第十三話。青く光る爪
暗闇の中で智魅は手袋をはずす。其の爪は優しく過去を照らす。
智魅は芹香に協力を求める。浚われた娘達の救出。その中には智魅の友もいた。
「とりあえず脱出しましょう」
智魅はそうセリカ(芹香)に伝えるが、二人とも真っ暗闇の中、縄で強く縛られ、袋に詰められている。
「場所はわかる? 芹香? 」「北緯●度 東経×度」
「じゃ、●●市かな? 」「▲▲町だ」「よく出来ました」
芹香の表情が不愉快そうに歪む。
「『眷属』ごときが調子に乗るな」「くす。わかりました」
芹香のその氷のような表情が一瞬で柔らかく、やさしいものに戻る。
「……? あれ? 私何かいいましたか? 」
不思議そうに喋るセリカ(芹香)に智魅は「何も聞いていないけど? 」とだけ答えた。
二人はズタズタになったロープと袋を踏みつけながら歩き出す。
「『影使い』かぁ」「??? 」「なんでもない」
『影使い』は闇の中では無敵の力を発揮する。
「つっ?! 」セリカ(芹香)が転んだのではなく智魅が転んだ。
「大丈夫ですか? 智魅さん」セリカ(芹香)はどんな暗闇でも目が見える。
『光の無いところでは人間は動かずおびえるのが普通だ』とは思っているが。
「うーん。目が見えないってツライなぁ」「智魅さん! 目を怪我なされたのですか?! 」
悲痛な声を上げるセリカ(芹香)に「あ。大丈夫だから」といいながら頭を軽く掻く。
そして。
智魅はいつもつけている白くて薄い布手袋を躊躇いがちに口元に運ぶ。
闇の中では確認できないが綺麗な形の小さな唇が手袋の指先を咥えて。
すっと智魅の白い手が闇の中に青く浮かび上がる。
「はぁ……これは人には見せたくなかったんだけど」
イヤそうに悪態をつきながら『光る青き爪』で周囲を照らす智魅。
「倉庫っぽいかなぁ……セリカ(芹香)ちゃん。こっち」
「智魅さん」「ん? 」「爪」「ああ」
セリカ(芹香)が驚くのも無理はない。
綺麗に形の整った、少し柔らかい桃色の智魅の爪は、淡く、それでいてもの悲しい光を放っている。
其の光は淡いのに周囲の全てを照らすのに充分。不思議な光だ。
「『光る爪』だけど? 」「きれいです。智魅さん」
「やめてよ」そういって右手の『光る爪』を左の腋に瞬時に隠して。
舌打ちしてまた右手をだす。智魅は『眷属』とは言え所詮人間。暗闇では視覚が使えない。
「この爪はねぇ。セリカ(芹香)ちゃんのお母さんの乳を飲んだ代償よ」
「……」セリカ(芹香)は何も言えない。『母』の記憶は彼女にはない。
「優しく抱いてもらって。甘くて、『美味しくて』、夢中で飲んじゃったなぁ」
「……」勿論、母の乳の味も、その腕の温もりも覚えていない。
「で。私たちは『眷属』になっちゃった」
「『眷属』ってなんですか? 」「セリカ(芹香)ちゃんを守る。姉妹……かなぁ」
守られている気がしない。
「簡単に言うと『魔力持ち』」「魔導士?! 」
魔導士とは。遺伝子特性上本来人間が直接使えない『魔力』を『杖』で補完して行使するある種の生物兵器である。
「はぐれ魔導士はすべて捕らえられると」「……だから隠しているじゃない」
はぐれ魔導士もまた、存在自体が悪とされている。
セリカ(芹香)が非難めいた言葉遣いになっていても智魅には叱る気がしない。
いや、自らを『眷属』にした女の娘なのだからいくらでも言うことはあるのだが。
「と、いっても私のはショボイけど。なんせ爪が青く淡く周囲を照らすだけよ? 」
そんな『チカラ』で捕らえられたくは無いわね。と続ける智魅。
「姉さんのは『疑いの瞳』。魔力や『チカラ』を否定できる能力ね」
それは、セリカ(芹香)も見たことがある。
それでも、『魔法』が使えるのは智魅だけらしい。
「適恵さんは?! 」
普段は明るい智魅の表情が苦虫を噛み潰したようになる。
「……ごめん。なさい」
深く頭を下げるセリカ(芹香)。頭から鬘が取れかける。
その様子に苦笑いし、セリカ(芹香)の鬘と眼鏡をつけなおして微笑む智魅。
「ううん。セリカ(芹香)ちゃんに何かいう気はないわ」
きっと、運命だったのよ。そう続ける智魅。
「適恵は。『普通の』人間」智魅は呟く。
「私と、姉さんは試験管の中で産まれたの」「え? 」
この世界、人間を『作る』ことはそれほど忌避されているわけではない。
真由美は当時最高の技術で『作られた』。智魅は。
「私は、遺伝子上は完全に人間かな」
『優良』とされる遺伝子を選定されてはいるが。
「姉さんは。その。ちょっと『人間』とは」
「真由美さんは素敵な方ですよ」「判ってる。自分の姉だもん」
「だから、私が支えてあげないと」
