第十話。真由美
迎えに来た娘の名は『遥 真由美』。
車の操縦桿を握り、明るく叫ぶ女性。しかし彼女の過去は。
向けられた短銃の筒先は芹香へ。
真由美は聖騎士の肩ごしに、白い幅広帽子とワンピースを着た背の高い少女を見た。
同時に、その隣にいる黒い肌の美しい女(明らかに欲情している)も。
(最悪だ)
と彼女は思った。闇の種族の女。おそらく『純血』。
奴らに睨まれたらそれだけで魅了の視線に囚われてしまう。
後は徹底して慰みものにされて狂い死ぬだけだ。
……狂い死ぬという表現も適切かどうかわからない。
たとえ脳が破壊されたとしても性欲を満たすべく、
相手構わず襲ってくる肉のカタマリについては特にだ。
そうでなくとも人間種で彼らと対峙できる強い心を持つものは少ない。
ほとんどの人間はヘビに睨まれたカエルのように動く事すらできずに呑まれるだけである。
彼らは『魔王戦争』後に現れた人類の天敵なのだ。
事態は一刻を争う。
聖騎士の静止を振り払い、
彼女は停車時間過剰で交通課に設置された、輪留めを力づくで引き剥がす(!)と、
愛車に乗りこみ、シートベルトを締め、各種ロックを解除し、
原動機に力を貯めこむと、一気に駆け出した。
眩暈がするほどの興奮、
広がる視界、疼く身体。
歓喜の悲鳴を上げ、彼女は愛車と一体になった。
回避行動を取る聖騎士たちや軍隊を後ろから追うように走り、
90度ターンを決めて、素早く『目標』のとなりに停まる。
停まるが早いかその娘の腕をサード特有の怪力で引っ張り、
車の中に引きずり込むと最高速度をだして離脱した。
僅か十秒ほどの出来事だった。
セリカ(芹香)は混乱していた。
変な女に絡まれていたと思ったら、
軍隊に囲まれ、最後には拉致されたのだ。
おまけに自動的に伸びてきたロープだか布だかわから無いもので彼女は身動きが出来ない状態にあった。
「危ない所だったわね! 」
隣に座るショートカットの女性が叫ぶ。
「悪いけど、今、闇の種族の瞳に汚染された人間をどうこうする薬品類は無いのよ!
病院に着くまではそうしててね! 」
意味不明な言動にセリカ(芹香)は更に混乱する。
『箱』の内部はごちゃごちゃとした機械と計器類が支配し、
前方は硝子で包まれ、外の景色が分かるようになっている。
……しかし、その景色の移り変わりのめまぐるしさと言ったら!!
街路樹が次々と襲いかかり、両脇に流れていく。
市場の脇を通り、スーツ姿のサラリーマンをが慌てて逃げていく横を駆け抜け、
壁にぶつかる直前に素早く90度ターン。
同じ様な箱が「ブッブー」と嫌な音を鳴らす中、右に左にそれらをかわし、
縁石に乗り上げて片輪走行で正面衝突をさけていく。
後方で『ファンファンファン……』という警笛の音が聞こえるがどんどん遠くなって行く。
セリカ(芹香)はこのような早い乗り物は先程乗ったヘリと電車以外無かったので驚くばかりだ。
それに内部が狭く、自在に右左と小回りが効くこと、
回りで矢継ぎ早に起こる事態に、体感速度は電車やヘリより速いくらいだ。目が回るほどである。
「ふふふふふ」「あ、あの」
セリカ(芹香)はその女性に声をかけた。
「夢路小父様?」
ボケも大概にすべきである。
女性は不敵な笑みを浮かべる。
視線がバックミラーに移った新手の警察車輌を捕らえる。
くすくすという不気味な笑い声。
「違うわ。私は真由美。……遥真由美よ!!! 」
ギアチェンジ。アクセルを踏み切る。
セリカ(芹香)はシートに叩き付けられた。
「……ひぃやぁぁっっほほぅぅぉぉうううぅぅっっ!!!! 」
「ちょ、ちょっと? 真由美……さん???!! 」
嫌な予感。
「おぉぉ~~ほっほっほっっ!!!!
なんびとたりとも、私の前を疾らせないわよぉぉっっ! 」
予感的中。
対抗車線で追い越しを行ったトラックの運転手は驚いた。
凄まじい勢いで壱台の自家用車が突っ込んでくるのだから。
セリカ(芹香)の眼前で目の前の硝子越しにどんどん拡大されて行くトラック。
ぶつかる!!!??
