第四話。その恋文は偽りですか
陰湿ないじめに苦しむ適恵。しかし、彼女は自らの意思で夢路の助けを断った。残された部屋で夢路は一人呟く。『経済的に不自由なく楽しみで悪事を行う者は真の罪人』と。
「……」
適恵は靴箱をあけて憂鬱な気分になった。
隙間から無理やり差し込まれた複数の恋文。
そしてそのいくつかには剃刀の刃が混じっている。
電子鍵から大きな錠前に変えてから靴箱に砂や汚物が入ることは無くなった。
しかし、その錠前は鋏かなにかで大きな切れ込みが入っていて、誰かが悪意のあるイタズラをしようとして諦めた痕跡がありありと残っている。
手早く靴を履き換え、図書室に向かう適恵。彼女は早朝から図書室にいることが多い。
司書の先生は彼女に図書室の鍵を渡してくれている。
防犯がしっかり施されている図書室は彼女にとって比較的安全な場所であった。
朝焼けの中、司書の先生の代わりに昨今では珍しいボロボロの紙の本の数々に修復を施し、
今では禁書になりつつある海外の詩集に目を通す適恵。
「……」
誰の仕業か、しおり代わりに剃刀が入っていた。慎重にそれを抜き出す。
本の真ん中はその剃刀で入れられたと思しき切れ込みが複数。
適恵は本に酷いことをする心無い生徒より本に申し訳無い気になっていた。
海外作家の紙の詩集など100年以上前の貴重な本なのに。小父に渡したら治してくれるが。
少し回想に入る。
『……適恵、司書の先生から頼まれたって言うがな』
夢路は目を細めた。明らかに適恵を疑う目だ。
『アルチュール・ランボーか。珍しいな』
夢路はパラパラと本の内容を見て微笑んだ。
「御存知なんですか。小父さま」
教養と無縁そうな夢路だが、無駄に長生きなだけあって大抵の書物は目を通している。
「Venus Anadyomene : A Rimbaud
Comme d'un cercueil vert en fer-blanc, une tete
De femme a cheveux bruns fortement pommades
D'une vieille baignoire emerge, lente et bete,
Avec des deficits assez mal ravaudes ;
Puis le col gras et gris, les larges omoplates
Qui saillent ; le dos court qui rentre et qui ressort ;
Puis les rondeurs des reins semblent prendre l'essor ;
La graisse sous la peau parait en feuilles plates :
L'echine est un peu rouge, et le tout sent un gout
Horrible etrangement ; on remarque surtout
Des singularites qu'il faut voir a la loupe……
Les reins portent deux mots graves : Clara Venus ;
- Et tout ce corps remue et tend sa large croupe
Belle hideusement d'un ulcere a l'anus. (引用)」
突如流暢なフランス語を話し出す夢路。ちなみに。本人曰く200言語以上話せるそうだ。
不思議そうにしている適恵にその意味を告げる夢路。
適恵の頬が赤く染まる。初期のアルチュール・ランボーの作だが。
「ホモ野郎の詩だな」
他にもあるぞとにこやかに笑う夢路に適恵は「もういいです」と呟く。
肩をすくめた夢路は家の中なのに刀を持ち出し、瞳の前にかざす。「ほれ。治った」
新品同然になった本を嬉しそうに抱きしめる適恵を見ながら。
「お前、苛められているなら」と続ける夢路。
一瞬震える適恵。
「やっぱりか」
すうと夢路の瞳が細まる。夢路はバカで温厚に見えるが、それは身内に対してだけだ。
剣士としての夢路は『敵』には怖ろしいほど苛烈な戦いを見せる。『弟子』にも厳しい。
「違いますっ! 」
ふるふると首を振る適恵に「そいつらは皆殺しにする」と宣言する夢路。
「……お願いします。それだけは」「なぜ? 」夢路は優しい。だが、『敵』に対しては容赦はない。
「小父さまに頼めば解決してくださるのはわかりますが、級友の皆さんが可哀相です」
夢路は呟く。「皆殺しにすればいいじゃないか」
夢路を止めるには戦術的攻性魔法か次元振動弾が必要だ。それだってかすり傷も負わない。
「人を傷つけたら、周りの皆さんも傷つけます」適恵は懇願した。
「お願いします。誰にも言わないでください。小父さま」
「じゃ、真由美と智魅に言うぞ」「お姉さまたちにも言わないでください」
震えながら、適恵は呟く。
「わたしが、我慢すれば済むんです」
そう、担任の先生も、学年主任の先生も言った。
仲の良い司書の先生は無言で図書室の鍵をくれた。
「不思議ね。図書室の鍵をなくしちゃったわ」と彼女は呟いた。
「誰が盗んだのかしら」
回想が終わる。
「……切られているのね」その司書の先生は目を細める。
「わたしのせいで、貴重な本が」さめざめと泣く適恵。
司書の先生は何も言わない。この問題を表面化させたら、彼女の家族は路頭に迷う。
ほとんどの男たちは戦争に繰り出され、夫を亡くした家族は少なからずいる。
適恵を救いたい。其の思いより保身。
「遥さん。やっぱり」
「『世を捨てたる人の よろづにするすみなるが なべてほだし多かる人の
よろづにへつらひ 望み深きを見て むげに思いくたすは僻事なり』」
徒然草の百四十二段。この言葉を言われて、『判った』と夢路は引き下がった。
肉親の、否、あらゆる束縛を受けない夢路には俗人の悲哀は判らない。家族のために仕事のために、
悪事を見逃してへつらって、欲に振り回され、盗みを働く姿を非難するのは人の道に外れるという話。
「私が我慢すればいいんです。この鍵も、先生が私を助けようとしてくれたんじゃないんです」
「遥さん。……ごめんなさい」
頭を下げる先生に彼女は「良いんです」と呟く。
「私が、勝手に、『盗んだ』のです」
「授業があるので、私は行きます」
「話はかわるけど、相変わらず、凄い恋文ね」司書の先生はため息をつく。
生徒たちから「遥さんに渡して欲しい」と渡された手紙や花だ。
ちなみに、今の時代、花は戦争に役に立たないので入手は難しく、可也高価だ。
「一枚分けて欲しいわ」「……どうぞ」
苦笑いする司書の先生。「冗談よ」
「先生の旦那さんはまだ」「……死亡通知がきたわ」黙り込む適恵。
「おめでとう……ございます」
悔やみの言葉をいう事は許されない。
先生は苦笑して一言。
「ありがとう」
教室にはいると、脚をかけられて転ばされかける。
机の中に私物を入れていると全て酷いことになる適恵は私物を鞄に入れる必要がある。
小柄な彼女には鞄の重さ。それだけで辛い。
葬式用の花が適恵の机の上に活けられている。
適恵の机は、刃物で罵詈増減が刻まれ、下敷きなしでは使用に耐えない状況だった。
適恵はボロ布で机の上の汚物をふき取り、曲がった椅子を探し出し、
手持ちの花を使って葬式用の花を活けなおして教室の脇に飾りなおして席につく。
江藤という適恵を執拗に苛める生徒が舌打ちをするのがはっきり聴こえたが無視した。
教室に入ってきた担任は「毎日素敵な花を活けてくださってありがとうございます。江藤さん」とだけ言った。
適恵を執拗に苛める江藤は、そんなそぶりを見せず、恥じらいの表情を見せて担任にしなを作った。
夢路は適恵の去った部屋で適恵が言ったその段の後半を呟いていた。
吉田兼好曰く。
『経済的に不自由なく楽しみで悪事を行う者は真の罪人』
『人を犯罪者に導く政治や指導を行う者には、当事者以上の責任がある』




