをなさるのですかっ!!」


「そりゃお前、神様は美形がお好きだからだよ、ククッ」


「そんな……。あなたはこれから好きなだけ幸せになれるはずなのに……っ」


苦笑いするガルムの容姿は、確かに他の二人に比べて劣っていた。造りが荒く、さらにいくつもの醜い傷が顔を縦横に走っている。


「アーシェクが女神じゃなければ、不細工にも寛容だったかもしれないな」


「違いない」


笑いあった勇者と剣士は、いつものように杯を交わした。ガルムは火酒、ロウは果実酒だ。一気に煽ったガルムが、ゆっくりと舐めているロウをしげしげと見つめた。


「俺がお前に勝てたのはこれだけだったかもなあ」


「酒か……? たしかにな」


「もっと呑めるようにしといた方がいいぞ」


笑ったガルムが立ち上がる。


「これからの祝の席で、勇者が下戸じゃ場がしらけるからな」


まるでいつもの何でもない別れのように、後ろ手に手を振ったガルムが踵を返す。ロウはそれを見送ることもなく、自分のカップに視線を落としていた。


「せめて、見届けさせてください」


そう言ったイズカを連れてガルムが出て行くと、部屋には薪の爆ぜる小さな音だけが残った。


ロウはいつの間にか飲み干していた果実酒の杯を置くと、主のいなくなった椅子に視線をやった。


この椅子が使われることはもう二度とないだろう。


自分が腰掛けているこの椅子と、ガルムのそれ。セットで売っていたこれを彼に送ったのはロウだった。


『これがお前の家にあれば、遊びに行った時俺が座れるだろ?』


茶化して言った言葉には裏面があった。新居には古いがいい暖炉があったはずだ。この二つの椅子を並べて、夫婦二人で座れば寒い冬も楽しいだろう。


長い試練の果てに結ばれた、初々しい一組のカップルへの贈り物のはずだった。


ロウのさまよう視線は、かざられた一枚の写真へと注がれる。


小奇麗なフレームにおさまった写真。あの男はこんないい趣味はしていないから、きっと新妻が選んだのだろう。照れくさそうにそっぽを向いた偉丈夫の手を、背は小さくとも目一杯の笑顔を浮かべた少女が握っている。


見ているものを、自然と笑顔にしてしまうような。そんな写真だった。


これを撮ったのはイズカだったはずだ。自分もその場にいた。悪鬼の王を倒した後、皆で世話になった人々に挨拶に行ったとき、途中で見つけた森で撮った。ガルムは写真が苦手だったから、おそらく残っているのはこの一枚だろう。


ロウはゆっくりと立ち上がると、写真を手にとった。しばらく見つめた後、それをフレームごと火に投げ込む。


結婚の報告をしに、単身国元へ帰っていた新妻に説明するのは自分の役目だろう。今頃は船でこちらに向かっているはずだ。自分を待ってくれている愛しい人の元へ、早く戻ろうと。


