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第二章③

「ちょっとライカ、起きて」

 喧嘩をしていたら、いつの間にか朝になっていた。ヒバリが鳴いている。その鳴き声で中渡瀬カスミは目を覚ました。目を覚ましたら、市野井ライカがカスミの膝の上で気持ちよさそうに寝ていた。揺すっても目を覚まそうとしない。メイド服の生地にライカの唾液が染み込んでいる。最低な気分。首が痛い。ベッドの上で寝てないからだと思う。

 ああ、ここはどこだろう?

 回らない頭で、昨日の夜のことを思い出してみる。

 カスミとライカは美作ショウコの命令で新田ホテルを訪れた三人組の内の一人の女性を追いかけた。けれど彼女はキャブズの後ろに乗って逃げた。簡単に追い付けると思った。キャブズは飛ぶしか脳のない、魔法の才能のない魔女がなるものだ。少なくとも北関東の常識ではそうなのだ。なのに、その魔女の加速は凄まじかった。信じられない早さだった。髪の色が悪いキャブズの癖に生意気だ。彼女に追い付けなかった自分にも腹が立つ。しかしもしかしたらわざと髪の色を悪くして、魔女は二人を欺こうとしたのかもしれなかった。本当は、凄い魔女で、スーパ・ソニックという素晴らしい風の魔法を編んだのかもしれない。

カスミはすぐに帰還することを提案した。暗い夜、一度見失ってしまった魔女を探すのは非常に困難なことだし、もし魔女がただのキャブズじゃなかったとしたら、返り討ちに合ってしまう可能性もある。カスミは冷静にそう思った。しかし、ライカが反発した。「支配人に蹴られるのは嫌!」

カスミは「そういう夜もいいじゃない」と呟く。カスミは支配人の美作ショウコに蹴られることが嫌いじゃなかった。瞼が腫れて口の中が血だらけになると生きている気がするから。気持ちいいから。

「水の属性をこじらせちゃったんだ」

ライカはカスミが美作のことを好意的に言うことをとても嫌う。ライカとカスミは恋人同士だった。一応、今もそうだが、昔に比べると熱は冷めている。昔を思い出すと凄く熱い関係だったと恥ずかしくなるくらいだ。美作に会う前のカスミは凄く暴力的だった。毎晩ライカを泣かせて笑っていた。ライカもそういう関係を望んでいた。しかし、新田ホテルの従業員になって、美作のお仕置きに合ううちにカスミの中の何かがこじれたことは確かだ。カスミの目付は段々と緩くなっていた。蹴るよりも蹴られる回数の方が増えていった。ライカを全く蹴らなくなった。ライカもカスミの変化に合わせて変化した。カスミの意見に口を出すようになったし、カスミの頭を叩くようになったし、カスミに勝手にキスするようになっていった。

「あの魔女を連れて帰らなきゃ、私、殺されちゃう!」

 カスミはしぶしぶライカの主張を受け入れて、一晩中二人で空を飛んでいた。魔女が消えて行った方向へ、周囲を見回しながらゆっくりと飛行した。そう簡単に見つかるわけがない。カスミは帰るのが遅れれば遅れるだけ美作のお仕置きの時間が長くなるだろうな、なんてぼうっと考えながら飛んでいた。ライカは対照的に、必死だった。

県境を超えて、見慣れない空になって、ライカが言った。「……もう疲れた」

カスミとライカは公園に降り立つ。一面芝生で、敷地はかなり広い。その中央には天使の石像がポーズを取る、立派な噴水があった。二人は公園で一番の大木を背に座った。そしてキャブズの魔女のことを話していたら、いつの間にか喧嘩が始まった。気付くと二人の関係について口論になった。そしていつの間にか眠っていて、朝になっていた。

「ライカ、起きてってば」カスミはライカを揺すりながらも、暴力的に水を浴びせたりしない。

「……ん、カスミ?」ライカは目を開けた。朝日が眩しいのだろう。両手で目元を隠し、目を擦った。「あれ、ここは?」

「公園よ、多分、埼玉かな?」

 ライカはカスミの膝の上から頭を持ち上げ、甘えるような口調で顔を近づけてきた。「水で濡らして」

「水道ならあそこにあるよ」

「きっと水圧が足りないもの」

「仕方ないな」カスミは水の魔法を編む。編むといっても呼吸するようなものだ。瞬きして、そう思うだけ。およそ三リットルの水がどこからともなく出現して、ライカの顔に当たる。