気が強いように見えて誰より寂しがりで、自分の恋心にも素直になれない姉。
押しが弱くて損ばかりしているけど優しい自慢の妹。
「適恵はねぇ。どうしてもお父さん、自分の子供が欲しかったんでしょうねぇ」でも産まれなかった。
「姉さんが『出来て』、私が『生まれて』。あんな事件があって。セリカ(芹香)ちゃんと出会って。
それから適恵は『普通に出来ちゃった』のよねぇ」
「だから、あの子は、『眷属』じゃないわ」
普通の子だから、望んでも得られぬものを持つから。いとしい。そして。嫉ましい。
「私たち。生まれる必要が無かったのよ」多分、自分は特に。妹を守るだけなら、姉がいればこと足りる。
セリカ(芹香)は智魅の言っている言葉をほとんど理解することが出来なかった。
義父の施した精神処理の所為だが。
それでも。
遥姉妹の不幸の元凶は自分と自らの実の両親であることだけは。
セリカ(芹香)にはわかってしまった。
「ごめ……」「謝らないでっ! 」
「ごめん。ちょっと強く言っちゃったかなぁ♪ 」
そう、明るく笑う智魅の背中は少し震えていた。
智魅の背中はその長身に反してとても小さい。その背中にセリカ(芹香)は抱きついた。
「セリカ(芹香)ちゃん。貴女が泣く必要はないわ」
「だって」「ふふふ。おっぱい当たってるわよ♪ 」
どれほどそうしていたのか、智魅は考えたくなかった。
彼女の能力を持ってすれば時間の経過は完璧にわかる。だが、その能力が疎ましい。
「やさしい。心臓の音がする」「智魅さんも」
「怖い? 巻き込んでごめんね」
智魅はそういってセリカ(芹香)をいたわる。
瞬間。空気が凍った。
智魅は諦めたかのような笑みを浮かべて、「その娘」に苦笑いをしてみせた。
「やはり貴様。狙ったな」
智魅の首筋をキリキリと締め上げる細い指。
智魅はその指を無理やり引きはがした。
単純な筋力だけなら人間のほうが上だ。
「落ち着いて。芹香。必要なことだったのよ」
「人間の娘がどうなろうが、我らの与り知れぬ事」
「『エサ』がいなくなるのは困るわよ? 」「否定はしないが」
「だから、貴女も協力してほしいんだけど」「『眷属』に使われる『純血』はいない」
「伏してお願いします。芹香様」「よかろう」
「あ。ちょっとまって。この首の指の痕、消しておいてよ♪ 『貴女』が心配しちゃうじゃない♪ 」
『芹香』は本来『彼女』が絶対にしない嫌そうな顔を浮かべ。
「酷い『姉』だ」というと、その掌から柔らかい光を放ち、智魅の怪我を治した。
「一応、私のほうが『姉』だしねぇ♪ 」
『眷属』とはいえ、同じ乳を飲んだモノは兄弟姉妹と認識する。
「じゃ、交渉成立♪ 」「あとで覚えていろ。魂まで喰らってやる」
「『姉』のいうことは絶対です」「……」
ため息をついた『芹香』は「私は消えるぞ」と呟く。
「はい♪ おやすみなさーい♪ 」智魅はそうおどけて見せた。
……。
……。
「セリカ(芹香)ちゃん。いくわよ」「? 」
またぼうっとしていたらしい。セリカ(芹香)は自分の額を軽く小突いてみせた。
先ほどまで背中から抱きついていたはずの智魅がずっと先を歩いているのを発見したセリカ(芹香)は走って智魅に追いつこうとして。
……また転んだ。
智魅はそれを見て大笑いし、
セリカ(芹香)はやさしい笑みを見せて「助けてください。智魅様」とおどけて見せた。
……。
……。
「ここ、だと思う」「うっ」
セリカ(芹香)はその部屋の惨状に胃の中の物を全て吐いた。
なぜか扉が開く前から中が『見えた』からである。智魅がその部屋を空ける。
「やっぱり。ここ」「うええええっ」
智魅の瞳がすうと鋭く細まり、その部屋を見つめる。
「大学の行方不明者を探していたの。私」
ツカツカと歩く智魅。「柴田さん。私。遥。わかる? 」
智魅は、『友達だったソレ』に優しく声をかけた。
其の部屋の入り口には『商品倉庫』とかかれていた。
両手や両脚を切断された娘、舌を切られて先端を焼かれた娘。
歯を折られて舌を長くする妖術をかけられた娘。
精神を病み、『ご主人様。何処ですか』と虚ろに呟き続ける娘。
特殊な性的嗜好を満足させるために怪物のような姿に変えられえた娘までいる。
「トモ……み? 」
「うん。ごめんね。助けに来た」
「シネ」
「ごめん。遅くなって。ごめん。浪江」
涙を流しながら『柴田』を抱きしめる智魅を見て。
「シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ」
呪いの言葉を虚空に吐き続ける『柴田』に謝罪しつづける智魅を見て。
セリカ(芹香)は普段ふざけてばかりの智魅の。本来の優しさを知った。
次回。反撃開始