彼女は一体どうなってしまうのだろうか。後を追おうとするのだろうか。彼を行かせた俺を恨むだろうか。


それでも俺は、彼女を、人々を守って生きていかなければならない。何故なら俺は、勇者だからだ。


メラメラと燃え上がり、小さな黒い煙となって消えていく写真をみながら、ロウはぽつりとつぶやいた。


「アーシェクよ。もしこんな俺に来世があるのなら、俺は絶対、悪鬼の王になってやる。そんであんたの首を落としてやるよ」


ロウをあざ笑うかのように、アーシェクの象徴である火はその身を躍らせて激しく燃え上がるのだった。


★ ★ ★


次第に薄れていく視界の中で、イズカが叫び声を上げている。


もう足が動かない。


この封印は、ガルム自身を石と化してその生命力を封印の力とするらしい。


次に目が覚めるのは千年後。途方も無い時間だ。


足の次は腰が動かなくなった。どんな格好で固まろうか決めていなかったが、このまま仁王立ちでいいか。『カッコいいです!』とリリアが褒めてくれるだろう。


剣でも持っておくか、と愛用の片手剣を天に向ける。ちょうど、手も動かなくなった。


もう、イズカの声も遠くにしか聞こえない。


それにしても、千年か。


『ホントにガルム様はお寝坊さんですね』とリリアに笑われてしまう。


自分の背丈の半分しかない、小さく、か弱い少女だ。


勇者付きの侍女として知り合った頃は、一方的に怯えられて困ったものだった。


それでも、長い旅の中で少しずつお互いの距離を縮めていった。


告白は自分からだった。


彼女の返答も忘れることはないだろう。


視界が白く濁る。


きっと千年経っても。


この想いがある限り。


俺は俺でいられるだろう。


愛してる、リリア。


★ ★ ★


「本当にいいのか?」


「何がですか?」


「ほら、その、俺はロウやイズカと違って不細工だろう? お前が無理してるんじゃな「そんなことありません!!」お、おう……?」


「確かに、ガルム様のお顔はロウ様やイズカ様とは違います。正直に言って、女の子にモテるような顔ではありません」


「そう、だな」


「ですが! ……ですが、私はあなたのお顔も愛しています。その猛く優しいお心も、非才の身でありながら、ロウ様たちに並ぼうと努力を怠らないその魂も」


私は、


「あなた様のすべてを愛しています。お慕い申し上げております、私の勇者様」


きっと、


「この想いは千年の年月が流れても変わりません」


★ ★ ★


気が付くと、身体が少し動いたような気がした。


頭にかかっていたモヤが少しずつ晴れていくように。視界も戻ってくる。


眠りが終わったということだろうか。


もう千年経ったのか。そういえばここから見える景色もずいぶんと違っている。


「あっけないもんだったな」


自分の封印が終わったということは、また世の中に悪鬼があふれるということだ。だがすぐにというわけではないだろう。とりあえず、王にそのことを伝えねば。


あの頃と王朝が変わってなければいいが、と思いながら封印の間を出ると、扉を開けたところに人がいた。


真ん丸に開かれた眼と眼が合う。供え物らしきカゴを持った少女は、そのまま尻もちをついた。


「が、ガルム様……?」


「ああ、話が伝わってるのか」


褐色の肌は見慣れない。千年前は東方の一部族だけのものだったはずだ。


「お目覚めになったのですね……っ!!」


感極まったような少女が、手を複雑に組んで祈りを捧げる。


「神アーシェク! 感謝します! リリア姫の大願が叶いました!!」


「リリア……姫?」


ガルムが聞きなれない単語に首をひねると、はっとしたように息を飲んだ少女が一転して暗い表情になる。


「ガルム様には、お辛いことかもしれません。あなた様の婚約者であったリリア様は、あなた様の事情を知ったのちに、東方の少国家であったロズマリアの王子と結婚なさったのです」


「…………そうか」


思いの外、ショックは受けなかった。リリアには幸せになって欲しかったし、王族の仲間入りを果たしたのなら、きっと幸福な人生を歩んだのだろう。


「ははっ、リリア姫か。あのお転婆が姫様とはな」


「そして!!」


暗かった表情の娘が、また顔を希望に輝かせた。どこか見覚えがある。このコロコロとよく変わる表情といい、人懐っこい笑顔といい。


「まさか」


「彼女の血を受け継いだ女子は、必ず巫女としてあなた様の霊廟に仕えて参りました。私は今代の巫女イリス。間違いなく、リリア様の血を継いだものです!」


「そうか、お前が……」


銀の髪を青みがかった黒に、褐色の肌を白くすれば、リリアになるだろう。それぐらい、よく似ていた。


「まさか私があなた様にこのお言葉を伝えることになるとは……っ!」


「言葉?」


「はい! 巫女の間にだけ伝わる、リリア様の愛のお言葉です!」


「ぶっ!」


リリアの奴……。


「内容が内容だけに、王族でもこの言葉は知ることができません。ただ巫女だけが受け継いできた言葉です」


今こそ、お伝えします。


「『千年の年月が流れても』」


褐色の娘の向こう側に、いたずらっぽく微笑む、愛しい少女の姿を見た。


「『私はあなたを、愛しています。ね、言った通りでしょう?』」


「ははっ」


まったく。


「お前の勝ちだよ、リリア」


お前には敵わない。


★ ★ ★


こうして一つの物語が終わり、また次の物語が紡がれていく。


長い封印の間に魔力を失ったガルムは、さらに厳しい条件の中で復活した悪鬼に果敢に挑んでいく。


その隣に、彼と口喧嘩をしながらも、ともに最後まで戦った巫女がいた。


いくつもの試練と葛藤を乗り越えた彼らは――。


でもそれは、別の物語。


きっとまた、千年の年月を超えた愛の物語。

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