ライカはメイド服のエプロンで顔を拭きながら不満そうに言う。「……水圧が足りない」

「強くしたら飛んでっちゃうかも」カスミはつまらない冗談を言って笑った。

 ライカは笑わない。「愛も足りない、愛で私を溺れさせてよ!」

「朝から何言ってるのよ、」カスミはククッと笑う。「意味分かんない」

「はあ、」ライカは溜息を付いてカスミを抱き締めた。紫と群青の髪を絡める。「昔はこんなことしたら、すぐに怒ったのに、今ではこんなに簡単に出来る、朝よ、カスミ、カスミの大嫌いな朝なのに、こんなに簡単に『ノベルズ』のワンシーンを再現できちゃう」

「のべるず?」カスミはその単語を知らなかった。「髪を絡めることが何なの?」

「何でもないよーだ、ばぁか、」ライカはカスミの額にキスして体を離した。「それよりカスミ、お腹減らない?」

「お腹は減ってないけど、コーヒーが飲みたい」カスミは提案する。

「近くに喫茶店とかあるかな?」ライカは立ち上がってスカートを叩いた。そして箒に跨ろうとしている。

「待って、歩こうよ、」カスミは言った。「ほら、向こうに池がある」

「私を池に落とす気?」ライカはとても嬉しそうに笑って言った。「それで池から這い上がろうとしても水を掛けておぼらせる気なんだ、そうでしょ?」

「そんなことしないって、」カスミは笑った。「たまには手を繋いで歩こうよ、ライカと私は一応恋人同士なんだから」

「カスミは全然、何も分かってないっ!」ライカはそう言うと公園の出口まで走って行く。

「あ、待ってよ、ライカってば、」カスミはライカの後を走って追いかけた。「私、ライカのこと全然分からないっ!」

 途中で公園の案内板を見つけた。熊谷市立公園。ここはやっぱり埼玉だった。

 熊谷市立公園の東門を出たところでライカはカスミの方を振り向いた。ライカは楽しそうに微笑んでいた。その表情のまま箒に跨って後ろ向きに飛び立つ。カスミも箒に跨って飛んだ。並んで飛ぶ。北からの風に煽られ、ライカはカスミにぶつかった。ライカはそのままカスミの後ろに乗る。

「ああ、いい匂い」

「ちょっと、いやだ、人の匂いを嗅がないでよ」

 ライカはカスミの背中に頬をもぎゅっと押し付けて深呼吸していた。水の魔女の匂いは一般的にママの匂いと形容される。早朝の熊谷上空はどこかに急ぐ魔女や、誰かを乗せるキャブズが右から左にあるいは逆の方向に飛んでいる。新田ホテルの上空では決して見られない忙しい光景だ。

「ねぇ、アレ、」ライカは地上のどこかを指差し声を張って言う。「あのニワトリがくるくる回転している屋根があるでしょ? 喫茶店じゃないかな」

カスミは目だけ動かして探す。「ああ、風見鳥ね、」見つけたのは平たい四角錐の屋根を持つ民家ではない造りの建物。風見鳥はそのてっぺんでゆっくりと回転している。スーツを着た人の出入りが見えた。駅も近い。きっとそうだろう。「うん、降りよう」

 空から店の前の狭い歩道にゆっくりと降りる。通行人は迷惑そうに二人を避ける。カスミとライカは左右にお辞儀をしながら、手を繋いで、店の中に入る。扉の上には英語でターキィと書いてあった。店の名前はターキィ。屋根の上でクルクルしていたのはニワトリじゃなくて、どうやらシチメンチョウのようだ。

「いらっしゃいませ、」店内は混雑していた。それにピッタリとあった輸入物の激しいロックンロールミュージックがターキィのBGMだった。ショートヘアの良く似合う、完璧な仕事をしそうなウェイトレスが近づいてきて、一瞬首を傾げてから聞く。「お客さん、ですよね?」