「お、降ろして下さい。真由美さーん!!!! 」
トラックに特攻する寸前、真由美の片輪走行で命脈を保ったセリカ(芹香)は 真由美を止めるべく必死で叫ぶ。
が。
「きゃははっはは♪ 楽しいでしょ~~♪
喋ってると舌噛むわよぉぉっっ~~~!!! 」
無理。
「いやですっ! 降ろして下さいぃぃ!! 」
無理無理無理。蝸牛。
「ダメよ。あなたは“瞳”を見ているんだから!! ……それより一寸付き合いなさいよ♪
嫌な事があったら飛ばすのが一番よ! 」
いや、それ、アンタだけ。
真由美は機械のように正確にハンドルを動かす。
左手は高速でシフトやハンドブレーキを駆け巡る。
突如。妙な声が車内に漏れた。
セリカ(芹香)の額から、背中から、嫌な汗がダクダクと流れた。
「あ……んっ…… 」
激しく嫌な予感。物憂げな表情、上気した瞳がセリカ(芹香)を捉えた。
「この振動……いいとおもわない? 」
アレ(くろばら)と同類だ。直感したセリカ(芹香)は大声で否定した。
「おもいませんっっ!!! 」
ハンドルを握る真由美の右の指が自らの小さな唇に伸びる。「残念ね」
真由美は少々眉をしかめた。「寂しいわ」
片手ハンドルで急カーブ。
シートベルトごと扉に叩きつけられるセリカ(芹香)。
車は対抗車線を逆行して走る。
右左に急回避。縁石に乗り上げて片輪走行。
「このスリルがわからないなんてっ♪ ねっっ♪ 」
そのまま路地をカッ跳んでいく暴走車両。
「う……んっ……」
ギアを握っていた左手が真由美のスカートの上に伸びた。
真由美は大きくシートに身体を預ける。
セリカ(芹香)は見たくはないが、命の危険からかソレを見てしまった。
真由美の右の指が。
……ハンドルから離れて左の胸の上に触れる。
セリカ(芹香)は真由美から“くろばら”と同じ匂いを感じて狼狽した。
「あぅ♪ うふぅん♪ は……はぅっ」
……。無理。無理。無理。色々とダメダメ。
「まっ真由美さん!操縦桿を握ってください!!」
完全な手放し運転。危険である。いや、ソレ以前に操縦者の性癖がアブナイ。
「素敵……。……最高っ! 」
うっとりとして呟く真由美の瞳には、
当然、セリカ(芹香)など映ってはいない。
セリカ(芹香)はもう喋ることができなかった。
何故ならとうの昔に気絶してしまっていたからだ。
……。
…………。
……やがて、車は海岸線の見える崖の上で停まった。
前かがみで失神しているセリカ(芹香)。
真由美は大きく喘ぎながらシートにもたれかかり。
……やがて精魂尽きて眠り出した。
日は傾き、夕方になろうとしていた。
……。
…………。
……セリカ(芹香)は正気を取り戻すと、なんとかシートベルトを自力で外し、
這うように車の外に出て小さく喘いだ。はじめて車に乗ってあのアクションである。
壮絶に気分が悪い。
遠く鳥の声が聞こえる。
表を上げたセリカ(芹香)の瞳に映ったものは。
大きな。大きな。水溜り。
(海と言うものを彼女は初めて見たのだ)
そして、
そのなかに……いったい何基あるのだろう??
……無数の巨大な朽ちた塔が乱立し、
水の反射を受けたそれら廃墟群が夕焼けに照らされ、深紅に輝く様子だった。
セリカ(芹香)はしばらく時を忘れて魅入っていた。
美しい。が、ものかなしい。
『かつての“帝都”よ』
振り返る。真由美がいた。
「13年前の戦乱で……みんな死んだわ。
私の友達も。近所のおじさんも。わたしたちの先生も……。
奴らは“神罰作戦”とか言ったけど。
私は無辜の人々を虐殺したヤソの民を許せそうに無いわ」
セリカ(芹香)の隣の地面に身を投げ出す。
一寸、年頃の娘にしてははしたない。
「どんなに恨んでも。泣いても。
そんなことをしても、死んだみんなは帰って来ないのに……ね? 」
寂しげな笑い声が響いた。
そういえば幼い頃、山の向こうが強く光ったことがあった。
父親と母親が飛び出して光に魅入る彼女を家の中に引きずり込んだ思い出。
『あれ』がそうだったらしい。
その後、両親の体調は悪くなっていったことも思い出した。
セリカ(芹香)は呟いた。
「わたし。知りませんでした」
真由美は不審そうにセリカ(芹香)のほうを向く。
「あなた。そんなことも知らないって……何処の生まれ?
そういえばどうやって拘束シートを抜けたの?
それに。……あなた、“瞳”を見なかった? 」
「なんの事ですか?」
セリカ(芹香)は真由美のほうに振り帰った。
強い風が彼女の帽子を吹き飛ばした。
ふわり
豊かな濡れ鴉色の髪が
夕暮れの光を受けて美しく輝く。
黒真珠のように輝くきめ細やかな美しい肌。
整った顔立ち、少々尖った耳。
真由美はまじまじとセリカ(芹香)の顔を見た。
ゆっくりと立ちあがり、スカートの埃を取り払う。
「真由美さん?? 」
真由美は無言で肩に掛けたポーチを開く。
「結構凝るのね。あなたたちって」
セリカ(芹香)の額に冷たい感触。
真由美は冷たい瞳をセリカ(芹香)に向けた。
「すべての人間が、あなたたちの思い通りになるとは。……思わないほうがいいわよ? 」
前髪を掻き揚げて真由美はそう呟いた。
……短銃の筒先がセリカ(芹香)の額に触れていた。