 カスミは苦笑してピースサインを作る。きっと地味なメイド服を着ているせいだろう。目の前のウェイトレスとあまり変わらない造りだ。色遣いはウェイトレスの方がずっとしゃれている。「ええ、二人」

「ごめんなさい、今カウンタ席しか空いてなくて」

 カスミはライカを一瞥。ライカは頷いた。カスミはウェイトレスに頷く。「ええ、構いません」

 二人はカウンタ席に座ってオーダーを済ませた。二分もしないうちに冷えたコーヒーが出てきた。それを口に含むとやっと頭が回転し始めた気がする。ライカはミルクをたっぷり注いでコーヒーをカフェオレにして、角砂糖を四つ放り込んでスプーンでかき混ぜている。「……うー、苦いな」

「紅茶を頼めばよかったのに」カスミは横目で窺いながら言う。

「濃いのが欲しかったの」角砂糖をさらに四つ放り込んでライカは言った。

「……これからどうするの?」

「もちろん、魔女を捕まえなきゃ、じゃなくて、あの女を、」ライカはカップに口を付けて傾けた。「うー、苦いなぁ」

「どうやって捕まえるの? 手がかりは私たちの記憶の中にある不鮮明な彼女の面影だけよ、髪の色は黒、目が丸くて、アヒル口、背が小さい、ビニル製の白いワンピース、それくらい?」

「よく観察していらっしゃる」

「でもどこに逃げたんだろう、とりあえず熊谷まで来たけど、でも、もっとずっと遠くに行ったのかもしれないし、もっと近い所に潜んでいるのかもしれない、でも、ああ、ライカが探知魔法を研究していてくれてさえいれば」

「そんなポテンシャルだったら、メイドなんかしてないっつーの、」ライカは甘いコーヒーを苦そうに飲んで口を尖らせる。「ああ、そうだ、キャブズ、あの緑色のキャブズを探し出せればなんとかならないかな」

「緑色だった? 暗くてよく見えなかった、髪の色は悪かったのは分かったけど」

「私のプラズマが一瞬キャブズを照らしたの、緑色だった、緑色のワンピース、その上に灰色のジャケット、この組み合わせの制服を採用しているキャブズを探せば」

「グリーンにグレイかぁ、大手じゃないね、個人かな、探し出すのは大変そう」

「捕まえないでホテルに帰る方が、もっと大変なことになると思う、そんなの嫌だ、絶対に嫌だ」

「私はどっちでも構わないけど」

「はい、お待たせ」バリトンの声と共に二人の前に朝食が並べられる。トーストとハムエッグとスープ。次の瞬間、カスミとライカはぎょっとした。おそらくターキィのマスタだろう。マスタの髪型がニワトリの冠羽みたいだったからだ。カスミとライカは手を握り合って、目を見開いてマスタから身を引く。

「ん、どうした?」マスタは困惑していた。人のよさそうな笑みを浮かべている。しかし、カスミとライカは人生で一度も見たことのない奇抜な髪形を見て微笑み返すことすら出来なかった。首を横に振るので精一杯だった。

「……ごゆっくりどうぞ」マスタは首を傾げながらカウンタの奥へ消えた。

「……凄いね」カスミは感想を言ってライカから手を離した。

「うん……、」ライカも同じ気持ちのようだ。「でも、おいしそう」

 それから二人は無言でお値段のリーズナブルな朝食を食べた。朝食はとてもおいしかった。スープがよかった。ニワトリの風味だった。きっとマスタはチキンとターキィを勘違いしているのではとカスミは思って、コーヒーを飲む。そしてお代わりをウェイトレスに頼む。ウェイトレスはメイド服を着ているカスミとライカに興味があるようでチラチラと視線を寄越していた。ウェイトレスは何か言いたそうにカップにコーヒーを注ぐ。カスミはニワトリ頭のマスタのことを聞きたかったが、人見知りなので黙ってカップに注がれるコーヒーの流れを見ていた。するとライカが言った。

「マスタの髪型面白いですね、なんていうか、ニワトリみたい」

「ああ、マスタの髪型ですか?」ウェイトレスはカウンタの奥に視線をやってクスリと笑った。「マヒカンっていうらしいですよ、私もよく知りませんけど」

「……マヒカン、」カスミは呟いた。「……マヒカン、ふふふ、……マヒカン」

「どういう意味だろ?」

「マスタ、よく変えるんですよ、髪形、色も金色にしたり」

「別にニワトリを意識しているわけじゃないんですね」カスミは言った。

「あ、やっぱりそう思います?」ウェイトレスは笑った。「赤く染めたら完全にニワトリですよね」

 その折り、店の扉が内側に押されてベルが鳴った。

「あ、知念ちゃん、いらっしゃい、」ウェイトレスが反応して二人から離れた。「ご苦労様」

 カスミは店に入ってきた知念という女の子を確認して声を上げた。「あっ」

「緑だ、」カスミの耳元でライカが興奮を押し殺して囁く。「昨日のキャブズとは違うけど、緑だ、緑に灰色の、ジャケット、嘘、ラッキィ」

「嘘、偶然? ええ、ああ、うん、まあ、こんなことも、ある?」カスミは頷いて、ウェイトレスと知念の会話に聞き耳を立てる。視線は正面にしてコーヒーを飲む。眼球を左側に動かしながら。「静かに」

「遅かったね、」ウェイトレスはキャブズの知念にとても親しげに接近している。「今日は来てくれないのかと思った」

「いやぁ、」知念の声は洋菓子の触感だ。髪形もふわっとしたショートヘア。「道が混んでてさぁ、弱ったよぉ」

「嘘、飛んできたくせに」ウェイトレスは幸せそうに知念の腕に触る。

「今日も可愛いね」

「本当にそう思ってる?」

「思ってなかったら言わない、はい、納品書にサインを、」知念は膨らんだ茶色い紙袋をカウンタに置いて納品書と万年筆をウェイトレスに渡した。「今日のメロンパンはプレミアムだよぉ」

「ぷれみあむ? なぁに、ぷれみあむって?」ウェイトレスは慣れた感じに一秒でサインを済ませた。「はい、確かに受け取りました」

「毎度ありがとごしゃす、」知念は頭を下げて両手で納品書を受け取って丁寧に二つ折りに畳んでジャケットのポケットにしまった。「いやぁ、ターキィさんにはいつもお世話になっております」

「飲んでいくでしょ?」ウェイトレスは知念のジャケットの袖を掴みながら聞く。

「うん、冷たいのを頂戴、」知念はカスミの隣のカウンタ席に腰かけた。ウェイトレスは張り切ってコーヒーを淹れている。淹れながらカスミとライカの方に視線を向けた。目が合う。彼女は表情を変えて言った。「メロンパンはいかがですか?」

 カスミとライカは顔を見合わせた。『……半分こする?』

 メロンパンを半分にしてカスミとライカは食べた。とてもおいしいメロンパンだった。パンというよりもケーキに近い。幸せな気分になる。その感想を知念に伝える。「いやぁ、恐縮の極みですなぁ」とても個性的な返答。知念がコーヒーを飲み干し、店から出て行く間に配達されたメロンパンは完売した。

「あの、さっきの女の子はパン屋さん?」ライカはカウンタの向こうで洗い物をするウェイトレスに聞いた。

「知念ちゃんのことですか?」ウェイトレスはどうやら知念の話をすると笑窪が出来るようだ。「はい、そうですよ」

「でも、キャブズの、制服?」

「ああ、はい、知念ちゃんはパン屋さんでキャブズなんです、グラス・ベル・キャブズ、キャブズの営業所の一階がパン屋さんなんです、朝は配達をしてくれるんです」

「ああ、そうなんだ」

「そのキャブズの営業所ってどこなの?」ライカは早口で聞く。

「え?」ウェイトレスはライカの前のめりな態度に戸惑う。

「そのパン屋さんってどこにあるんですか?」カスミはライカのスカートに手を入れて太ももを抓った。「メロンパン、おいしかったから」

「ああ、はい」

ウェイトレスからパン屋の場所を聞いてから二人は店から出た。ライカは人目もはばからずに腕を絡めてくる。

「なぁに?」カスミはその仕草の意味が分からないから聞く。

「凄いよかった、」ライカの頬は薄いピンク色だった。「やっぱりカスミはカスミだ、太ももがとても、熱っぽい」

「……意味が分からない」カスミは眉を潜め、前を向いた。



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